RIEHATA
Make It Beautiful 時代と遊べ。

RIEHATA

2019.4.17 | SIDE A

純粋な「好き」を絶やさない

ダンサー・コレオグラファーとしてトップクラスの経歴を持つRIEHATAは、同時に指導者でもあり、二児の母でもある。小さな積み重ねが生んだ信条と、自らを支える軸のこと。

Interview & text : Hiroaki Nagahata (STUDY)
Photography : Takao Iwasawa (The VOICE MANAGEMENT)
Styling : Momomi Kanda
Hair Make-up : Yuri Miyamoto (Lila)
Edit : Kentaro Okumura

-RIEさんは、15歳の時にアメリカに渡られました。その時、「日本の環境に違和感を覚えた」と他のインタビューで話されていましたが、具体的にどこに「ちょっと違うな」と感じられたんですか?

小6でダンスを始めた当時は、もちろん目の前にいる先生が私のダンスという世界の全てだったんです。先生が教えてくれたジェイ・Zとかミッシー・エリオットを見て、「私はブラックカルチャーが好きなのかな」って感じて。そこで「アジア人にないものってなんだろう?」っていうのを考えるようになったんです。で、お母さんに「アメリカに行きたい」と。

-ダンスの入り口になったのは、日本人のアーティストだったんですか?

最初に衝撃を受けたのは、『天使にラブソングを 2』のローリン・ヒル。歌ってる時の首の仕草にすら黒人にしかない魅力を感じて憧れた。今の私にとって定番のファッションになっている「クロップドトップにだぼだぼのデニム」っていうスタイルも、彼女からの影響。今は日本人と外国人で分けて考たりはまったくしないんですけど、当時は「黒人になりたい!」って本気で思っていました。

-ご両親からの影響もありましたか?

あります。お父さんはロックンローラー、お母さんは歌手で、二人は音楽をきっかけに出会ったんです。たぶん、私はお腹の中にいる時から音楽に触れている環境だったんだと思います。小さい頃から歌って踊ることが好きで。でも、ブラックカルチャーが大好きになったのは両親ではななくて、ダンスの先生から教えてもらった影響ですね。

-その先生が自分のルーツを作ってくれたんですね。

そうですね。今でも大事な仕事があるときには、師匠を思い出し、会いたくなります。その方はオールドスクールのダンス専門で、ヒップホップのベーシックを教えてくれる。だから、自分が新しいものを追求していって基礎を忘れかけている時には、何年かぶりに師匠とセッションすることもありました。

-先生に教えてもらったことで、今でも印象に残っていることはありますか?

基本的な動きをひたすら繰り返すこと。ダンスで言うとバウンスする動き、つまりダウンとアップを2、3時間も繰り返すんです。若い世代の子たちのなかには、「振り付けを覚えること=ダンスの練習」って思ってる人も多い。私も実際、振り付けることに一生懸命になっている時には、「内側からただただ “ノる” ことが大事なんだ」と立ち返る努力をしています。

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-子どもの頃に「基礎的なことより、もっと振り付けを覚えたい」と反発したことは?

それはなかったけれど、「いろんなジャンルをやりたい」っていう思いはありました。先生が教えてくれてる基礎は早々にマスターしちゃって、アシスタントもやらせてもらってたので、調子に乗って「Hiphopはマスターした」くらいに思っていて。「次はバレエかな? ジャズかな? スニーカーで踊ることはできるから、ヒールで踊ってみようかな?」とか。常に自分に足りないものを探していました。

-そういう意味では、まだ見ぬ景色を見るためにアメリカに渡ったわけですよね。

そうですね。ホームステイ先がいとこの家だったんですが、ダンススタジオの集まるLAから離れた田舎にあって。毎日のようにレッスンに通えると思ってアメリカまで来たのに、現実は月に1、2回くらいしか行けなくて、代わりにひたすら自主練していました。アメリカはダンス番組が多いので、それを参考にして。

-アメリカの文化のほうがご自身の性格と合うと思いましたか? あるいは渡米はあくまで修行の場だと捉えていた?

