構想から実に3年弱、このたび株式会社ゴールドウインが展開するスイムウエアブランドSpeedoは車いす生活者のニーズに応えたウィーラーバッグとバックパックを発表しました。その過程では、ゴールドウインに所属するパラ競泳日本代表・鈴木孝幸選手も当事者として製作に携わりながら、さらに健常者にとっても使い勝手の良い機能を実現させています。つまりこれは、障がい者と健常者という、この国では少しばかり隔たりのある2つの世界をつなぐツール。その背景にどのような想いがあったのか、鈴木選手を含めた製作スタッフたちの声を聞いてみましょう。
やっぱり一人でも遠征にいけるバッグが欲しい。
鈴木選手いわく、それは車いす生活者の夢だと。
―まず今回、バッグのデザインを手がけられた知久さんにお話を伺いたいと思います。最初の構想はどこにあったのでしょうか?
知久(デザイナー) 僕は普段THE NORTH FACEでバッグのデザインをやっているんですが、Speedoさんから今回のお話をいただいたのが2017年。そこで僕も「人の役に立てるバッグなら作りたいです」と。次に鈴木選手とはじめてお会いしたのが2018年の9月ですね。そこからいくつかプロトタイプを作りながら、鈴木選手以外にも車いすラグビー選手やテニス選手とも打ち合わせを重ねていきました。
―今回はウィーラーバッグ(キャリーバッグ)・バックパックですが、そもそも車いす生活者の方が使える仕様のものがなかったんですね。
知久 そうなんです。それまでは一般用を付き添いの方に持ってもらうことが常だったんですが、やっぱり一人でも遠征にいけるバッグが欲しい。鈴木選手いわく、それは車いす生活者の夢だと。
山口(企画) 会社としてパラの代表チームのスポンサーをしている中でも、スイマーズバッグを使っているのが散見されていて。ただ、ショルダーストラップを車いすのハンドルに無理やりかけていたので、バッグ自体も傷みやすく、使い勝手もお世辞にも良いものではありませんでした。
鈴木 スイマーズリュックの容量が大きいのは良いことなんですけど、幅があるせいで後ろにかけるとタイヤにこすってしまう。あとは後ろに重心がいって倒れそうになるとか、難儀なところが多かったんです。
―最初にプロトタイプを見た時の印象を教えていただけますか?
鈴木 具体的な話なんですが、最初のバージョンは生地がけっこう柔らかくて、口を開くとペロンと落ちてしまって、閉めようと思っても手が届きませんでした。一方で、形は最初から完成されていましたね。
知久 通常は上部からアクセスするので、そこから大きくオープンして、身体から離れたところに落ちていく。その点で四角い形は合理的です。また生地に関しては、生産をスポーツラインから僕が普段使っているアウトドアラインに変更したことが大きく影響しました。そこからスムーズにサンプル作りが進行していきましたね。
―なるほど、そこで知久さんのバックグラウンドが生きたわけですね。鈴木選手からみて、車いす生活者にとっての道具は急速にアップグレードされているんですか?
鈴木 いや、過渡期だと思います。僕がそこまで障がい者用のものに詳しくないっていうのもあるんですけど……障がい者に特化したものってまだちょっとダサいんですよ(笑)。だから自分の場合も機能性とデザインを天秤にかけて、お洒落なものを無理して使っていたっていう。他のパラ水泳選手たちもわりとそういう思考のほうが強かった気がします。
知久 今回のバッグも、作るからには格好良いものをということで、ロゴもそこまで目立たせず、全体をオールブラックにしました。それと、一言に障がいといっても様々な種類があるので、そこは会社全体のCSR活動としてパラアスリートを支援している部署の坪井さんにもご協力いただきながら、冒頭に申し上げたように様々な声を取り入れるように意識しましたね。
坪井(CSR担当) 車いすを使用している選手でも、それぞれ抱えている障がいは違います。鈴木選手の場合は四肢欠損なので、体幹には比較的しっかり筋肉がついているんですが、例えば頸椎損傷の選手だったら握力がほとんどない選手もいます。そこでどういう不具合が出てくるのか。僕からはそういう情報も含めて都度フィードバックしていました。例えばジップのところについている輪っか状の持ち手。ここに指をひっかけるだけでポケットを開けられるんです。
知久 あくまで鈴木さんの意見を軸として捉えつつ、彼は他の選手のこともよくご存知なので、そのやりとりの中で最大公約数を目指しました。
この道具を通してみなさんに
障がい者の目線からみた世界を少しでも
“知ってもらうこと”が重要かなという気がしますね。
―このバッグを説明する際に、「障がい者専用」という言い方は適切なんでしょうか?
