親と子とアスリート vol.6 美馬学・美馬アンナ
右手欠損で生まれてきた息子とその親としてできること
- 親と子とアスリート
- 2022.4.18 MON
プロ野球、千葉ロッテマリーンズの美馬学投手と女優で美馬アンナさん夫妻は、2014年に結婚。2019年に長男“ミニっち”が生まれる。ミニっちは、右手首から先がない「先天性欠損症」だ。出産後わかった事実を受け入れるまで時間がかかったアンナさんに対し、学さんはすぐ前向きに考え始めていたという。自分を追い込み頑張ることが苦ではない二人の両親は、いわゆる障がい者として捉えられる子どもの未来に対し、親は、社会はどうあるべきだと考えているのだろう。子どもが走り回る中、ご自宅でお話を伺った。
良い思いをするにはやっぱりやらなきゃいけないことがある
美馬選手は辛くても頑張れるタイプ
—— 美馬さんが野球を始められたのは…
美馬学 小学校一年生ですね。野球を始めた兄に付いていって興味を持ちました。
—— 兄弟でずっと野球されてたんですか?
美馬 はい。だけど、兄貴と野球やった記憶はあんまりないんですよ。兄貴は運動神経が良くて、野球も上手くて憧れでもありました。僕はそうでもなくて差を埋めるためによく練習していましたね。生活のほぼ全てが野球で、できるようになるために頑張ってるのも好きだった感じもします。
—— 練習が嫌いなタイプではなかったんですね。
美馬 嫌いじゃなかったですね。
—— 今も?
美馬 今も。…いや、なんとも言えないかな(笑) つらいことはしたくないんですけど。良い思いをするにはやっぱりやらなきゃいけないことがあるから、そのためだったら全然がんばれるという感覚がずーっとあって。
—— 先を信じて、辛さを耐えて頑張れるタイプ。
美馬 そうですね。これまでそれでうまくいってきたので。
—— 結果がついてきた経験があるから。
美馬 はい。とは思います。
—— プロ野球選手になったということは、そのやり方の成功例でもありますね。
美馬 そうですね。ただ、僕より練習してきた人も、才能ある人もたくさん見てきました。ホントにタイミングだったり、運だったりもあると思う。いろんな意味で「僕はついていたんだな」と思います。
—— お父さん、お母さんは野球をやっていることに対してどういう感じでしたか?
美馬 常にやっぱ応援してくれていた感じですね。野球に必要なものは全部揃えてくれたし。そういうところに不自由なくやらせてもらえたのは、今思えば幸せなことだったなと思います。
毎回調子に乗って天狗になった後、怪我をするんです
怪我によってピークが続かなかった野球人生
—— ちなみに勉強はどうでしたか。
美馬 勉強は中学校くらいまではできていましたよ。高校に行ってからは野球が中心になっていきました。
—— 「野球だけで行くぞ!」と。
美馬 その分、高校は自分でも自慢できるくらい練習しましたね。理に叶ったことは特にやってないですけど、ただただ「自分でこれをやると決めたことを最後までやる」ことをしていました。
—— 当時は根性論の時代?
美馬 めちゃめちゃ根性論でしたよ。今は情報がめちゃめちゃあって、根拠のある練習方法もわかるし、プロ野球選手がどんな練習をやってるかもわかる。昔なんて何もないから「ただキツイことをやろう!」みたいな(笑)。
大学でプロを目指す先輩たちを見て目標ができました。大学には怪我持ちで入って、何もできないところからのスタート。三年生でやっと投げられるようになって「ああ、やっと元のレベルくらいにいったかなぁ」という頃、高校時代に次いで第二期の天狗期がきました(笑)。
—— 光が見え始めた途端(笑)。
美馬 光が見え始めるとすぐ調子に乗る(笑)。でもまた四年生で怪我をして、東京ガスに拾ってもらった。そこらへんからですね、天狗にならなくなってきたのは。
—— 大人になってきた。
美馬 「大人になったかな」とちょっと思います。広い世界を見て、「もっとやらなきゃ」と。
—— 天狗になっていることは、周りも気づく思うんですが。
美馬 たぶんあったと思いますけどね(笑)。でも毎回調子に乗って天狗になった後、怪我をするんですよ。一番ピークにドーンて折られる。
—— 調子が良くなっては怪我をし、というのを繰り返していたわけですね。
美馬 はい。
—— 怪我が続いてやめることも考えました?
