世界的なホラー漫画家・伊藤潤二さんが信じた子ども時代の恐怖とジンクス。
「子どもの頃、どんなことしていました?」vol.01
- 子どもの頃、どんなことしていました?
- 2021.8.25 WED
今年、最も権威あるアメリカの漫画賞のひとつ「アイズナー賞」を2部門を受賞したホラー漫画家の伊藤潤二さん。映画化もされた「富江」や「うずまき」がよく知られています。
世界の不思議や人間の執念、怨念、思い込み……、恐怖と笑いと美の世界が絶妙に同居する伊藤さんの作品世界。最近段々子ども時代の記憶が薄れていると語る伊藤さんは、子ども時代、どんな遊びをして、どんな風に世界を見つめていたのでしょうか。
友だちと外で遊んでいても、ふと思い出して「あぁ、戦争で死ぬんだ」と思ってひとり静かに落ち込んだりしていました
戦争で死ぬんだとひとり静かに落ち込む少年
ーー 自分の子ども時代を振り返るとどんな子どもでしたか?
伊藤 家ではひょうきんな面もありましたが、基本的にはおとなしくて、暗い子で、怖がりでした。父の姉妹二人と同居していたんですが、伯母が小学校の教師をやっていて、戦争は悲惨だったと平和に対する強い考えを持った人でした。「太平洋戦争の時、男にはみんな赤紙が来て出征し、戦場で死んだんだ」と度々話をしてくれました。それを聞いて、姉と妹がいて自分だけ男だった私は、自分は戦争に行って死ななきゃいけないのかと思いこんでしまったんです。女に生まれればよかったと思っていましたね。友だちと外で遊んでいても、ふと思い出して「あぁ、戦争で死ぬんだ」と思ってひとり静かに落ち込んだりしていました。「みんな無邪気に遊んでいるけど、大人になったら戦死するのに」とか思いながら。実際なるわけないのに。
ーー 友だちからすると「伊藤は急に暗くなっているけどどうしたんだ」みたいな感じだったんですか?
伊藤 他人がわかるような感じではなかったじゃないかな。でも、そもそも明るい人間でもなかったので、そういうキャラクターと思われていたかもしれないですね。
ゆっくり歩く鬼 – ゾンビ鬼ごっこ
ーー いちばん古い遊んでいた記憶は何ですか?
伊藤 鳥が空を飛ぶのに憧れて、空を飛びたかったですね。飛行機とかではなく、体だけで羽ばたきたかった。ダンボールを羽のように両手に縛って付けて、炬燵の上から飛び降りて羽ばたいていました。飛べなかったですけどね。
ーー そうですよね(笑)。
伊藤 幼い頃はそんなバカなことばかりしていました。あと、昔からホラー好きで、同じホラー好きの友だちとはゾンビごっこしていました。友だちと遊ぶ時は、鬼ごっこがそのうちゾンビ鬼ごっこになって、ゾンビのマネをしながら追いかけていました。そうすると鬼ごっこだからというよりも、ゾンビであることを理由にみんな逃げていく。学校の校庭は隠れるところがたくさんあったんですが、子どもの頃、勘がよかったのか捕まえるのが上手でしたね。
ーー ゾンビ鬼ごっこはどんなものなんですか?
伊藤 基本的なルールは普通の鬼ごっこです。いつもなら鬼は走って追いかけますよね? でも当時のゾンビは早く走らないので、非常にゆっくり歩くわけです。鬼ごっこの鬼なのにゾンビだからゆっくり追いかけるという。
ーー 捕まらなそうですね(笑)。
伊藤 私たちのゾンビは、ジョージ・A・ロメロのゾンビがベース。ゾンビは走るもんじゃない!って。いまのゾンビは何でもありですもんね。
―― そうなんですよね。アスリートや忍者みたいに襲いかかるのもいるくらいですから。もはやゾンビじゃなくても怖い。
笑いと恐怖は紙一重
ーー子どもごころに惹かれたホラーの魅力は、いまホラー漫画家としてのホラー観と一緒ですか?
