THE NORTH FACE
2018 Spring and Summer
behind the scene EITA OKUNO Actor IN HONG KONG Vol.1

1ねん2くみ、僕らのホンコン

 ふと思い出した。確かあれは、小学一年生の夏だった。    学校の帰り道。北海道・苫小牧のどんよりとした曇り空の下、雨に濡れたアスファルトの匂いが立ち込める歩道橋の階段にしゃがみ込んで熱くなっていた。あのとき、なぜ一緒にいたのかは覚えていない。クラスメイトのおおにし かずき君とは、帰る方向も別々だし、これといって仲がよかったわけではなかったのだけれど、出席番号が近かったせいか、はたまた彼の温厚な人柄に気を許したのか、とにかく僕らは人生ではじめて深く語り合った。   議題は、「将来の夢」について。とはいえ、わずか6歳である。互いに将来への展望は宇宙のごとく無限に広がり︙︙というよりも、あまりに途方もなさ過ぎて、話せど話せど、結局白紙に戻るということを繰り返していた。そこで、僕とかずき君は、ともに同じ夢を掲げることを思いついた。これから同志として鍛錬を重ね、その後の小学校生活での大成功を経て「将来の夢」に大きく羽ばたこうと固い契りを交わしたのだ。結果、揃って同意した夢はこうである。    「大人になってお酒が飲めるようになったら、ホンコンでジャッキーと呑み明かそう。それで、ホンモノの酔拳を伝授してもらうんだ!」  もちろん、ここでいうジャッキーとは、香港出身の名優、ジャッキー・チェンのことである。空手の有段者を父にもつかずき君は、根っからのアクション映画好きで、一方、当時の僕も、一人っ子で内気な性格を克服するためにアクション映画を観漁っていた。そんなふたりにとって、ジャッキーは仮面ライダーやウルトラマン、孫悟空に勝るヒーローであり、香港アクション映画はこの世を生き抜くための貴重なバイブルだった。そうして、僕らふたりの本気の夢ができた。  香港。当時、この「ホンコン」が何の名称なのかさえ、まったく分かっていなかった。ただ、ジャッキーを探す手がかりになるはずの、なんとなく響きがかっこいいキーワードとして、たちまち僕らの合言葉となった。 「ホンコン! ジャッキー!! プロジェクトA!!!」。  教室でかずき君と一緒に叫んでいると、これまた出席番号が近く、かずき君んちの近所に住む腕っぷしがめっぽう強いと評判のおおとも ゆうま君がいつの間にか仲間に加わった。
その日以来、ジャッキー・サモハン・ユンピョウよろしく、香港映画のアクションに励む日々がはじまった。  優しいかずき君は、自らサモハン役を買って出てくれた。すると、決まってゆうま君と僕でジャッキー役を取り合うわけなのだが、ゆうま君は風貌がどことなくユンピョウに似ていたことから、僕とかずき君はなにかと彼をユンピョウ役に仕立て上げようとした。ゆうま君は、そのことがどうも気にくわないようで、ジークンドーの構えで僕たちのみぞおちを怒りにまかせて蹴り上げた。もしかしたら、ゆうま君が本当に好きだったのは、ブルース・リーだったのかもしれない。    僕らはいつか観た香港映画をマネして、竹でできた足場から飛び降りるかのごとく、階段を見つけてはどれだけ高いところから飛べるかを競い合い、手すりがあればなにかとよじ登り、ランドセルを木人椿の代わりにして腕を鍛えた。僕らがいる場所は、いつでもあの舞台となった。    「12組=ホンコン」。すぐそこに香港を感じていた。電車かなんかですぐ行けると思っていた。   小学二年生のある日、ゆうま君が転校した。その一週間前、ゆうま君とのアクション中、僕は金的を蹴られてケンカになり、疎遠になっていた最中の突然の出来事だった。ユンピョウを欠いた22組の「ホンコン」は、すぐに跡形もなく消えていった。その後、かずき君はサッカー部に入部して「ヴェルディ」が合言葉になり、僕はアイスホッケー部に入部して「カナダ」が国であることを知った。「ホンコン」が何なのかを知らないまま。  時が経ち、小学六年生の夏。香港返還がニュースで流れ、そこではじめて「ホンコン」がイギリスだったこと、そして中華人民共和国に再譲渡されたことを知った。   それから20年。僕は、香港にいる。    残念ながら、かずき君やゆうま君は、隣にはいない。 はじめて歩く香港の街に、不思議と幼少期の面影を探していた。いくら歩けど、竹でできた足場とやたらとデカい派手な看板以外は、僕らが過ごしたあの日々の「ホンコン」はどこにもなかったよ。