美馬 んー、そういうことは特に考えていなかったですね。野球ができなくなると、とにかく野球がしたくなるんですよ。だから、やっぱ「野球がむちゃくちゃ好きなんだなぁ」と思う。「もう一回投げたい」「そのために頑張ろう」っていうのが今までずっと頑張れている要因かなとは思います。
頑固親父を受け継いだ息子
—— ご両親から勉強のことなどはあまり言われなかったということですが、学んだことは何かありますか。
美馬 何かあるかな…。「人様に迷惑をかけるな」くらいじゃないかな。
—— なるほど。そういうご両親だったわけですね。あまりうるさくもなく。
美馬 そうですね。あまりうるさくなかったですね。常に後押しをしてくれる親でした。選択したことに対してそれが何であれ「自分が決めたんだったら良いんじゃないの」って。何かに反対されたことはないですね。信頼してくれていたと思います。
—— そうですよね。自分で目標を設定して、ひたすら頑張ってやり続けている子どもを止めるわけにもいかないですよね。
美馬 正月とか大晦日も学校へ行って練習してましたから。「僕はこれをやるって決めたから、一回も休まない」って。
—— それはそれで親は面倒くさそうですね(笑)。
美馬 面倒くさかったと思います(笑)。
アンナ お父さんがそういう感じの人なんです。
美馬 そうなんです。スーパー頑固なんだよね。
アンナ うん。受け継いでる。
美馬 「親父のルールを僕が引き継いだ」みたいな感じ。
—— 「マイルール設定しがちな親子」。
美馬 僕が怪我をした時、親父は「学が復帰するまで酒を飲まない」とか勝手に願掛けしていましたから。僕もそれを見てるから、「怪我してる間、これをやり続けたらもっと良いことがあるんじゃないか?」みたいなのがあるんじゃないかと思う(笑)。
—— 根性ですね。
美馬 根性ですね〜。
学生野球の時はあんまり「嬉しい」も「悲しい」もなかった
どうしても納得いかなかった怒りと叱り
—— 指導者からはあまり言われてきませんでしたか?
美馬 そうですね。でもとにかく負けるのが嫌いだったから中学の時はめちゃめちゃ感情的になっていて、それが原因で一回怒られました。
—— 「自分の一生懸命と、みんなの一生懸命は違う」とか?
美馬 そうそう。それで、めちゃくちゃ怒られたのは一回あります。「みんなも一生懸命やってるんだ」って。中3の夏から「感情を出さないようにしよう」と思って、夏の大会は感情なく投げていました。
—— 高校でクールに「俺は俺でやる」みたいな感じになったのはそこからなんですね。
美馬 そう(笑)。熱さはその辺からなくなったかもしれません。社会人になるとまた一発勝負なので熱の入れ方も変わりましたけど、学生野球の時はあんまり「嬉しい」も「悲しい」もなかったかな。
アンナ こわいよ(笑)。
—— 淋しい話でもありますね。
美馬 でもそれでうまくいっちゃったんですよ(笑)。結果としては。「よっしゃー!」とか絶対にしなかったです。怒られたことが、けっこうトラウマだったんです。でも絶対に僕が正解だったんですよ、どう考えても。大雨の中、僕だけ残されて雨に打たれながらの説教。「じゃあ、もう感情なんて出さない」と思った。たぶん誰も知らないですけどね。後で話したら監督も覚えてなかったです。
—— それで成績が出なければ、もしかしてやめていたかも知れない?
美馬 やめてたかも知れませんね。もっと熱くなって感情的にやってたかも知れない(笑)
ひたすら楽しく自分の好きなことをやって、それが何十年も続いている
自由に楽しく諦めず
—— アンナさんもスポーツはやってこられたんですか?
アンナ いや、私は全く。
—— ずっと芸能界に。
アンナ はい。ずっとそっちだったので羨ましいです。寮とかで生活したり。まあ、本人からしたら……
美馬 相当厳しかったので、もうやりたくないです…。
—— アンナさんはそれに憧れるんですか(笑)?
