「音遊びの会」の音楽は、「音楽とは何だ?」と問いかける
16年間一緒に演奏してきた音楽家・大友良英が語る温泉に浸かるような心地よさ
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- 2022.3.4 FRI
知的障がい者と音楽家、音楽療法家を中心とした音楽プロジェクト「音遊びの会」。21年11月、16年に及ぶ活動で初めてのスタジオ・レコーディング・アルバム『OTO』を発売しました。会とは16年活動をともにしてきた、音楽家の大友良英さんがプロデュース。演奏時間や演奏方法も自由、楽譜や決まりとごもなし、表現のジャンルを超えた自由な即興演奏で、ソロから様々なアンサンブルまで、今まで聴いたことのない音楽にものすごいパワーと自由が溢れています。
大友さん自身CDの帯に「音楽とは?!」とコメントを寄せたように、音遊びの会の素晴らしい演奏は、聴く人に音楽とは何かを問いかけてきます。与えられた方法ではなく、自由に自分たちがやりたい音を楽しむこと。大友さんはそこに救われてきたと言います。大友さんが温泉のようだと語る、音遊びの会と即興演奏のこと。
大友良英
1959年生まれ、横浜出身。10代を福島市で過ごす。ギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家、映画音楽家、プロデューサーとして多種多様な音楽を作り続けている。音楽を担当したNHK連続テレビ小説「あまちゃん」(2013)で東京ドラマアウォード特別賞、日本レコード大賞作曲賞などを受賞。1993年の中国映画『青い凧』を切っ掛けにこれまで担当した映画やテレビの音楽は100作品を超える。2019年にはNHK大河ドラマ「いだてん」の音楽を担当。東日本大震災を機に立ち上げたプロジェクトFUKUSHIMA!では芸術選奨文部科学大臣賞芸術振興部門を受賞している。
音遊びの会
2005年、神戸大学の大学院で音楽療法を研究していた沼田里衣らを中心に結成。知的障害者、音楽家、音楽療法家等総勢50名に及ぶ音楽プロジェクト。即興演奏を通じて音楽や福祉のあり方を模索しながら、ワークショップやコンサート等様々な活動を重ねている。2013年9月に行った初のイギリスツアーの模様がNHKで放送されるなど、現在その動向に大きな注目が集まっている。15年経った現在も月2回のワークショップを地元、神戸にて継続中そして進化中。
http://otoasobi.main/
音遊びの会「ワークショップの記録」
http://blog.livedoor.jp/otoasobinokai/
ノリで受けちゃったなってちょっと後悔しました。
10人入れば十分なライブに来た4人の女子大学生
― 音遊びの会に大友さんが関わり始めたきっかけから教えて下さい。
2005年、神戸大学発達教育学部の大学院生たちが知的障がい者の子たちと始めたワークショップがもとになっています。会を立ち上げた当時大学院生だった沼田里衣さんが、即興演奏をやっている人たちとこの子たちは何か共通してるんじゃないかと考えて、声をかけてくれたんです。即興演奏のライブに沼田さんはじめ大学院生たち4人が来てくれて、「実は私たちこんなプロジェクトをやってるんですが」と誘われて。
― 即興演奏というジャンル自体、世間的にもなじみがあるものでもないですよね?
その時の客席には彼女たちを入れても10人もいませんでした。今なお一般的な音楽ではないですよね。10人超えたらやったーみたいな。当時45歳で、音楽の世界でそこそこやってきた時点でもそんなもんだと思って、ずっとやってましたから。海外だといっぱい人が来るけど、日本はそのくらいですね。
― そのくらいマイナーな音楽表現だった即興演奏が、プロジェクトにふさわしいと考えたわけですね。
彼女たちはそう思ったんですよね。でも私は、知的障がいを持った子と演奏したこともなければ、知り合いもいなかったので、彼女たちの言うこと、最初は全然わからなかったですねえ。女の子たち4人が来て笑顔で熱心に誘ってくれたから行ってみたってのが正直なところでしたね。でも、企画書を見たら面倒くさそうだし、大変そうだし…。ノリで受けちゃったなってちょっと後悔しました。一度見に行って本当に無理だと思ったら断ろうと思ってました。
「あなたは障がい者を蛍光灯と一緒にするのか」と怒鳴られた
音楽かどうかを決めるのは誰か
― 実際見てみてどうでしたか?
