Forest, a Rock, and an Ocean:
The Landscape of Shiretoko

SPRING / SUMMER

Traversing
the Shiretoko Mountain Range
by Naoki Ishikawa

Travel Light
by Nao Yoshigai

The North Face / Helly Hansen
Shiretoko

*お腹に力を入れて足を上げること。「ダンスのレッスンでは、お腹から足だと思って上げろ、とよく言われます」(吉開)。

このたびは身軽に

吉開菜央

オロンコ岩を登る

北海道は知床の、斜里町、ウトロ港にあるオロンコ岩の周辺は、野生の鳥たちのパラダイスだった。まず目につくのは真っ白なカモメ。次に多いのは真っ黒なカラス。黒いカラスに紛れて、カラスらしい見た目をしているけれどちょっと違う、見たことのない鳥もいた。全身の羽は黒いけれど、目の周りだけ白くて、足の色が赤い。翼の先はカラスよりややほっそりしているからか動きにしなりがあって、飛ぶ様は優雅だ。この鳥は「ケイマフリ」といって、知床のウトロでしか繁殖が確認されておらず、日本でも見られる場所は相当限られているということをあとで知った。カモメ、カラス、ケイマフリ。空に縄張りはないようで、オロンコ岩周辺の空には、白い鳥も黒い鳥も白と黒と赤が混じっている鳥もみんな交わって飛び回り、力の限り鳴いていた。

「クァクァ、カゥカゥ、ケー、コココ、コココ、カァカァ、フィエー、ケー、ケー、ココココ、コココ」

鳴き声は、見た目以上の大迫力で、その迫力がまたこの土地の楽園っぷりを印象付けた。ちょっと尋常じゃない、というくらいみんな一斉に大声で鳴いている。さすがに毎日こんなに鳴いていては体力が持たないのではないかと思うが、今日は一体彼らになにがあったのだろう? 鳥の舌は人間の舌の形によく似ていて、人間の話す言葉はほとんどすべて喋ることができるという話をどこかで耳にしたことがある。ということはつまり、がんばれば人間もその舌を鳥のように動かして鳥語を話せるかもしれない、と気づいて以来、わたしは鳥と人間の会話を密かに夢見ている。今日は良い機会だと思って、リュックサックから録音機を取り出し、しばし、オロンコ岩周辺に住む鳥たちのことばを採集した。

4月11日。その日のウトロ港は快晴で、風もなく、海の水面は湖のように穏やかだった。どうやら天気には恵まれたらしい。春とはいえここは北海道なのだから、それなりに着込んで来たけれど、肌に突き刺さるような海辺の北風はほぼ皆無で、太陽の光はなにものにも邪魔されることなくわたしの全身をポッカポカにあたためてくれた。今回の旅に、撮影機材は一切持って来なかった(なにかを記録するために持ってきたのは録音機とアイフォンだけ)。だからとても身軽である。普段は映画を監督したり、もともとダンサーなので自分で踊ったり、振付もする。過酷な自然のなかでの撮影となれば、スタッフみんなでリュックを背負い、三脚、カメラ、バッテリー、食料、美術小物、などなど自然を楽しむだけなら必要ないものをあれこれ身につけてロケ地に向かう。全員が一丸となってひとつの画を獲りにいく。撮影時のわたしの心境は、ハンターに近い。緊張感が常に伴う。知床に来れる機会なんて滅多にないだろうから、一期一会の景色フッテージを増やすべく、軽めの撮影装備で来れば良かったかもしれないとも思ったが、いいのだ、今回は。全身で知床を見ようと決めたのだから。ほんの少し、カメラを持ってこなかったことを後悔しはじめている自分にそう言い聞かせた。

太陽へとさらに近づき、鳥たちの生態を岩の上からも観察すべく、わたしはオロンコ岩を登り始めた。オロンコ岩には頂上まで登るための階段があって、手すり伝いにえっちらおっちらと、15分も登れば頂上にたどり着く。高さは40メートルくらいだろうか。岩としては珍しい長方形の形をしているので、下から上まで岩側面はほぼ垂直の崖で、その崖に沿って急な階段がつくられている。登って行く途中、ぷーんと鼻をさす臭いがしてきた。おそらく鳥の糞の臭いだろう。階段や道にはほとんど糞は見当たらないが、海側の崖の向こうから、鳥たちの「わたしたち、ここに生きてます!」と気持ちつよめに主張してくる空気を鼻で味わった。