 目の前に広がるこの街は、綺麗で汚く、優雅で混雑していて、活気であふれて憂鬱で。涙が出るほど眩しくて、ジャッキー・チェンはどこにもいなかった。中国語と英語とヒンディー語と、少々強引な日本語が入り混じる繁華街には、多種多様な人々の確かな生活があった。一朝一夕では決して成り立たないその混沌とした光景は、まるで香港の歴史を象徴しているように、当たり前にそこにあった。 ブランド物が並ぶハイソなショッピングセンターのひとつ脇の通りには、ニセモノとコピー品しか売られていないテントが軒を連ね、大規模な市場ができている。そこで商売をしている人々は、正規品と同等か、それよりも高い価格で海賊版を売り込みにくる。のちの交渉合戦を見越して存分にふっかけてくるのだ。法外な言い値に一旦帰るフリをしては引き止められ、さらなる提案に首を振り、背を向けてはまた止められる。そんなことを繰り返して、最終的には当初の言い値の10分の1の数字が弾かれる。そして、会計後に決まって不服そうに舌打ちをする。  意地汚く値下げ交渉をしている自分が恥ずかしいと思う反面、そんなことは百も承知でいて、遠慮なしにバンバンふっかけてくる彼女たちの達観した生きるエネルギーがなんとも心地よく、ニセモノを本気でやり取りする時間が楽しかった。 正直、まったく似ていないブルース・リーのTシャツ。どこかで見たことがありそうな高級腕時計や、空港でしか売っていないはずのオリジナルグッズ。それに、執拗に店頭に並ぶ顔の歪んだパンダのぬいぐるみ。パンダ、パンダ、パンダ︙︙並んでいる物、そこにいる人、すべてが客寄せパンダのようで、気付いたときにはすっかり虜になっていた。 夜。世界有数の夜景を拝もうとヴィクトリア・ピークへ向かった。山の麓からピークトラムに乗り込み、全長1.4kmの急勾配を一気に駆け上がる。車窓から覗く景色はなんとも幻想的で、山の斜面から生えるような色とりどりの高層ビル群が真っ暗闇の天に向かって垂直に伸びている。なんとも形容し難いこの光景は、未だかつて見たことがない。巨大なビル群が、斜めに駆け上がる車両に覆い被さってくると錯覚するほどだ。  山頂から望む香港の景色は、僕の想像の範疇をゆうに越えていた。仮にも、僕は北海道出身である。世界三大夜景と謳われる函館の夜景は何度か見ていたし、美しいと言われる景色はそれなりに見てきたつもりだった。
けれど、眼前に広がるそれは、とてもこの世のものとは思えないほど煌びやかで、闇と数多の建造物に乱反射する光のパノラマは、とても人工物が作り出している光景だとは思えないものだった。リアルに何度か目をこすり、アニメやCGの何かではないかと疑った。 100万ドルが一体いくらなのか、日本円に換算する気もまったくなくなった。ただただ、めちゃくちゃだ。めちゃくちゃだよ。  旅をしていて、ここまでパーソナルなことを思い返すことは今までになかった。いつもその土地の雰囲気に従い、エネルギーをもらうことが旅の醍醐味だと思っていたし、主体的よりも受動的でいることに新たな発見を求めていた。  日本を旅するときは宿も決めず、現地で出会った人の家に泊めてもらって土地の生活に直に触れたり、アルゼンチンでは、言葉も通じないホームレスや子どもたちとジェスチャーだけで会話をして物々交換をしてみたり。そこには、必ず人との触れ合いがあって、もちろん充実感もあった。けれど、今回の旅は、はじめて訪れる土地に脈略のない、ただならぬ思い入れがあったことに気づいた不思議な時間だった。  かずき君、ゆうま君。ここは、僕らの「ホンコン」より、もっともっとマンガみたいな世界だったよ。もしかしたら、そんな巨大なエネルギーが渦巻くこの街だからこそ、あの頃の僕らを夢中にさせたのかもしれない。    混沌とした香港の生活臭が染み付いたアスファルトの匂いが、あの日々をふと思い出させてくれた。
奥野瑛太 | 1986年生まれの俳優。北海道苫小牧市出身。映画「SRサイタマノラッパー」(2009)、「SRサイタマノラッパーロードサイドの逃亡者」(2012)や、「64-ロクヨン」(2016)、「月のライオン」(2017)など、数々の話題作に出演。公開待機作として「曇天に笑う」(2018)、「友罪」(2018)、「ルームロンダリング」(2018)、「モリのいる場所」(2018)などがある。
