両親がクライマーのもとに生まれ、幼いころから山やクライミングジムが日常だった。兄が本格的にクライミングを始めたのをきっかけに自身も打ち込むようになった中嶋は、2009年、15歳のとき単身イギリスへ。約1カ月、キャンプ生活を送りながらのクライミング遠征はフリーソロがメインという過激なもので、このときの記録はイギリスでも衝撃をもって伝えられた。
その後、「15歳の自分を越えられているのか」と自問しながら登り続けてきたが、19年になって納得のいくクライミングを達成した。立山、称名滝のフリーソロだ。少しでもミスをすれば“あの世行き”というクライミングに、決行前の1カ月ほどはずっと緊張状態が続き、精神的な疲労は相当なものだったが、見事に体と心を整えて完登。改めてメンタルコントロールの難しさを痛感した。
近年は二度にわってフィンランドを訪れ、世界最難のボルダー課題Burden of Dreams(V17)の完登にあと一歩のところまできているが、彼の興味はボルダリングにとどまることがなく、ビッグウォールやヒマラヤなどにも向いている。近い将来、Burden of Dreamsを登り終えた後は、まったく違うスタイルのクライミングでとんでもない成果を出すだろう。
1993年9月生まれ
両親がクライマーのもとに生まれ、幼いころから山やクライミングジムが日常だった。兄が本格的にクライミングを始めたのをきっかけに自身も打ち込むようになった中嶋は、2009年、15歳のとき単身イギリスへ。約1カ月、キャンプ生活を送りながらのクライミング遠征はフリーソロがメインという過激なもので、このときの記録はイギリスでも衝撃をもって伝えられた。
その後、「15歳の自分を越えられているのか」と自問しながら登り続けてきたが、19年になって納得のいくクライミングを達成した。立山、称名滝のフリーソロだ。少しでもミスをすれば“あの世行き”というクライミングに、決行前の1カ月ほどはずっと緊張状態が続き、精神的な疲労は相当なものだったが、見事に体と心を整えて完登。改めてメンタルコントロールの難しさを痛感した。
近年は二度にわってフィンランドを訪れ、世界最難のボルダー課題Burden of Dreams(V17)の完登にあと一歩のところまできているが、彼の興味はボルダリングにとどまることがなく、ビッグウォールやヒマラヤなどにも向いている。近い将来、Burden of Dreamsを登り終えた後は、まったく違うスタイルのクライミングでとんでもない成果を出すだろう。