SUPの上に立つと、川底が透けて見える。川底にはほとんど岩と呼ぶべき大きな石があり、その陰に隠れるように鯉が泳いでいるのが見えた。太陽からの光が川底にまで届き、時折、山がその光を遮って影を作る。清流、四万十川の青い水は、その度に濃くなったり淡くなったり。ゆったりと流れる川に身を任せて、その変化を楽しむ。
Stand Up Paddle Board。略してSUPと呼ばれるようになったこの“遊び”で、カヤックの聖地でもある四万十川を下ることになった。空気で膨らませたボードに立ち、パドルで方向をコントロールしながら川に流されていく。時には流れに逆らって進路をとることだってできる。この旅の企画者である〈THE NORTH FACE〉アスリートの河野健児が先を進む。考えていたよりも雨量が少なく、岩がむき出しになる浅瀬ではどのルートを通るべきかを、高知に暮らす料理家・有元くるみとヨガ・インストラクターである深田美佑に伝えている。初心者でも浮力が大きなSUPならば経験の差を越え、それぞれの深度で楽しむことができる懐が深いスポーツ。そして、日が暮れたら河原にテントを張って、焚き火を囲む。
細かった川幅が、いくつもの瀬を越え、護岸工事のされていない自然のままのカーブを曲がるたび、少しずつ広くなっていく。川底の巨大な岩は、少しずつ川下へ降りるごとに小さくなっていく。水の透明度は、人の気配が増えるほど、わずかながら減ってしまう。川を下っていると、変化に敏感になっていく。太平洋へと川は至り、近くのビーチには波があって、川の流れとは違うエネルギーと対峙して旅を終えた。
“SUP CAMP”は新しい“遊び”だ。荷物をくくりつけたボードと一緒に旅をして、河原のいい地形を見つけてテントを張る。1日中、自然の中で遊ぶ。周囲の山の形状と川の水深の関係、あるいは川の水深と流れの速さの関係。河原でテントを張って見た満天の星。ただパドルを漕ぐだけでなく、さまざまな思考が去来する。
源流から河口まで“Source Line”と題し、川のすべてを旅することで、さまざまなものを発見していると河野健児さんは言う。野沢温泉を拠点に暮らすスキーヤーである彼が、「自分たちの川」である信濃川を、キャンプ道具をくくりつけSUPで下ったのが最初だった。
「全部見てみようと思ったんです。冬の雪山だけでなく、自分たちのフィールドを。すると、なぜ川にゴミが溜まってしまうのか、周囲の暮らしはどうなのか。その流域の人々と出会うことで、少しずつわかることもある。僕らが旅することで、川そのものがメディアを通して人の目に触れるようにもなるから、人々の自然に対する意識も少しずつ変わっていくんじゃないかって思ったんですよね」
〈PEAKS 5〉というSUPブランドを立ち上げ、地元の信濃川を皮切りに、木曽川や今回の四万十川など、河野さんは全国を旅してその可能性を追求している。
「SUPは浮力が大きいから、誰でも立ってすぐ乗れるんです。操作も一度覚えてしまえば難しいことはない。ただ水の流れに合わせて漕ぎながらリラックスしたり、今回の四万十の旅のように、水量が少なかったら瀬の流れの激しいところをアグレッシブに攻めたり。自分が好きなところにラインを決めて下ることができる自由な“遊び”なんです」
河野さんが提案したいのは、旅の一つの形なのだ。SUPで川を下りながら、自然がいかに変化し、どんな感覚を与えてくれるのか、身を浸して味わうこと。夜には河原で拾った流木で火を起こし、SUPをベッドにして、星を見ながら眠る。自然の真理と自分が繋がっているのだということを思い出す旅。
焚き火を囲みながら、時折空気を入れなければ、焚き火は気持ちよく燃えてくれないという話をした。その感覚は、人間も同じなのだと。
「日本最後の清流と呼ばれるだけあって、四万十川の水はとても澄んでました。でも、ところどころにタイヤが埋もれていたり、河原にゴミがあったり、四万十でもこうなのかと思ってしまった。普段は目につかないけれど、こうして自然の中にいると嫌でも人間の業が目についてしまう」
