Contents Vol.1
スピードの名を世に知らしめた
レーザー・レーサー。
水泳界のレジェンドがその衝撃を振り返る。
GLINTを筆頭にFastskinシリーズの背景について掘り下げる取材企画。初回は松田丈志さんをゲストに招き、Fastskinシリーズの元祖ともいえるレーザー・レーサーについて訊いていく。松田さんといえば、2008年の北京を皮切りに、2012年のロンドン、2016年のリオと、3度のオリンピックでメダルを獲得。ロンドン大会では主将を務めるなど、2010年代前半の水泳界を代表する名選手だ。現在は選手を引退し、スポーツジャーナリストとして各方面で活動している。
さて、松田さんが北京オリンピックではじめて着用し、世界中で「タイムが違いすぎる」と騒がれた水着といえば、通称・高速水着ことレーザー・レーサー。超音波とシームテープを使って接着するため縫い目がなく、ポリウレタン素材のパネルで各所を締め付けることで水の抵抗を極限まで減らしたモデルだ。気になるのは、当時のテクノロジーが詰め込まれたこの水着が、選手にとってどれくらいのインパクトを持っていたのか、ということ。その時のことを松田さんに振り返ってもらう。
「2008年4月の選考会で北京オリンピックに出場することが決まり、5月の代表合宿ではじめてレーザー・レーサーを試すことに。ただ、代表チームには一着しか配られず、同じサイズをみんなで着まわしていました。それで、『うん、これは速いぞ』と。下半身がグンと浮き上がる感覚がケタ違い。これを着用せずに大会に出るのはハンデとしか思えなくなりましたね。飛び込んだあと姿勢がもちあがり、泳いでいる時の足のポジションが高くなる。さらに要所がパネルでおさえられて固定されることで、壁を蹴った時のストリームラインがきれいになりました」
松田さんが当時着用していたのは、Fastskin2という初期モデル。それまで、いくらコンディションが良く練習で良いタイムが出ていたとしても、実際の大会ではスピードの水着を着用した欧米の選手に勝てなかった。しかし、Fastskin2を手にとってからは、その結果が劇的に変わったという。
「最初は、オリンピックイヤーに入るとタイムが縮まる選手たちをみて、『外国の選手は気合の入り方が違うな〜』なんて思っていました(笑)。一方で、練習での自分の手応えからすると、負けることに納得がいかない。そのあとFastskin2を着て大会に出ると、ようやく自分の感覚と結果がリンクするようになり、国外の選手とも渡り合えるようになったんです。ただ、いまの最新水着のように着心地が良いものでは決してなかった。専用の手袋がないと着ることすらできないし、体にかかる圧は相当なものでしたね」
またこれは、高速水着を着用するだけでタイムが縮まるという単純な話でもなく、水着にあわせて泳ぎ自体をアレンジする必要があったという。
「これを着用した上での泳ぎを一から作り直す。より具体的にいうと、足を最後までとっておく、みたいな感覚です。今までの感覚からすると前半のタイムが速くなりすぎるので、序盤は少しおさえて、終盤に入ったら足をガッと使う。こういう革新的な道具が出てきた時に、まず使うか・使わないかの議論が発生しますが、そもそも水着の特性にアジャストできない人も多かった。レーザー・レーサーの場合は、足が水面上に出てしまい、空ぶってしまう人もいたみたいで。その点、僕は水着にあわせて泳ぎをうまく変えていけた方だと思います」
2008年の北京オリンピックでは同モデルを着用した選手たちが、続々と世界記録を樹立。レーザー・レーサーの名前は水泳界を超えて一般にまで浸透した。しかし2010年、水着にポリウレタンやラバーを使用することが禁止となり、レーザー・レーサーは転換期を迎える。水着はふたたび、布帛の時代に突入。それからスピードはValorというモデルを開発し、多くの選手が頼る定番モデルにまで成長する。
一方で、Valorはあくまで欧米選手を基準としたつくりで、アジア、とくに日本の選手にとって最適なフィッティングとは言いづらい。しばらくは、「選手サイドからValorに合わせにいく」という時期が続いた。2021年、いよいよジャパンフィットの開発プロジェクトが立ち上がる。それが「GLINT」だ。松田さんはジャパンフィットモデルのメリットを、このように語る。
「水着という道具が持つ影響力は、レーザー・レーサーの頃が一番大きかったはず。むしろ、当時は道具が行き過ぎていたかもしれません。今は、連盟が設けるルールの中で、個々の選手のフィーリングや細かい要望に応えることがより重要になりました。ちょっとした着心地の差によって結果が変わってくる。その点、GLINTは国内で生産しているので、選手からのフィードバックに素早く対応できるようになったことは、大きな利点だと思います」
そんなGLINTが開発・制作されているのは、スピードジャパンを擁するゴールドウインのテックラボだ。松田さんも今年はじめてこのラボを訪れたという。
「必要な分だけ届き、箱をあけたらそこには完成された水着が入っている。選手時代はそれが当たり前でした。水着と一緒に応援のお手紙をいただくこともあったので、作り手さんの顔を想像することはあったんですが、実際に見ると『あの状態になるまで、これだけ多くの細かい工程があるのか』と。今回、みなさんに直接御礼を伝えることができたことが嬉しかったです」
1984年、宮崎県生まれ。4歳で東海スイミングクラブに入会し水泳を始める。アテネ大会よりオリンピック4大会連続出場、4つのメダルを獲得。32歳で迎えたリオ大会では、日本競泳界で最年長出場・メダル獲得。2016年の国体を最後に競技活動を引退後、現在はスポーツの普及・発展のために活動中。