アンナ むちゃくちゃ羨ましいです。
—— 逆にいうと「自由だった」ということですよね。
アンナ めちゃくちゃ自由に自分の好きなことだけやってきたので(笑)。だからオーディションに何度落っこちても、たぶんこの歳になってもまだやってるんじゃないかなぁ。挫けちゃう子は辞めちゃうけど、オーディションに行く時間だけでも楽しいからやっちゃう。
—— でも、その時々のうまくいかなさはどうやって解消して、次につないでいくんですか?
アンナ 縁がなかったんだなって思います。舞台作品であれば、「なんであの子だったのかな?」と舞台を観に行って考えてみます。受かることも落ちることもありましたけど、ひたすら楽しく自分の好きなことをやって、それが何十年も続いている感じです。
言われなくてもやる人同士のカップル
—— 子役からということは、お父さんお母さんもそういう世界での活動を勧めていた?
アンナ 入ったきっかけは、友だちに誘われてミュージカルのオーディションを受けたら落ちたんですけど、それが悔しくて、「ダンスやお芝居を習いたい!」というところから始まっています。私も美馬っちと同じで、両親から「ノー」と言われたことがないんですね。「これをやりたい」って言えば「ああ、やればいいじゃん」。「やめたい」「やめればいいじゃん。誰も困らないから」みたいな。
—— 「あなたの責任であなたがやりたいならやってみればいい」と。
アンナ うん。「ダメ」って言われたことがない。勉強も点数が悪くても、怒られたことはないですね。「勉強しろ」と言われたこともない。
—— 「好きにやりたいことがあれば、そっちにいけばいいじゃないか」と。
アンナ うん。それはたぶん美馬家と共通していて。言わなくてもやるんですよね。勉強も徹夜でやったり。「もうやめたら?」と言われるくらい自分で追い込んだりもしました。だからわざわざ言わなくてもよかったんだと思うんですよ。それは生まれ持った負けず嫌いの性格なのか。昔からそういう親だったから、培われた性格なのか。縛られた記憶がありません。
—— じゃあ、「自分で自分を追い込める強めの両親がいる」という感じですね、ミニっちからすると。
美馬 あはは! だから逆に「子どもに強要しないようにしなきゃな」って思いますね。
「うちに来てくれて本当によかったな」と純粋に思った
受け止め方の違った出産直後
—— プロ野球界や芸能の世界で生き続けているというのは、「勝ってきた」っていう状況だと思うんです、結果的に。「自分はどうあるべきか」「自分はどういう未来に進むのか」、悩みながら彼なりに育っていくと思うのですが、子どもがご両親と同じように強くなれないかもしれない時、子どもに対して「頑張ればどうにかなる」と思うのかなど、両親はどういう距離で接するのかなと。話していて、「やっぱりお二人とも強いんだな」と思ったので(笑)。
アンナ めちゃくちゃ強いと思いますよ。
—— お二人は自力で成し遂げて、ダメでも頑張り続けることができるタイプ。ミニっちの「生まれた時から手がない」という状況に対して、最初、二人各々で向き合う感じは違ったわけですよね?
アンナ 受け止めるのが早かったのは美馬っちで。私はズルズルと後ろ向きなことを引きずっている感じでした。将来を考えて「ああ、あれもできない」「これもできない」って。
—— そうですよね。
アンナ 自分のお腹の中で育てたことも大きかったとは思うんですけど。走ったのがいけなかったのかなとか、ちまちましたことでひたすら自分を責め続けていましたね。たぶんミニっちみたいな子が周りにいなかったからだと思うんです。だから「一体、何ができるの?」って…。
—— 美馬さんは、そういう不安はどうでしたか?
美馬 「本当にうちに来てくれてよかったな」と純粋に思いましたね。
—— 母親として隣で悩んでいる状況も理解はできた?
美馬 もちろん。これができないとか考えたら、やっぱ不安になることはあるけど、でもその都度一緒に考えてあげればいいんじゃないかなって。できること、できないことはあるだろうけど、その手助けはできる。何かが必要だったら、何かを用意してあげたり。そう考えていたら、「何でもできるんじゃない?」って思っちゃった自分もいました。
—— これまでには欠損がある人と接する機会はありました?
