風がアートになる
アートから見るこれからの自然観
- FEATURE
- 2022.1.12 WED
日本語において「風」という言葉は様々な使われ方をする。「そよ風」「台風」「風雪」というように物理的な自然現象を指す場合もあれば、「風の吹き回し」「風向きが悪い」「〇〇風」など、なにか世の中の時勢やその場の雰囲気、人の気持ちなどを表現する際に使われることも多い。この言葉は日本人の日常に広く浸透していて、その使い方自体に疑問を持つ人は少ないだろう。しかし、物理現象としての「風」を感じたりすることはできても、見ることはできないし、もちろん世の中の空気全体や人の気持ちも同様に見ることはできない。
歴史を紐解くと、人間はこの見ることができないはずの「風」というものを、特別な力として扱い、また同時に可視化してきた。風車や風力発電のように工学の技術を活かし「動力」として利用することはもちろんのこと、風の神や精霊風のような「神話」や「伝承」のように「風」をなにかの隠喩に芸術として表現してきたのである。ここでは、風を利用したアート作品や伝承としての風の表象、そしてそこに見え隠れする自然観をいくつかの例とともに見ていきたい。
動力としての風
動力としての風を利用した風車は、エジプトで紀元前に灌漑や揚水のために使用された記録があり、1世紀初頭には、ヘロンというギリシャ人の物理学者、工学者、数学者は、アネムリオンという、風車をコンプレッサーとした風力オルガンを設計したと言われている。15世紀には、かのレオナルド・ダ・ヴィンチもこの風力によるオリジナルの製粉機を構想したスケッチを残している。
テオ・ヤンセン:《ストランドビースト》
「風」という自然現象を生かし生物のような存在を生み出す試み
○テオ・ヤンセン:《ストランドビースト》
風を動力とした工具・機械・楽器は、目的に応じて、技術者や芸術家によって数多く構想・設計されてきた歴史があり、その系譜は今も続いている。その現代の代表的なアーティストは、オランダのテオ・ヤンセン(1948年〜)だ。ヤンセンはオランダのスフェべニンゲンという都市に生まれ、大学では物理学を専攻し、その後画家に転向したアーティスト。1990年には自身の経歴を生かし、科学とアートを融合し、「ストランド(砂浜)ビースト(生命体)」という作品の制作をはじめた。この作品は、風を動力源とした立体物で、黄色のプラスチックチューブ、サテー(串焼き料理)の串、テープで造形されたものだが、物理工学を基盤にコンピュータ上で風の力と立体の動きが綿密なシミュレーションされ、砂浜で驚くほど滑らかで有機的な動きを見せる。
風を食べて動く新種の生き物のよう、とも評されるこの作品は、国土の約4分の1が海抜0m以下という自国オランダにおける海水面上昇の問題から構想されたもの。この生物が歩き回って、大量の砂を踏み砂丘の形成を促進することで海外線を保つことにつながる。同時にさまざまな環境の変化に適応し、自立して砂浜で生き延びていくことをコンセプトに設計されている。このように「風」という自然現象を生かし生物のような存在を生み出す試みは、彼自身に物理工学の技術と芸術家の造形力の2つが備わっていたから生まれたものとも言える。また風という自然現象を技術によりコントロールし、動力に変え、自分たち人類のための海岸線を守るという発想からは、いかにも近代の西欧的な自然観を見て取ることもできる。
新宮晋:《白い肖像 II》
「風で動くということは、風の圧力から少しでも逃れようとすることだ」
○新宮晋:《白い肖像 II》
日本人の造形作家である新宮晋(1937年〜)もまた、自然エネルギーで動く彫刻作品を世界各地に作り続けているアーティストである。風の動きに合わせてシンプルな運動を見せる彼の立体作品は、テオ・ヤンセンの作品に比べるとやや拍子抜けするように見える単純さだが、その設計思想には、自然との共存を念頭に置いた東洋的な自然観を見ることができる。たとえば1988年に制作された《白い肖像 II》という作品について、本人が「風で動くということは、風の圧力から少しでも逃れようとすることだ」と語るように、その作品は風を動力とはしているが、自然と対峙、またはそれをコントロールするというより、どこか風との戯れや遊びのようなイメージを喚起させる軽やかさがある。
「新宮晋 風のミュージアム」のHP内では、この作品について「風からの逃げ方には無限の可能性がありますが、草や木の葉がそよぐのも、鯉のぼりや旗がなびくのも、原理は同じです。(中略)四角い板と軸を組合わせた単純な構造ですが、風の中で自由自在に逃げ回っている様子が見えるでしょう」と解説されている。つまり新宮晋の風を生かした作品は、変化に富んだ自然の不規則さや目に見えない風をコントロールするというより、風と人工の金属との戯れ(時には「逃げる」も重要)、ひいては自然環境と文明の「共存」の可能性を静かに提示してくれているように見える。
神話や伝承の世界でも「風」はなにかの隠喩として多く語られ、描かれている存在である。たとえば日本の『古事記』に登場する「スサノオ」は暴風雨の神であり、日本各地に伝わる風の妖怪として「鎌鼬(かまいたち)」がいる。またインド神話では「ヴァーユ」と呼ばれる風の神がいて、その後中国で仏教に取り入れられ神である天部の1人として「風天」となったと言われる。風の神の表象は、地域ごとに様々に個性的で、その地域の自然観や歴史を垣間見ることができる。
俵屋宗達:《風神雷神図屏風》
