さまざまな分野で活躍する人々への「READY」な状態を紐解くインタビューを通じて、日々の活動のマインドシフトをサポートするメディア“PEOPLE” by NEUTRALWORKS.。
120年間硯を作り続けてきた愛知県新城市の鳳鳴堂硯舗の六代目として生まれ、現在は家業を継ぎながらも、作家としての活動や、静岡大学で現代の造形芸術についての研究、後進の育成にも従事し、幅広く活動している名倉達了さんにインタビュー。目まぐるしく変化する現代において、「硯」の文化を未来に残すために伝統と革新のバランスを模索し、真摯にモノづくりに向き合う名倉さんのココロとカラダとの向き合い方について、お話を伺いました。
遠い時間を見据えて現代を生きるニュートラルなモノづくり
名倉達了
“PEOPLE” by NEUTRALWORKS.
PEOPLE
CHAPTER
01 「モノ」を売るのではなく、硯(すずり)で「コト」を生み出したい
02 日常の中に、余白をつくる
03 ニュートラルでいることが、豊かな人生に繋がる
04 これまでの硯の在り方を残しながら、変化させていく
05 名倉さんにとって「READY」な状態とは
06 「READY」を作るための具体的なアクション
01 「モノ」を売るのではなく、硯(すずり)で「コト」を生み出したい
02 日常の中に、余白をつくる
03 ニュートラルでいることが、豊かな人生に繋がる
04 これまでの硯の在り方を残しながら、変化させていく
05 名倉さんにとって「READY」な状態とは
06 「READY」を作るための具体的なアクション
01
「モノ」を売るのではなく、
硯で「コト」を⽣み出したい
「モノ」を売るのではなく、
硯で「コト」を⽣み出したい
—— 名倉さんは120年続く鳳鳴堂硯舗の六代目でいらっしゃいますが、先代の想いを受け継ぎながら、硯という枠を超え、アートの道へ進まれたと思います。続いているものを変化させ、進化させようと思われたきっかけは何ですか?
伝統工芸品は、一般的にその土地で育まれた文化として継承されてきたため、地域ごとに継承された技法や素材に特化した作られ方が今もなされています。でも、僕はそういった縛りを軽やかに飛び越えていきたいと思っています。
様々な成功例をみても、伝統的なことを継続させるためには、「革新」が大切だと考えています。受け継がれてきたものごとを守り続けるだけではなく、社会状況に応じて発展させていくことが次に繋げるために必要なことだと思っています。
様々な成功例をみても、伝統的なことを継続させるためには、「革新」が大切だと考えています。受け継がれてきたものごとを守り続けるだけではなく、社会状況に応じて発展させていくことが次に繋げるために必要なことだと思っています。
石を扱うことって、すごく大変なんです。僕はどこへでも持って行ける、スケールの大きな石を素材とした作品展開をこれまで見たことがなかったんです。それを模索したことがきっかけで、書道でまっさらな紙に線を描くように、空間と呼応した彫刻を作っていきたいと思うようになりました。そうした作品は移動中に割れてしまうこともあるのですが、見えない石のヒビが原因だったりします。それは人間には制御できない自然のリズムのようなもので、ときには美しい模様となることもあります。彫刻も硯も、こうしたことを受け入れたり技巧によって制御したりと楽しみながら作っています。
彫刻をつくりながらも、改めて硯を意識し始めたのは2013年の「雄勝硯復興プロジェクト」からです。何かを作り続けるためには自分のルーツから目を逸らしたら何も作れないし、彫刻と硯の両方に携わりながら独自の表現方法を見つけなければいけないと思いました。そして、このプロジェクトを通して感じたことは、文化が途切れてしまうことへの恐怖感です。もちろん雄勝硯は現在も生産されていていますし、今後も継承されていくでしょう。けれど、当時考えていたのは、もしも継承する人が途絶えてしまったら、その文化自体が以前から存在しなかったかのように徐々に人々の記憶から消えてしまうのではという危機感でした。それは私自身の家業を継ぐかどうかという問題にも繋がりました。
その一方で、同時にギリシャ彫刻の歴史が思い浮かびました。彼らは長い年月をかけて人体を表現する技法を完成させたにもかかわらず、キリスト教の誕生によって1000年ほどメインストリームから忘れ去られていたという歴史があります。とは言え、現在ではギリシャ彫刻は多くの人から愛されています。硯も、そんな風に数十年、数百年後の遠い未来で面白いものとして残るかもしれないと感じています。
02
⽇常の中に、余⽩をつくる
⽇常の中に、余⽩をつくる
—— 硯づくりをはじめとする作品制作において、ご自身の生活環境がどのように影響していると感じますか?また、コンディションを整えるために実践されていることがあれば教えてください。
静岡の海の近くに引っ越してから空間が広くなったことで、余白が頭の中に生まれ、広い視野で創作できるようになりました。仕事に追われたり、生活空間が狭いと辛いですね。実際に東京の生活もそうでした。やっぱり海の見えるところで暮らすというのが、自分にとってはすごくいいのかもしれないと思っています。
日常生活の中では家中の草むしりをしたり、犬の散歩をしたり。あとは海に行くようにしています。人間の一番豊かなポイントって想像力があることだと思うんです。例えば、海は5キロ先くらいから見えなくなると言われています。そういった海の水平線や山の稜線を見た時に、日常の雑用から離れて自分の想像力にスイッチを入れられるのかなと思っています。変化していくものを見ることで自分自身の変化を感じることができるんです。
—— 逆に、調子が良くない時はどうされていますか?