伊藤 私のホラー観の基礎にはなっていますね。いまでも走るゾンビは描かないですし、子どもの頃に感じた四谷怪談のお岩さんの怖さはいまでもあります。
ーー ゾンビものを怖いと思いながら、自分でやってみたい、真似したいという時のおもしろさってなんだったんでしょう。
伊藤 歩くゾンビってすごくハラハラするんですよ。すごい勢いで追いかけてきたらハラハラする余裕もないけど、閉鎖された空間で逃げ場がなく、上のほうに窓があって逃げようとするんだけどモタモタしてしまっているうちにゆっくり寄ってくるみたいな。そんなスリルとサスペンスを感じていましたね。
ーー ゆっくり追い込まれるような状態。
伊藤 ハラハラすると笑いが起こるというか。怪談話を聞いていて、時々笑ってしまう悪いクセがあるんですけど、「笑いと恐怖は紙一重」というのを感じるんです。子どもでもゾンビのマネをして「うぅうぅぅぅ」とかやると「ぎゃー!」と笑いながら逃げ出しますよね。そういう感覚で、怖いけど喜ぶという矛盾する感覚が一緒にあるのがおもしろかった。
人類を助けた鳥の恐竜がラドンみたいに遠くに飛んでいくみたいな怪獣映画風のストーリーを自分でつくっていました
ストーリーをつくって遊ぶ
ーー ゾンビ鬼ごっこは友だちとの遊び方でしたが、ひとりの時間、ひとりの遊びはどんなことをしていましたか?
伊藤 友だちが多くなかったので、小学校低学年の頃は一人遊びをよくやっていました。怪獣映画が好きだったので、恐竜のおもちゃを使って戦わせたり。最後は人類を助けた鳥の恐竜がラドンみたいに遠くに飛んでいくみたいな怪獣映画風のストーリーを自分でつくっていましたね。
ーー ゴジラからの影響が。
伊藤 そうそう、伊福部昭の音楽を口ずさみながら。最後は「終わり」というエンドロールを頭の中で再生して終わる。
ーー ストーリーをつくって遊ぶのは、よくやっていたんですか?
伊藤 漫画も描いていたので、観た映画や漫画を参考にしてストーリーをつくるというのは遊びのなかでやっていましたね。映画の影響が大きくて、漫画を書く時もいかにも漫画チックな絵ではなく、映画俳優のようなキャラクターを描いてみたりしていました。3頭身のキャラではなく、7頭身くらいの人間とか。
ーー 最初に漫画を描いたのは?
伊藤 6歳頃に最初のホラー漫画を描いていましたね。紙を束ねて折って冊子状にして、そこに漫画を描いて漫画雑誌みたいにして。
ーー 最初に描いた作品はどんな物語だったんですか?
伊藤 手に目がある妖怪の話でした。水木しげる先生原作の「河童の三平」のドラマがあって、その中に出てきた手のひらに目が付いているマネキン(?)が怖くて、それを真似して描いたのが最初でした。他にも楳図かずお先生とか古賀新一先生とか、怪奇漫画で、姉が持っているものを読んでいるうちに自分でもつくりたいという欲求が出てきたんです。絵もそこそこ得意だったのもありましたね。
大きな声で言えないんですけど信じていません…
自作キャラクターにペロペロ舐められる罰
ーー 小学生になると、自分のルールや世界観で野球カードをつくったりする人がいたり、自分の世界で遊ぶ子どももいますが、伊藤さんが自分の世界をつくって遊ぶことってありましたか?