半分半分ですね。みんな好奇心が強くて我が道を行くタイプだったので、その面では私はすんなり馴染めた。日本では「リエってちょっと変わったキャラだよね」って言われることが多かったし、誰とでもすぐ仲良くなれる性格がゆえに、馴れ馴れしいと思われることもあったから。ただダンスに関しては「下手だろうが先生の前でアピールする」「ダンスを習いに行く場所でもフリースタイルで自己表現する」っていうカルチャーが新しいものだなと思いました。バレエを習ってなくてもターンしたり、Bボーイじゃなくてもフロアに果敢に入っていったり。多くの日本人は、習っていないものはできないと思い込むし、実際私にもそういうところがあったので、衝撃でしたね。

-日本人ならではのダンススタイルを作っていくのか、そのバランスに悩んだことはなかったですか?

まずは、好きな人たちの動きを完璧にコピーしてみました。コピーもできなかったら世界レベルには行けないと思ってたので。ただ、同じ動きをしていても、自分は周りにくらべて背も低く、顔つきも違うから、私の個性は自然と印象に残るはず。それで、当時から「黒人の動きをアジア人がやったらやばい。自分のスタイルに+αして変換していける」っていうポジティブなイメージがあったんです。言い方を変えると「真似をしているようでも、黒人の人たちとは違う個性を発揮することができる」と思っていました。

-わざわざ個性を出そうとはしなかった。

そうです。この人みたいに踊りたいっていう気持ちが強かったので、男性でも女性でもダンサーでも歌手でも、とにかく自分の好きなものをまとめていけば、最後にそれが全部自分の武器になる。もちろん、そんなに簡単にはいかなかったんですけど、何年間も練習して黒人の方の動きの真似ができるようになった時に、私というアジア人のフィルターを通して人に発信すると「リエってすごい個性的だね!」って言われるようになったんです。「黒人の真似してるね」とは言われなかった。さらに時が経って、黒人の方から「リエみたいになりたい」って言われた時に、「自分を超えた」って思いました。

-それは当初から「そうなるだろう」って想像していましたか?

完全にイメージしてました。あと、ノートに「こうなる!」って書いてましたね。「黒人に憧れられる」って(笑)。

-その習慣はいつから?

もともと日記を書くのが好きだったんですが、ホームステイで初めて親元から離れた時に、「親にお金を出してもらってる分、何かしらを得て日本に帰らないと」っていう気持ちが強くて、自分に厳しくあろうと、例えば「皿を洗う」という些細なことでもノートに書いていました。あとは、1週間と3ヶ月の目標ノートを別々に作って、1週間のほうには「鏡を見てかっこつける」とか自分に足りないもの、3ヶ月のほうには「先生に気に入られる」「2回転ができるようになる」とか大きな目標を書いていました。今の生徒にも「ノートを書きなさい」って常々言っています。

-今は、自分の声と他人の声が混在しやすい時代ですしね。

そうなんですよ。今って、自分自身に「上手いかな?」って問いただす前に、友達から「かっこいいじゃん」って言われるような時代。本当は、自分で鏡を見てジャッジしないといけないのに、SNSもあるから、そういうのが欠けてるなと。

-15歳でアメリカへ渡って、人よりも早く大人になるわけじゃないですか。同世代の人と話は合いましたか?

ぜんぜん合わなかったです(笑)。私は帰国してすぐ、16歳とか17歳くらいで先生になっちゃったんですよね。当時は生徒でいる年代なのに、私は先生で、歳上の人に敬語を使われたりしてたから、自分で自分の年齢を忘れていました。で、21歳の時には子供ができて……早いですよね。

-その頃強く憧れていた人はいますか?

クリス・ブラウンは一緒に仕事する前から大ファンでした。彼はバックダンサーよりもダンスが上手くて、歌えて、ファッションもイケてるしスタイルもよくて、私が求めてるものを全部持ってた。実際に一緒にセッションしてみて驚いたのは、自分の歌しか聴かないし、自分のことをずっと鏡で見てるんですよ。私もここまで音楽の中に入りたい、もっと音楽を大好きになりたいって。

-RIEさんはそういうタイプじゃなかった?

私も超ナルシストだと思いますよ。毎日セルフィー撮るし(笑)。でも「自分大好き!」っていうよりは、自分を客観的に見てる感じなんですよね。「これじゃだめだよ。もっと可愛くなれるよ!」って自分に言ってる感覚というか。

-「ダンサーの地位を上げたい」と常々おっしゃられていますが、ここ数年の間で変わってきたと思いますか?

