中学時代に陸上競技を始め、高校・大学と長距離種目に身を投じる。箱根駅伝出場を夢見て早稲田大学に進学するも、怪我によって無念のリタイアとなる。大学卒業後は競技から離れ、群馬の県職員として働く日々。県職員時代に地元の新聞で偶然トレイルランニング大会の写真を見て、翌年同大会の出場を決意。1年後に参加したその大会で優勝を手にしたことでトレイルランニングの虜となる。その後、群馬県庁で働きながらアマチュア選手として活躍し、2007年に「UTMB」初出場。その大会の優勝者であるマルコ・オルモ選手との出会いが競技観を変えるきっかけとなる。翌年再び出場した「UTMB」でトップ5に入ったことで、プロへの転向を決意する。40歳の時だった。トレーニングに励む日々を過ごし、2009年「UTMB」で世界3位、「The Western States 100 Endurance Run」で準優勝と世界トップレベルの選手として活躍する。2019年には50歳で再び「UTMB」に挑む『NEVERプロジェクト』を始動。これまでの葛藤やレースに挑む姿を収めた映像は、多くの人の心を奮い立たせた。現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなど国内でのトレイルランニングの普及に力を注いでいる。自らがプロデュースしたトレイルレース「神流マウンテン&ウォーク」は2012年に過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣賞を受賞。アジア初の本格的100mileトレイルレースであり、UTMBの世界初の姉妹レースである「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI」の大会会長を務める。第一人者としてトレイルランニング界を牽引してきた鏑木は、決して諦めない姿勢を伝えるために、これからも挑戦し続ける。
2002年
富士山登山競走 優勝 北丹沢12時間耐久レース 優勝
2005年
日本山岳耐久レース 優勝
2006年
スカイランナーズワールドシリーズ第4戦 御嶽スカイレース 6位
2007年
THE NORTH FACEエンデュランスランOSJハコネ50K 優勝
2008年
OSJ ONTAKE100 優勝 UTMB 4位 日本山岳耐久レース 2位 The North Face エンデュランス・チャレンジ・チャンピオンシップ・サンフランシスコ 3位(アメリカ)
1968年群馬県生まれ。
中学時代に陸上競技を始め、高校・大学と長距離種目に身を投じる。箱根駅伝出場を夢見て早稲田大学に進学するも、怪我によって無念のリタイアとなる。大学卒業後は競技から離れ、群馬の県職員として働く日々。県職員時代に地元の新聞で偶然トレイルランニング大会の写真を見て、翌年同大会の出場を決意。1年後に参加したその大会で優勝を手にしたことでトレイルランニングの虜となる。その後、群馬県庁で働きながらアマチュア選手として活躍し、2007年に「UTMB」初出場。その大会の優勝者であるマルコ・オルモ選手との出会いが競技観を変えるきっかけとなる。翌年再び出場した「UTMB」でトップ5に入ったことで、プロへの転向を決意する。40歳の時だった。トレーニングに励む日々を過ごし、2009年「UTMB」で世界3位、「The Western States 100 Endurance Run」で準優勝と世界トップレベルの選手として活躍する。2019年には50歳で再び「UTMB」に挑む『NEVERプロジェクト』を始動。これまでの葛藤やレースに挑む姿を収めた映像は、多くの人の心を奮い立たせた。現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなど国内でのトレイルランニングの普及に力を注いでいる。自らがプロデュースしたトレイルレース「神流マウンテン&ウォーク」は2012年に過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣賞を受賞。アジア初の本格的100mileトレイルレースであり、UTMBの世界初の姉妹レースである「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI」の大会会長を務める。第一人者としてトレイルランニング界を牽引してきた鏑木は、決して諦めない姿勢を伝えるために、これからも挑戦し続ける。
北丹沢12時間耐久レース 優勝
UTMB 4位
日本山岳耐久レース 2位
The North Face エンデュランス・チャレンジ・チャンピオンシップ・サンフランシスコ 3位(アメリカ)
UTMB 3位
OSJ ONTAKE100 優勝
白馬国際トレイルラン50km 優勝
Kobo Trail 優勝