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INTERVIEW ヒラリー・ネルソン

サミットを越えて

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2018年9月、エベレストの隣にあるローツェ(8516メートル)を登頂後にスキーで滑降するという偉業を成し遂げたヒラリー・ネルソン。THE NORTH FACEのアスリートチームキャプテンであり母親でもある。スキーを背負って世界各地の険しい高峰の頂から滑降するという、今の時代で最も困難な冒険を続ける彼女を突き動かす原動力とは。
Photo by Nick Kalisz Written by Coyote

大きな夢の実現

 2018年9月30日、ヒラリー・ネルソンは世界第4位の高峰ローツェ山頂からの初スキー滑降を、パートナーのジム・モリソンとともに成功させた。第3キャンプから頂上へと一気にアタックし、ローツェの西面をクーロワールに沿って滑降する、約17時間に及ぶ冒険だった。そしてヒラリーは長年の夢だったこの滑降ルートを「ドリーム・ライン」と名付けた。この偉業は2018年のナショナルジオグラフィック誌の「アドベンチャー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれ、人類の冒険の歴史に大きな足跡を残した。ザ・ノース・フェイスのアスリートとして来日した彼女に、冒険を終えた今の気持ちを訊いた。
「ローツェはとてもアイコニックな山であると同時に、天候がすごく変わりやすい厳しい山です。そんなローツェをスキーで滑降するという挑戦は、アスリートであると同時に1人のクリエイターとして、世界に向けて自分を表現する貴重な機会だと思いました。今回のような大きな遠征では、経験や技術、体力といった総合力が試されます。そして綿密な計画を立てて、それをどれだけ正確かつスピーディにこなしていけるかが成功の鍵となります。もちろん運によるところも大きいです。ローツェの斜面は普段雪が少ないため、今回の遠征で山頂から滑降できるほどの雪が残っていたのは本当に運でしかありません。
 ローツェには既に登ったことがあり、 2012年にエベレストとローツェを縦走しました。その時にこの山を滑ってみたいという思いに駆られ、以来ずっとローツェを滑ることを夢に見てきました。その長年の夢を成功させてしまった今は、心にぽっかり穴が空いてしまったような感じです。いつもベースキャンプまで降りてくると、さあ次はどこを登ろうという気持ちが湧いてくるのですが、今はいい意味で完全に燃え尽きているような感じですね。でも次のチャレンジはまたすぐに訪れると思います」
 ヒラリーのスキー歴は3歳の頃に始まる。ワシントン州のカスケード山脈にあるスティーブンス パスを拠点に、兄と姉と競うようにフリースキーの腕を磨いていった。スキーと出会ったことで自立と自由を手にした彼女は、大学を卒業するとより本格的にスキーに取り組むためにフランスのシャモニへ拠点を移した。当時、数々のスキー映画で活躍していたフリースキーのレジェンド、スコット・シュミットに憧れたのがきっかけだった。
「私にもアルプスのような大きな山を自分の足で登って滑降できるのか試してみたかったんです。それまでもアルパインクライミングやスキーはやってきたつもりだったけれど、実際にアルプスを滑ってみて、アルパインスキーというものについて自分が何も知らないまったくの素人だということを思い知らされました。アルプスの天候の読み方や氷河の歩き方もわからず、今まで自分がやってきたことはなんだったのかとショックを受け、アルパインスキーの学校に5年間通って一から学び直す決断をしました」

次なる冒険の舞台へ

 アルプスの山々でアルパインスキーの経験を積んだヒラリー・ネルソンが次の挑戦の舞台に選んだのはヒマラヤだった。そして1999年2月、26歳の時に最初のヒマラヤ登山を経験する。 「アメリカで育ち、シャモニで様々な経験を経た次のステップとして、さらに壮大でリスクの高いヒマラヤに目を向けるのは私にとっては自然な流れでした。高所にもすぐ順応できるほど体力的にも精神的にも充実していたので、挑戦するには一番良い時期でした。最初に向かったのはインドヒマラヤの標高6001メートルのディオティバという山です。しかし1カ月ディオティバに入って高所順応に努めましたが、結局高所に順応できずに滑降まではできませんでした。成功させる技術が自分には備わっていたつもりでしたが、1カ月以上の長期にわたる高所でのキャンプ生活でのストレスと体力の消耗に耐えられなかったことが敗因でした。それにシャモニやアメリカとは異なり、下山してもすぐに街があるわけではなく、文明から遠く離れた場所にいるということが精神的にも肉体的にもとても辛かった」
 このヒマラヤでの失敗経験は彼女の弱点を浮き彫りにし、それをひとつひとつ克服していくことで彼女は大きな飛躍を遂げていった。
「改善したことは2つ。まず肉体的な部分ではクロスカントリーのコンペティションに取り組むことで体力の増強を図りました。そして最大の弱点である長期遠征に耐えられる精神力を補うために、まずは遠征先の地理を理解することに努めました。地形やルートを記憶し、ここまで行くのにどれくらいの時間がかかるか、かなり綿密な計画を立てて実行することをすべての遠征において心がけるようになりました。初めての大きな遠征だったディオティバでのスキー滑降は失敗してしまったけれど、それからはまたさらに次の大きな目標に向けてチャレンジしていきたいというモチベーションに支えられてきました」
 インドヒマラヤ遠征以降、ヒラリーは数々の偉業を成し遂げて行く。6年後の2005年には、初の8000メートル峰のチョ・オユー(8201メートル)山頂からのスキー滑降に成功。2008年には、ガッシャーブルムⅡ峰(8035メートル)に登頂。2011年にはアラスカのデナリ(6190メートル)山頂からの滑降に成功している。そして2012年にはエベレスト(8848メートル)とローツェを24時間以内に縦走するという女性初の快挙を成し遂げ、この頃を境にまだ誰も成し遂げていない冒険の可能性を追い求めるようになる。2015年、ネパールのマカルー(8463メートル)を女性初滑降。2017年、2度目のデナリ遠征では難ルートのカシンリッジから登ってメスナークーロワールを滑降。他にも数え上げればきりがないほどに、世界各地の山々で冒険を繰り広げてきた。それらの挑戦の集大成が、昨年のローツェ山頂からのスキー滑降でもあった。
 彼女を冒険へ駆り立てるモチベーションはいったいどこからくるのだろうか。彼女に訊ねると、予期せぬ質問に面食らったように笑みを浮かべ、少しの沈黙の後に口を開いた。
「小さい頃から私は、目の前に選択肢があればその中からあえて困難なほうを選んでしまう、周りから見れば変わった子だったのかもしれません。冒険へのモチベーションがどこからきているのか自覚はありませんが、困難なことに挑戦して、その結果失敗してしまったとしても、後には必ず自分にとって有益な何かが得られるということが、幼い頃からの経験としてわかっていたから、次々に困難なことに挑戦できたと思っています。それは遠征に限ったことではなく、日々の生活においても言えると思います。毎日同じことを繰り返すのではなく、次の日はもっと違う自分でいたいという気持ち、日々新しい人と出会い、新しい文化に触れ、経験を重ねることで自分の知見を増やしていきたいと思う気持ちこそが、今考えてみると私のモチベーションなのかもしれません」