鈴木 うーん、正直そういう言い方はしたくないですね。例えばサイドについた車いす設置用のループは健常者は使わないわけで、つまり「車いすの人にも使いやすい」という見方もできる。さらにそのループは中にしまえるから、結果として「誰でも使ってもらえるバッグ」になっていると思います。
坪井 私も鈴木選手と仕事で関わるまで、障がい者との接点がほとんどない世界で生活していました。Speedoがスポーツブランドとしても掲げている「障がい者と健常者の共生社会」の実現にあたって、まずは現実を知っていただくことが重要。健常者の立場からすると、最初はドキドキして何か手伝ってあげなきゃとか思うんですけど、実は彼らはもっとしっかりしていて、できないことに対しては自分から声をあげる。知らないと身構えてしまうけれど、実際に接して理解できれば、心の垣根はなくなります。だから、この道具を通してみなさんに障がい者の目線からみた世界を少しでも“知ってもらうこと”が重要かなという気がしますね。
古市(生産) ちなみに、当初はキャスターが4方向に動く仕様じゃなかったですよね。1方向だと車いすに追従しないという問題があって。
鈴木 キャスターが4方向だと、バッグを後ろにつけていても車いすの機能性が落ちず、狭いところでもUターンできます。それと最初は、サイドについた設置用のループでちゃんと車いすとフィットするか懸念していたんですが、それもまったく問題なく。今まで例えば2泊3日の遠征時には後ろと前にリュックを抱えていたのが、今はこのセットで十分です。さらに……このバッグは本当に良いところだらけなんですけど(笑)、ファスナーもスムーズで。ショルダーストラップがタイヤに絡まってとれない、みたいなこともなくなって、僕の要望は全て叶えていただきました。水泳チームのみんなも早く欲しいと言っていますよ。
知久 僕たちもまだまだ気づかないことばっかりなので、鈴木さんがぼそっと冗談のように話すこと全てが改善のきっかけになります。今回もそのおかげで、広く、色んな人が使えるようなバッグになっていると思います。
本人はストイック。
だけど身近に感じられる存在
―パラリンピックがコロナ禍で1年延期になってしまいましたが、その影響に関して鈴木選手はどのように捉えていますか?
鈴木 選手としては今の状況を受け入れてトレーニングを積み重ねるだけなので、影響うんぬんはあんまり考えないようにしています。むしろ、リオ大会の後からウエイトトレーニングに重点的に取り組んでいて、より強化した状態で泳げるという意味では、今回の延期がチャンスとも捉えられますよね。
知久 鈴木選手はメンタルが強過ぎて、すべて何でもないことのように言っちゃう。アスリートとして「一番になってやる」っていう気持ちが強くて、僕もすごく尊敬しています。
山口 でもそうやってストイックな反面、僕らには気さくに話しかけてくださるし、商品に対しても率直に意見をくださるので、身近に感じていますね。
―もっとも近く接してこられた坪井さんからみると、鈴木選手はどのような人柄にみえますか?
坪井 彼とは7〜8年の付き合いですけど、最初はアスリートらしくとんがっていました(笑)。今は自分の言いたいことは言いながらも、まわりが見られるようになって。選手団のキャプテンも務めるようになり、本当に大した人間だなと思います。昔は気に入らない質問にはまったく答えないくらいで……。
鈴木 (笑)
―ちなみに、それはどんな質問だったんですか?
坪井 今でこそパラスポーツっていうものが確立していますけど、障がい者スポーツというとかわいそうなヒストリーがあるに違いないという思い込みで取材される方もいて。もちろん、いちアスリートとして取材を受ける分には大歓迎なんですけど、お涙頂戴な物語を探られるのは嫌がっていましたね。
鈴木 ただ今は、パラリンピックについても深く勉強してくださる方が多くて、スポーツとしての魅力を伝えよう、という意図が伝わってきます。だから、僕もそんなにとんがってはいないですよ(笑)。
―最後の質問です。先ほど共生社会という話が出ましたが、Speedoとしてはどのような青写真を描いていますか?
山口 ブランドとして大切にしているのは、老若男女、LGBTQも含めて全員がスポーツを楽しめる環境づくりにむけて、継続的にパラアスリートをサポートしていくこと。そしてそこで得られた声を集めて、高齢化社会の中で技術として反映させていくこと。いずれ私たちも車いすを使う生活が待っているかもしれないですし、その時なんかは今回のバッグで培ったスキルが応用できますよね。そうやって、自分たちの中では全てがつながっているものとして捉えています。
鈴木孝幸 | Takayuki Suzuki
1987年1月23日生まれ。6歳から水泳を習い始め、15歳から本格的に障がい者の水泳大会に出場するようになる。アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロなど多くのパラリンピックでメダルを獲得。