グローバルな北米フリーライドコミュニティで自らの居場所を得た数少ない日本人プロスノーボーダーのひとりで、その筆頭。それが美谷島慎である。長野市で生まれ育ち、スノーボードと出会ったのは小学生のとき。滑ることにすっかり魅入られた少年は、いつしか将来の夢を「サッカー選手」から「プロスノーボーダー」に変えていた。中学時代は専門誌をむさぼり読み、擦り切れるまでスノーボードビデオを観るなかで、海外への志向を高めていく。高校1年の夏休みには、アルバイトで貯めた資金でさっそくニュージーランドに渡り、以後、22年連続で夏のNZに通う。最初の転機は、2010年にNZのフリーライド大会、The World Heli Challengeに招待され、そこで準優勝を含む3年連続入賞を果たしたこと。冬の北米に進出したのもその頃からで、Mt.ベーカー、タホ、ジャクソンと経て、アラスカへはコロナの年を除いて毎年通っている。その過程で、美谷島らしいアグレッシブでフリースタイルなライン取りがトラビス・ライスの目に留まり、2016年にトラビスの代表作『The Fourth Phase』、2018年には美谷島自身にフォーカスしたドキュメンタリー『IKIGAI』と、相次いで海外映像作品に出演。北米中のコアなライダーが集結する雪山とスノーボードコミュニティに自ら飛び込んだ成果だった。そこで得た生涯の友人にトラビス・ライスとマイク・バシッチという二人のスノーボードレジェンドがいて、プロスノーボーダーとして彼らから得たものは大きいという。現在も海外クルーと行動することの多い美谷島は、スノーモビルで雪山奥地に分け入り、未踏の急斜面を滑って映像に残す活動を続けている。年々、進化を遂げるスノーモビルの性能に伴って開拓ゾーンは広がる一方で、自らの限界をプッシュできる急峻な斜面のリサーチ&ライドにまだまだ終わりは見えない。美谷島が海外を目指す理由はまさにその一点にあり、それこそが少年の日に彼が夢見たプロスノーボーダーの姿そのものだった。
1982年 長野県在住
グローバルな北米フリーライドコミュニティで自らの居場所を得た数少ない日本人プロスノーボーダーのひとりで、その筆頭。それが美谷島慎である。長野市で生まれ育ち、スノーボードと出会ったのは小学生のとき。滑ることにすっかり魅入られた少年は、いつしか将来の夢を「サッカー選手」から「プロスノーボーダー」に変えていた。中学時代は専門誌をむさぼり読み、擦り切れるまでスノーボードビデオを観るなかで、海外への志向を高めていく。高校1年の夏休みには、アルバイトで貯めた資金でさっそくニュージーランドに渡り、以後、22年連続で夏のNZに通う。最初の転機は、2010年にNZのフリーライド大会、The World Heli Challengeに招待され、そこで準優勝を含む3年連続入賞を果たしたこと。冬の北米に進出したのもその頃からで、Mt.ベーカー、タホ、ジャクソンと経て、アラスカへはコロナの年を除いて毎年通っている。その過程で、美谷島らしいアグレッシブでフリースタイルなライン取りがトラビス・ライスの目に留まり、2016年にトラビスの代表作『The Fourth Phase』、2018年には美谷島自身にフォーカスしたドキュメンタリー『IKIGAI』と、相次いで海外映像作品に出演。北米中のコアなライダーが集結する雪山とスノーボードコミュニティに自ら飛び込んだ成果だった。そこで得た生涯の友人にトラビス・ライスとマイク・バシッチという二人のスノーボードレジェンドがいて、プロスノーボーダーとして彼らから得たものは大きいという。現在も海外クルーと行動することの多い美谷島は、スノーモビルで雪山奥地に分け入り、未踏の急斜面を滑って映像に残す活動を続けている。年々、進化を遂げるスノーモビルの性能に伴って開拓ゾーンは広がる一方で、自らの限界をプッシュできる急峻な斜面のリサーチ&ライドにまだまだ終わりは見えない。美谷島が海外を目指す理由はまさにその一点にあり、それこそが少年の日に彼が夢見たプロスノーボーダーの姿そのものだった。