現代美術家 荒神明香が忘れないようにしてきた「直感」と「もやもや」
「子どもの頃、どんなことしてました?」 vol.3
- 子どもの頃、どんなことしていました?
- 2022.2.9 WED
巨大な「顔」の立体物が突如東京の上空に浮かぶ作品《まさゆめ》で、人々を驚かせた現代アートチーム目[mé]。「まさゆめ」を含め、目はアーティスト荒神明香さんの実感を原点にチームクリエイションによって作品を制作してきた。作品の原点となる荒神さんの実感は、子どもの頃に経験した出来事や記憶、違和感など、“もやもや”としてはっきりと言語化できないけれど、確実にあった直感や感触から生まれたものが多い。多くの人が子どもの頃に経験する、世界の不思議や違和感、輝きや興奮、そして周囲から与えられるルールや慣習。
子どもの頃の感触と記憶を「忘れないように、覚えているようにしてきた」と語る荒神さんは、なぜそうしてきたのか。直感を残すことの難しさとつきまとう残念感から出発した荒神さんの原点。
1983年広島県生まれ。2009年、東京芸術大学大学院美術研究科修了。
アメリカ、ブラジルなど、国内外で作品を発表。
日常の風景から直感的に抽出した「異空間」を美術館等の展示空間内で現象として再構築するインスタレーション作品を展開。
撮影:金田幸三
Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13
撮影:金田幸三
Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13
撮影:津島岳央
白く丸い物体であるお餅を見て、「めっちゃ怖い」と思って泣いた
(一升)餅がこわい
ーー 最初の記憶はどんなものですか。
1歳の時に“一升餅”という行事がありますよね。
ーー 1歳の誕生日にお餅を背負うやつですね。
その白く丸い物体であるお餅を見て、「めっちゃ怖い」と思って泣いたんです。具体的に泣いていたというのは後で親から聞いて結びついたことなんですけど、漠然とその白い物体が「怖い」と思っていた記憶があります。
ーー その白い丸い物体への感覚は、それ以後も続いていたんですか?
続いています。天王星だったか、何も柄がない惑星があるじゃないですか。
ーー ええ、つるっとした。
そう、つるっとした。あれを見ていると、ゾワっとした感覚を思い出したりします。「これ、なんなんだろうなぁ」って大人になって考えたりしてるんですよね。
ーー 未だにその感覚が何かわかっていない。
はい。1歳なんて、まだあまりものを見た経験はない頃じゃないですか。なのに怖いと思ったのは何だったのか。
忘れないように、覚えているようにしてきた感じがあります。
なぜこんなにかたちに残すことは難しいのか
ーー 古い記憶があるタイプですか?
忘れないように、覚えているようにしてきた感じがあります。「季節で匂いが違うね」「秋の匂いがするね」とか子どもが何気なく言うことに対して、お母さんが「大人になったら、その感覚って忘れちゃうからね」とぽそっと言っていたんですよ。これはいろいろなところでお話していることなのですが、小学校の頃、校舎の上の階から、トイレットペーパーを落として、ゆっくりヒラ〜っと落ちていくのを見ていたんですよ。「(空中には)何も見えないけど、何かあるんじゃないか?」と思って、白い紙が何か軌跡をなぞるように落ちていくのを見て、「やっぱ何かあるじゃん!」と友だちにも見せたりしてたんです。そうしたら、学校の先生に呼び出されてめっちゃ怒られた。すごく反省して、母親にも怒られると思ったら「今日のそれ、忘れない方がいいよ」って言われて。それがすごく驚きで、そういうことを「覚えておこう」と思ってきたのかもしれません。
ーー 「覚えていてほしいけど、この子は忘れちゃうかもしれない」という思いが口に出たんでしょうね。
そうだと思います。忘れないように友だちに話したり、メモしたり、小学生の時には写真を撮り始めました。絵がめちゃくちゃ下手だったので、記録に残したいことを写真に撮っていたんですけど、どうしてもなかなか思うように撮れない。
ーー 「絵で描きたいもの」と「写真で撮れたもの」って違いますよね。
全然違います。
ーー 見えたもの、風景を描きたかったわけではない。
うん。
ーー 絵が下手だと自分で思っていたんですか?