それもまた、彼なりの旅の目的の一つ。人間と自然との関係性を考えながら、清流の中を下っていく。ゆったりとした流れの中では静かに立ち、瀬や流れの速い箇所では片膝をついてパドルを構える。風が吹いてきたら、タープを広げて風を受け、まるでウィンドサーフィンのように進んでいく。休憩中にはサッとフィッシングロッドを出して、フライを投げてみる。岸からでは届かない場所に、SUPに乗っていればフライを投げ込むことができる。置かれた状況に合わせて、自然を遊ぶ。S字カーブや急流を下る場合には、スキーの感覚が発動するのだという。30cmズレたら狙った地点にはたどり着かない。そのライン取りの感覚を楽しみながら、河口へと少しずつ近づいていく。
最終日、テントから抜け出すと朝靄の中で、河野さんがSUPに乗っていた。ゆったりパドルで水を漕ぎ、感触を確かめるように進んで靄の中に消えていった。静かなSUPの半日後、海にたどり着いてからはオンショアが吹いて荒れるビーチでサーフィンをしていた。静と動。その幅がSUPの魅力であり、とことん遊び尽くすため、河野さんは源流から河口まで下っている。
野沢温泉村生まれ。アルペンスキーヤーとして活躍後、スキークロスで世界戦を転戦。現在は、SUPブランド〈PEAKS 5〉を立ち上げ、冬山だけでなく夏のフィールドでいかに遊ぶかを探求している。
高知に暮らす料理研究家の有元くるみさんにとって四万十川は、日常的に触れる親しみのある川だ。秋に生姜の収穫を手伝っている畑が四万十川沿いにあり、いつもクルマで通っている道を、今回の旅では川から見上げることになった。
「クルマで通るたびに、この川を下ったらどんなに気持ちがいいんだろうって思っていたんです。実際にSUPに乗って初めて四万十川に浮かんだら、予想以上に気持ちいい(笑)。川からは、ほとんど車道が見えなかったですね。でも生活はすぐ身近にあって、それなのにこれだけ清流を保てていることが素晴らしい。数年前、河原を埋め立ててメガソーラーの建設計画があったそうなんです。でも、近隣の住民みんなの反対で中止になった。やっぱりこの川は、暮らしている人々にとっての誇りなんだと思う」
川を下りながら「あそこは稲田、あそこの畑は生姜」と、自然だけでなく周囲の生活環境を観察しながら進んでいた有元さん。朝靄によって野菜は美味しくなり、強く照りつける太陽と日が陰ってからの急激な冷え込みによって柑橘類は甘くなるのだと教えてくれた。
「高知のこの辺りでは、8月に稲刈りをするんです。その頃に川を下ったら、稲穂がキレイだろうなって想像してました。太陽を含めた環境を全部体験することで、その恵みにまで思いを馳せるというか。照りつける強い日差しは眩しいけれど、この太陽のおかげで柑橘が美味しくなるから有難いなとか、循環の一部のような感覚を得ることができたかな」
川を下っている途中、少し陸に上がって地元の食材を買い込み、河原で調理をした。石を積み上げて炉を作り、風をかわしながら火を焚く。その場にあるものを楽しむクリエイティビティこそが、本来のアウトドアなのだ。選んだ料理は、四万十川の旅の直前まで旅していたモロッコ料理。ウコンやカルダモン、シナモン、八角といった45種類のスパイスを使った煮込み料理。すべて高知産の野菜と鶏肉を一緒に煮込んでいく。シンプルな料理ながら、野菜を丸ごと味わっている感覚。合わせて、葉にんにくの炒め物を作った。
「今回は、モロッコのサーフキャンプで食べていたものを再現しました。朝ごはんは、目玉焼きとベーコンにインゲン。それからサンタローザっていうプラムのジャム。やっぱりごはんはアウトドアの大きな楽しみだから大事にしたいですよね。でも、手の込んだものを作るよりも、“素材を全部食べる”みたいな料理が合うんじゃないかな」
火を焚いて、土地のものを食べる。シンプルな楽しみこそがアウトドアの本質。コアなサーファーでもある有元さんの経験値が詰まった食事だった。
「普段、河口でサーフィンをすることの多い仁淀川よりも、四万十川はもっと雄大で大らか。包容力がある川だなって思いました。SUPはずっとやってみたかった遊びだから、本当に楽しかった。間違いなく体幹が鍛えられるから、サーフィンのトレーニングにもなるし、波がないときの大きな遊びにもなる。それから、移動手段にもなるんじゃないかなって。畑で収穫を手伝って、クルマではなくSUPで川を下ってキャンプをしながら家まで帰る。それって、なかなか楽しいですよね(笑)」