最初見たときは断ろうと思った。ひどいなって。
― ひどい?
ひどいのは子どもたちじゃなくて、その時ワークショップをしていた人たちが、気に食わなくて仕方なかった。子どもたちを楽器演奏に限らず自由に遊ばせていたんですね。それ自体は楽しそうでよかったんだけど、そのワークショップをやっていた人が、見学に来ていたお母さんや僕らに向かって「こうやって出してる音も音楽です」って話したことに本当に腹が立った。子どもたちを素材として考えるのかと。
― 音楽を演奏する主体ではなく。
そう。「音楽だって決めるのは僕らなの? 親なの?」って、面識もない専門家の人に食ってかかっちゃったんですよ。言った手前やめられなくなっちゃった。
― 少なくとも俺がやった方がいいぞと。
そう思った。悔しいから毎週見学しに行くようになって。
― 音楽をやるなら演奏者が主体的におもしろい、楽しいと感じることが大事だというのは、大友さん自身がずっと思ってきたことですか?
もちろん普段僕らがやっているステージでやるようなものなら、それが音楽かどうか決めるのは聴衆やお客さん、聴き手でいいと思うけど、ワークショップをやっている以上、参加者が音楽をやる主体なわけで、なんで親とか僕らの判断に任せるんだって。だったら蛍光灯の音をジーッと聞いて音楽だって言えばいいじゃんって言ったら、逆に「あなたは障がい者を蛍光灯と一緒にするのか」って怒鳴られて。いやいやそういう意味じゃなくてって。
― 売り言葉に買い言葉ですね。
その人たちもそんなに酷いワークショップやってるわけじゃなくて、ただたまたまその言葉がひっかかっちゃっただけだと思うんです。その人たちはジョン・ケージの「4分33秒」とかもよく知った上でそういうことを言ったというか、僕らを前にして口が滑ったんじゃないかと思います。
― お話を聞いていてそんな感じがしていました。
ただね、大切なのはこの子たちと音楽をやることなんじゃないのって。実際売り言葉に買い言葉で言っちゃったけど、いざやる段になると、どうしていいか全くわからないし、コミュニケーションも取れない。正直言って、内心面倒くさいなとも思ってました。でも何回か見に行くうちに、永井くんというダンスがうまくて社交的なリーダーみたいな子がいるんです。当時は高校生でした。その彼が見学2回目か3回目くらいで俺の顔を見知ってくれて、ワークショップが終わったら「また来たね。次来るときは一緒に踊ってよ」って誘われたんです。「え、踊るの?!」って言ったら「誰でも大丈夫」って。「あ、そう?」と思った辺りでこれ駄目だ、取り込まれちゃったと思いましたね。
J-POPをやるより、即興でやってることの方がはるかにおもしろく思えて。
その人だからできる音楽を
― ムードに乗せられちゃったわけですね。次に行った時は踊ったんですか?
その子も踊りじゃなくて太鼓を叩いて音を出していたんで、一緒に演奏しました。神戸の古い洋館でやっていた発表会を見に行ったときにはもうおもしろいなと思っちゃってました。
― そのおもしろさは音楽としてですか?
そう、音楽的に。何が起こってるんだろうっておもしろさ。僕らが即興でやるとき、その時々に応じていろんなシステムなり語法なりを自分の中で組んだりしながら、楽器の音以外の様々な要素も加味して演奏したりするんですね。それと同じようなことがもっと自由で、オープンな形で起こっているように見えて、そのおもしろさには抗えなかった。知的障がいの人たちのワークショップがみんなこうなのか気になったんで他のワークショップも見に行ってみたんです。例えば、ある学校の授業ではJ-POPを障がい者の子たちが頑張ってやってますみたいなところがあって。
― 既存の曲をやるということですよね。
楽しそうにやっているんだけど、俺はあまりおもしろいと思わなくて。当時はひねくれてましたから、何でJ-POPの曲をやらなきゃいけないのと。障がいを持ってる人でも頑張ってここまでできました感が嫌だなって。ただ今はそういうものでもやったらいいじゃんと思うようになっているけど、当時はそういうふうに思っちゃってましたね。
― もっとこの子たちだからできることがあるだろうと思ったわけですね。
そうそう。J-POPをやるより、即興でやってることの方がはるかにおもしろく思えて。ドレミファソラシドなど音楽の教育を受けてしまった健常者の子どもにはできないことに思えたんです。音遊びの会の子たちは、学校で習った教育を幸か不幸かちゃんと体に入れていない、或いは入れられなかった、或いは独自にしか入れてないわけです。
― 既存のルールをインストールせずにきたと。
だから独自の状態になっていて、最初のうちは起こることが何でもおもしろかった。
― 大友さんはすでにドレミファがインストールされていますよね。そんな大友さんはどういう風に聞いているんですか?