抗えない自然の大きな力を崇め奉るだけではなく、どこか親しみやすく遊びがあるような存在として描く
○俵屋宗達:《風神雷神図屏風》
日本において風の神が描かれたもっとも有名な作品は、17世紀前半に京都で活躍した絵師・俵屋宗達の《風神雷神図屏風》だろう。二曲一双の屏風に、風袋から風を吹き出し風雨をもたらす風神と雷を司る雷神が描かれている。金箔によって「無限の奥行」を表現した空間に、雲の上に乗った風神雷神を配置することで、いかにもなにもない空間から突如現れたような印象を与える。
寛永年間頃 紙本金地着色 154.5 cm×169.8 cm
おそらくほとんどの日本人が何かのかたちで見たことあるであろうこの作品が興味深いのは、この神格化されているはずの風神(と雷神)をどこかユーモラスに描かれていることである。抗えない自然の大きな力を崇め奉るだけではなく、どこか親しみやすく遊びがあるような存在として描く。自然への畏怖の念を込め、農作物などの豊かな恵み(または子孫繁栄)など願い、それと共存していくためのシンボルとしての風神雷神が、どこかアンバランスに俗っぽく見えるのである。
ホダ・アフシャール:『Speak The Wind』
風がつくった歴史を風景と伝承の2つの視点からドキュメント
○ホダ・アフシャール:『Speak The Wind』
風をポジティブにとらえる文化もあれば、それを疫病神のようにネガティブにとらえる文化もまだ世界各地に根強く残っている。メルボルン在住のイラン人写真家、ホダ・アフシャール(1983〜)の写真集『Speak The Wind』は風の伝承と土地の歴史のそのような側面にスポットを当てたものだ。
イランとオマーンに挟まれたホルムズ海峡の島々(ホルムズ、ケシュム、へンガム)では、精霊風「ザール」が人に憑りつき、病や疫病を運んでくると信じられている。この言い伝えが、アフリカの島々にも見られることから、これらの伝承がアラブ人の奴隷貿易によって、イランにもたらされたものであるとも考えられている。この歴史に着目したアフシャールは、現在にまで残る古代の悪魔祓いの儀式や人々、そしてその実際の風が島々の自然に残した傷跡や痕跡をカメラにおさめている。
風にさらされた岩塩の山々や枯れ果てた木々、濃い紺色をした海、赤く燃えるような色をした巨岩や島に住む人々の写真群。その「風」が作り出した殺伐とした風景からは美しさと同時に、風と人とのネガティブな関係性を感じざるを得ない。これらの写真群はその良し悪しを判断するものではないが、風がつくった歴史を、風景と伝承の2つの視点からドキュメントする、優れた写真作品と言えるだろう。
砂澤ビッキ:《四つの風》
生の木色をしていた木肌は、風に晒され時間の経過とともに灰色に変わり、亀裂が走り、キツツキが巣をつくり、キノコが生えた
○砂澤ビッキ:《四つの風》
最後に紹介するのは、砂澤ビッキ(1931〜1989)という彫刻家の作品である。アイヌ民族の両親のもとに生まれ、22歳の頃から木彫りを始めたという彼は「樹から風を創った造形作家」とも評される。その彼の晩年の代表作といえば《四つの風》と呼ばれる、高さ5mを超えるエゾマツ4体を用いた彫刻作品だ。
札幌芸術の森美術館併設の野外美術館にあるこの大作は、1986年に屋外に設置された。彼はこの作品の設置の3年後に他界することになるのだが、設置当時、生の木色をしていた木肌は、風に晒され時間の経過とともに灰色に変わり、亀裂が走り、キツツキが巣をつくり、キノコが生えたという。そして設置から35年近くたった現在では、当初4本あった彫刻のうち3本が倒壊し、最後の1本が残っている状態である。
通常彫刻作品とは設置された時の状態が完成形で、そのあとは定期的にメンテナンスされるものであり、また美術館とは優れた芸術作品を文化遺産として後世に残していくことが重要な役割の一つである。しかし、時間とともに木が変化し朽ちていくことは当然のことで、「風雪という名の鑿(のみ)」が加わることも作品の一部とし、最後にはその木を自然に帰していくことを望んでいた彼の意志を受けて、美術館はメンテナンスを行わなかったという。
木との対話、またそれらと風との関係から優れた彫刻を生み出し、死後もその思想を伝播し続ける彼の作品からは、「自然と共生する」というより、「人間も自然の一部」という自然観を見て取ることができる。「私はよく自然の中を彷徨するけれども、自然を探求したり理解しようとはあまりしていない」というのは彼の言葉だが、そこから読み取れるのは、自然への対峙でもなく、恐れでもなく、崇拝でもなく、なにかよりもっと「自然」な自然との付き合い方のように思う。
見えないものを可視化して、そこに社会へのクリティカルな警鐘やメッセージを含意させるのは、アーティストの重要な役割の一つ
見えないものを可視化して、そこに社会へのクリティカルな警鐘やメッセージを含意させるのは、アーティストの重要な役割の一つである。アーティストによって、見ることのできない風という自然現象が様々な形で表象され、同時にそれらの作品からは地域や時代によって多様な自然観があることを見て取ることができる。環境問題が叫ばれてから久しく、その解決の未来はまだ見えていない。地球温暖化、海洋汚染、土壌汚染など実務的な課題も山積みだが、我々に求められているマインドセットは、未来を見据えたこれからの自然観を過去の歴史から学ぶことではないかと、これらのアーティストたちは提示してくれているように思う。