「“しなやかである”ことが、
私が目指す最高到達点」
小学1年生で、「バレエをやりたい」と親にお願いした本島美和さん。しかし、上の姉ふたりが「ダメ」と言われたのと同じように、許してもらえなかった。それでも諦められず、電信柱にあったバレエ教室の電話番号を書き留め、電話してほしいと懇願。「そこまでやりたいなら」と認めてもらった。
「割と頑固なんです、私(笑)。最初は、お教室でお友達と会うのが楽しいくらいの感覚でしたが、プロの舞台を観た時に、同じ年頃の子がたくさん出演していて、私もあんなふうに踊りたいとのめり込んでいきました。発表会が好きでしたね。メイクして、衣装をつけて、照明の中に立ち、注目を集める舞台の特別感。舞台の上でなら、自由に何でも表現できる不思議な感覚に魅了されました」
地道に欠点に向き合い、プリンシパルとして輝く。
プロになると決めた高校生の頃には、毎日のように稽古場に通った。上手くなって、滅多に褒めない師匠にもっと上手になって認めてもらいたかった。しかし、それ以上に、本能でバレエを欲していった。
「なぜだかわからないけど、稽古場にいたかったんです。とにかく踊りたい一心でした。きっと、踊りに対する衝動に駆られていたんだと思います」
本能から湧き出る情熱と積み上げた努力で、日本初で唯一の国立バレエである新国立劇場バレエ団で、最高位のプリンシパルに上り詰めた。しなやかでありながら強靭なカラダと豊かな表現力で、多くの人を魅了し続けている。それでも、ステージを下りれば、自らの肉体との戦いはいまだに終わらない。
「自分の欠点は自分が一番よく分かっています。毎日のレッスンでは、今でも鏡から顔を背けたくもなります。でも、そんな自分自身に向き合わなければ、後退していくだけ。いかに欠点をカバーして美しく見せられるか、日々、考えています。ただ、欠点というのは、悪いことばかりではないんですよね。頑張っただけ成果が現れますし、努力を裏切らない部分でもあるんです」
最高の瞬間のために、しなやかでありたい。
2005年にソリストとして新国立劇場バレエ団に入団してから、約15年。気づけば、バレエ団の最年長となった。若手の良きお手本である本島さんが、最近気づき意識しているのが、力を抜くこと。
「若手もベテランも、一致団結してひとつの作品を作り上げる意味では、同志です。ただ、バレエの世界は競争社会でもあります。だからこそ、誰しもが切磋琢磨して、より上を目指せるのですが、やはりどこかカラダに変な力が入って力んでしまうんですね。そうすると、できることもできなくなってしまいますし美しく見えなくなってしまう。どんな環境にいても深呼吸して、自分が自分でいられるように、もっと力を抜いていけたらいいなと思っています。力が入り過ぎてると、何かあると倒れてそれっきりだけど、力が抜けていたら、倒れてもふわっと戻ってこれるじゃないですか。それが、私にとって“しなやかである”ことであり、最高到達点ですね」
余計な力みがとれ、理想とするしなやかさでステージに立てる日もあるという。「年に一回あるかどうかですが、お客様、指揮者やオーケストラ、共演者、全員の気持ちが集結してその想いがふわっと劇場に流れることがあるんです。その瞬間は、本当の意味でしなやかな自分でいられている実感があって、すごく気持ちがいいです。舞台人として、常にその瞬間を起こしていきたいですね」
現役として踊る姿が生徒たちの夢に。
昨年2月、「浅草バレエスタジオ」を開き、本格的に指導者としても歩き始めた。
「数年前から先輩たちが引退していくのを見送り、今は私が最年長ダンサーです。でも、まだ現役で踊っている姿を生徒たちに見せたいです。生徒たちは私の舞台を観て、『美和先生が出ていて楽しかった』とか『あんな舞台で踊ってみたい』と手紙を書いてくれるのがたまらなく嬉しいんです。私が現役で踊り続ける限り、夢を持ってもらえるんだなって」
本島 美和
東京都出身。牧阿佐美、三谷恭三、豊川美恵子、ゆうきみほに師事する。豊川美恵子エコールド・バレエ、橘バレヱ学校を経て2000年牧阿佐美バレヱ団に入団、01年に新国立劇場バレエ研修所に第一期生として入所し、03年新国立劇場バレエ団にソリストとして入団。05年の新制作『カルメン』で初めて主役に抜擢され、『ドン・キホーテ』、『ジゼル』、『くるみ割り人形』、ビントレー『アラジン』、プティ『こうもり』などで数多くの主役を務めている。出演したCMでの演技力が評価され、ACC CMフェスティバルの演技賞を受賞。06年に橘秋子賞スワン新人賞を受賞した。11年プリンシパルに昇格。