目が見えない世界で水を感じること

中途視覚障害者・石井健介さんが見て、感じて、浸る水

  • FEATURE
  • 2022.6.30 THU

2016年、37歳で石井健介さんは突如として視力を失います。当たり前だった情報や感覚がなくなった石井さんが綴る、失った視力のこと、得られた新しい感覚のこと。

2016年の4月のある朝、目が覚めると目が見えなくなっていた

水が僕を充たしていく

まだ頭の中に霧がかかっている起き抜け、その霧を晴らすために蛇口からコップに水を注ぐ。朝のルーティーンの音、コップにどれだけ水が注がれているのかはその音で判断をする。水を口に含み、ゆっくりと飲み干すと、その水が喉から食道を流れていく。さっきまでコップを満たしていた水は今、僕の身体の一部になった。

「明日の朝、突然目が見えなくなるとしたら、あなたは最後に何を見たい?」

唐突にそんな質問をされても戸惑ってしまうかも知れない。きっと6年前の僕もそうだっただろう。ただ実際に僕にはそれが起こった。2016年の4月のある朝、目が覚めると目が見えなくなっていたのだ。まさに夢にも思わない出来事だった。

目の前は薄墨のモノクロームの世界

僕は、2022年6月1日時点で43歳、妻と小学4年生の娘、小学一年生の息子と僕の両親、それと犬一匹とともに、ビーチまで歩いて3分の海辺の家で暮らしている。この家は僕が高校を卒業するまで暮らしていた家で、僕の目が見えなくなった2016年に家族と共に再び戻ってきた。視力を失った当時は、目の前で点灯しているペンライトの光も感じることができなかったが、今では目の前にあるもののシルエットはぼんやりと認識することができるようになった。色はほとんど感じることができないため、濃い霧の中で薄い墨汁で描かれたすべてが滲んだモノクロームの世界で暮らしている。

高校卒業後に文化服装学院というファッションの専門学校でビジネスを学び、ロンドン留学を経てアパレル業界に就職。レディースブランドの営業として働いていたのだが、あまりにも目まぐるしいトレンドサイクルと大量生産、大量消費、大量廃棄されていく業界の構造に疑問を感じ、まだエシカルファッションという言葉も定着していなかった中で、環境負荷の少なく、人権にも配慮されたプロダクトを扱う会社へと転職。娘が生まれた2012年に子育てを生活の中心におくべく、時間的な融通がきくフリーランスへと転身し、その4年後には息子も生まれ順風満帆、わりといい感じの人生を送っていた。そんな矢先に突然視力を失ってしまったのだ。

悲壮感はなく、今では笑ってこの話をしていることが多い

家族が友人がしてくれた心への水やり

さらりと書いてみたけれど、自分でも壮絶な体験をしてきたなと改めて思う。でもそこには悲壮感はなく、今では笑ってこの話をしていることが多い。なんでかなと考えてみると、視力を失ったことで今まで暮らしていた世界がまったく新しい世界へと変わり、今まで見えていなかった物事がよく見えるようになり、新しい視点も両手の指では数えきれないくらい手に入れることができたからだ。元来の性分が好奇心旺盛だったことも手伝い、まるで子どものように日々を楽しんでいる。

今の境地に辿り着くまでに、もちろん心の浮き沈みはあったし、一寸先も見えない暗黒の中をさまよってきた。枯れるほど泣いた日々も続いたし、何度も胸が張り裂け穴が空いたけれど、その度に家族や友人が僕の心に水やりをしてくれ、胸に空いた穴を繕ってくれた。その中でも大きな存在だったのが当時3歳だった娘だ。

