ATHLETE EVERYONE CLIMBERS SKIERS & SNOWBOARDERS RUNNERS MOUNTAIN GUIDES PHOTOGRAPHER ADVENTURE RACER マウンテニア ジミー・チン Jimmy Chin ワイオミング州ジャクソンホール、ニューヨーク州ニューヨーク 冒険家、アルピニスト、写真家、監督、と肩書きの多い彼に最も当てはまるのはストーリーテラーだろう。高リスクの環境で、クライミングやスキーをしながら非日常的な景色を切り取る才能で名を知られた彼は、遠征のカメラマンからオスカー受賞のフィルムメイカーと変化を遂げた。2018年には「FreeSolo」と題したアレックス・オノルドの1000mの花崗岩エル・キャピタンをロープなしで登る彼のドキュメンタリー映像を妻のエリザベスと製作。ニューヨークタイムズや、ニューヨーカといった誌面で高評価を受け、アカデミー賞を受賞、クライミングが一般庶民に知れ渡るきっかけを作った。 しかしながら、Free Solo以前に「メルー」という7年の歳月を費やしコンラッド・アンカー、レナン・オズタークとの、北インドにある6309メートルの山メルー、シャークズフィンへの挑戦を記録したドキュメンタリーがある。その作品は2015年のサンダンスフィルム映画祭で観客賞に選ばれ、アカデミー賞のベストドキュメンタリーのショートリストにも入っていた。その間に撮影した写真はナショナルジオグラフィックの表紙を飾り、ニューヨークタイムズにも登場し、この世で一番大きなクライアントとの撮影のディレクションも行った。 しかし、彼は自身のクライミングやスキーを記録するために写真を撮り始めただけだった。彼の技術は他に類を見ない。なおかつプロのスキーヤーにもなれるくらいのスキーの腕前だ。彼はクライミングとスキーで7大陸を制覇しており、中国、パキスタン、ネパール、インド、南極大陸、タンザニア、チャド、マリ、南アフリカ、ボルネオ、アルゼンチンへ遠征の経験がある。2006年にはエベレストの山頂からスキー滑降する最初のアメリカチームのメンバーでもあった。 彼はミネソタで地元の大学の司書だった中国系移民の家族に産まれた。3歳ですでにクラシックバイオリンを弾き、武道を習い、マンダリンと英語を喋っていた。7歳までには水泳やテコンドーの大会で優勝もしていた。家族旅行で訪れたグレイシャー国立公園で、彼は本物の山と、自然を目の前にして人生が変わった。大学卒業後は愛車スバルに住み込み、アメリカ西部の山を登り着くした。パキスタンへの遠征のためにトレーニングしていたヨセミテで友達のカメラで撮ったエル・キャピタンの写真が、アウトドアブランドの目にとまり彼の運命が決まった。コンラッド ・アンカーによるメンタリングの元、シネマトグラファーとしての突破口となったナショナルジオグラフィックとのプロジェクトをチャンタン高原で撮影。これを機にエド・べスターズとデイビット・ブリーシヤーズとともにエベレスト登頂の映像作品を製作。その後エドはアメリカ人初となる8000m級の全ての山を登るプロジェクトの最後の2つの撮影に誘った。そしてすぐ彼は世界に名を知らしめる冒険写真家、映像監督となったのだ。 現在は、NYとワイオミングを行き来しながら妻と2人の子供と暮らしている。 実績 アメリカ人初滑走 エベレスト 南ピラー 初登頂/初滑降 タイヤン峠 中国 初登頂 タヒルタワー カラコラム パキスタン 初登頂 ファティタワー カラコラム パキスタン 初補助なし横断 チャンタン チべット 初単独スキー滑降 グランドテトン国立公園 ワイオミング州 初登頂 ウルベタナ アンカーチンルート 南極大陸 初登 シャークズフィン メルー インド Meru 2015 観客賞 サンダンスフィルムフェスティバル Free Solo 2018 クリティークチョイス ベストスポーツドキュメンタリー賞 Free Solo 2018 ドキュメンタリー部門 観客賞 トロント国際映画祭 Free Solo 第91回アカデミー賞 ベストドキュメンタリーノミネート Free Solo 2019英アカデミー賞 ベストドキュメンタリー受賞 EXPLORE ATHLETE 石川 直樹 Naoki Ishikawa ジミー・チン Jimmy Chin OTHER PHOTOGRAPHER
ワイオミング州ジャクソンホール、ニューヨーク州ニューヨーク
冒険家、アルピニスト、写真家、監督、と肩書きの多い彼に最も当てはまるのはストーリーテラーだろう。高リスクの環境で、クライミングやスキーをしながら非日常的な景色を切り取る才能で名を知られた彼は、遠征のカメラマンからオスカー受賞のフィルムメイカーと変化を遂げた。2018年には「FreeSolo」と題したアレックス・オノルドの1000mの花崗岩エル・キャピタンをロープなしで登る彼のドキュメンタリー映像を妻のエリザベスと製作。ニューヨークタイムズや、ニューヨーカといった誌面で高評価を受け、アカデミー賞を受賞、クライミングが一般庶民に知れ渡るきっかけを作った。
しかしながら、Free Solo以前に「メルー」という7年の歳月を費やしコンラッド・アンカー、レナン・オズタークとの、北インドにある6309メートルの山メルー、シャークズフィンへの挑戦を記録したドキュメンタリーがある。その作品は2015年のサンダンスフィルム映画祭で観客賞に選ばれ、アカデミー賞のベストドキュメンタリーのショートリストにも入っていた。その間に撮影した写真はナショナルジオグラフィックの表紙を飾り、ニューヨークタイムズにも登場し、この世で一番大きなクライアントとの撮影のディレクションも行った。
しかし、彼は自身のクライミングやスキーを記録するために写真を撮り始めただけだった。彼の技術は他に類を見ない。なおかつプロのスキーヤーにもなれるくらいのスキーの腕前だ。彼はクライミングとスキーで7大陸を制覇しており、中国、パキスタン、ネパール、インド、南極大陸、タンザニア、チャド、マリ、南アフリカ、ボルネオ、アルゼンチンへ遠征の経験がある。2006年にはエベレストの山頂からスキー滑降する最初のアメリカチームのメンバーでもあった。
彼はミネソタで地元の大学の司書だった中国系移民の家族に産まれた。3歳ですでにクラシックバイオリンを弾き、武道を習い、マンダリンと英語を喋っていた。7歳までには水泳やテコンドーの大会で優勝もしていた。家族旅行で訪れたグレイシャー国立公園で、彼は本物の山と、自然を目の前にして人生が変わった。大学卒業後は愛車スバルに住み込み、アメリカ西部の山を登り着くした。パキスタンへの遠征のためにトレーニングしていたヨセミテで友達のカメラで撮ったエル・キャピタンの写真が、アウトドアブランドの目にとまり彼の運命が決まった。コンラッド ・アンカーによるメンタリングの元、シネマトグラファーとしての突破口となったナショナルジオグラフィックとのプロジェクトをチャンタン高原で撮影。これを機にエド・べスターズとデイビット・ブリーシヤーズとともにエベレスト登頂の映像作品を製作。その後エドはアメリカ人初となる8000m級の全ての山を登るプロジェクトの最後の2つの撮影に誘った。そしてすぐ彼は世界に名を知らしめる冒険写真家、映像監督となったのだ。
現在は、NYとワイオミングを行き来しながら妻と2人の子供と暮らしている。