僕はインストールされてたけども、それにすごく抵抗し続け、距離を取ろうとしてきたんですね。それをそんな努力なしに天然でやっている状態がうらやましくて、すごいなって。自分がやろうとするとどうしても作為的になってしまう。
― インプロとは言いながら。
一緒にやっていても自分の作為がいやになるという思いは、普段の演奏の現場では起こらなくて。普段は作為という名の経験や知識、技術の塊の上でなお自由にやっている人、ある種アスリートみたいな人たちとずっとやってるわけです。それがアスリートでも何でもないのに、そのレベルを超えちゃってるように聞こえちゃう。
音楽だけはなぜか1曲ごとに拍手をもらえる
音楽がエンターテイメントになる瞬間に立ち会う
― 実際やってる子たちはこの15年をどういう風に音楽と付き合ってきたのでしょう。
本人たちに聞いてみないとわからないけど、でも嫌だったら来なくなっちゃうはずだからきっと楽しいんだと思います。音楽をやることもだけど、その場に来ることがね。コロナでずっと大人数で集まれなくて、昨年10月に久々にほぼフルメンバーで集まったときに、見たことないくらいみんな躁状態みたいになっていました。
― たのしい! と。
そうそう。やっぱりみんなこの場が好きなんだなと改めて思いました。普段喋らない子が喋ってたりしていて。
― 音を合わせたり、みんなで一緒にやる楽しさは、この15年で変わってきましたか?
最初から今のような感じで楽しかったわけではないと思います。最初の頃はお互いに顔見知りしていたし。ひとつ大切なことは、みないつのまにか仲良くなっていったってことなんだと思うんですね。みんなの顔を見ると安心するみたいな感じかな。学校でもないし、作業所のような職場でもない、ここに来るときっとみんなホッとするんだと思う。私もそうです。ここでは、とりあえず音を出したら拍手される。拍手って大きかったと思っていて。普段生きてて拍手ってもらえないじゃないすか。原稿が完成しても誰も拍手くれないですよね。
― できた後はメールで送ってシュって音がなるだけですね…
音楽だけはなぜか1曲ごとに拍手をもらえるというとんでもない職業。彼ら彼女らはその拍手の味を覚えたんだと思います。かなり最初の時期に。ワークショップを始めて最初にやったのは、保護者や見守っている人たちがだいたい退屈そうに雑談しているだけだったので、それをやめにして、演奏する場所をコンサート会場みたいにして席を作り、終わったら拍手しましょうと決めたんです。何が起こるかっていうと、それまでは「はい終わるよ」と声をかけていた演奏の終わりが、自主的に終わるようになった。きっと拍手をもらえるからだと思う。
― あ−、なるほど!
