生きるために必要な衣食住をバックパックに詰めて、寝泊まりしながら自然の中を移動する。そんな浮世離れしたインディペンデントな行為に20年以上魂を抜かれ続けている。赤道直下のジャングルからオーロラが踊る北極圏まで、バックパックひとつで世界中を歩いてきた。もちろんmacpacが生まれたニュージーランドも。
世界中どこへでも歩いて行ける。
この事実こそ、ぼくらがバックパッキングにハマる真義であろう。
6月上旬、アイヌの人々がカムイミンタラ「神々の遊ぶ庭」と呼ぶ大雪山を歩く機会に恵まれた。無雪期は約10年ぶりの再訪だ。
日本津々浦々の山々を歩いてきたが、大雪山はいろいろスペシャルな山域である。大雪山の年間平均気温は−3.8℃で、緯度が高いため森林限界は1,400mと低く、標高1,610mの旭岳ロープウェイの山頂駅から一歩踏み出せば、一瞬で天空の人となる。故にカムイミンタラは「北海道の屋根」とも呼ばれる。さらに、大地の割れ目から噴煙をあげる火山。闊歩するヒグマたち。目まぐるしく変わる天候。このようにあらゆる危険が潜んでいて、気軽に足を踏み入れてはいけないプレッシャーが四方八方からのしかかり、入山者の本能を覚醒させるのだ。
のっけからカムイミンタラの洗礼を浴びた。旭岳ロープウェイを下りると視界わずか10mほどしかないホワイトアウト。大小の溶岩石が転がるガレ場なので、踏み跡がなく道が不明瞭だ。午後には好転するという天気予報を信じて標高2,290m、北海道の最高地点旭岳をめざした。気温が高く、風がないのが救いだった。
ガスの奥にようやく山肌が見えたのは、歩きはじめて3時間後のことだった。雪渓をまとった火山群が、雲に浮かび、空をつんざく。色とりどりの高山植物のうえを氷河期の生き残り、エゾナキウサギが走った。長い冬を耐えた命が一斉に爆発する大雪の初夏は、パワーで漲っていた。誰ひとりとして会うことなく、目的地の白雲岳避難小屋に着いた。小屋開けまえの避難小屋はきっと貸し切りだろうと思いきや、二階はいっぱいで一階のスペース半分しか空いていない大盛況。隣人に挨拶をして、靴を脱ぎ、荷を解き、マットに空気を入れて背負ってきたビールを飲む。長方形の窓には、雪渓がランドスケープを際立たせる山並みが写り、絵画のようだ。
食料と燃料さえあれば、どこまでも歩いていける。トムラウシ山を越えて、十勝岳へ。ここではすべてが自分の判断と経験に委ねられている。この自由を感じる瞬間が、なんともたまらなく好きだ。
避難小屋の二階から凄まじいイビキが轟くと、窓には満天の星が輝いた。ソーラーランタンの明かりで北海道大学山岳部OBの米山悟さんが書いた『冒険登山のすすめ――最低限の装備で自然を楽しむ』(ちくまプリマー新書)を読む。カムイミンタラに登山道が整備される以前のことや、大雪山の冬の厳しさを知る。
翌朝、青空のもと、有毒温泉を見下ろしながら御鉢まわりを満喫し、旭岳から下山していると、ロンドンから遥々やってきたという外国籍の男性に出会った。背中には20年以上使っていると思われる旧ロゴのmacpac。嫉妬するほど貫禄が滲み出ている。
両親から譲り受けたものだろうか?
あの黒いシミはなんだ?
これまでどこを旅してきたのだろう?
いいモノには物語がある。
「Hesper 50」の物語は始まったばかりだ。