美馬 ないですね。生まれてからよく見るようになったっていうか…。
—— 意識し始めると気がつく。「意外とたくさんそういう方はいる」ということですよね。
アンナ そう、本当に。意識していなかっただけなんですよね、今まで。「意識してみると、けっこういるんだなぁ」って。
美馬 そうですね。石垣でキャンプで使う陸上競技場に、欠損の陸上選手が来ていたり。みんな器用に使えるところを使ってなんでもやってるから。それを見ると嬉しくなったり、勇気もらったりするのはありますね。
—— 「何ができない身体」じゃなくて、「何ができる身体」って考えていけば。
アンナ そうなんですよね。病院の先生に言われたのは、「この子はこれが100パーセントで生まれてきている。この子からしたら、『なんでパパとママは両腕があるの?』みたいな感じだよ」って。だから「見方が変わる」というか。世界観が変わる感じ。本当に新しい世界を見ている感覚で。ミニっちが欠損で生まれてきたことで、考えもしなかったような世界を見させてもらってる。そこはやっぱり「感謝だなぁ」と思いますね。本当に彼によって、新しい絆が生まれたり、今までの絆がより深くなったり。そういう不思議な現象がいっぱい起きて。もちろん今後の不安は絶えないんですけれど。本当にやさしい方ばかりで、周りに恵まれているなあと思えることが多くて。
美馬 そうですね。「優しい人ってたくさんいるなぁ」と。
アンナ 「世の中捨てたもんじゃないな」って。もちろん冷たいこと、変なことを言う人もいるんですけれども。でも、「それ以上に心の優しい人たちっていっぱいいるんだなぁ」って感じましたね。あと、自分たちがこうやって五体満足で生まれたことは当たり前じゃないってことにもこの歳で気づかせてもらった。それはすごくありがたいことで。今後の人生が変わりましたよね。
みんなそれぞれに小さな障害を持ちながら人は生きている
環境と状況をいかに作っていくか
—— 今まで具体的に関わることがなかったような人たちが世の中にはたくさんいるとわかっても、プロ野球の世界はまだそうしたことが少ない狭い世界ですよね。
美馬 本当にめちゃくちゃ狭いと思います。
アンナ 五体満足な身体で野球ができてることが当たり前のことではないということを、実際に仕事にしている美馬っちや彼の周りの選手たちは感じたんじゃないかなと。それによって野球への向き合い方も絶対に変わると思うんです。
—— メジャーリーガーで手がない人は過去に何人もいると思うんですが、日本の野球の現場にはまだいないですよね。
美馬 そうですね。
—— プロ野球の現場で働いていて、日本では受け入れられそうな現状ですか?
美馬 絶対的な力があれば受け入れられると思いますけどね。誰も打てない球を投げられれば、絶対にプロ野球選手になれるだろうし。ただそもそもスタートラインの壁がすごく高いとは思う。
—— 健常者ほどの機会を与えられていないということですよね。
アンナ そうなんですよ。たぶん途中で諦めちゃうんです。結局、諦めざるを得ないような環境しかないんだと思うんです。やる前から一線を引いている感じがして。金の卵を育てる環境がない。だけど、実際にメジャーリーグでやり遂げている人たちがいて、「できる」ことは証明をしてくれているわけです。海外でできるなら、日本でも環境さえあれば、すごい子たちが育つ可能性はあると思うんです。なかなかそこまで環境が整ってないと感じます。
—— 日本のプロスポーツはマイノリティに対してあまり開かれていないイメージはあります。LGBTについてもそうですけど。特に男子スポーツはなかなかそこが開かない現状がある気がします。
アンナ 「障害をどういうふうに考えているか」で変わってきますよね。五体満足で生まれても、みんなそれぞれで生きにくさはあると思うんです。例えば目が悪いとか。でもそれはコンタクトをしたり、眼鏡をかけたりして工夫して生きている。みんなそれぞれに小さな障害を持ちながら人は生きているけど。「ちょっと勉強ができない」とか「言葉が喋れない」とか「身体のどこかがない」とかで差別されて、「障害」と言われちゃう。
—— 「自分と違う」と分けるということですね。
アンナ そうなんです。