調子が悪くて仕切り直したい時は、夜に一人で散歩して、肉眼で捉えることができない風景をiPhoneで撮ることにハマっています。見えないところを歩いてる感覚を楽しむんです。
あとは、インプットを遮断するということをすごく心がけていますね。今流行ってるものを沢山見ることと、全く見ないことをすごく意識して分けています。
情報をシャットアウトするために趣味の釣りに出かけたりして生活のリズムを立て直します。コーヒーを毎朝飲むこともルーティンの一つなので、全部をバランスよくということを心がけながら実践しています。
情報をシャットアウトするために趣味の釣りに出かけたりして生活のリズムを立て直します。コーヒーを毎朝飲むこともルーティンの一つなので、全部をバランスよくということを心がけながら実践しています。
03
ニュートラルでいることが、
豊かな⼈⽣に繋がる
ニュートラルでいることが、
豊かな⼈⽣に繋がる
—— 名倉さんが仕事をする上で心がけていることや、創作活動をするにあたって普段からインスピレーションを受けるものはありますか?
僕はなるべく、ニュートラルでいようと心がけています。
良いものを良いと言える状態でいたいので、結構毎日感動していますね。例えば1メートルの彫刻を作った時に出た屑で真っ白なグラデーションができた時は綺麗だなと思いますし、草むしりの跡のリズムなどにも感動します。それを美しいと思える心があるということは、心に余裕やスペースがあるのだと思います。
良いものを良いと言える状態でいたいので、結構毎日感動していますね。例えば1メートルの彫刻を作った時に出た屑で真っ白なグラデーションができた時は綺麗だなと思いますし、草むしりの跡のリズムなどにも感動します。それを美しいと思える心があるということは、心に余裕やスペースがあるのだと思います。
最近、大学の授業で面白い経験をしたのですが、木で四角いボックスを作るという課題があり、技術の問題でどうしても上手く作れないという時に、「綺麗にできないから嫌だ」と言う学生と、綺麗にできないものに対して、「愛着が湧く」と反応する学生の2パターンに分かれました。この頃は後者のような感性を大切にしたいと常々思っています。歪なものに対しても個性を見つけて面白がることができる。そうして暮らしていると日常はインスピレーションを受けるものごとで溢れています。
—— 形を追い求める中で、“まだ手を動かすべきか、止めるべきか”というタイミングは、どのように判断されていますか?
僕は基本的に、止めずに作り続けます。
だから僕は数を沢山作るのですが、失敗している作品もすごく多いです。行き過ぎだなと思ったら次のものに取りかかりますし、そう思っても、数年経つとまた使えるなというものが出てくることもあります。大体のことは万事挑戦すれば良いと思ってます。
だから僕は数を沢山作るのですが、失敗している作品もすごく多いです。行き過ぎだなと思ったら次のものに取りかかりますし、そう思っても、数年経つとまた使えるなというものが出てくることもあります。大体のことは万事挑戦すれば良いと思ってます。
04
これまでの硯の在り⽅を残しながら、
変化させていく
これまでの硯の在り⽅を残しながら、
変化させていく
——日々伝統の更新に挑まれているかと思いますが、何か課題に感じられていることはありますか?
