ディランは長年、世界トップクラスのトレイルランニングシーンを牽引してきたランナーだが、現在はトレイルランニングメディア“FREETRAIL”のファウンダーとして、トレイルカルチャーを広める“アンバサダー”としても活躍する稀有な存在だ。
言うまでもなく、トレイルランニングは自然の山を走り、他の選手と競い合うスポーツだが、その競争の中でランナーは自然の美しさと厳しさを感じ、同時に自身の身体や心と向き合うことになる。そして、時に幸せを感じ、時に苦しみを乗り越えながら走り続けることで、自己の成長を感じるスポーツだ。特にディランが得意とする100マイルレースは、人の一生と比喩される程にドラマチックで、人の本質を炙り出すようなドキュメンタリーが生まれるレースだと言われている。
ここ数年、ディランはFREETRAILの活動を精力的に行い、既にコミュニティーへの大きな影響力を生み出している。そんなディランに“FREETRAIL”と“アスリート”の活動の両立について聞くと、彼はこんな答えをくれた。
「まず、FREETRAILを通じて、僕が愛するトレイルランニングの価値を沢山の人に伝えたいと思っていて、それが今の僕にとって最も優先される活動なんだ。この素晴らしいスポーツに励むことで得られる感覚、つまり自身の壁を乗り越える力や前に進むモチベーション、諦めずにゴールを目指す意義、そういった前向きなメッセージを共有し続ける人生を、家族や仲間と共に歩んでいきたいと思っている。
でも、アスリートとしてのモチベーションはまだまだ高く保っているし、叶えたい目標もある。そもそも、僕自身、これまでずっとコンペティティブな生活にコミットする人生を送ってきたし、それが一番自分らしい生き方のようにも感じるのだけど、今は新しく家族ができて、家族や仲間と共にFREETRAILという小さなビジネスも始めていて、今までの自分とは違うフェーズにいると思っている。
明日は、2度目の挑戦となるHardrock100だけど、この挑戦は僕にとって“New
Chapter”だと思っている。アスリートとしては、これまでに感じたことのない不安と緊張を感じているけど、過去の自分の背を追うのではなく、今の自分と向き合いながら走りたいと思っている。」
Hardrock100は、アメリカ合衆国コロラド州のシルバートンという街を拠点として開催される歴史あるトレイルランニングレースである。全長177km、獲得標高は10,584m。ロッキー山脈の一角を占めるサンファン山脈の険しい山の殆どは標高4000mを超える高山であり、ランナーは乾燥した空気と、低酸素、強い日射など、様々な障壁と闘いながらゴールを目指す過酷なレースである。
「Hardrock100の素晴らしさを言葉で伝えるのは本当に難しい。素晴らしい自然はもちろんのことだけど、この大会の空気を体感することでしか得られない特別な価値がこの場所にはあるんだ。Hardrock100は、世界で最も出場する価値のあるレースの一つだと言われていて、北米のトレイルランニングカルチャーにおいて常に模範とされてきた伝統的トレイルランニングレースなんだ。僕自身、このレースに出るために10年間応募し続けてきて、初めてレースに出られることになったのが2021年。今年は2回目のエントリーだけど、レースに出られなかった年でさえ、毎年のようにこの会場に足を運んで、何かしらの関わりを持つようにしてきたんだ。Hardrock100を走るランナーは出場が叶わなかった人の事も考えて、このレースを楽しまなければならない。そういう気持ちで望まなければならないレースだと思っている。」
ディランは、2021年のレースにおいて初出場でありながら、当時のコースレコードを塗り替えて、2位で完走している。自身の限界をプッシュして走り切った当時の記憶が彼の中には残っている。しかし“New
Chapter”として挑む今回のレースにおいて、その記憶がどう働くかは走ってみなければわからない。
午前6時、太陽が稜線上に薄く姿を現し始めた頃、Hardrock100は、そこに集まった大勢の観客のカウントダウンによってスタートした。
ディラン・ボウマンが挑む“New Chapter”。
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ここで話は今年の4月に遡る。ディランは日本のトレイルランニングレース、ウルトラトレイル・マウントフジのショートレース“KAI70k”に出場していた。
