これは遊びではない – 遊びと表現についての本 vol.1

加古里子『伝承遊び考』

  • これは遊びではない-遊びと表現についての本
  • 2021.8.4 WED

 「PLAY EARTH KIDS」の編集者でもあるブックディレクターの山口博之が、「これは遊びではない」をテーマに、遊びと表現についての本を紹介していく連載です。一回目は、2018年に亡くなった絵本作家のかこさとしさんが生前収集し続けた、子どもの伝承遊びについての集大成『伝承遊び考 全4巻』について。

読み聞かせをしてもらった記憶がほぼない(子どもの主観)

 この連載では、本を作ったり、選んだり、本にまつわる仕事をしている私が、「これは遊びではない」というテーマで遊びについての本をご紹介していきます。「これは遊びではない」遊びの本って何だ? ですよね。

 アートや研究の世界では、まるで遊びのような好奇心や表現が、作品や成果に結実することがあります(イグノーベル賞などもありますね)。本人たちにとってみれば、そもそも遊びでやっている場合も、遊びじゃなく見据えた目的があることもあると思います。大事なのは真摯に取り組んでいること。

 作者にとって遊びであるなら、読者はその遊びをどう読むのか。もしくは、遊びじゃないにも関わらず、読者がそこに遊びを感じるとしたら、それはどういうことなのか。そんなことを考えてみたい。

かこさんがつくった本は92年の生涯で600冊を超える

 さて、本を選ぶという仕事をしていながら、家に本がたくさんある家庭ではありませんでした。しかも、子ども時代に絵本を読んでもらった記憶がほとんどありません。覚えているのはウクライナ民話の絵本『てぶくろ』と藤城清治の本が何かあったかもというくらい。親に言えば「そんなことはない!」と呆れられそうですが、どうしても思い出せません。

 『だるまちゃんとてんぐちゃん』をはじめとした「だるまちゃんシリーズ」や、『からすのパンやさん』などの「からすシリーズ」、『マトリョーシカちゃん』など、ゆかいでやさしいキャラクターの絵本を描いた、かこさとし(加古里子)という絵本作家がいました。

 2018年に92歳で亡くなったかこさんは、生前600点を超える作品を発表していて、今年6歳になる自分の娘にもかこさんの本をいろいろ読み聞かせていますが、自分は読んで(もらって)きませんでした。

『宇宙』『地球』『海』の見せ方と構成力に唸る

 大人になってはじめてかこさんの絵本たちに触れ、とてもビックリしました。30代後半だった僕がものすごくおもしろく読めたからです。『だるまちゃんとかみなりちゃん』では、かみなりちゃんの家がある天空の未来都市(かみなりちゃん型の照明が好き)にも驚きましたし、「カラスのパンやさん」では、パンの種類の豊富さ(コップパンとおそなえパンが特に好き)にも驚きました。『どうぐ』で、車のパーツをすべてバラして並べて描かれたページは、今ではイケてる表現としてグラフィックや写真の領域でよく使われる手法です。

 思わず唸ったのは、超大な『宇宙』のお話を小さな小さな蚤のジャンプからはじめるスケール感とその手法、『地球』や『』での対象を描く正確さと詳細で構造的な説明でした。『地球』や『海』では、地球も家も植物もどれも断面で描かれます。表面のことではなく、どういう構造をしているのか、いろいろなことが関係しながらあることをかこさんは示してくれます。

「絵かき遊び考」「石けり遊び考」
「鬼遊び考」「じゃんけん遊び考」からなる、
全4巻の『伝承遊び考』


約100年分、圧倒的な量の伝承遊びの資料と考察

 敗戦時19歳だったかこさんは、「俺は戦争に反対だったのだ」と手のひらを返したような大人の態度に嫌気が差していました。戦争への反省から、平和な未来を築くこれからの子どもたちのため、子どもたちの未来のために、絵本を作ってきたかこさん。

 子どものための絵本作りの傍ら、というより絵本作りとともに続けてきたのが、50年に渡る「子どもの伝承遊びの調査、収集」でした。そしてその集大成が2009年に出た、「絵かき遊び考」「石けり遊び考」「鬼遊び考」「じゃんけん遊び考」からなる、全4巻の『伝承遊び考』(小峰書店)です。

 50年代、貧しい地域で医療や法律相談をはじめ、様々なボランティア活動をしていた「セツルメント運動」に携わったことで、かこさんは子どもたちと直接触れ合う機会を得ます。そこで、伝承遊びの収集も始まりました。直接子どもたちから聞くことに最も力を注ぎつつ、友人・知人からへの調査やかこさんの講演会やワークショップでのアンケート、メディアで募集をしたものを総合した調査量たるやあまりに膨大で、めまいがします。

【原資料数】

「絵かき遊び考」 101,000点余
「石けり遊び考」 33,000点余
「鬼遊び考」 59,000点余
「じゃんけん遊び考」 101,000点余

10万点超え……。

 一冊ごとどれだけ微に入り細に入り調査が行われているかを紹介していきたいのですが、残念ながら各巻に掲載されている例はそれぞれ数百ずつにもなり、紹介していくだけで連載ができそうな量。自由な改変を繰り返す遊びのローカル化や、異年齢がともに遊ぶための救済的なルールづくりなど、新しいスポーツを考える為末さんの連載にも通ずるヒントもたくさんあります。

もはや詩であるような、子どもたちの遊び歌

 「絵かき遊び考」は節回しのあることば(歌詞)を口ずさみながら描く絵のこと。サカナやコックさん、“日本普遍生物”とかこさんが呼ぶタコなど、さまざま。ひとつひとつのモチーフにたいして、収集した歌詞の違いや絵のディティールの違いを何十、何百という数でどんどん提示していきます。