日本の硯を作り続けられている職人さんは、今は20〜30人くらいだと思います。考え方がそれぞれ違うので規定することはできないと思いますが、大きく分けると「従来の硯のあり方を残していきたい」という人たちが一定数は存在していると思います。ただ、人間は進化していくので、必然的に道具は淘汰されていくのが自然であり、その中でどうやって残すかを考えることが重要です。そのために、書道文化を普及させる目的ではなく、硯で面白い世界があるんだということを表現したいですね。
硯のカタチには陸や丘、海などに見立てられる部分があり、それは昔の人にとって現代のスマートフォンのように、墨を磨る際の「世界を映す鏡」だったのだと考えています。それは現代でも必要とされるものかもしれないですし、そういうときに大量生産の同じ形だけではつまらないと考えます。多少高くなったとしても手元に残しておいて、自分と向き合う時間を提供できるものがいいと思うし、それだったら長く存在し続けられるかもしれないと思っています。
硯を自分との対話の時間の為の道具と考えるといいのではないかと思います。茶道であればお茶碗を愛でるために飾る人もいるし、味や香りが好きな人もいる。硯も同様に、いろんな楽しみ方があると思いますし、自分と向き合うものの一つとしてしっくりきますね。
硯を自分との対話の時間の為の道具と考えるといいのではないかと思います。茶道であればお茶碗を愛でるために飾る人もいるし、味や香りが好きな人もいる。硯も同様に、いろんな楽しみ方があると思いますし、自分と向き合うものの一つとしてしっくりきますね。
—— ご自身の今後の展望を教えてください。
これからの僕自身の課題としては、ずっと大きなやるべきことが30代で見つかればいいなと思ってきました。やっと見えてきたものがあるので、それを実行に移していきたいですね。硯と彫刻の領域を行き来してワークショップをしたり、全然違うジャンルの方々とコラボレーションしながら、その中で商品を考えることもあるかもしれないですし。そういうことを、やっと言語化できてきました。
05
名倉さんにとって「READY」な状態とは、
どのような状態ですか?
名倉さんにとって「READY」な状態とは、
どのような状態ですか?
全部をバランス良く行うこと。
毎日のルーティンを実行しながら生活できているとき。
毎日のルーティンを実行しながら生活できているとき。
06
名倉さんの「READY」を作るためのアクション
名倉さんの「READY」を作るためのアクション
01. 早起きをしてコーヒーを飲む
子供が生まれたばかりということもあり、毎日、早寝早起きになりました。
早起きをしてコーヒーを飲むことは毎日のルーティンとして行っていて、すごく調子が良いです。
早起きをしてコーヒーを飲むことは毎日のルーティンとして行っていて、すごく調子が良いです。
02. 家中の草むしりをしてから浜辺へ犬の散歩に行き、朝日を見る
制作をはじめる前に、早起きをして家中の草むしりをすることもルーティンとなっています。
それから、愛犬と一緒に浜辺へ散歩に行き、朝日を見てから帰って丸一日制作をします。
それから、愛犬と一緒に浜辺へ散歩に行き、朝日を見てから帰って丸一日制作をします。
03. 夜一人で散歩して、肉眼で見えない風景をiPhoneで撮ること
昔から夜一人で散歩することが好きです。引っ越してからは、海岸を歩いています。
夜、肉眼で見えない風景をiPhoneで撮ることにハマっています。見えないところを歩いてるという感覚が好きなのかもしれないですね。
夜、肉眼で見えない風景をiPhoneで撮ることにハマっています。見えないところを歩いてるという感覚が好きなのかもしれないですね。
04. インプットを止め、情報を遮断する
都会から離れて暮らしたこと自体、情報を遮断するという目的の一つでもありました。アート作品やエンターテイメントで今流行っているものを沢山見ることと全く見ないことを、すごく意識して分けています。本気で作るときは先に沢山インプットしておいて、1週間2週間は完全にシャットアウトする、という期間を作っています。
そのために、生活をきちんとする、ということを心がけていますね。
そのために、生活をきちんとする、ということを心がけていますね。
名倉達了 Tatsunori Nagura
アーティスト、1984年生まれ。
愛知県新城市の鳳鳴堂硯舗六代目として生まれ、2011年に東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了。主に石を素材としたミニマルな彫刻や硯を制作。個展やグループ展での発表に加え、コンペティションでの受賞なども多数。現在は静岡大学教育学部の講師として造形教育にも従事。硯と彫刻、異なる領域を横断した独自の造形表現の探究に加え、現代における硯の在り方やその芸術的価値づけについても研究している。2018年から19年にかけて文化庁の助成を受けて英国に滞在。現地の鉱山をリサーチし、採集した石材で制作した硯や彫刻を発表するなど、国外での文化交流も行う。今後は静岡市内のアトリエスペースを開放した活動を予定している。