ディランは過去に2度、ウルトラレイル・マウントフジのロングディスタンレース“FUJI”で優勝した経験があり、日本のトレイルカルチャーに慣れ親しんだアスリートでもある。レース前のディランに、KAI出場への想いをこう語った。
「今回、KAIに出場する事はとても重要だけど、先ずはこのレースを走る事によって今の自分の状態を把握する事、そして今の自分のベストを感じることで、次のレース、つまり“Hardrock100”に向けた重要なステップを踏むことができると思っている。心理的には、どうしても以前の自分のパフォーマンスに引っ張られてしまうと思うのだけど、今の自分のベストと向き合って、今の走りというものを再構築しなければならないんだ。後はレースを楽しむことも、今の僕にとってとても大切なプロセスだと思っている。」
KAIはショートディスタンスのレースとなるが、日本人勢の中にもマラソン出身の足の速い選手が揃っていて、スタートから速いスピードのレース展開となったが、そんな中でもディランは徐々に順位を上げ、最終的に4位でフィニッシュした。
「KAIでは、とても良いステップを踏めたと思う。持続的に良いペースで走れたと思うし、殆どの登りで自分の脚をしっかり踏み込めている感覚があった。途中何度か友達にも出会って会話を楽しみながら走ることもできたし、本当に良いプログレスを感じたよ。最後の登りでは少しスローダウンしてしまったけど、それも今のトレーニングの頻度から考えれば想像できることだったし、一歩ずつしか前には進めないと思うから、そういう意味でも、KAIを走った事はとても価値のある一歩になったと思う。」
レース中、ディランは先を走る選手を追い抜く時に、その選手たちに声をかけながら走っていた。(レースはロングディスタンスのFUJIが先にスタートしていたため、後からスタートしたショートディスタンスのKAIのトップ選手はFUJIの選手を抜きながら走る形となった。)
他の選手を鼓舞しながら走るというのは、心理的な余裕がなければできることではない。アスリートとして競っている時でさえ、ディラン・ボウマンは、やはり“FREETRAILER”の精神を忘れていないということだろう。
しかし、対照的に、Hardrock100という大舞台で、家族や仲間、素晴らしいコミュニティーが見守る環境の中で走るディランは、もがき苦しんでいた。
ディランのサポートクルーが彼の異変に気づいたのは、彼が “Ourey Aid Station”に到着したときだった。
“Ourey Aid
station”は、コース全体の折り返し地点ともいえる場所だ。最も標高が低い場所にあるエイドステーションのため、身体を休めたりエネルギーを補給する場所としては適しているが、標高が低い分、その後に厳しい登りが続くことや、夜のタイミングに突入する区間でもあるため、精神的にネガティブな状態に陥りやすくなる。
4番手でエイドステーションに辿り着いたディラン。エイドステーションに集まっていた沢山の人が拍手で彼を迎えた。ディランは険しい表情で椅子に座り込むと、タオルを頭に被せて俯いた。クルーが声をかけるとディランは弱気な返答を繰り返した。
「すごく辛い。今日は1日中トラブルシューティングをしながら走っているようなものだ」
「とにかく今日は暑すぎる」
「ゴールできるかわからない」
仲間や、周囲の人間は彼の訴えに耳を傾けつつも、水分を摂るように促し、栄養を与え、励まし続けた。
「最悪の走りだって言うけど、それでもHardrock100でトップ4を維持しているお前は本当にすごいんだ!自信を持って大丈夫だよ。」
「ここから先は夜だけど、この強い日差しがなくなるっていうことだから、大丈夫!」
「ここから先は、トファー(Topher /ペーサー)がいるから大丈夫だ!!!」
現場ではそんなやりとりがされていたが、その後、ディランの妻であり長年サポーターとしてディランを支えてきたハーモニーに、Oureyでの彼の様子について伺うと、彼女はこう答えた。
「こんなことは初めてだけど、Ourayでディランの表情を見たときは、もうリタイアした方が良いとさえ思った。それくらいディランは辛そうな表情をしていた。でも、彼は自分の限界を判断できるとわかっていたから、彼の意志を信じて送り出した。」
Oureyでの滞在は10分ほど。ディランが立ち上がると集まった人々から拍手と応援の声が沸き起こった。次のエイドステーション“Telluride”までの道のりは1500mの上りと1000mの下りが待ち構えている。
100mileレースには人生と同じように、必ずLow