オロンコ岩を登りきると、目の前には雄大なオホーツク海が広がっていた。右手には、見事にそびえ立つ知床連山。後ろを振り返れば、さっきまでいたウトロ港。そう、ここオロンコ岩の頂上は、ウトロの景色を360度見渡すことのできる絶好のスポットであり、なにを隠そう知床八景のひとつである。オロンコ岩の頂に来て、「ああ、なんにも持ってこなくてよかった」と心底思った。肩が軽くて、身体が喜んでいる。誰もいなければ、このまま裸になって、ここの空気と交わりたいくらいだ。今わたしが見ている景色は、今ここにいるわたしだけのものだ。贅沢! これぞ旅! 思い切り深呼吸して、視界の遥か遠くで交わる海と空の境界線を見つけたり見失ったりしながら、わたしはまたぼーっと、鳥たちを観察し始めていた。岩の頂上付近より少し下にたくさんの鳥たちが飛んでいて、さっきまでは空を背景に見上げていた彼らを今度は海を背景に見下ろしながら眺めてみる。それにしても、鳥が飛んでいるのを見るのは本当に気持ちが良い。極楽映像である。水族館のアザラシがすいーっと丸々太った腹を仰向けにして泳いでいるのを見るのに近い。そういえば鳥の形もなんとなくアザラシの丸みを連想させる。あの角のない丸みのある身体こそが、厳しい大自然を味方につけて、すいすいと飛び回れる秘訣なのだろう。しばし、鳥のからだに感覚を憑依させて、わたしも空を泳いだ。

帰り際、魚の骨が落ちているのを見つけた。骨はばらばらに砕けていて濡れている。どうやら鳥が吐き出してまだ間もない骨のようだ。肉はきれいに食べつくされて、骨だけが、鳥の胃液でキラキラ輝いていた。そこでふと気がついた。ここに香る鳥の糞の臭いは、彼らを育む海を凝縮した匂いなのではないかと。なんというか、少し塩気のある匂いだったのだ。アイフォンをぐっと近づけて骨の写真を撮り、わたしは再びありがたみを持って、オロンコ岩周辺の鳥たちの糞に凝縮された海の恵の香りを、胸いっぱいに吸い込んでみた。

ウトロ港周辺のショップへ

オロンコ岩の周りには、歩いて行ける距離にふたつのお店がある。どちらもなかなか個性的で、ウトロに来なければ決して出合えることのない一期一会の品物に溢れていた。

まずは『カルペ』という鹿の角やクマの牙を売っているお店。角や牙だけではない、ミンククジラのひげ、クジラの歯、リスの毛皮、クマの頭蓋骨なんかも置いてあった。そう書くと恐ろしいように聞こえるかもしれないが、ひとつひとつの品が「魔除け」や「健康に効く」などの願いを込めてつくられたものだった。星の数ほどある商品のなかから、わたしは「巻貝で出来た笛」と、1個50円で叩き売りされていたキーホルダー2個とキタキツネの形をしたクリップを買った。少し前の時代につくられて売れ残ってしまった小物のお土産というのは、最近観光地の土産物コーナーでよく叩き売りされているのを見かけるが、ひとつひとつ手にとって見ると最高に愛らしいものが多いのでついつい買ってしまう。ふと、店に飾ってあったクマの写真が目に入った。知床はヒグマの生息地としても有名だが、写真のクマはブルーのたらいに入って水遊びをしていて、野生ではないと一目でわかる。カメラと被写体の距離もかなり近い。店のご主人に話を聞くと、なんとこのクマを昔ここで飼っていたらしい。ウトロにもかつては2軒ほどクマを飼っていた家があったらしく、ご主人は今までいろんな動物を飼ってきたけれど、クマが一番かわいかったと、愛おしそうな目をして話されていた。

