乗代雄介「風景描写の練習 – 砧公園」

小説家乗代雄介が日々ノートに書き続ける「風景描写の練習」。

 淡々と書かれる、公園のある場所から眺めた20分程度の時間と風景。なぜ書くのか、何がおもしろいのか。書き手としての意味とそれを読む読者としての意味は、いったいどこで交わるのか。

 写真を撮ることと風景描写の違いについてインタビューでも語ってくれました。読者は、実際にそこにどんな違いを読み取るのか。写真と動画を通じて「風景描写」と「風景写真」と「風景動画」を並べてみます。乗代さんがいた場所から目線を再現するように撮った風景です。みなさんは、写る風景のどこから見て、何を見つけるでしょうか。

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6月9日 16:28~17:02 砧公園

 二の橋を南東から見下ろすような位置にいる。アズマザサの類が覆う小さな丘は、大きな木々を周囲に配して、広い芝生でシートを広げたりボール遊びをしたり、思い思いに楽しむ人々を遠くに見せる。

 前にはケヤキの間にサワラが何本も立っている。細い枝にまとった針葉が、ケヤキの支柱に緑の網を張っているように見えるのは、ちょうど西へ下りかけている太陽が向こうから照らすからだ。漉された光が無数の点となって目に映る。

 左に目をやると、ソメイヨシノの葉が、同じ光を透かして黄緑に輝きながら、日を和らげてくれている。ササの多い斜面に根を張って、芝生の方へ枝をうねらせている姿は龍のようだ。太い幹から二つに分かれたのが、一方は山なりに、一方は地面すれすれに伸びて、私の方からは、見事な楕円の額縁をつくっている。その中を自らの枝葉で飾りながら、遠いサトザクラの暗い濃緑をそこに収めている。

 芝生をうろついていたハシブトカラスが、その額の下をなす枝に気紛れにとまって、絵になろうとする。もちろんそんなことは思っていないだろうが、顔を横に向けて、その見事なくちばしを私に示すようだ。突然、ソメイヨシノの葉の隙間からのぞいた太陽が、周囲を発火させるように白く輝いた。

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(写真撮影日は7月31日、時刻は風景描写を行った時間と同時刻帯です)