—— 「障害」という言葉が分けるための便利な道具みたいになってしまっている。
アンナ そう。もちろん「障害者」いうことで助けていただくこともたくさんあります。でもわたしは「障害に甘えて生きていってほしくない」と、ミニっちがもっと小さな頃から思っているので。
「待つ」のがすごく難しかったりするんですよ。それは私たちの試練でもある。
人に頼らず、自分でできるように育ってほしい
—— 美馬さんは、ミニっちのこれからの生き方についてどう考えていますか? 「自分がやりたいと思っても環境が整わなくてできない」ということもあり得ると思います。その時に社会との折り合いをどうつけていくか。
美馬 やっぱり日本は「みんなで同じことをする」という感覚が抜けていないし。野球を指導する現場でも、監督が上からガーッとものを言ったりする状況が未だにある。でも、今はそんな時代じゃない。もっと理にかなったことがあるのに、そういうのを取り入れられない人が上にずっといる。「ミニっちは手がないから受け入れられない」というのは、そういうことと地続きだと思うんですよね。ミニっちが人より何かができる可能性もある。「障害」に対して「良いところを見つけよう」というより、「ただのカテゴリー分けになってるかな」というのは最近も感じました。
—— 「障害を理由にしないような子になってほしい」とおっしゃっていましたけど。お二人が自力で好きなことやってきたように、自力で追求する部分と「周りに頼った方がいいんじゃないか」という部分のバランスがあると思うんです。今後の社会変化も含めて決まっていくと思いますが、その辺りはどう考えていますか。
美馬 う〜ん。
—— これから一つ一つ対応していくことで落とし所が見つかっていくことかなとも思うんですが。
美馬 できないことはやっぱり頼りたいけど、基本的にできることは自分たちでやりたい。そうしながらぶつかったところで、経験ある人に助けてもらいたいというのはあります。基本的には「自分たちでなんとかしたい」という思いが一番。でも現状知らないことばっかりなので。
アンナ これから幼稚園にも行きます。今もフリースクールみたいなものに行ってるんですけど、「健常者の子たちよりできるようになるのがちょっと遅いけど、一生懸命やると思うので、すぐ手助けをしないようにしてください」とは常に話しています。「何もできない」と思われて、助けてもらう場面はたくさんあると思うんですけど、甘えて欲しくない。今まだちっちゃいうちは、私たち親が、そこを周りの人たちにちゃんと伝えておくのが大事だなと思っていて。
—— 「待っていてください」と。
アンナ そうです。「彼が『もうお手上げだ! 助けてくれ』と言うまではすぐ手助けをしないでほしいです」と先生たちにも伝えていて。「できない過程をちゃんと見ていてほしいです」って。そうしたら、できるようになるまでにこちらも準備ができるから。これからも私たち親には準備がすごく必要になってくると思う。周りに助けてもらいながら、いろいろ教えてもらいながら、準備をしていく。そうしたらきっとどんどん知らない間になんでもできるようになっていくと思うんです。大人になったら「全然人を頼らなくても大丈夫だ」っていうふうに自然となっていくんじゃないかなっていう気はしますね。
—— 「待つ」のって意外とすごく大変ですよね。
アンナ せっかちなんで(笑)。急かさない。とにかく「待つ」のがすごく難しかったりするんですよ。それは私たちの試練でもある。どれだけ彼がやろうとしていることを待てるか。だから、彼だけじゃなく、みんなで乗り越えていかなきゃいけないなという感じはします。
—— プロ野球では成果を出さなきゃいけないから、「時間をかけていい」とは滅多に言われないと思います。「待つ」のってなかなか慣れないですよね。ただ美馬さんは「怪我をしてリハビリをして」というのを繰り返して、できない状態からできるようになる経験があるのかもしれないなと思ったんです。
美馬 これまで6回の怪我をしています。毎回めちゃくちゃ不安です。「元に戻るだろうか」っていうのは…。少なくとも始める時点では、以前より良くなることは求めていません。
—— 「最低限、元に戻そう」と?