もうひとつのお店は『酋長の家』というアイヌ民族にまつわるものが置いてあるお店で、ご主人もアイヌの血を引いている。お店に入るとあったかいお茶を淹れて出してくれた。民話や知床の自然について書かれた本や、木彫りのスプーン、アイヌ模様の刺繍が入った服などいろいろあったが、木の皮を一枚一枚薄く剥ぎ、芯だけ残して繋がるようにつくられたというアイヌ民族の冠は見事だった(けれどこれは売り物ではないらしい)。わたしはアイヌ音楽コーナーにあったマレウレウという女性4人グループのCDアルバムがどうしても気になって試聴させてもらったところ、これがまたすごく好みだったので思わず購入した。それ以降、わたしはマレウレウの曲をお供に、斜里の町をドライブするのである。

知床自然センターの周りを散策する

4月12日。今日はオロンコ岩から車を走らせて15分ほどの場所にある、知床自然センターに行くことにした。知床自然センターは山の上にあり、森にはまだ雪が残っていた。今年は3月がほとんど暖かくならず、例年よりも雪が多く残っているんだそうだ。同じ4月でも毎年少しずつ景色が違うのだろうと思う。わたしは山口県光市出身で、あそこは雪がほとんど降らない。東京でも、せいぜい積もって数センチ。あとは修学旅行のスキー場くらいでしか積雪を体験したことがないから、この雪道をどう歩けばいいのか正直わからなかった。500円で長靴が借りられるということだったので、とりあえず長靴を履き、フレペの滝ルートを散策することにした。フレペの滝は別名、「乙女の涙」とも呼ばれていて、雪解け水が岩肌から湧いて、はらはらと海に流れ落ちているらしい。

滝を目指して、いざ出発!と雪道を一歩踏み出した途端、「ひゃっ」と声がでるくらい雪の中に脚が埋まった。なんと、膝くらいまで。深さおよそ50センチにはなるだろうか。別に膝が雪に埋まったくらい、怪我もしていないしどうってことはないんだが、硬い土台があるはずと思って体を預けた場所に、すかすかの雪しかないのは、雪歩き初心者にはなかなか手強い道のりとなった。「ひゃーひゃーわーわー」言いながら、ざくざくと雪道を歩いた。8歩に1歩くらいは、膝まで埋まる自然の落とし穴があった。このまま膝で止まらなくて、全身雪の下に落っこちてしまったらどうしようという恐怖がちらりと頭をかすめることが何度もあったが、まあそんなことは起きなかった。一抹の恐怖と戦いながら、ひとあし、ひとあし、身体をそれに慣らしていく。怖さで身を固めるとやたらに疲れるのでとにかく力を抜く、息を吐く、丹田に力を入れて、お腹から足を上げて*、足の重みで振りおろす。雪の深さに足が引き摺り込まれても、抵抗せずに受け入れて、落ちるところまで身を任す。踊りの稽古と一緒だ。わたしは12歳のときから踊りを習っていたけれど、そこまで身体能力が高いわけではない。何事もすぐには出来ず、なぜ出来ないのか頭で考えてしまうタイプの人間だった。元々人より出来なかったから、どうして出来ないのか、と自分の心と身体の関係を注意深く観察して生きてきたつもりだ。結論から言うと、わたしは相当の怖がりなのである。死ぬのが怖くて仕方がなくて、アクロバティックな技に挑戦するたびに、失敗して体のどこかを痛めるのではないか、と人一倍想像してしまうのだ。この想像力に打ち勝って、心技体がひとつになったとき、人は獣のように踊ることができる(寿命は縮むかもしれないけれど)。

ふと立ち止まってあたりを見ると、キタキツネがこっちを見ていた。目が合った。あまりの可愛さに少し歩み寄ると、怯えてさっと後ずさりした。けれども走り去って逃げるでもなく、またこちらを振り返り、可愛い瞳でこっちをじっと見ている。「人間のことなら知ってるよ、はじめて見たわけじゃないよ」という顔をしているように見えたが、本当は何を考えているのだろう。最近ではおねだりキツネといって、観光客が餌を与えてしまったために人間に懐き、簡単に抱っこされて餌をねだるキツネもいると聞いた。自然の生態系を壊してしまうので絶対によくない行為だけれど、餌で釣るしか人間と動物はコミュニケーションすることが出来ないのかもしれない。そもそも餌をあげる、餌をもらうという行為で本当に心を通いあわせているのかも謎だけれど、ヒグマを飼っていた『カルペ』のご主人は間違いなく、飼い熊のことを愛していた。