しかもみんな自分のことを見てるってさすがに気づくから、そうすると誰に向かって音を出してるかも出てきて、聴いてくれる人がイメージできるようになり、拍手がもらえるようになった。いつしか司会をする子が出てきたりして。曲が終わるとマイク片手に「ありがとうございましたー!」って出てくる(笑)
― 「元気がないなー」(ディスク2の「これ、わたし」)という声がCDにも入ってましたよね。
あれも勝手に始まってた(笑)。設定を作ると役割が出てきて演奏するようになっていくのを見てて、音楽が生まれる瞬間というか、音楽を人に聞かせてエンターテイメントのようになる瞬間みたいなものを目の当たりにした感じがあります。彼、彼女らもその場は、自分がいていいと承認された場になっているんだと思うんです、拍手されることで。多分普段は承認されにくいんですよね。邪魔扱いされることだってきっとある。ここに来るとみんなハッピーで上も下もないし、大人も子どももなくみんな楽しくやってるだけ。稼ごうみたいな変な欲もない。ここは竜宮城や温泉みたいな場所じゃないかと思って、私も毎週行くようになっていました。だからもう正直言うと、音楽が目的なのかどうかもわかんない。
― 音を鳴らすためじゃないかもしれない。
もう一緒にいるだけでいいかもって思っちゃうくらい時々集まれるのが、幸せ。
「ブヒょ!」って音がいいと思っていたのは俺の勝手だから
「あまちゃん」の音楽にも影響を与えてくれた
― 大友さんの『学校で教えてくれない音楽』(岩波書店)の中で、藤本さんが、音階が吹けるようになってきたという話しがありました。ドレミファに標準化されていくことは、藤本さん本人として楽しいし、うれしいことだと思うんですが、周りとずれちゃったみたいな感じが出たりもするものなのでしょうか?
最初は心配しました。藤本くんは会に参加して初めてトロンボーンに興味を持って、吹き始めました。世界中どこにもない、聞けばすぐ藤本くんだとわかる音ですごくおもしろかった。かっこよくて、俺はそれでいいと思ったんだけど、藤本くんは曲を吹きたいと自分の意思で思うようになって、トロンボーンを習いに行ったんです。それによって乱暴な音がなくなった。いいのかな勿体ないなと思って、そのことを1、2年葛藤してたんだけど、「いや、いいんだ」と思うようになったんです。だって本人が吹きたいんだもん。「ブヒょ!」って音がいいと思っていたのは俺の勝手だから。
― さっき話していた経験してきたものがあるがゆえにいいと思ってしまうのかということですよね。
世界中のおもしろいトロンボーンのフリーインプロヴァイザーたちの音に近かったからいいと言ってた節はあって、そんなことより藤本くんはトロンボーンで「見上げてごらん夜の星を」を吹きたかった。この曲が始まると本人の中ではその曲が終わるまで、他の人の演奏が終わろうがどうしようが終わらない。習っているとはいえ完璧じゃないから、曲が迷路に入ることもあって、気づいたら、これ「見上げてごらん夜の星を」かな? というメロディが聞こえてきたりするんです。
― それもおもしろいですね。
そう、だからやっぱりどうやってもおもしろいんですよ。最初に勿体ないと思っていた私が浅はかでした。
― 大友さんの音楽にも影響はありましたか?
あると思いますよ。インプロだけじゃなく、あまちゃんみたいな音楽を作るようになったのも音遊びの会をやってきたからじゃないかってどっかで思っています。
― ビッグバンド的な音楽がですか?
みんなバラバラでいい、あまり合わせないようにするという心地よさは、音遊びの会で覚えたんじゃないかな。あと、ワークショップをやってもすぐに結果は出ないけど、一、二ヶ月後に突然効いてくることが度々ありました。それを知って、すぐに結果をださなくてもいいと思えるようにもなりました。もはやこれは音楽というより人生の知見に近いかも知れないですが。
音遊びの会に入ってはっきりしない人になった気もします
音遊びの会は、音楽とは何かと突きつける
音遊びの会に入ってはっきりしない人になった気もします。曖昧さを許容する範囲が広くなったというか、曖昧なままでいいんじゃないのって思うことが多くなって。
― その都度考えた答えは出してるけど、最初からどっちかにわかれて論を詰めていったら、最初から決めた答えにしかいかないですもんね。
何か目標値があってそこに行くというのではない気がするんですよね。やっていきながら何かそこにたどり着いたということの繰り返し。彼らとやる前の方が何か目標的なことを決めてやっていたところがあったと思います。過去にいろいろ見てきた素晴らしい演奏、感動したいろんな人の演奏がどっかにあって、そこに届こうとする欲望みたいなものがあったんじゃないかと。
― つねに現在を肯定すべきところで、過去を見てしまう。
彼らとやってると、その野心は全く発動する必要がないという気楽さがすごい。
