90日の夏と、ビーチのこと。

朝の海、日中の海、夜の海。

時間帯や光の具合によって
継ぎ目なく表情を変え続ける海には、
どんな人も抗えない、普遍的な魅力がある。

ビーチでやりたいこと、いろいろ。
90日間の暑い夏を目前に、
あれこれと考えていたら
どうしようもなく気持ちが弾んでくる。

物静かに本を読む人、はしゃぎ回る子供たち、
ぼんやりと海を見つめる人。

ビーチには、なにもない。
けれど、ビーチにはすべてがある。

むやみに正解を探すより、
ふわりと海のリズムに自分の心をあずけてみる。
論理的じゃなく、できるだけ直感的に。

きっと誰もが、こんな瞬間を
求めているのかもしれない。

by HELLY HANSEN / anna magazine

ビーチと付き合うひと月のこと。

イタリア人ほど夏のヴァケーションの話をするのが好きな人たちはいないのではないか。復活祭の連休が終わった頃から、彼らの頭の中のかなりの部分が夏の休暇のことで埋められると言っても良いだろう。5月になったら挨拶がわりに"Dove vai per vacanza?" (ヴァケーションはどこに行くの?)というフレーズを頻繁に聞くようになる。そんな様子を遊ぶことばかり考えている、なんて軽く言ってしまうのも野暮で、彼らにとってヴァケーションは人生。それ程生きる上で重要なことなのだ。無理もない、彼らの夏の休暇は「とても長い」ので、その間に、どこで、誰と、どう過ごすかは、相当に重要なことになってしまう。どのくらい長いかというと、就学児童ならざっと3ヶ月、職種などにも左右されるが真っ当に働く大人でも、少なくとも1ヶ月はある。夏の休暇だけでこの長さ、どうやって過ごすかは自分の人生の時間をどうやって過ごすかと同じことと言っても良い。家族代々で別荘を持っている人も少なくないので、今年はおとなしく別荘で過ごすよ、という人もいる(それもすでに相当に羨ましい環境だよな)。2週間は家族と、後の2週間は恋人や友達と過ごすという人も多い。

長期のヴァケーションの間、彼らはバタバタ忙しくするわけではなく、普段の休日の過ごし方をそのまま海に置き換えたような、のんびりした時間を過ごす。朝目覚めたら、朝食をとる前にまだ人の少ないビーチを散歩して、少し海を眺めてからゆっくりカフェをすする。それから「今日は何しようか、別に何もしなくて良いよね」と、本を片手にまたビーチに戻って寝転びながらページを繰って。波のない穏やかな海にパチャっと身を委ねていたら、あっという間にランチタイムだ。キッチンの付いた部屋に戻ってパパッとサラダでも作って、パンとチーズと冷やした白ワインがあればそれで良し。食事がおわったらまどろみシエスタ。お日様がてっぺんにあるうちは暑すぎるもの、しばらく部屋で涼んでいたら良いじゃない、夕日の頃にまたビーチに戻ろうよ、それから、部屋に戻ってくる前にアペリティーボ(食前の一杯)でも外で引っ掛けてこようか……なんてね、落ち着きのない私には、なかなかそんな素敵な過ごし方はできない。仕事のことも日常のことも、ヴァケーションの間はスパッと忘れてビーチとどっぷり付き合う。イタリア人みたいに過ごせたら人生はもっと楽しいのかもしれない。

在本 彌生

東京生まれ。外資系航空会社で乗務員として勤務後、写真と出会い、2006年5月よりフリーランスフォトグラファーとして活動を開始。雑誌やカタログ、広告など多方面で活動中。

ビーチに持って行きたい7つ道具。

夏が来たらまずはビーチグッズを揃えよう。
海の必需品はHELLY HANSENでね!