日常の中にも旅はあり、食事やサーフィンなど、さまざまなアイディアを使って、旅を日常にしている。SUPという新しい遊びのツールが、有元さんの楽しそうな毎日の中に加わった。
料理研究家。葉山から高知へと移住し、知人の畑を手伝いつつ、サーフィンに勤しむ日々。旅する料理家でもあり、現地の手料理を学んでいる。昨年はモロッコへのサーフキャンプをしながら、モロッコの家庭料理を学んだ。
昨年の同じ時期には、北インドのリシケシュという街でヨガの修行をしていたという深田美佑さん。山に囲まれ、滔々とガンジス川が流れる、聖なる川の源流に近い場所。一年前の聖地の風景は、どこか四万十川の環境にも共通するものだったという。
「まるで絵の中のような、インドと同じ風景にいるっていう不思議さを感じました。とても穏やかで、川が流れていて、山の形が川に映る場所。四万十川は水がとっても透き通っていて、日本にもこんな川があるんだって驚いてしまいました。サーフィンを始める前にSUPをしていた時期があるけれど、川は初めて。波に乗るのとも違うし、湖では物足りなさを感じていたから、川を下っていくのはとても新鮮でした。川はずっと動いているから、その流れに身を任せていればいい」
たとえばボートから川へと落ちてしまっても、むしろさっぱりと気持ちがいいと美佑さんは言う。2日目の穏やかな流れの中でカヤックの集団と一度すれ違った以外には、旅の間に川の上で人と会うことはなかった。そのプライベートな感覚もまた、SUPで川を下る魅力だと美佑さんは言う。初日を終えて河原でテントを張りながら、「太ももの内転筋が来てますね」と、なぜか笑顔になっていた。
「筋肉痛ですね(笑)。海とはまた違う箇所に力が入っているんだと思います。風が強いと、それだけで消耗しますし、ただぼんやり浮いているだけかと思いきや、流れが早いとボケっとしている暇がない! 常に意識を張っている感覚も、対象が自然だから、私はとても楽しかったです」
翌朝、陽が昇ると同時に、SUPの上でヨガを始めた美佑さん。河原の石の上ではマットを敷いてもゴツゴツとしていてヨガをするのが難しいが、SUPの上ならば問題ない。空気で膨らませているために多少の不安定さはあるが、それもまたトレーニングととらえればいい。山の端から太陽が昇り、テント場は日陰から徐々に日向へと移動していく。そのエネルギーが少しずつ山間に満ちていくタイミングに合わせてヨガをすることができるのも、キャンプをしているから。24時間、自然の中に身を浸しているから。
「とにかく気持ちいいです。川から上がった後は、ずっとストレッチしたいなと思っていたけど、こうして光と影を感じながらヨガができるのは、本当に気持ちいい。川独特、もっと言えば、四万十川らしいエネルギーがあるっていうことが、ヨガをすることではっきりわかりますね」
SUPの上では不安定なために、三点倒立のポーズ“サーランバ・シルシャーサナ”がなかなか成功しなかった。テント泊で冷えた体も、普段とは違う感覚だったのだろう。それでも何度か試みるうちに、ついには綺麗に足を天に向け、ポーズを決める。いつもとは違う条件下で、いつもと同じポーズを取ることの意味。少しずつ環境にアジャストしていくこと。ヨガは単に、体を整えるためのものではない。
流れの早い瀬でも、恐れることなく、むしろ進んで舳先を向けて急流を乗り切っていた美佑さん。
「浮いているだけでも進んでいくけれど、やっぱり自分の意思と流れが同調するような瞬間があると、ぐっと面白さが増すんだと思います。無理せずに、体と心の声に目を傾けることで自然と一体化する感覚が味わえる。でも、それより何より、とにかく水がきれい! それだけで幸せな旅でした」
5歳からクラシックバレを始め、NYへのダンス留学を経て、ヨガを始める。インドのリシケシュで講師の資格を取得。現在はヨガのインストラクーなどを務めている。ほかにサーフィンやブラジリアン柔術なども日常的に行っている。
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