1カ月半の入院生活を経て、見えないまま日常生活へと戻った僕は当時住んでいた広くはないアパートの部屋の中でよく迷子になり、よく物にぶつかっていた。足元におもちゃが転がっていればそれを踏んづけてしまい、自分が娘に買ってあげたそのおもちゃを壊してしまうことにイラついていた。とにかく緊張して眉間に皺をよせた顔で過ごしていたのだ。そんなパパを観ていた娘は僕から少し距離を取り始め、ある日部屋に飾ってある家族の似顔絵を指さしママにこう言ったのだ。「私、あの笑っていた頃のパパがいい」と。そしてその夜、妻は僕に向かってこんなことを言ってくれた。「このままじゃ大好きな娘との距離がどんどん広がってしまうよ。今のあなたでも一緒にできることはあるでしょう?それを考えることが得意なのを私は知っているよ。」

そこから娘と一緒に遊びをいろいろと考える時間が始まった。例えばジェームス・ブラウンのFUNK SOUL MUSICを大音量でかけ、汗だくになるまで踊りまくる。これなら見えなくたって一緒に遊べることに気が付いた。これは後日「こどももおとなも『みんなでディスコ』」というイベントになり、海辺で行われたビーチマーケットという大きなイベントで開催されるまで発展をした。娘のために、自分自身のために生み出した遊びをこうしてたくさんの人たちとシェアできる喜びをこの時に強く感じた。こんなことを積み重ねていく中で、僕は娘と娘は僕と、どうしたら楽しく一緒に過ごせるかの経験知を得てきた。

まるで世界は水の中にあるのではないか、自分はその水の中の世界で暮らしているのでは

世界は水の中

視力を失ってから「他の感覚がするどくなったのでは?」と質問されることがよくある。するどくなったというよりは、視覚以外の感覚で世界を見るようになったという方がしっくりとくる。

海辺の街で暮らしていると、風の中に潮の香りが含まれていることがある。高速バスに乗って東京からこの街に帰ってきた際、その香りで返ってきたことを実感するのだが、何年かこの街から都内に通勤をしていた中で気が付いたことがある。潮の香りが濃く感じるのは、湿度が高い日なのだ。湿度というのは目で見ることはできないけれど、嗅覚を使うことで、もしくは触覚を使うことで「見る」ことができる。この場合は「観る」と表現した方が適切かもしれない。鼻腔に意識を向けることで、空気中に含まれている水分、その中に溶け込んでいる香り、そしてその空気の質感を感じ取れる。視覚以外の感覚で観る=観察をするのだ。

湿度が100%にも達するような日には、嗅覚や触覚でその空気中の水分を感じると、まるで世界は水の中にあるのではないか、自分はその水の中の世界で暮らしているのではと実感を伴った想像をしてしまう。そんな日に、家の目の前にあるビーチに行って水着になり海の上にぽかんと浮いていると、自分と水、自分と海との境目がどんどんと曖昧になっていく感じがする。

何年か前の雨の降る5月のある日、僕は雨の音に耳を澄ましていた。すると唐突に「この雨は自分自身だ」とまるで悟りが開けたような錯覚に陥ったことがあった。僕が雨と認識しているものは、植物に命を与え、植物は光合成によって酸素を生成する。雨を得て花が咲き実がなり、食物連鎖を作り出し、僕はそれを食べる。ダイレクトに自分を含めた生きものの飲み水にもなる。いつかの雨が自分を作っていて、今降っている雨はいつかの自分を作るのだ。そんな繋がりを考えたというよりも、一瞬で理解した瞬間が訪れたのは、自分と他を区別する境界線が見えなくなり、曖昧になったからなんだと思う。

算数では1+1=2と教えられてきた。でも、水の一滴と一滴を足すと、合わさって一滴になる。一滴の水が合わさり、やがて川になり海に流れるように、自分自身を一滴の水とするならば様々なものと合わさって、大きな地球、自然となっていく。

「明日の朝、目が見えるようになるとしたら最後に何を見たい?」と誰かに質問されたら、僕はなんと答えるのだろう。見えるようになったら見えなくなってしまう景色、感じられなくなってしまう世界があるから、少し答えにと惑ってしまう。そんな取り止めのないことを考える時には、雨の音や波の音はいつだって最高のホワイトノイズになる。