WEB SITE
愛知県新城市の鳳鳴堂硯舗六代目として生まれ、2011年に東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了。主に石を素材としたミニマルな彫刻や硯を制作。個展やグループ展での発表に加え、コンペティションでの受賞なども多数。現在は静岡大学教育学部の講師として造形教育にも従事。硯と彫刻、異なる領域を横断した独自の造形表現の探究に加え、現代における硯の在り方やその芸術的価値づけについても研究している。2018年から19年にかけて文化庁の助成を受けて英国に滞在。現地の鉱山をリサーチし、採集した石材で制作した硯や彫刻を発表するなど、国外での文化交流も行う。今後は静岡市内のアトリエスペースを開放した活動を予定している。
WEB SITE
鳳鳴堂硯舗 Homeido Kenpo
硯専門店。明治20年代創業。愛知県新城市、鳳来寺山の麓に位置する。
約130年前から鳳来寺表参道に工房と店舗を構え、初代より鳳来寺山麓から産出する石材を使用して鳳来寺硯を作硯。四代目からは日本国内と中国産出の石材を中心とした東アジアの硯を研究を行い、当代の五代目はこれまでの研究を引き継ぎながらも独自の造形探求に力を注ぎ、現代日本の硯が芸術作品としての地位を獲得することに尽力している。鳳鳴堂硯舗では、鳳来寺山の石材に加え、日本各地と中国の歙州石や端渓石など、多様な石材で作られた独創的な現代の硯とベーシックな硯、またそれらの石材も常時展示している。
WEB SITE
約130年前から鳳来寺表参道に工房と店舗を構え、初代より鳳来寺山麓から産出する石材を使用して鳳来寺硯を作硯。四代目からは日本国内と中国産出の石材を中心とした東アジアの硯を研究を行い、当代の五代目はこれまでの研究を引き継ぎながらも独自の造形探求に力を注ぎ、現代日本の硯が芸術作品としての地位を獲得することに尽力している。鳳鳴堂硯舗では、鳳来寺山の石材に加え、日本各地と中国の歙州石や端渓石など、多様な石材で作られた独創的な現代の硯とベーシックな硯、またそれらの石材も常時展示している。
WEB SITE
編集後記
今回は東京から車を走らせ、名倉さんが制作に励む静岡県の作業場兼ご自宅へインタビューに伺いました。
120年という歴史ある鳳鳴堂硯舗に生まれ、6代目として先代の想いを受け継ぎながら、硯という枠を超え、アートの道へ進まれた名倉さんのモノづくりとの向き合い方、そこにかける想い、制作や生活の中で大切にされていることを、様々な角度からお伺いすることができました。知っているようで知らない硯のこと、伝統的な技術を継承しつつもどのように変化させ、進化させているのか。実際に作業場を訪れ、硯の作品に触れ、名倉さんの言葉で伝えていただくことで、硯や何かを通して自分自身と向き合うということの大切さ、視野を広く持ち、問題に目を向けながら柔軟に物事を捉えていくことの大切さを学ばせていただきました。アーティストとしてのモノづくりやココロとカラダのバランスとの向き合い方はもちろん、写真から滲み出る名倉さんの温かいお人柄も、記事の中で感じていただけたら幸いです。
今回は東京から車を走らせ、名倉さんが制作に励む静岡県の作業場兼ご自宅へインタビューに伺いました。
120年という歴史ある鳳鳴堂硯舗に生まれ、6代目として先代の想いを受け継ぎながら、硯という枠を超え、アートの道へ進まれた名倉さんのモノづくりとの向き合い方、そこにかける想い、制作や生活の中で大切にされていることを、様々な角度からお伺いすることができました。知っているようで知らない硯のこと、伝統的な技術を継承しつつもどのように変化させ、進化させているのか。実際に作業場を訪れ、硯の作品に触れ、名倉さんの言葉で伝えていただくことで、硯や何かを通して自分自身と向き合うということの大切さ、視野を広く持ち、問題に目を向けながら柔軟に物事を捉えていくことの大切さを学ばせていただきました。アーティストとしてのモノづくりやココロとカラダのバランスとの向き合い方はもちろん、写真から滲み出る名倉さんの温かいお人柄も、記事の中で感じていただけたら幸いです。
Photographer: Tetsuo Kashiwada
Interviewer: Shota Fujii
Writer: Yukari Fuji
Interviewer: Shota Fujii
Writer: Yukari Fuji