伊藤 世界観というほどではないですけど、すごろくってありますよね。小学校時代それにハマって、自分でマス目をつくって「何マス進む」とか「迷い込んでしまい罰ゲーム」とか描いてやっていました。「スタートに戻る」というマスがやたらに多い高難易度のもありましたね。
ーー 全然終わらず延々と続く地獄のようなすごろくですね……
伊藤 自分の漫画のキャラクターが当時いたので、それをすごろくに登場させて、「そのキャラクターにペロペロ舐められる」的な罰ゲームをつくったりもしていました。
ーー 伊藤さんの漫画に出てきそうな、なかなか気持ち悪めな罰ゲーム……!
(©ジェイアイ/朝日新聞出版)
伊藤 あとは空飛ぶ円盤、UFOも好きでした。UFOブームで本を読んだり、テレビで特集されたりしていて、家のベランダで空を見上げてUFOを探すという過ごし方もよくしていました。UFO探知機のつくり方が本に載っていまして、UFOの円盤が現れると磁石が動いて、触れることで電量が流れて警報機がなるというもの。そのUFO探知機は、針金を磁石でこすって磁石にするところからはじまるのですが、もうそこで挫折しましたね。
ーー けっこう早い段階(笑)
伊藤 UFO自体も、流行っていたアダムスキー型を厚紙でつくろうとして挫折しました。だいたいいつも完成しない。
ーー 伊藤さんは基本短編で長編が描けないということと通ずるものが。
伊藤 当時からあるんでしょうね。
ーー 実際UFOを見たことはあるんですか?
伊藤 ありますよ。夜中でしたが、山の上に光が見えて、観ていたら横にも光がふたつくらいあって、そのふたつが最初の光の方に接近して、最後は一つになるというのを見ました(今思えば人工衛星だったかもしれませんが)。UFOについては、地球と他の惑星は光の速さで何年もかかるくらい遠いからUFOは来ないよという記事を読んで以来、信じなくなったんです。すぐ説得されちゃうタイプ。
ーー 伊藤さんはホラー的、UMA的なものを信じているんですか?
伊藤 大きな声で言えないんですけど、信じていません……、内緒ですよ……。
ーー 怪談とかも話として上手だからビックリしたり、怖がったりもするけど、存在自体には懐疑的なんですね。
伊藤 子どもの頃は幽霊もUFOもすごく信じていたんです。不思議なことは全部あると思っていたんですが、中学校頃から科学的な記事を読んでなるほどと思うようになりました。でも子どもの頃に信じていた心は、ホラーを楽しめる要素になっているのかな。信じてはいないけど大好きだ、という。
「朝、お茶漬けを食べると先生に叱られる」
学校での危険を回避する様々なジンクスと儀式
伊藤 子どもの頃のいかにも昔は神経症的だったなと思う話で、当時ジンクスを非常に重んじていたんです。こういうことをすると学校でよくないことが起きるというような。「朝、お茶漬けを食べると先生に叱られる」とか。以前、朝に珍しくお茶漬けを食べた日に先生に怒られたことがたった一回あって、それがジンクスになっていました。
勉強ができなかったので授業中先生に指されて答えられないと恥ずかしかったりもするから、学校生活にとても気を張っていて、危険を回避するジンクスもたくさんありました。
たとえば文房具。鉛筆とか消しゴムとかコンパスとかそういうのを異常に大事にしていました。ぞんざいに扱うと次の日、絶対に学校で悪いことが起きると信じていて、文房具ににこやかに話しかけないとダメと思い込んでいました。
ーー どんなことを話しかけるんですか?
伊藤 「いい天気ですねえ」とか「今日はご機嫌いかがですか?」みたいな。
ーー なかなかのセリフですね。
伊藤 学校の教室でもやっていたらクラスの女子生徒に変な目で見られて、「あ、マズい…」という場面もありました。このインタビューを受けるに当たって、そんなことまで思い出しました。
ーー それはいつまで?
