3歳で竹スキーを履き、屋根から滑り下りることが人生初の冒険となる。学校そっちのけで父(100歳までスキーを楽しんだレジェンド・プロスキーヤー三浦敬三)とともに八甲田山や八幡平などの冬山へ出かけ、めきめきとスキーの腕を上げる。スキーを続けるために津軽海峡を渡って北海道大学獣医学部へ進学。アメリカのプロスキーレースで活躍後、イタリアのキロメーターランセに日本人として初出場、時速172㎞の世界記録を樹立する。1966年、34歳のとき富士山直滑降を成し遂げる。1985年、人類ではじめて世界七大陸最高峰からのスキー滑走を達成。1970年、エヴェレスト・サウスコル標高8,000mから世界最高点スキー滑降を達成し時の人となる。そのときの記録映画 「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」は、アカデミー賞を受賞。70歳7ヶ月で次男豪太とエヴェレストに登頂し、世界最高年齢登頂記録、および日本人初親子同時登頂記録を樹立。100歳の父と1歳の孫とロッキー山脈を滑降する。2007年75歳で2度目、2012年80歳で3度目のエヴェレストに登頂。2020年、頸椎硬膜外血腫を患い要介護4までの認定をうけるものの、その後リハビリを重ね、90歳になる23年には冬の大雪山滑降と夏の富士登山を目指す。
1932年青森市生まれ。
3歳で竹スキーを履き、屋根から滑り下りることが人生初の冒険となる。学校そっちのけで父(100歳までスキーを楽しんだレジェンド・プロスキーヤー三浦敬三)とともに八甲田山や八幡平などの冬山へ出かけ、めきめきとスキーの腕を上げる。スキーを続けるために津軽海峡を渡って北海道大学獣医学部へ進学。アメリカのプロスキーレースで活躍後、イタリアのキロメーターランセに日本人として初出場、時速172㎞の世界記録を樹立する。1966年、34歳のとき富士山直滑降を成し遂げる。1985年、人類ではじめて世界七大陸最高峰からのスキー滑走を達成。1970年、エヴェレスト・サウスコル標高8,000mから世界最高点スキー滑降を達成し時の人となる。そのときの記録映画 「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」は、アカデミー賞を受賞。70歳7ヶ月で次男豪太とエヴェレストに登頂し、世界最高年齢登頂記録、および日本人初親子同時登頂記録を樹立。100歳の父と1歳の孫とロッキー山脈を滑降する。2007年75歳で2度目、2012年80歳で3度目のエヴェレストに登頂。2020年、頸椎硬膜外血腫を患い要介護4までの認定をうけるものの、その後リハビリを重ね、90歳になる23年には冬の大雪山滑降と夏の富士登山を目指す。