描きたいように描けないというか。例えば夜の風景を描きたいと思って絵の具で描き始めるんだけど、「全然描けないじゃん!」て。
ーー 自分が残したいものにならない不満は残りながら、カメラが最善の方法だろうと。
その時はそう思っていました。でもやっぱりプリントするとめちゃくちゃ残念な結果なんですよ。「なんでこんなに写ってないんだろう?!」みたいな。撮って、現像して、見て、ガーンとするのを繰り返し。ずっと「残念」がつきまとっていました。
ーー 成就できない気持ち。
そうそう。
ーー 写真で「撮ろう」と思っていたものは、どういうものだったんですか。
現象的なものです。光みたいなのがもやっとして、「あ、いますごく気持ちいい」みたいな空間に溶けそうになる瞬間ってあるじゃないですか。すごい光景なのに運べないから、この感じを「どうにかしたい!!」って。
ーー このままの姿で固定したい。
そういうことを小学校の時に繰り返していました。私の家が山の斜面にあったんですが、小学校五年生の時、向かい側の山に友だちの家があることを通学中に気づいたんです。これは私の家から、相手の家が「見えるんじゃないか?」と思って。仲のいい友だちで、よく遊びに行っていたんですが、山を降りて登るから歩いていくとすごく時間がかかるわけです。でもちょっと待てよ「ここから見えるってことは、本当はめっちゃ近いんじゃないか?」と。夜、友だちに「ちょっと窓から懐中電灯で合図送ってくれん?」と電話してやってもらったら、微かに光りが見えたんですよ! 「あ、見えた! 見えた!」って。この感覚って大人になっても「あれ、おもしろかったなぁ〜」といまでも話したりしていて、「Tangible Landscape」という作品につながったりもしました。
ーー 感覚的な直感が実感になったわけですね。
内面はひょうきんなのにそれが上手に表現できず、友だちとも打ち解けられるタイプじゃなくて
まめまめシスターズ結成と公演会
小学生の時期、学校に行くのが苦でいろいろ思うことがありました。内面はひょうきんなのにそれが上手に表現できず、友だちとも打ち解けられるタイプじゃなくて。距離を感じてしまって、自分がいろいろ勘違いをしていたり葛藤があった。ちっちゃい折り鶴を作って友だちに見せたりしていて、言葉で対面して会話するのがすごく苦手だったのかなと思います。
それもあってか弟とよく遊んでいたんですけど、群生するすすきの中で遊んでいた時、とんぼがブワッーと大量に飛び去って行ったんですよ。「すごい! やばいね!」を弟と共有できた時は、とても嬉しかったですね。
ーー 自分の中の陽気さを友だちとうまく共有できない、表現できなかったと先ほどおっしゃっていました。友だちや周囲の人からはどんな子に見えて、「表現できなさ」を抱えながらどんな付き合い方をしていたのでしょうか。
友だちみんなをまとめる感じではないけど、限られた友だちと一緒にUFOクラブとか作ったりしていました。
ーー UFOを探していた?
探してました。当時すごく流行っていてUFOに興味がある子たちを集めて探しましたね。あと3、4年生の頃は「まめまめシスターズ」というアイドルユニットを結成してました。
ーー まめは豆ですか?
小ちゃい子ばっかりだったので豆。4、5人だったかな。自分たちでポスターを描いたり、3歳から中学校までダンスを習っていたので、家にみんなを呼んで、ベッドをステージに見立てて友だちを立たせ、「こう踊るんだよ!」みたいな指導を(笑)
ーー 振付家とかプロデューサーっぽさ。
みんなで一緒に盛り上がっていることが嬉しくてめちゃくちゃ楽しかった。終わりの会に公演会を滑り込ませてやったりもしましたね。たぶん男の子たちはシラけて見てました。当時のCMソングを文字って何かやった記憶があります。あまり覚えていないけど、当時、唯一達成できたことです(笑)
「世界はそうなっている」と思った
ガチじゃないとダメ
ーー 自分が強いこだわりを持ってやっていたことや“マイルール”みたいなことは何かあったりしますか?