上がってきたと思います。例えば、LDHのアーティストが、ダンサーでもパフォーマーとしてテレビに出ているっていう事実はすごいなと。アンダーグラウンドのクラブシーンで活躍しているダンサーの認知度や収入のことを考えると、まだまだ。私が活動することによって更に「ダンサー」が憧れの職業になったらいいなって、いつも思っています。

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-だから指導者としてもダンスシーンにコミットしていくと。では、RIEさんが生徒に1番大切なこととして繰り返し説いていることは?

自分が何かを好きっていう感情、ときめきを絶やさないでほしい、ということです。

-絶やさないために、どんな秘訣があるでしょうか。

人から受け取ってばっかりいると、好きという気持ちの火がどんどん弱くなって、いつか自分がなぜダンスをしているのかが分からなくなってしまう。だから原点を確かめるためにも、ただただ「音楽が好きだ!」「ダンスが好きだ!」って思える時間を隙間にいれることが必要。私はどんなに多忙なときも、子どもの頃にやってたことは今でも欠かさないようにしています。無邪気に踊るとか、好きな音楽を聴くとか。

-自我を完全に解放する方法は何かありますか?

私も今だから「楽しく仕事できています」って胸を張って言えるけど、昔は泣くほど練習していました。「仕事も自分の趣味」っていうくらい楽しむためには、まずは実力をつけること。実はこれに気付いたのは最近なんですけどね(笑)。やっぱり常に“求められる”仕事だから、追い込まれることもあって、そのプレッシャーでダンスを楽しめなくなってしまうことも経験した。でも、それを乗り越えた時に喜ぶのは自分なんです。だから、結果としては苦じゃないって思うけど、やっぱり楽しいことも辛いことも両方あるっていうのが現実ですね。

-今、やっと楽しい地点に着地したなという感覚ですか?

やっとですね、時間かかりました。私の場合はお母さんでもあるので、子育ても両立しないといけない。だから簡単じゃなかったですね。

-もっともヘビーだったのはいつですか?

二人目の子どもができて、さらに靭帯が切れる大怪我をした時。出産と手術が重なって、お医者さんに「もう踊れないよ」って言われてしまったので、その時は「もう物理的に無理だ」って思いました。

-実際のところ、若くして母親になって常に良かったなと思えていましたか?

子どもを産むと2、3年はダンスできなくなるなら、焦りますよね。最初の子を産んだ頃はアメリカに移住することも考えていたので、それを1回ストップすることになる。その間に同世代の人が行ってしまうんだろうなとか、意味のないことを考えていました。でも、そういう時に思うことって名誉やキャリアのことで、肝心の自分の中身は何も傷ついていない。周辺のことにナーバスになっていただけでした。産んだあとに気づいたのは、私、人間的にすごく幸せだなって。仕事の現場でどんなにチヤホヤされたとしても、家に帰ったらお母さんっていうのが、“いい人間”でいられる軸になっていたんです。もちろん、子供がいなければできていたことは、たくさんあるんでしょうけど、私の場合は “いい人間” でいることがキャリアに繋がっている気もします。私のハッピーなオーラを周りが感じてくれていて、それが良い循環に繋がっているんです。

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Profile

  • RIEHATA

    ChrisBrown、Omarion、BTS(防弾少年団)、BoAやAI、EXILE等の国内外アーティスト本人からラブコールを受けるダンサーアーティスト・コレオグラファー。日本人離れしたグルーブ、圧倒的なパワーと表現力を武器に【QUEEN OF SWAG(クイーンオブスワッグ)】と呼ばれ世界中の多くのファンを魅了し続けている。35万人を越えるフォロワー数を誇るinstagramアカウントではダンス/ファッション/ライフスタイル/子育てを発信し、instagramをきっかけにChrisBrownとも直接の交友関係を持つ。「This is the freshest right now!(今最もヤバい!)」というコメントと共にRIEHATAのダンス動画を投稿し話題を集め、2016年に本人による指名で「PARTYfeat.Usher&Guccimane」のミュージックビデオへ出演。ダンスシーン以外に冒頭、日本語を喋るキーパーソンとして登場した。ダンス・ファッション・ライフスタイルと、常に”最先端”を追求し日々磨きがかかるRIEHATAに更なる精力的な活動が期待されている。

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