ATHLETE EVERYONE CLIMBERS SKIERS & SNOWBOARDERS RUNNERS MOUNTAIN GUIDES PHOTOGRAPHER ADVENTURE RACER 山岳ガイド 天野 和明 Kazuaki Amano 1977年2月生まれ 山梨県の山間部で生まれた天野和明は、家から近い乾徳山に家族で登ったのが最初の登山だった。高校時代はホームセンターで買った雨具と安全靴でひとりで北岳に登り、明治大学に進学してからは、憧れの植村直己を輩出した名門山岳部に入部。その4年間で徹底的に鍛えられたことが、後々の登山の基盤になったという。大学を卒業した春に明大山岳部OB隊でガッシャーブルムII峰とI峰を立て続けに登り、以後、29歳までに8,000m峰6座を手中に収める。最初のサミットプッシュ前に一晩だけ睡眠用に酸素を使用したほかは、すべて無酸素登頂だった。その後はスケールの大きな岩壁でのアルパインスタイル登攀に傾倒し、カランカ北壁初登攀では登山界のアカデミー賞といわれるピオレドールを受賞。24時間連続行動した末にテントを張ることもできず、雪壁をカットして腰掛けただけのオープンビバークを強いられるなど、過酷できわどい登攀が続いたという。山では強い人でも弱い人でも、その厳しさは誰に対しても等しく平等。なので、山に登るなら、自分で鍛えて自分を守ること。そうした考え方を大学山岳部で学んだという。現在は国際山岳ガイドとして多くの人に登山の魅力を伝えている天野だが、その考え方の根本は、今のどんな登山にも共通すると言う。ガイドとして、あるいは登山学校の活動を通して登山の真理を伝えつつ、再び海外の大きな山に挑む日に向けて備えを進めている。 2001年 ガッシャーブルムII峰(8,035m)南西稜から登頂 2001年 ガッシャーブルムI峰(8,068m)北壁から無酸素登頂 2002年 ローツェ(8,516m)西壁から無酸素登頂 2003年 アンナプルナI峰(8,516m)南壁から無酸素登頂 2006年 チョ・オユー(8,201m)西北西稜から無酸素登頂 2006年 シシャパンマ(8,027m)北壁を無酸素アルパインスタイルで登頂 2008年 カランカ(6,931m)北壁アルパインスタイル初登攀 2009年 スパンティーク(7,027m)北西壁アルパインスタイル第3登 2010年 デナリ(6,190m) 南西壁デナリダイヤモンドフリー初登攀(ルートは第6登) 2010年 ハンター北壁ムーンフラワーバットレス(M6)往復48時間のラウンドトリップ 2010年 Mt.チャーチ北壁、無名峰西壁に新ルートを開拓 第17回ピオレドール受賞 石井スポーツ登山学校校長 IFMGA認定国際山岳ガイド EXPLORE ATHLETE 長岡 健一 Kenichi Nagaoka 上田 幸雄 Yukio Ueda 林 信之 Nobuyuki Hayashi 渡辺 佐智 Sachi Watanabe OTHER MOUNTAIN GUIDES
1977年2月生まれ
山梨県の山間部で生まれた天野和明は、家から近い乾徳山に家族で登ったのが最初の登山だった。高校時代はホームセンターで買った雨具と安全靴でひとりで北岳に登り、明治大学に進学してからは、憧れの植村直己を輩出した名門山岳部に入部。その4年間で徹底的に鍛えられたことが、後々の登山の基盤になったという。大学を卒業した春に明大山岳部OB隊でガッシャーブルムII峰とI峰を立て続けに登り、以後、29歳までに8,000m峰6座を手中に収める。最初のサミットプッシュ前に一晩だけ睡眠用に酸素を使用したほかは、すべて無酸素登頂だった。その後はスケールの大きな岩壁でのアルパインスタイル登攀に傾倒し、カランカ北壁初登攀では登山界のアカデミー賞といわれるピオレドールを受賞。24時間連続行動した末にテントを張ることもできず、雪壁をカットして腰掛けただけのオープンビバークを強いられるなど、過酷できわどい登攀が続いたという。山では強い人でも弱い人でも、その厳しさは誰に対しても等しく平等。なので、山に登るなら、自分で鍛えて自分を守ること。そうした考え方を大学山岳部で学んだという。現在は国際山岳ガイドとして多くの人に登山の魅力を伝えている天野だが、その考え方の根本は、今のどんな登山にも共通すると言う。ガイドとして、あるいは登山学校の活動を通して登山の真理を伝えつつ、再び海外の大きな山に挑む日に向けて備えを進めている。