母親の話もありましたけど、「これだけは絶対に忘れちゃいけない」みたいなことはずっと思っています。人に話すと馬鹿にされたり、怒られたりするようなことがあると「あ、そうか」と学んでいくと思うんですね。でも学ぶと同時に、「これはやっちゃダメなことなんだ」と自分の中で消してしまうと、それが(行為の選択肢として)それ以後なくなっていくじゃないですか。「世界はそうなっている」と思ったんですよ。
ーーそれは小学生の時に?
そうです。交通ルールや学校のルール、そうすべきという慣習とか空気もすごくわかるんです。「守ろう」とするんですけど、「同時にそれによって失われているものが沢山ある」と思ったんです。だから「その失われてしまうものを絶対に忘れないでおこう」と。例えば、中学校の学園祭で、いろいろ出し物のアイディアを出しますよね。だいたい「これでいいや」みたいな感じになる。それでも十分に楽しいんですけど…「本当にそれでいいの?」「こうしたほうがおもしろくない?」「やるならもっと本気でつくろうよ」みたいな。
「ガチじゃないとダメじゃん!」
ーー ガチでものをつくらなきゃ駄目だろうと。
そうそう。「ガチじゃないとダメじゃん!」みたいなのはずっと大事にしようと思ってきました。忘れちゃダメだし、やりきらないと絶対に伝わらない。なんとなくで終わったねじゃ、意味ないことになっちゃうじゃないですか。それはすごく嫌で。けっこう言ったりしてきましたね。
ーー 周りはどういう反応をするんですか。
周りは聴いてくれるけど、あんまりうまくいかない。うまくいったこともあって。学級旗を作る時も、誰かがこだわって作ってくれたらそれでいいんだけど、適当に「これでいいんじゃん」で決まるのが嫌で、一生懸命デザインを考えたんです。そうしたら、みんなそれを選んでくれて。先生はそういうのは見て、「全然まとめるタイプじゃないし、リーダーシップもないけども、そういうところはすごくいいよね」みたいに言ってくれたりもしました。だから認めてくれる人は何人かいたかもしれないけど、全体に伝わるわけではなかった。
ーー そういう風に教室内で発言すると“熱い”キャラクターとして認識されませんか?
いや、全然熱くないキャラクターに思われてたと思う(笑)。
ーー 「本気でやろうよ」みたいなことを言うタイプは、真面目なキャラクターが担うことが多いですけど、そうじゃなかった。
そうですね。真面目なのはそこだけで…、よく遅刻もしていましたし…。
「いいものが落ちていたら拾う」
小さなジップロックに集めた続けたゴミの意味
ーー いわゆる子どもの遊びでよくやったことや執着したことはありますか?
集めることはよくやってました。小学生の時に、道端に落ちているいろんなゴミみたいな物を、小ちゃいジップロックに入れて棚の上に並べたり、壁にくっつけたりして、「ああ、いいなぁ…」って。
ーー ゴミというのは例えば?
お菓子の箱とか、道端に落ちている石とか、枯葉とか。
ーー 分類するんですか。
分類はしないです。
ーー 「今日のゴミ」みたいな?
いや、日課でやるわけじゃないんですよ。「いいものが落ちていたら拾う」みたいな感じ。だから、長い時間かけて集めていました。小ちゃいジップロックに入るものに限定して、入れては並べ、入れては並べ。並べた風景がすごいよくて。一個だけだとそんなにギュッとこないんですけど、何個も自分が蓄積したものが集まっているのを見ると、「ああ、いいな」「いいの選んだなぁ」って。
ーー 何が良かったんでしょう。
なんでしょう、本来の用途とは全然違うものに変化したものじゃないですか、とても貴重なものに思えて。「toi,toi,toi」というシャンデリアの作品があるんですけど、それも事故で壊れたものの破片で作ってるんですね。高校の頃、夜道を歩いていたら、キラキラ光っていて「きれいだなぁ」と思って集め始めたんです。それを親に見せたら、「それは事故でクラッシュした破片だから、集めるのはやめなさい」って言われたけど、こういうものって、いつの間にか無くなるなと思って集め続けていました。そういう収集的なことをしてきました。
Photo: 木奥恵三
ーー 日々見つけた不思議な現象みたいなものは自分だけのものとしてあった?
