細部の集積が自然を作る – 陶芸家 植田佳奈
石の成り立ちが導く、人工と自然の間にある陶芸
- FEATURE
- 2022.4.6 WED
子どもが土をいじっているままに
1992年、神奈川県生まれ。現在は相模原市の6畳のアパートをアトリエに制作。独自の視点で自然観察、解釈をしながら、土だからこそ出来る、新しい肌理や質感を探る陶芸制作をしている。
ろくろに従うとそれは器になる
植田 陶芸をはじめたのは、子どもの頃にテレビで電動ろくろを回しているところを見て「やりたい!」と思ったことをきっかけに、高校の美術部で電動ろくろを見つけてハマったからでした。
―― ろくろを回して、粘土を触りたかっただけだった。
植田 そうなんです。結果的にろくろに向いている形ってお茶碗やお皿の形なんですね。ろくろを回して触っていると自然にできあがる形が、「お皿」なんですよ。
―― 回転したものに手を入れると自然とそうなる。
植田 そうそう。器に憧れもなかったので「ろくろに従うがままに形をつくる」ということをしていたんですが、大学に入って、ろくろ以外のいろいろな技法を知って、それを試していきました。釉薬は計算や科学の世界に入るので興味が持てなくて。本当に子どもが土をいじっているままに大学へ来てしまったような感じでした。今だにそうなんですけど。だから、細かく見えてもやりかたはどれもシンプルなんです。
陶芸作品が、風景や自然物に見えてくる
植田 石をはじめ、草原や毛並み、宇宙など、私が作るものをいろいろな自然物の現れとして見ていただくことがあります。その代表的なもののひとつである、「溝に何かほかのものをはめる」という技法の象嵌(ぞうがん)シリーズは大学のときからやっているものです。一輪挿しの花器をつくるという課題があったんですが、花器はお皿とかより形が自由なんですね。
―― 「挿し口があって、水が入ればいい」ということですね。
植田 そうです。自分にとって自由度が高い課題で、逆に「何をつくったらいいかわからない」と悩んでしまいました。粘土を手遊びしていじっていて、棒で点をずっと打ってみていたら、点が集積した時いきなり点から質感というか、面に変わった感じがあって、「あ、これおもしろいかも」と思ったのが始まりです。触ってもらると表面が微かにでこぼこしています。
―― はい、でこぼこします。
植田 ろくろでまるい形をつくって土が柔らかいうちに、先を削ったヘラのような道具でギュッギュッとちいさな穴や線というか、傷を入れていくんです。焼いてからバーっと全体に色を塗って拭き取ると、傷のところにだけ色が残るという作り方。だから計算もしなくてよくて、緻密なだけできっと誰でもやれるはずです。
―― 集中力があればできてしまう。
植田 そうです。象嵌は金工とか木工でよく使われると思うんですけれど、そちらでは絵柄を描く時に使ったりしています。既存のやり方だけど、新しい見えかたというところでやっているうちにいまの方法になりました。
―― 「こう見せたい」という気持ちと既存の技法が合致したということですか?
植田 どう見せたいかは実はあまり考えていなくて。ろくろにのせて回しながら螺旋状にぐるぐると自然にただ埋めつくしていっただけなんです。手遊び中の無意識みたいなところから出た動きを拾ってきてやると勝手に自然物のようになる気がします。
細部の集積がもたらす効果
植田 「なぜ自分の作品が自然物のように見えるんだろう」と考え始めてから、自然物をよく観察するようになりました。花びらが中心から広がる様子とか、模様や質感は放射状に広がっていったりしています。この世にあるすべての模様や質感自体が「細部の集積」だと思うんです。だから、細かなものが集まっていれば自然なものになり得る。
―― 部分で何かわからないけど、全体になると何かに見えてくる。
植田 完成予想図/風景があるわけじゃなくて、そういう法則的なものを掴んだことで自然に近いものができることがわかった。自然物が好きだけど、自然物そのものを模倣するというよりは、もっと余白があるもの。この細い線上のものの集まりは「星」とか「棘」とか「うに」とか言う人もいて。色を変えると、植物の種にも見えたりして。自分で自然物を観察して「形や質感はどういう規則性でできあがっているのか?」を自分なりに受け取って、もう一度作ることをしています。
―― 「自然物を表現しよう」という意識?