― 今この瞬間の楽しいとか現在形で楽しいとかっていうことを常に更新してくという。
音楽って本来そういうものでいいはずで。お金をもらうプロフェッショナルはまた違いますけど。音楽って特別な人だけがやるもんじゃないってことに気づかせてくれたのも彼ら、彼女ら。基本、今の社会は音楽は比較的特別な人がやるものになっていて、そうなる前ってどうだったんだろうと考えました。例えば盆踊り。盆踊りは上手い下手関係なく誰でも踊りますよね。それに対して批評的な目は基本発動しない。ただその瞬間楽しく盆踊りができればいいわけで、主人公は音楽ではなくて踊る人。音遊びの会の楽しさもそこで、結果や作品みたいな概念ではなくて人。概念に縛られてしまうと、「私は音楽はできません」となってしまう。じゃあ音楽って何だろうと考えると、すごい素朴に僕らは誰でも年中音楽をやっているんじゃないかとも思ったんです。突然ですけど、じゃんけんやってみましょうか。
「(同時に)じゃん けん ぽん」
今、自然に声を合わせましたよね。
― はい。
リズムを持ってますよね。これこそ音楽だと思ったんです。すごい短いけど。あと1本締め。
「(同時に)よーー、👏(手を叩く)」
これも日本人だったらまず間違いなくみんなできます。音痴だからできませんとか、リズム感ないからじゃんけんが無理とは基本ならないですよね。古来から人間が「音楽」なんて近代的な概念を持ち出さずにやっていたのが「じゃんけん」とか「一本締め」で、それは音楽と呼ばれていないけど、でもそれこそが本来のネイティブな音楽なんじゃないかなと。音楽と名付けた時点で作品性みたいなもんが含まれてしまうというか、もう少し自覚的になにか音楽というものをやってる感じがしちゃう。そもそも音楽という言葉自体が明治初期に以降に入ってきた「music」を置き換えたものなんで、僕らは無意識のうちにどこかで西洋音楽のことというか、ややヨソ行きな着こなしのものを指すようになっていて、だから「じゃんけん」だけじゃなく、盆踊りの音頭みたいなものを「音楽」というと、なんかちょっとそぐわない感じがかつてはしたんだと思うんです。そう考えると、西洋から入ってきた音楽とか作品とかいう概念と音楽教育、あとは大量の録音された音楽にさらされて、僕らはもともといつのまにか歌ったりしてるネイティブな音楽がなんなのか自覚できなくなってるんじゃないかって。でもそれは確実にあるんです。「じゃんけん」とかそういうところに。そんなことを足がかりに、ネイティブな音楽から始めていけば、“作品”にしなくても“音楽”を楽しめるものにできるんじゃないかと。そういうことに気づかせてくれたのも音遊びの会の子たちでした。
普段見に来る人たちじゃないところにぶっ込むとどうなるんだろうと
まだ聴いたことがない人に聴いてほしい
― アルバムを聴いて「めちゃくちゃいい」と思ったんですが、そのよさをうまく言葉にできませんでした。わからないけれど、それでも音楽としてすばらしいと思った。この抗えなさみたいなものが大事だとも思って。ただこれを人にいいよと薦めて、いいねと言ってくれるかどうかは分かれるとも思ったんです。
もう15年以上活動して。ある程度コンサートもライブもやってきました。そんな経験があったんで、とにかく接してもらえれば、反応する人もいるんじゃないかなって、漠然とですが思ったんです。そんなわけで、普段見に来る人たちじゃないところにぶっ込むとどうなるんだろうと思ったのが、このアルバムを作った動機です。障がいを持ったグループの音楽というふうに作るんじゃなくて、プロと同じ環境で録音、整音をして、ジャケットのデザインもばっちりやる。一方で彼ら彼女らと10年以上一緒にやってきたのでその感謝の意味も込めて作ったってのも動機のひとつです。朝ドラの「あまちゃん」の劇伴で大金を稼いだときに、何か感謝の気持ちを込めてCD作ろうと。
― 還元しようと。
それから5年も6年も経っちゃったんだけども。写真を見ると障がいがわかるかもしれないけど、ただ普通に音楽として聴いたときに、どういうふうにみんな聞くんだろうって、すごく興味がある。
― 先ほどお話したいいと思った感覚が、これまで即興演奏や実験音楽を聴いてきた経験からこの音楽を判断している気もして、経験が邪魔してるのが得してるのかわからないみたいな感じがありました。
最初に一緒に共演したとき全く同じことを考えました。いいなと思うのは事実なんだけども、それが例えばジョン・ケージやデレク・ベイリーを経たからいいと思っているのか、経てきたから俺は一緒に演奏できるのかとか。今でもその問いは続いています。帯に「音楽って?!」と書いたけど、正直な気持ちです。彼ら、彼女らと一緒にやっていると、自分が音楽をどう受け取っているかということにまで立ち返ってくるので、本当に飽きることがないというか、おもしろいというか。
プロの音楽家と同じレコーディング環境で録る
― 録音など音源づくりはどういう風にやっていったんですか?