小ちゃい時は母に打ち明けたりしてたと思うんだけど、成長していくにつれて、「なかなか伝わりにくい…」っていうのがなんとなくあって。
ーー うまく伝えられない感じがあった。
だから、何か集め始めた時も「やめなさいよ」と言われたし。「これはダメなんだな」というお母さんにも線引きがあって。いいことは言えるけど、微妙なラインのことは、「もうちょっと熟成させなきゃ受け入れてもらえないだろうな」と思うようになっていましたね。
ーー 「線引きがあるんだ」と思うと、全部を言おうとは思わなくなる。
そうでしたね。あとは「言葉にできにくい」とか。
“それ”は漠然としているんですけど、もやもやっとあるんですよ、ずっと。
もやもやとした何かを忘れない
ーー 「言葉の不自由さ」は、自分の中にありますか?
語彙力の問題もありますが、「言葉は難しい」という不自由さは常にあります。だから、写真に撮ったり、ゆっくり「それがなんだったか」を考えようとしてきました。“それ”は漠然としているんですけど、もやもやっとあるんですよ、ずっと。それが作品になったり、何か行動を起こすきっかけになったりする。だけど、やっぱり“もやもや”の核心は言葉にできないし、まだできていない。
ーー いい感触もあるけど、核心に至っていない?
最近は、「目」としてチームになって、南川という話し相手ができたので、そのことをぶつけるんですよ。そうすると「それってこういうことなんじゃない?」と返ってきた時に、「ああ、すごいしっくりきた!」となることもあります。限りなくそこに近づくように作品にしていくことが今はできているのかなと思います。だから、ちょっと手放せるようになってきたんです。だけど、同時に自分が失われていくような気もするというか…。
ーー 他者の言葉に寄せていくことによって。
はい。離れていく気がしたりもします。しきりに「これ忘れないでおいたほうがいいよ」と言った母の言葉は、単純に「子どもの時の記憶を覚えておいたほうがいい」という話ではないんです。母が大事だと思って、何気なく言った言葉から、そこに込められたバトンみたいなものを受け取ったと思っています。
ーー バトン?
「自分自身が覚えておいたほうがいいと思うこと」を伝えなきゃと思って作品を作っています。じゃあ、「なぜそういう記憶みたいなものを覚えておかなければならないのか?」という理由を考えると、それは、「人がなぜこの世界に存在しているのか」という、存在について知りたい、確認したいということなのかなと。そのために実験したり、作品に作ったりしているのかなと思ったんですよ。記憶をそのまま伝えるんじゃなくて、自分はその“もやもやした何か”を伝えたい。
ーー 写真で撮ったり、ビデオで撮ったり、起きた出来事だけを誰が見ても同じように見えるものを作るのじゃなくて。「そこで自分が感じた何か」をどうやって違う形の作品に置き換えるかということですよね。その“もやもや”って誰しもが感じているんでしょうか、子どもの頃に。
あるような気がするんですよ。ある時、北海道のワークショップで、子どもたちと話した時、「こんなおもしろい作品があるんだよ」と世界のアート作品を見せたことがあって。そうすると、一人の子どもが「これは、本当にやったの? CG?」って全ての作品について聞いてくるんです。「CGじゃなくて『本当にやる』ってことが、この子にとってはめちゃくちゃ大事なんだ」と気付いて、すごく共感しました。やっぱりもやもやしたものを具体的なものにすることへの感じがあるんだなと、すでにその難しさを知っているんだなと、そこで強く確認できました。「本当にやるってすごく大事だよね!」って。
ーー アート作品は直感を実感に変えてくれますよね。現実の実感として何かを得られるかどうかの違いは大きいですよね。
よく見てるなと思いました、子どもは。ふふ(笑)。