出演・文 奥野瑛太/写真 金川晋吾/衣装 服部昌孝
/ヘア AMANO/デザイン 前田晃伸/編集 kontakt

THE NORTH FACE
2018 Spring and Summer
behind the scene EITA OKUNO Actor IN HONG KONG Vol.1

1ねん2くみ、僕らのホンコン

 ふと思い出した。確かあれは、小学一年生の夏だった。    学校の帰り道。北海道・苫小牧のどんよりとした曇り空の下、雨に濡れたアスファルトの匂いが立ち込める歩道橋の階段にしゃがみ込んで熱くなっていた。あのとき、なぜ一緒にいたのかは覚えていない。クラスメイトのおおにし かずき君とは、帰る方向も別々だし、これといって仲がよかったわけではなかったのだけれど、出席番号が近かったせいか、はたまた彼の温厚な人柄に気を許したのか、とにかく僕らは人生ではじめて深く語り合った。  
 議題は、「将来の夢」について。とはいえ、わずか6歳である。互いに将来への展望は宇宙のごとく無限に広がり︙︙というよりも、あまりに途方もなさ過ぎて、話せど話せど、結局白紙に戻るということを繰り返していた。そこで、僕とかずき君は、ともに同じ夢を掲げることを思いついた。これから同志として鍛錬を重ね、その後の小学校生活での大成功を経て「将来の夢」に大きく羽ばたこうと固い契りを交わしたのだ。結果、揃って同意した夢はこうである。    「大人になってお酒が飲めるようになったら、ホンコンでジャッキーと呑み明かそう。それで、ホンモノの酔拳を伝授してもらうんだ!」    もちろん、ここでいうジャッキーとは、香港出身の名優、ジャッキー・チェンのことである。空手の有段者を
父にもつかずき君は、根っからのアクション映画好きで、一方、当時の僕も、一人っ子で内気な性格を克服するためにアクション映画を観漁っていた。そんなふたりにとって、ジャッキーは仮面ライダーやウルトラマン、孫悟空に勝るヒーローであり、香港アクション映画はこの世を生き抜くための貴重なバイブルだった。そうして、僕らふたりの本気の夢ができた。  香港。当時、この「ホンコン」が何の名称なのかさえ、まったく分かっていなかった。ただ、ジャッキーを探す手がかりになるはずの、なんとなく響きがかっこいいキーワードとして、たちまち僕らの合言葉となった。    「ホンコン! ジャッキー!! プロジェクトA!!!」。  教室でかずき君と一緒に叫んでいると、これまた出席番号が近く、かずき君んちの近所に住む腕っぷしがめっ
ぽう強いと評判のおおとも ゆうま君がいつの間にか仲間に加わった。その日以来、ジャッキー・サモハン・ユンピョウよろしく、香港映画のアクションに励む日々がはじまった。  優しいかずき君は、自らサモハン役を買って出てくれた。すると、決まってゆうま君と僕でジャッキー役を取り合うわけなのだが、ゆうま君は風貌がどことなくユンピョウに似ていたことから、僕とかずき君はなにかと彼をユンピョウ役に仕立て上げようとした。ゆうま君は、そのことがどうも気にくわないようで、ジークンドーの構えで僕たちのみぞおちを怒りにまかせて蹴り上げた。もしかしたら、ゆうま君が本当に好きだったのは、ブルース・リーだったのかもしれない。    僕らはいつか観た香港映画をマネして、竹でできた足
場から飛び降りるかのごとく、階段を見つけてはどれだけ高いところから飛べるかを競い合い、手すりがあればなにかとよじ登り、ランドセルを木人椿の代わりにして腕を鍛えた。僕らがいる場所は、いつでもあの舞台となった。     「12組=ホンコン」。すぐそこに香港を感じていた。電車かなんかですぐ行けると思っていた。    小学二年生のある日、ゆうま君が転校した。その一週間前、ゆうま君とのアクション中、僕は金的を蹴られてケンカになり、疎遠になっていた最中の突然の出来事だった。ユンピョウを欠いた22組の「ホンコン」は、すぐに跡形もなく消えていった。その後、かずき君はサッカー部に入部して「ヴェルディ」が合言葉になり、僕はアイスホッケー部に入部して「カナダ」が国であること