ビーチハウスで読みたい一冊。

ビーチで海の本を読む人は実は少ない。
潮風を感じながら読みたい本、紹介します。

「パイの物語」ヤン・マーテル

荒れた海でも、穏やかな海でも、そこにただよう空間の広大さはすごい。そんな海を、肉食のトラと漂流することになる少年の200日の孤独。いかにトラをてなづけ、いかに孤独を克服するか。

FROM BOOK

漂流するというのは、どこまでも円の中心にいるということだ。世界がさまざまに変化しても—ささやいていた海がどなり始め、みずみずしい青だった空が目もくらむような白に、そして漆黒に変わる—その位置関係は変わらない。その視線は常に半径の範囲にかぎられる。その円周は実に大きい。実際には、円は一つではない。漂流するというのは、自分を責めさいなむいくつもの円にとらわれるということだ。自分は一つの円の中心にいて、その上空では二つの相反する円がまわっている。太陽は群衆のようにぼくを責めさいなむ。ひたすら耳をふさぎ、目を閉じて、どこかに隠れたくなるような騒々しく無遠慮な群衆。月は自分がひとりぼっちであることを静かに否応なく思い知らせてくれる。その孤独から逃れようと、ぼくは目をカッと開く。時々顔を上げてぼくは思う。この容赦なく照りつける太陽の下、あるいは静かな海のただなかに、こうしてぼくと同じように空を見上げている者がいるのではないかと。円の中心につかまって、恐怖と、怒りと、狂気と、絶望と、虚無感と闘っているだれかが。

ABOUT STORY

インドからカナダで向かう貨物船が太平洋上で沈没。乗っていたのは動物園を経営していた家族と動物たちで、かろうじて少年と数頭の動物たちが救命ボートに乗ることができた。圧倒的なサバイバル小説であるばかりか、動物と生きる方法についての本。イギリス最高の文学賞も受けた一大漂流記。(唐沢則幸訳/竹書房)


「神々のハワイ」スザンナ・ムーア

ハワイでは 「白人」のことを 「ハオレ」という。ビッグアイランド(ハワイ島)育ちのハオレの女性が語るハワイの神々のこと、ハワイの王朝の歴史のこと、じぶんのなつかしい思い出の数々。

FROM BOOK

わたしがわたしであると感じるのは海に入っているときだった。もしもたずねられれば、わたしの心は何度でも変わることなくそれをほんとうのわたしとして選ぶだろう。わたしは朝泳ぎ、昼にまた泳いだ。夕日が沈むころにも泳いだ。くたびれるまで泳いだが、浜にもどる力もないまでに疲れはてることはなかった。遠浅の海が海峡の縁の深みにつながるところに水の澱みを見つけた。ずっと遠くまで泳いでいけば、山の斜面に鮫の神を埋葬した場所の跡を示す巨大な岩が見えた。ときどき、自分の下にも上にも途轍もない何かがあるような、いいようのないおそろしさに襲われた。海が突然わたしを波に巻きこんで、誰もいない地上から誰もいない宇宙へ放りなげるのではないかという気がして怖くなった。そして海がわたしを捕らえようとしているとでもいうように、急いで浅瀬を引きかえすのだった。
ある夏、母の具合が悪くなり、わたしたちはオアフ島北部のプナルウの海岸に滞在した。わたしは透きとおった水底にばらばらになった人の体が見えると信じこみ、しばらく海に入ろうとせずにみなを困らせた。

ABOUT STORY

ハワイで育ってきたからこそ見えてくるハワイの風景というものがある。ハワイを舞台に、海と島々の風景をていねいに書きつづけている女性の作家である。観光地の「楽園」ハワイとはだいぶちがう、「故郷」としての愛おしいハワイの姿を浮かび上がらせる名手。(桃井緑美子訳/早川書房)

青山 南

1949年福島県生まれ。翻訳家、エッセイスト。アメリカ現代文学作品の紹介につとめる一方で、アメリカ文化や文学界の事情にも詳しい。小説の翻訳だけでなく、絵本の訳やエッセイ、映画の評論などを幅広く手がける。主な翻訳の仕事に『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』『愛してる』『優雅な生活が最高の復讐である』など。自著には『ネットと戦争』『短編小説のアメリカ52歳』『南の話』などがある。2007年には、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』の新訳を刊行し、話題を呼んだ。