母親と冒険家の狭間で

 ヒラリー・ネルソンには9歳と11歳の2人の息子がいる(インタビュー時点での年齢)。幼い息子を持つ母親でありながら、家庭と仕事を両立させ、毎年危険を伴う大きな遠征を続けている。母親と冒険家、相反するような側面をどう両立させているのか訊ねた。
「2人の息子も私の一部だと思っています。だから自分が遠征する時には息子たちを一緒に連れていくことが多いです。息子がまだ1歳や2歳の頃から、5週間に及ぶ500マイルのロードトリップを毎年やっていました。息子が4歳の頃にはアフリカのキリマンジャロ(5895メートル)を登らせ、6歳の頃にはネパールのマカルーを一緒にベースキャンプまで100キロ程歩きました。彼らにとっては正直辛い時も多いでしょうけど、あくまでも2人は私の一部として考えています。私は彼らにアルパインクライマーになってほしいと思っているわけではありません。世界はこんなにも広いんだということを息子たちに伝えたいんです。クレイジーな母親でしょ?」
 昨年11月にプエルトリコで開催されたザ・ノース・フェイスのグローバルアスリートサミットの会場に、ヒラリーは2人の息子を連れて登場した。ザ・ノース・フェイスとの仕事で世界各地を訪れる彼女は、すべての出張に息子たちを連れて行く。彼女がどれだけザ・ノース・フェイスのことを愛していて、どのような仕事をしているのかを見てもらうことで、母親の生き様を息子たちに伝えていきたいと話す。
「もう1つのモチベーションと言いますか、私の行動のバックグラウンドには母の影響があります。母が生きた50年代から70年代という時代は男女平等という概念のない時代で、アメリカであるにも関わらず女性はこうあるべきだと厳しく行動を制限されていた時代でした。もちろん好きなスポーツすらできません。私は母のことを親として見ていたけれど、個性ある1人の人間としての母を見たことがありませんでした。だからこそ自分は母親であると同時に、冒険家ヒラリー・ネルソンとしての自分の姿を息子たちに見てほしいし、世の中にもアピールしていきたい。男女平等が徐々に実現されつつある今の時代だからこそ、小さい声かもしれないけれどもザ・ノース・フェイスを通して女性の社会進出を推し進めていくひとつのきっかけでありたい。そのことを自分の使命として捉え、遠征も含めて私の活動としています」
 アウトドアスポーツの各ジャンルで世界屈指のアスリートを抱えるザ・ノース・フェイス。ヒラリーは昨年そのグローバルアスリートチームのキャプテンに就任した。彼女がこれから築いていくアスリートチームの展望を最後に訊いた。
「キャプテンに選ばれたことは自分でも信じられないくらい幸運なことだと思っています。ザ・ノース・フェイスのアスリートになって20年が経ちます。様々なことにチャレンジしてきたおかげで、自分自身がどんどん変わっていくことを実感できた20年間でした。だからこそ今度はチームのために何ができるかを考えていきたい。自分がロールモデルになることで、遠征につきまとう事故や死のリスク、冒険への社会的な賛否両論といった話題について腹を割って話し合えるチーム内の環境を整え、若い世代のアスリートたちが安心して成長できる環境を作ることが私の1つのゴールだと捉えています。私がチームに加わった25歳の頃は、当時自分が必要としていたことを教えてくれる人は誰もいませんでした。今は20年前と比べてもっと若い世代の、それこそ十代のアスリートたちがチームで活躍しています。その子たちも今後様々な経験をしていくと思いますが、チーム内のベテランアスリートたちに遠慮なく頼ってもらえるような関係性を築いていきたい」
SUPPORTED BY Coyote

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ヒラリー・ネルソン

1973年アメリカ・ノースウエスト生まれ。ザ・ノース・フェイスのグローバルアスリートチームのキャプテンを務める。これまでヒマラヤの8000メートル峰からの滑降を幾度も成功させているほか、インドやボリビア、アルゼンチン、レバノン、バフィン島などの世界各地の山での滑降経験を持つ。