歩き続けてはや30分。急に視界が開けて、大きな広場のような場所に出た。大地に木はほとんど生えていなくて、広場の真ん中は盛り上がり丘になっている。丘の上には残雪もなく、雪のない部分に生えた草を食べているのか、結構な数のエゾシカが集っていた。30頭はいただろうか。普段見る鹿よりも毛がもさもさしていて、やっぱり愛らしい。愛らしいけれど実はわたし、昨日の夕食でエゾシカのラザニアを食べたこともちょっと思い出してしまった。日本全国で見られるケースと同様に、知床でも鹿は増えすぎてしまって駆除の対象となっている。エゾシカファームなるものもあり、捕まえられた鹿が所狭しと集められ食肉にされている場所も見た。

鹿、キツネ、ヒグマ、カモメ、カラス、ケイマフリ…等々。知床に住んでいる人は本当に、多種多様な動物と一緒に生きようとしている。鹿は食べるし、街に降りてきた熊は殺さざるを得ないけれど、そうしたことも全部公開しているのが、知床自然センターだ(ちなみにわたしはこのセンターで雪歩きのための長靴を借りた)。街に降りてきたために撃ち殺した熊の皮はきれいに剥いで、展示して、触れるようにしてあった。そこには手書きのキャプションが添えられていて、「こちらは展示物です。絶対に素通りするべからず! 触ってみてください!」と書かれていた。普通なら「展示物だから触らないでください」と書かれていそうなものが、知床自然センターではひとつひとつの展示物に、見て、触れて、知って、動物の生態に少しでも興味を持ってもらいたいという、スタッフの方の並々ならぬ情熱が感じられた。

歩き続けておよそ1時間。慣れない雪道に足をとられてずいぶん時間がかかったけれど、ついにフレペの滝に到着した。岩肌から湧いて溢れてくる滝の水は、たしかに乙女の涙であった。視界の奥にそびえ立つ知床連山の雪解け水がこの崖までやってきて、岩肌を優しく撫でるように伝い落ちていく。その涙をひたすら受け止め続けているのが、目の前の海である。涙が溜まって海になるなんて、ちょっとキュンとする。「滝」を「涙」に言い換えるだけで、自然もわたしの身体の延長線上にあるような気がしてしまうのだから、言葉の魔力ってやつは、やっぱり面白くて、ときに恐ろしい。

4月13日。知床自然センターは広大で、いくつもの散策コースがあったので、翌日は開拓小屋コースを回ることにした。前日は長靴で歩いてくたくたになったとスタッフの方に話したら、「スノーシューもありますよ」と言って雪の上を歩くための靴を貸してくれた。なんと、これが素晴らしい代物で、雪の上をどんなに歩いても、ずぼずぼと雪穴に膝まで落っこちることがない。なぜ昨日これを借りなかったのか悔やまれたが、なにごとも勉強である。ここ2日間ずっと歩き続けていて、筋肉痛と心地いい疲れはあるものの、まだ見ぬ場所を歩いて回ってみたいという欲望がふつふつと湧く。知床に来て、生まれて初めて見たものがたくさんあった。オホーツク海、ケイマフリ、流氷の残骸、鹿の群れ、飼い熊の写真、人に噛み付くアイヌ犬、軽トラに乗ったカマド…。ここに書ききれないものがいっぱいあった。あともう少し、この土地を開拓したい。今日のコースはその名も「開拓小屋コース」である。知床の大自然を開拓しようとつくられた、昔の小屋を見に行くのだ。けれども開拓は失敗に終わって、今はだれも住んでいないらしい。果たしてどんな場所に人は住もうとして住めなかったのか。興味をそそられる。スノーシューを履いて、人間には元々備わっていない能力を手に入れたわたしは、身体の疲れもどこへやら、知床の森の美味しい空気と、太陽の光を受け止めてキラキラに輝いた雪の大地に励まされ、開拓小屋を目指し、またざっくざっくと歩き始めた。

吉開菜央(よしがい・なお)
1987年生まれ。映画作家・ダンサー・振付家。
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