15年に渡り第一線で活躍した佐々木は、東日本大震災でのボランティア活動での出会いをきっかけに、アルペンレースというスキーのカテゴリーに縛られず、スキーヤーとして次のステージをイメージした。ソチオリンピック後、競技から離れ、ビッグマウンテンスキーへの本格的な挑戦をスタート。自らの資金、プロデュースで映像作品『Akira’s Project』を製作するなど、独自の活動は幅広いジャンルのスキーヤーや子供たちへ強い刺激を与えている。また、東北大震災復興支援団体“NPO Skiers Help Foundation”の設立、全日本スキー連盟アルペン国内強化ヘッドコーチなど活動の場は多岐に渡る。
1981年生まれ。
中学1年のとき、生まれ育った北海道の小さな町の書店で出会った1枚の写真。それは70年代にスケートボードの一大ムーブメントを巻き起こしたカリフォルニアの映画『DOGTOWN & Z-BOYS』のカバー。佐々木は、既成概念にとらわれないスケートボードのワンショットに強く惹かれ、自身のスキーに取り込もうと考え始めた。
アルペンレーサーとして頭角を現し、19歳で世界選手権とワールドカップデビュー、21歳でソルトレイクオリンピック、その後、トリノ、バンクーバー、ソチと4大会連続オリンピック出場。ワールドカップでは3度の2位表彰台(アジア人最高位最多)という輝かしい記録を残している佐々木。
幼少期からレース一筋でストイックに練習を繰り返す選手が多いアルペン界において、現役時代もハーフパイプで飛んだり、パウダーも楽しむフリースタイルな要素を持ち合わせる佐々木は異色な存在だ。その根底には、カウンターカルチャーへの憧れと、ジャンルを固定しない少年時代の自由なスキー環境が影響している。世界で勝つためにはこうあらねばならない、というスキー界の古典的な秩序に静かに反発し、結果を出すことで自分のスタイルを貫く。特に65番スタートからトップ争いに食い込んだ2002年ウェンゲンWCでの表彰台は、世界でも大きな話題となり、欧州にファンクラブが結成されたほどだ。
15年に渡り第一線で活躍した佐々木は、東日本大震災でのボランティア活動での出会いをきっかけに、アルペンレースというスキーのカテゴリーに縛られず、スキーヤーとして次のステージをイメージした。ソチオリンピック後、競技から離れ、ビッグマウンテンスキーへの本格的な挑戦をスタート。自らの資金、プロデュースで映像作品『Akira’s Project』を製作するなど、独自の活動は幅広いジャンルのスキーヤーや子供たちへ強い刺激を与えている。また、東北大震災復興支援団体“NPO Skiers Help Foundation”の設立、全日本スキー連盟アルペン国内強化ヘッドコーチなど活動の場は多岐に渡る。
全ての佐々木の活動は、一貫してスキーと人への愛で溢れている。スキーを通して「人間力の向上」を養い、実践する真の“スキー人”の発信は今後も見逃せない。
ソルトレイクオリンピック SL出場
ワールドカップ SL Schladming 8位
ワールドカップ SL 志賀高原 6位
ワールドカップ SL Kranjska Gora 4位
ワールドカップ SL Sestriere 5位
トリノオリンピック GS、SL出場
ワールドカップ SL 志賀高原 2位
ワールドカップ SL 志賀高原 6位
ワールドカップ SL Alta Badia 7位
モンゴル・アルタイ山脈遠征