伊藤 中学校に入るくらいまで続きましたかねえ。
バレーボールのレシーブのような腕のかたちをして、腕を振りながら消しゴムを投げ入れる
伊藤 消しゴムの埋葬場所もありました。家が古いので木の外壁に節穴があったのですが、消しゴムが小さくなると、そこから消しゴムを投げ入れて埋葬していました。「ありがとうございました」と葬式みたいなことを言いながら、ひとりで儀式をやっていました。
ーー それはやっているのを誰かに見られちゃだめとかそういうものだったんですか?
伊藤 そうです。基本絶対見られちゃいけないものでした。儀式なので独特な祈りの動きがあって、バレーボールのレシーブのような腕のかたちをして、腕を振りながら消しゴムを投げ入れるんですね。ある時、いつものようにベランダ側の外壁に消しゴムを葬っていた時、ふと後ろを振り向いたら母がじーっと見ていました。「潤は何をしているの?」って顔で……。
ーー 伊藤さんのキャラクター「双一」を想起させる呪術感あるエピソード。何と説明したんですか?
伊藤 適当にごまかしました。「消しゴムの埋葬をしている」とはさすがに言えなかったので……。見られたのはその一度だけで。
(©ジェイアイ/朝日新聞出版)
(©ジェイアイ/朝日新聞出版)
―― 儀式の動きはどこからインスピレーションを受けたものだったんですか?
伊藤 神聖な儀式だったので、キリスト教徒が跪いてやるようなものからだと思いますね。いま思えば、宗教的なことをやっていたんだなと。
ーー 恥ずかしくなって中学時代にやめたとのことでしたが、よくないことが起こると思って続けていたことをいざやめてみて何か起こりました?
伊藤 何も起きませんでしたね。あ、大丈夫なんだって。「何だ、杞憂だったんだ」って。
ーー 中学校に入ってUFOも信じなくなり、囚われ続けたジンクスも信じなくなりと、小学生と中学生で伊藤さんの人生はパキッと分かれるんですね。
伊藤 見えないものより見えるものを信じるようになりましたね。
子ども時代の思い出と創作
ーー 伊藤さんは本の中で自作解説を時々書かれることがありますよね。そこでよく子ども時代のエピソードが作品のきっかけになったと書いていますが、その当時の記憶が強烈だったということなんですか。
伊藤 そうですね。子どもの頃の思い出でホラーにできるものは既にだいたい描いてしまいましたね。60歳に近づいてきて、子どもの頃の記憶がどんどん薄れてきて驚いています。20代、30代はまだ子どもの頃のことを鮮明に覚えていたから題材としても取り上げやすかったんでしょうね。
ーー無邪気に何かを信じていた頃のほうが、漫画の題材になりやすいものですか?
伊藤 汚れちゃうというか変に現実的になると、こんな話バカバカしいなと思っちゃうというか。漫画は自分がおもしろがれないと描けないですから。よくないなーと最近思ってますけど。童心に帰りたい。
実体験から生まれた「いじめっ娘」と「トンネル奇譚」
ーー お話いただいた内容が反映されている作品はどんなものがありますか?
伊藤 もろに子ども時代の思い出を投入した「いじめっ娘」というのがあります。私が子供のころよく遊んだ公園があったのですが、すべり台の上に立っている幼い男の子に対して、そこから飛び降りろと子どもが囃し立てるエピソードは、実際にそこで目撃したものでした。公園のすぐ横にすごく古い家があって、そこに住んでいる幼い子どもの若いお母さんがやってきて抱き寄せて帰っていった風景が記憶に残っていて、それをそのままマンガにしました。
もうひとつ「トンネル奇譚」という作品は、トンネルの奥にあった宇宙線=宇宙から降り注ぐ素粒子を研究する施設の話。使われなくなったトンネルがあったんですが、そのトンネルの中の話を聞いて、3人くらいの友だちと懐中電灯片手に探検に行ったことがありました。奥の方が壁で塞がれてドアがあって、そこから光が漏れていた。名古屋大学の宇宙線研究所だったんですけど、そこを探検したことを漫画にしています。
(©ジェイアイ/朝日新聞出版)