美馬 始めるときは、絶対に前以上はないとは思っています。前より下手でも良いから、投げられるところまでと小さな目標からクリアしていって、「これできた」「これできた」って本当に小さく積み上げていって、現状を上げていく。
—— リハビリの先生は「ゆっくりやろう」「ちゃんとやろう」って言うけど、やっぱ焦りますか。
美馬 焦ります、やっぱり。でも僕、基本的に何かしたい人なので(笑)。「じゃあ、何か新しいことをやってみよう」とか。「この間にできることは全部やってみよう」みたいな感じはありますね。「今しかできないことになんでもトライしよう」って気持ちはありますね。
—— 気持ちの切り替えが上手い。子どものことをすぐに受け入れられたのもそういう性格があってなんですね。できないことに対して「こうやったら良いんじゃないか?」っていう考えかたができる。
アンナ 「もっと休んだら良いのに」と思いますけどね(笑)。
—— 妻としては(笑)。
美馬 休むってめちゃめちゃ勇気いることなんです(笑)。不安になってくるじゃないですか。
—— それこそ待つことですね(笑)。
美馬 はい、そうそう。
—— 選手としては不安ですよね。
美馬 不安です、やっぱり。
—— 不安との戦いは、子どもの成長に対する不安と同じようなところがありますね。
アンナ いや〜、本当にそうですね。
何かひとつできていくだけで、親は感動している
—— 「自分の手がなぜこうなんだ」という疑問が出た時の返事はもう用意していますか。
アンナ いちおう。先輩のお母さんに聞くと「とにかく嘘をつかないこと」って言われて。自分自身のことだから、「やっぱりそこに嘘があってはいけない」と思うし。でも、正直、私たちもなぜかわからないわけですから。「へその緒が巻かれちゃった」とか言うけど、お腹の中で何か起こったのかは正直わからない。遺伝子的なものもあるかもしれないし。だから、とにかくシンプルに「お腹の中で育たなかったんだよ」っていうことだけを伝えたいですね。
—— 事実をありのままに説明するということですね。
アンナ そうです。「なんでかはわからない。ママもわからないし、パパもわからないんだけど、育たなかったんだ」っていうことだけは伝えたい。
あと、私が常に考えているのは、手がなくっても、これだけパパとママを感動させることができるということです。ミニっちがない右手を使ってご飯を食べたり、折り紙を折ったりする。そんな当たり前に思えることができるだけで、「すごい!」「なんて愛しいんだ」と感動することがあるんです。「これって本当にすごいことじゃない?」っていうのはずっとこれからも伝えていきたいなって。大きくなって、もっと伝わるようになったら。それはずっと考えています。
—— 一つ一つ新しいことができていくだけで本当にすごいですよね。
美馬 本当にそうですよね。
アンナ 普通に生まれてたらサラッと見逃していたことも、私たちにとっては「すごくない!?」っていう。「見た!?」みたいな。こうやって物をたぐりよせるだけでも。
—— 我々がやらない「新しい方法」を自分であみ出すわけですよね。それはすごいよね。
アンナ そう。それに感動する。今までになかった感覚を彼によって与えてもらってるって感じますね。私たちだけじゃないみたいなんですよ、その感覚が。ミニっちを取り囲む、お友達のお母さんとか、ミニっちが何かをやろうとすると、自分の子どもには思わない感覚、愛しさ…それは情なのかも知れないけど、そう感じるのは「私たちだけじゃないんだ!」って。それは「彼のパワーだなぁ」って感じますね。
—— 確かに新しい身体の使い方を発見する驚きが大人としてもありますね。
アンナ そうなんですよ。
—— 野球はもちろん、スポーツって「あらゆる身体の使い方を試す」という側面もあると思うのですが、やはり五体満足であることが前提にあるので。「全然違う使い方があるんだな」っていう驚きがありますね。
美馬 そうなんです。
アンナ 時々本人も驚いている時があるよね。
美馬 「おっ!」ってね(笑)。
アンナ 「できた!」って。「ママ、見た?」みたいな(笑)。それもまたかわいくて。
美馬 かわいい。
—— 欠損の他のご家族との交流もあったりするんですか。
アンナ はい。野球を実際にやっている子がいるんです。
美馬 高校生で、去年一緒に練習しました。
—— その子は甲子園を目指していたりするんですか。
美馬 そうですね。頑張って野球をやっています。連絡をくれて、試合も見に来てくれましたね。
—— プロ野球の中に欠損のような障害のある子と何かをやる取り組みはあるんですか。
アンナ 外部にはそういう団体はいくつかあるんですけど、いまのところプロ野球の中ではないですね。だから、美馬っちが野球をやっている間にそういう会ができればと思っています。
—— 実際に何かやれそうな気配はあるんですか?
美馬 協力してくれる人の輪がつながってきているので。本当に規模は小さいけどスタートはしようと。小さな範囲からでもスタートしたら、また何か変わってくるかなぁと。
アンナ 当事者じゃない親が言ってもいらぬ誤解もあるだろうし、私たちがやることに意味があると思っているんです。説得力も、メッセージ性も違うと思うんですよ。自分の息子が大きくなった時の環境作りは、自分たち親がやっていかなきゃならないと思うので。