を知った。「ホンコン」が何なのかを知らないまま。  時が経ち、小学六年生の夏。香港返還がニュースで流れ、そこではじめて「ホンコン」がイギリスだったこと、そして中華人民共和国に再譲渡されたことを知った。    それから20年。僕は、香港にいる。    残念ながら、かずき君やゆうま君は、隣にはいない。 はじめて歩く香港の街に、不思議と幼少期の面影を探していた。いくら歩けど、竹でできた足場とやたらとデカい派手な看板以外は、僕らが過ごしたあの日々の「ホンコン」はどこにもなかったよ。  目の前に広がるこの街は、綺麗で汚く、優雅で混雑していて、活気であふれて憂鬱で。涙が出るほど眩しくて、
ジャッキー・チェンはどこにもいなかった。中国語と英語とヒンディー語と、少々強引な日本語が入り混じる繁華街には、多種多様な人々の確かな生活があった。一朝一夕では決して成り立たないその混沌とした光景は、まるで香港の歴史を象徴しているように、当たり前にそこにあった。  ブランド物が並ぶハイソなショッピングセンターのひとつ脇の通りには、ニセモノとコピー品しか売られていないテントが軒を連ね、大規模な市場ができている。そこで商売をしている人々は、正規品と同等か、それよりも高い価格で海賊版を売り込みにくる。のちの交渉合戦を見越して存分にふっかけてくるのだ。法外な言い値に一旦帰るフリをしては引き止められ、さらなる提案に首を振り、背を向けてはまた止められる。そんなことを繰り返して、最終的には当初の言い値の10分の1の数字が
弾かれる。そして、会計後に決まって不服そうに舌打ちをする。  意地汚く値下げ交渉をしている自分が恥ずかしいと思う反面、そんなことは百も承知でいて、遠慮なしにバンバンふっかけてくる彼女たちの達観した生きるエネルギーがなんとも心地よく、ニセモノを本気でやり取りする時間が楽しかった。  正直、まったく似ていないブルース・リーのTシャツ。どこかで見たことがありそうな高級腕時計や、空港でしか売っていないはずのオリジナルグッズ。それに、執拗に店頭に並ぶ顔の歪んだパンダのぬいぐるみ。パンダ、パンダ、パンダ︙︙並んでいる物、そこにいる人、すべてが客寄せパンダのようで、気付いたときにはすっかり虜になっていた。
 夜。世界有数の夜景を拝もうとヴィクトリア・ピークへ向かった。山の麓からピークトラムに乗り込み、全長1.4kmの急勾配を一気に駆け上がる。車窓から覗く景色はなんとも幻想的で、山の斜面から生えるような色とりどりの高層ビル群が真っ暗闇の天に向かって垂直に伸びている。なんとも形容し難いこの光景は、未だかつて見たことがない。巨大なビル群が、斜めに駆け上がる車両に覆い被さってくると錯覚するほどだ。  山頂から望む香港の景色は、僕の想像の範疇をゆうに越えていた。仮にも、僕は北海道出身である。世界三大夜景と謳われる函館の夜景は何度か見ていたし、美しいと言われる景色はそれなりに見てきたつもりだった。けれど、眼前に広がるそれは、とてもこの世のものとは思えないほど煌びやかで、闇と数多の建造物に乱反射する光のパノラマは、とても人工物が作り出している光景だ
とは思えないものだった。リアルに何度か目をこすり、アニメやCGの何かではないかと疑った。 100万ドルが一体いくらなのか、日本円に換算する気もまったくなくなった。ただただ、めちゃくちゃだ。めちゃくちゃだよ。  旅をしていて、ここまでパーソナルなことを思い返すことは今までになかった。いつもその土地の雰囲気に従い、エネルギーをもらうことが旅の醍醐味だと思っていたし、主体的よりも受動的でいることに新たな発見を求めていた。  日本を旅するときは宿も決めず、現地で出会った人の家に泊めてもらって土地の生活に直に触れたり、アルゼンチンでは、言葉も通じないホームレスや子どもたちと
ジェスチャーだけで会話をして物々交換をしてみたり。そこには、必ず人との触れ合いがあって、もちろん充実感もあった。けれど、今回の旅は、はじめて訪れる土地に脈略のない、ただならぬ思い入れがあったことに気づいた不思議な時間だった。  かずき君、ゆうま君。ここは、僕らの「ホンコン」より、もっともっとマンガみたいな世界だったよ。もしかしたら、そんな巨大なエネルギーが渦巻くこの街だからこそ、あの頃の僕らを夢中にさせたのかもしれない。    混沌とした香港の生活臭が染み付いたアスファルトの匂いが、あの日々をふと思い出させてくれた。