ATHLETE EVERYONE CLIMBERS SKIERS & SNOWBOARDERS RUNNERS MOUNTAIN GUIDES PHOTOGRAPHER ADVENTURE RACER プロスノーボーダー 佐々木 陽子 Yoko Sasaki 1973年 奈良県出身 北海道在住 スノーボードを始めたのは高校三年生の冬。初日から夢中になって滑り、高校卒業の夏には雪を求めてニュージーランドに向かったほど。日本に冬が来ると長野県のスキー場でアルバイトを始め、そこで出会ったプロスノーボーダーたちとフリーライディングを重ねたことで自然と技術は向上した。 やがてそのライディングセンスを見抜いたメーカーからサポートを持ちかけられる。何かしてもらったらお返ししたい、という性格から、リザルトを残すためにハーフパイプのコンテストに出場し、優勝。以来、ハーフパイプの選手としてコンペティションに参加するようになる。 その後はプロ資格を得て、国内のコンテストに出場。1999年の全日本スキー選手権大会スノーボード競技で優勝したことからナショナルチームに入ることとなり、ハーフパイプ代表として2002年のソルトレイクオリンピックに出場。8位という成績を残すこととなる。 並行して、ワールドカップではスノーボードクロスにも出場。当時はコースも過激すぎず、フリーライディングの上手い人達が自然と勝ち上がっていくムードだった。そうした気負わない空気感に、スノーボード本来の面白さを感じていたと言う。 子供の頃は器械体操を習っていた。そこで学んだのは、競技は結果を求めてもがくものではなく、自分ができることを出し尽くす場である、という考え方だ。その姿勢は、スノーボードにそのまま当てはまった。オリンピックはシンプルに、自分ができることを積み重ねてきた先にあったのだ。 だからこそ大舞台を終えて、コンペティションから退くことに逡巡はなかった。向かい合ってきたのはずっと、自分のちからを出し尽くすことであり、目の前には世界でもまれに見る極上の雪がある。こうして現在は、スノーボードを始めた頃に夢中になったフリーライディングが活動の中心となっている。 また2012年からはプロダクトマネージャーとしてスノーボードブランドを運営。自身がスノーボードで得てきた経験を活かすだけでなく、ブランドを支えてくれるライダーたちの意見をていねいに聞きながら、日本の女性がちからを出し、心の底から楽しむことができる板の開発にも注力している。 主な戦績 2000年 W杯 真駒内 ハーフパイプ 優勝 2000年 W杯 カナダ BLACKCOMB ハーフパイプ 7位 2000年 W杯 真駒内 スノーボードクロス 5位 2000年 W杯 オーストリア KAPRUN スノーボードクロス 4位 2000年 W杯 スイス SHHONRIED スノーボードクロス 7位 2001年 W杯 カナダ MT,STEANNE ハーフパイプ 3位 2001年 W杯 イタリア KRONPLAYZ ハーフパイプ 8位 2001年 W杯 ドイツ BERCHTESGADEN ハーフパイプ 8位 2002年 W杯 カナダ WHISTLER ハーフパイプ 優勝 2002年 W杯 カナダ WHISTLER スノーボードクロス 4位 2002年 ソルトレイクオリンピック ハーフパイプ 8位 2004年 W杯 上越国際 スノーボードクロス 10位 EXPLORE ATHLETE 三浦 雄一郎 Yuichiro Miura 三浦 豪太 Gota Miura 高久 智基 Tomoki Takaku 佐々木 明 Akira Sasaki OTHER SKIERS & SNOWBOARDERS
1973年 奈良県出身
北海道在住
スノーボードを始めたのは高校三年生の冬。初日から夢中になって滑り、高校卒業の夏には雪を求めてニュージーランドに向かったほど。日本に冬が来ると長野県のスキー場でアルバイトを始め、そこで出会ったプロスノーボーダーたちとフリーライディングを重ねたことで自然と技術は向上した。
やがてそのライディングセンスを見抜いたメーカーからサポートを持ちかけられる。何かしてもらったらお返ししたい、という性格から、リザルトを残すためにハーフパイプのコンテストに出場し、優勝。以来、ハーフパイプの選手としてコンペティションに参加するようになる。
その後はプロ資格を得て、国内のコンテストに出場。1999年の全日本スキー選手権大会スノーボード競技で優勝したことからナショナルチームに入ることとなり、ハーフパイプ代表として2002年のソルトレイクオリンピックに出場。8位という成績を残すこととなる。
並行して、ワールドカップではスノーボードクロスにも出場。当時はコースも過激すぎず、フリーライディングの上手い人達が自然と勝ち上がっていくムードだった。そうした気負わない空気感に、スノーボード本来の面白さを感じていたと言う。
子供の頃は器械体操を習っていた。そこで学んだのは、競技は結果を求めてもがくものではなく、自分ができることを出し尽くす場である、という考え方だ。その姿勢は、スノーボードにそのまま当てはまった。オリンピックはシンプルに、自分ができることを積み重ねてきた先にあったのだ。
だからこそ大舞台を終えて、コンペティションから退くことに逡巡はなかった。向かい合ってきたのはずっと、自分のちからを出し尽くすことであり、目の前には世界でもまれに見る極上の雪がある。こうして現在は、スノーボードを始めた頃に夢中になったフリーライディングが活動の中心となっている。
また2012年からはプロダクトマネージャーとしてスノーボードブランドを運営。自身がスノーボードで得てきた経験を活かすだけでなく、ブランドを支えてくれるライダーたちの意見をていねいに聞きながら、日本の女性がちからを出し、心の底から楽しむことができる板の開発にも注力している。