Pointがやってくるといわれている。つまり、これ以上落ちることはない“ドン底”のような状態だ。しかし、そんな局面から抜け出して、再び走り続けるために誰かの助けを借りることは、人の弱さではないと、トレイルカルチャーは気づかさせてくれる。
夜11時、74mileの地点のエイドステーション“Telluride Aid Station”。サポートクルーはそこでディランを待ち構えていた。
1500m続く夜間のヒルクライム。Ourayでのディランの状態を考えれば、かなりのペースダウンが想像できるが、ディランは順位を落とさずに“Telluride Aid
Station”へと入ってきた。ここでは、しっかりとクルーと会話を交わし、食事を摂り、水分を補給し、そして新しいペーサーの“リッチ(Rich)”と共に、また次の山へと向かっていった。その表情や足取りは、明らかに“Low
Point”から脱出したようだった。
ペーシングを終えたばかりのトファーは、その時の様子についてこう話した。
「Ourayでは、暑さや、脱水、エイドの直前で転倒したことも重なって弱気になっていた部分はあったけど、ディランはしっかり足を動かしていたし、栄養補給も出来ていた。一歩一歩進むたびに、目の前にある目標をクリアしていくように励ましながら走ったのだけど、その中で、少しずつ自信を取り戻していったように感じたんだ。
irginius Passは雪もたくさん残っていて厳しい登りだったけど、それを乗り越えたディランは本当に強いメンタルの持ち主だよ。」
84mile地点にある“Chapman Aid
Station”は、駐車場から30分ほど山道を登った場所にある遠隔地のエイドステーションだった。スマートフォンの電波もなく選手のトラッキングもできない場所だ。
ディランが“Chapman Aid Starion”に辿り着いたのは、夜中の4時近く。想像していた時間よりも2時間遅れていた。その間に、途中でディランを追い抜いた選手たちが次々とAid
Stationを通過していった。どの選手も疲れた果てた顔を見せていたが、その後、ディランがとぼとぼと歩いて坂道を降りてくる姿は一段と深刻な状況に感じられた。そして、ディランは「ゴールはできない」と言った。
後日、ディランは“Chapman Aid Staion”での出来事をこう語っている。
「“Chapman Aid
Station”で、僕が味わった経験は正に奇跡だと思う。レースがスタートしてから約20時間、僕はずっと苦しい時間を過ごしていて、何度も諦めそうになるところを踏ん張ってゴールを目指して走ったのだけど、”Chapman
Aid Station”の手前にある“Oscars Pass”の登りでは、ゴールを目指すどころか生還することだけを考えて歩かなければならなかったんだ。だから、“Chapman Aid
Station”にたどり着いた時には、むしろ生きて家に帰れることに安堵していた。これでやっと終われると、全てを出し切って生還した。つまり、僕のHardrockはその時点で既に終わっていたんだ。だけど、ビルはそれを許さなかった。初めは全然状況を理解してくれない彼に苛立ちすら感じたけど“Chapman
Aid
Station”でのリカバリーによって、その後、また前向きにゴールを目指そうという気持ちになれたのだから、僕にとっては本当に奇跡のような体験だった。こんなにも力強い人の優しさに触れたのは初めてだよ。」
“ビル・シューム(Bill Schum)”は“Chapman Aid
Station”のエイドキャプテンである。ライフラインのないリモートのエイドステーションを管理するのは、それだけでも大変なことだが、ビルはエイドステーションに入ってくる全ての選手、サポートクルー、撮影クルーにまで気を配り、全ての人が自身のやるべき事に集中できる環境を作ってくれていた。
ディランがエイドに入ってくると、ビルは直ぐに救護用テントにコッドを一つ用意するようにとスタッフに伝え、ディランをその上に寝かせた。寝袋をかけ、脇の下には湯たんぽを二つ挟み、温かいチキンスープを飲ませると、濡れた靴と靴下を脱がせた。ディランは仕切りにリタイアする理由を伝えようとするが、彼はそれを受け流し、先ずは目を閉じて休むことを勧めた。
しばらくして、ディランがそばで待機していた取材クルーに「車で下山したい」と、リタイアする旨を伝えようしたが、横にいたビルはすぐさまその声を遮り、落ち着いた口調でディランに眠るようにと促した。