 かこさんは、子どもが自分の周囲の状況や同時代的なできごと、言葉遣いをもって手を加えてきたその言葉たちは、もはや詩のようであると言います。

〈サカナ〉の例で知られたごとく、その「ことば」による千変万化の叙述と追求の跡には、子どもたちの工夫・創意・生活の反映が累々として残っていた。それを知れば、子どもたちのエネルギーがいかに「ことば」に託され注入されたかを察知することができる。子どもたちの共通して抱いている思念、渦まいている感情、しっかり燃えている成長の焰が、それぞれの声色や句調、くり返しを伴う「ことば」の詠唱となっていることに気づく。詩人でない普通の子どもたちが、伝承によってみがきあげた「ことば」は、詩のごとき光と香気を放ち、何よりも強く、子どもたちを魅了し共感させるのである。

『伝承遊び考 1 絵かき遊び考』

子どもにやさしく、子どもを利用する大人に厳しい

 いわゆる“鬼ごっこ”を扱った「鬼遊び考」でも、500以上のバリエーションを列挙され、どんな遊びなのかひとつひとつ図とともに丁寧に説明がなされます。ページをめくってめくってもまだあるのかと思うほど鬼ごっこが続くわけですが、それだけ数がありながらほとんど初めて見るものばかり。実際は500の例にそれぞれ、3、4のバリエーションがあり、総数は2,000を超えるともいいます。子どもたちはこれほどのバリエーションを自分たちで生み出してきたわけです。かこさんはそのことを何よりもおもしろがり、できるだけたくさんの例をと、ひたすら載せていくのです。地道で丁寧、そしてすごい執念。

 かこさんは、遊ぶ当事者である子どもを何より大事にし、子どもによって伝えられ、変化していく伝承遊びの動的な要素をとても大事にしています。大人、特に研究者はややもすると、子どもの遊びを自分の思惑やアイディアのなかで組み込み、都合よく解釈します。かこさんはそうした大人に厳しいのです。

子どもたちから直接採取、記録、採譜されたそのままではなく、関与した関係者の文学美学観や、感覚によって選別、修正、添削され、印刷配布されると、それが正統本流であると位置づけられ、画一固定化してゆく。その結果、本来の伝承を保持している子どもの方が亜流におしこめられてゆく。そして単に記録、採取、採譜、印刷したにすぎない者が、真の創造者であり伝承者である子どもをさておいて、優先権を主張し、はては著作権争いをおこすなどは、営々作りあげてきた「子どもの生活文化」の簒奪、掠奪、改ざん行為に等しい。

『伝承遊び考 3 鬼遊び考』

 大切にすべき、守るべき主役は、時代ごと、地域ごと豊かな感性と想像力で受け継ぎながら遊びを変化させてきた子ども自身である、ということにかこさんはこだわります。簒奪、掠奪、改ざんという厳しい言葉で大人の責任を問うのです。まるで自分自身への自戒として書くかのように、同じようなことを別の巻でも繰り返し書いています。

動的に変化し続ける、そのことを大事にする

 興味深いのは、遊びや伝承物への法的な保護基準を考えていること。大人はもちろん、伝承遊びは誰かに専有されることなく、動的なものとして地域差、時代差、個人差を生み出していく。時にそれは受け継がれることなく、廃れていくように見えることもある。そうした自体にもかこさんは、意外と冷静です。

とくに「伝承文化」が衰微したり消滅しかかると、奇特な方々によって、維持復活させようとの努力が行われる。まことに御苦労なありがたいことであるが、既述のごとく、発展維持する子どもたちの活動や意欲を失わせるような、社会状況がそのままであるなら、こうした大人の行動は基本問題を回避した逃避行と言われかねない。
同時に「子ども」は、その生きている時代とともに変化し、変容してゆくもので、既述の〈へノへノ〉初期の江戸時代の子どもと、現今の子どもとは同じではない。しかし成長過程のあるものとして、自ら興味を抱き、将来が予見しうる時、多くの制止や障壁を乗りこえる努力を傾ける点では、古今、東西をこえて不変である。
この変異と不変の両側を持つ子どもが、生み出し、磨きあげた「生活文化」であるから、いったん衰退したとしても、真に必要であるならたちまち復興隆盛となるのは、ほかの子どもの「伝承文化」で見られるところで、あまり憂慮するにあたらない。

『伝承遊び考 1 絵かき遊び考』

 伝承遊びは、大人がムリして型にはめて残すわけではありません。ひとりひとりに存在した“子ども”という時代の個人的、集合的な意志と好奇心がつくってきた持続的な文化です。かこさんがなぜ伝承遊びをこれだけ記録し続けるのか、それはきっと子どもの遊びが文化だから。そして文化は世界との関わり方だからです。個人が意図をもって作ったものではなく、毎日ひたすらに具体的な目的のためではなく遊び続けた結果として生まれた文化だからこそ、これまでの子どもとこれからの子どもを考えるとき、欠かせない大切な資料になっていきます。

 子どもに教えるのではなく、子どもから教わりながら遊びを収集し続けたかこさんは、遊んでいるように見えただろうし、実際一緒に遊んでもいたはずです。かこさんが、遊び続けた結果残したものは、他に類を見ない大規模な「子どもが生きて、創造してきたことの記録」であり、子どもがいかに創意工夫を繰り返しながら世界と関わろうとしてきたかの記録でもあるのです。

資料を仔細に見ぬくなら、脈うつ子どもらの情感と希求の一面を読みとることができる。然の中で結楽したこうした歌詞、画図、心情は、稚拙であっても「文化」とよぶに値する。

『伝承遊び考 1 絵かき遊び考』