植田 「表現」というより「知りたい」みたいな。こういうものを作りたいから作っているというより、作ることによってわかることがある。石ころは、どこかで岩が砕けて、それが水の中ですごい時間をかけてちょっとずつ削れていくわけじゃないですか。到底人間の手ではできなかったりや時間がかかったりしている自然物はいっぱいあって。わたしが石を好きな理由はそこなんだと思います。自分のやっていることは、自然物ができあがっていく過程をなぞっているようなことなのかなと。到底、本来の自然物に敵いはしないんですけれど。ものを作るということは、そういうのを知りたい、知れるような行為なんだと思います。
焼きものは失敗することが多いんですけど、一回焼くともう土には環らないんです
土には還らない陶器という反自然な存在
―― このひびが入ったものはどうやってつくられたんですか。
植田 焼きものは失敗することが多いんですけど、一回焼くともう土には環らないんですね。1230℃というすごい温度で焼くことで、「土から、陶になる」。すごく恐ろしいことをしているなとも思うんです。陶芸家ってすごく「自然が好き」みたいな感じですけど、逆のことをやっているなと…。
―― 「反自然」みたいなものをつくり出してしまっていると。
植田 だからすごく罪の意識みたいなものがあって。その作品は、自分の過去焼いたものを砕いて、もう一回土に混ぜて焼くんですよ。焼きものは焼いている時に粘土が縮みます。中はすでに焼いたものなので、外側の粘土だけ後から縮み、そのひずみで勝手にひびが入る。だからひびが入るのはわかるけど、どうひびが入るかは予想できないんです。
―― この重さは中に陶器が入っているからなんですね。
植田 「操作しきれない部分」を入れたいなと思っています。作っちゃったやつどうしようみたいなところから始まったんですが、素材単位から作ってるなぁとも思って。砕いて入れることで、素材自体から自分で作るのもおもしろいなぁと思っていて。この丸くて白い粒が入ったものは「貝塚みたいなものをつくりたい」と思って。
―― 貝塚はもう風景ですね。
植田 実際に風景から入ってるんです。この小さな貝みたいなものも一つずつ自分で作って混ぜ込んでいます。地面をつくっているみたいでおもしろかったですね。
―― 「地面つくる」ってなかなかない響き。
植田 たぶん貝塚を質感として見ているんだと思います。空間把握能力が元々あまりないのが、さらになくなって山とかを見ていても、全部質感として捉えるようになってしまっていて。
―― 三次元を二次元のテクスチャーとして見ていると。
植田 そうです。そういう仕組みになっちゃてるのかもしれないですね。石のような作品も、「石を作っている」という感じよりも、石がどうできてきたかというところから導かれているみたいな。自分の気持ち的には、こっちの面があるものの方が石ころに近いんですよ。
―― 「物理的に形状が石っぽい」ということではなく。
植田 そうです。これも紙やすりでやすって、石ころの形にしているので。700度で焼いたあとに紙やすりで一生懸命こすって石ころの形にしています。川で転がって削れていくのと同じように手で削るんです、石鹸こするみたいに。
人工と自然の間にいたい
役割にとらわれない抽象化された焼き物を
―― 宇宙や惑星に見立てる人もいますよね。
植田 自分では「宇宙」と思っていないんですが、黒い背景で撮影すると「宇宙」と言われたりします。でも、確かに地球は岩や土の塊で、陶芸とある意味で同じですよね。いろいろな人がいろいろな見方をしてくれていて、その都度新しいコミュニケーションをしているようで楽しいです。
―― そのためには抽象的な形であるべきなんでしょうね。
植田 そうだと思います。
―― 具体的な用途があるものは一輪挿しくらいですか?
植田 そうですね。でも、一輪挿しも挿し口がすごく小さくて水もあまり入らないんですよね(笑)。
―― 入る植物もかなり限られていますよね。
植田 でも、実はそれによるちょっとおもしろい効果があって。「これに入る植物を探そう」と思って散歩していると、すごく小さいものまで見ることになって、道端の雑草を見ても、「こんなのもある!」とどんどん発見していけるんです。
―― なるほど、この穴の解像度で植物が見えてくる。縦向きの模様は動物の毛並みに見えますね。
植田 線の並びをちょっと変えるだけで、まったく違うものになります。間隔を空けたり、ぎゅうぎゅうに詰めたりやり方がいろいろあります。几帳面にやっているように見えてズレがそれなりにあるんですけど、ズレてもそれが自然物のように見えるんです。
―― 逆に機械のように完璧になりすぎると不自然なのかもしれませんね。
植田 まさに。無意識なズレみたいなものが自然ぽさになっている。自然物自体が規則はあるけど、ちょっとずつ全部違ったりもしているという意味で同じな気がしています。あと、釉薬がかかっていないものの質感は、本物の石や貝のような質感に近い。材料である土そのものがそうさせるんだと思います。釉薬はガラス質の成分を多く含んでいるので。
―― 釉薬は人間的な物感になっていくんですね。釉薬によって属性が自然か人間かという印象が変わります。
植田 見た目ややることに関して、人工と自然の間にいたいなという思いがあります。
―― そういう視点で見ると、釉薬はどこかあざとさのようなものがあるのかもしれません。
植田 大学時代からそう思っていたんだと思います。器には絶対必要なんですが、私にはいらなかった。私、夜景が嫌いなんです。
―― 夜景?
植田 釉薬が嫌いと言っていた大学の先生も夜景が嫌いと言っていて、人工的なものを警戒しているという意味で一緒なのかもしれません。
人から石をもらう人
―― 石を拾うことありますか?
植田 ありますね。
―― どんな石ですか?
植田 すごく変な形をしている石か丸い石ですね。すごく細長いのとかきれいな楕円形のだったり。あとは、にょろにょろしている石もありますね。あとは人が石をくれますね(笑)。
―― 「好きじゃないかと思って」って(笑)?
植田 お土産に拾ってきてくれます(笑)。人によってくれる石の特徴が違うんです。土地の特徴というよりも、その人っぽさみたいな。
―― 自分の好きな石は、自分が作っているものと近い?
植田 近いと思います。角のない石が好きです。