録音、ミックス、マスタリングは、普段僕らがプロフェッショナルな現場でやっているようにプロのエンジニアに入ってもらって、でき得る限りの良い機材でやりました。ただ、慣れない場所に連れて行くと萎縮してしまうこともあるかもなので、音遊びの会がいつも使っている旧グッゲンハイム邸という古い洋館に機材を持ち込んでスタジオのように仕立てて演奏してもらいました。もちろん演奏が終わったら拍手をすることも変わらずやりました。
― 「しおりうた」や「よしみとしおり」「りもすくあてま」などの青木しおりさん、めちゃくちゃよかったです。
素晴らしいですよね。彼女には本人独自のタイミングとルールがあるんですよね。メンバーの中で一番止まらないのがしおりちゃんで、本当はもっともっと長い演奏をしているんです。
― 咳が入っているザ・マサハルズの「#じゃいくぞっ」もおもしろかった。ツイッターではザ・マサハルズをキャプテン・ビーフハートになぞらえている人もいました。
あの咳、本人的にはネタというか、もしかしたらある種のエンターテイメントなのかもしれないです。いつも結構的確なタイミングで来るんですよね。ビーフハートに似ているかどうかは、聴く人それぞれの主観だと思いますが、でもそのくらいのインパクトだってことなのかな。
― 8秒の曲「ふじもともりもと1」などもありますよね。
これは沢山あるコンポジションのひとつなんですよ。この演奏は実は図形譜でトロンボーンを吹いてるんです。音楽家の森本アリさんが藤本くんと一緒にやる中で発見したみたいです。アリさんが書いた図形譜があって、それで演奏すると二人がぴったり合う。藤本くんは独自のルールでやっているんだけど、どうも図形譜がそれにハマったみたいで。
ほかにもシュークリームスとか最高でしょ。このグループは女子三人がアイドルみたいにやりたいと言い出したのが切っ掛け出そうで、すげえなあ、こうなるかと。想像もつかない展開ですよね。
― 5分くらいあって、意外と長い曲ですよね。
実際はもっと長かったですから。
― 「あー」というコーラスのようなものが絶妙なタイミングで入ってくる
本人たちの中では何かあるんだと思うんだけど、話し合ってやってるわけじゃないんですよね。
音遊びの会と出会って音楽も人生も変わったと思うんです
気持ちが健康になる場所
― 大友さんたちは良し悪しを判断したりはしないようにしている?
いやー、判断はしてますね。いまのよかった、よくなかったと自然に思っちゃうから。こっちもしてるし、彼ら彼女らもしていると思う。ただ言葉にして伝え合わないだけで。よかったというより満足したかどうかという感じかな。ただね、良し悪しが演奏する目的になっていないというか、判断はするけどもっと重要なのは、普段のなんてことない会話をするように僕らは演奏してるってことだと思います。会話の後に、今の会話が良かったかどうかなんて普通判断しないでしょ。そんな感じなんです。確実に言えるのは、音楽のあるなしに関わらず居心地がいい場所になったこと。音楽療法なんて知らないと言ってきちゃったけど、俺自身が音楽療法的な意味で治療されたところもあるのかもしれないですねえ。気持ちが健康になる、ここにいると。
― それもめちゃくちゃいいですね。
多分、音遊びの会と出会って音楽も人生も変わったと思うんです。それが良かったかどうかなんて自分じゃわかりませんが、でもみんなと会うのは、それだけで楽しいなって。
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