「とにかく今は目を瞑るんだ。残りはたったの18mileだ。目を開けた時には新しい1日が始まっている。辛かったのは昨日の話だ。まだまだ時間はあるのだから、起きた時に決めればいい。先ずは目を瞑るんだ。」
30時間25分40秒、自身が持つ記録よりも約8時間遅れとなったが、ディランは家族や仲間、集まった人々が見守る中、“Hardrock100”2度目のフィニッシャーとなった。ゴールまでの最後の数メートルは、息子の“ローズ(Rhodes)”を右腕で抱え、妻の“ハーモニー(Harmony)”と共に歩いた。その背中をFREETRAILの仲間である、ライアン(Ryan)が両手にカメラを構えて後を追い、長兄のジェームズ(James
Bowman)や、ご両親、ペーサーのリッチが笑顔で見送った。
ディランが、Hardrock100の伝統に習って岩にキスをすると、コースディレクターのが高らかに「Everybody, Now here a True Hard Rocker, Dylan Bowman
!!(みんな! 真のハードロッカー、ディラン・ボウマンだ!!!)」と叫び、沢山の仲間や観客が彼を称えた。
「ゴールした瞬間に、このゴールにはとても深い意味があると悟った。それは、ただの感傷的な記憶として残るものではなく、深い意味でのトレイルランニングの価値の体験として、ずっと心に残るものだと思った。トレイルランニングというスポーツは、1番を競ったり、タイムレコードを目指すトップアスリートだけではなく、全てのランナーに自己を超越するというスピリチュアルな体験をもたらしてくれるっていうことに改めて気付かされたんだ。各エイドでタイムアウトのデッドラインと格闘し続けながら自分をプッシュするランナーは、今回の僕よりもさらに長い時間、その格闘を続けなければならないものだし、それは精神的にも肉体的にもずっとタフな事だと思う。
今回、その感覚を僕に気づかせてくれたのは、サポートしてくれた家族や仲間、ペーサーのTopherにRich、そしてあの見ず知らずのボランティア、ボロボロの僕を叱咤激励した、ハードロックスピリッツの持ち主である彼なんだ。」
時折り感情を昂らせ、目頭を熱くさせながら、まだ終わったばかりのレースを語るディランに、今後の目標について聞くと、彼は笑顔でこう切り返した。
「いま、この先の事はまだ考えらないけど、痛みの記憶は直ぐに忘れてしまうっていうからね。人生で最も困難なエピソードが、幸せな思い出に変わることもある。そして、それが探し求める経験になることだってある。」
今回、“New
Chapter”と題して“Hardrock100”を走り切ったディラン。彼は、もはやただのアスリートではない。アスリート以上に、トレイルランニングの価値を人々に伝えることができるトレイルランナーである。
だからこそ、また“ディラン・ボウマン”が世界のトップを競う姿を見てみたいと、皆は声援を送り続けるのだ。
1986 年 アメリカ・ネバダ州生まれ、コロラド州で育つ。
幼少期〜大学卒業まではラクロスをプレー。ラクロスを引退したあと、フルマラソンを経験し、トレイルランニングレースに参戦。北米、アジア、ヨーロッパ、オセアニアの主要レースで優勝。10年以上にわたって世界で活躍を続けるウルトラランナー。
現在はアスリートとしての活動を続ける傍ら、トレイルランニングの魅力を次世代に繋げることを目的として、「FREETRAIL」を立ち上げ、メディアでの発信やレースディレクター等を行いメディアパーソナリティとしても活動している。
2022年よりGoldwinとアスリートサポート契約。
1st Place: Ultra-Trail Australia 100k in 2015
1st Place: Tarawera Ultramarathon 100k in 2015
1st Place: Ultra-Trail Mount Fuji in 2016
1st Place: 100 Miles of Istria in 2017
7th Place: UTMB in 2017
1st Place: Ultra-Trail Mount Fuji in 2018
1st Place: UTWT Tarawera Ultramarathon in 2018
2nd Place: Hardrock 100mile in 2021
2015年 Ultra-Trail Australia 100k 1位
2015年 Tarawera Ultramarathon 100k 1位
2016年 Ultra-Trail Mount Fuji 1位