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「未知を体験することがすごく好き」
デナリ カシン・リッジを初めてソロ登攀した女性クライマーの視野

2021年6月、シャンテル・アストルガは女性アルピニストとして初めてデナリのカシン・リッジにおけるソロ登攀を達成した。 冬の間はアイダホ州の雪崩予報士として忙しく過ごす彼女に、この夏の偉業をきっかけに、山岳の魅力的な側面や山に挑むメンタリティを訊いた。 北米最高峰を独りで踏破したクライマーの素顔に迫る。

カッシン・リッジへのソロ登攀は、スキーを担いでのものとなった。<br /> Photo: Zach Novak
カッシン・リッジへのソロ登攀は、スキーを担いでのものとなった。
Photo: Zach Novak

一番古いアウトドアの思い出は何ですか?

記憶にある古い思い出は、家族でキャンプや釣りに出かけたことですね。家族で多くの時間をアウトドアで過ごしました。

山を登るようになったきっかけは何ですか?

子どもの頃にスノーボードを始め、10代後半にはバックカントリースキーに傾倒しました。スキーで山を駆け回ることが多かったのですが、その後、スキーを使って登山を楽しむようになりました。そして、スキーでもっと大きなことをしたいのなら、クライミングの技術を学ぶ必要があると考え、ロッククライミングを始めたんです。

実は、アイスクライミングは本を読みながら始めました。ワサッチ山脈にある地元の氷壁で、ソロ登攀の技術を磨いたんです。クライマーたちの知り合いがいなかったので、ソロでひたすら繰り返しやっていました。

父が見せてくれたアラスカ山脈の本では、特にデナリが大きく取り上げられていて、いつか登りたいと思ったことを覚えています。いつも頭の片隅にあったんですね。スキーが、そこに至る道を開いてくれたと言えます。

初めてデナリに行ったのは?

19歳のとき。ウエスト・バットレスを登って、デナリからスキーで滑り降りました。ウェストバットレスは最もポピュラールートなので、まっすぐ降ることができるんです。

登頂の際、シアトルランプからスキーで降りたと聞きました。アルパインクライミングでスキーを用いるのはいつものことですか?

地元の山では、登った後に頂上からスキーで滑り降りることは多いのですが、ヒマラヤやアラスカ山脈といった大きな山で、そのようなスタイルはやったことがありませんでした。しかし今回のアラスカ山脈ではとてもうまくいきました。とはいえ、カシン・リッジよりもはるかに難しいルートでは、スキーを担いで登ること自体が困難でしょうし、必ずしもこのスタイルにこだわる必要はないと考えています。

登山とスキーを組み合わせたスタイルに、
このルートは完璧に思えた

どの時点でスキーを用いることを戦略に組み込んだのですか? 2016年にもカシン・リッジに挑戦していますね?

そのときも同じ作戦を立てていたんです。私はクライマーと同じくらいにスキーヤーですから。そして、カシン・リッジをソロで登るのに一番恐れていたのは、アプローチでした。氷河を単独で移動するのはかなり危険です。スキーを履くと体重が分散されるので、クレバスに滑落する危険性を下げることができます。山頂からスキーで戻れるならば、登山はさらに冒険的なものになりますよね。これまでに培ってきた技術を1つの登山に集結できると考えたのです。

もともとはシアトルランプをスキーで降りるつもりはありませんでした。当初は、ウエストリブを降る予定を立てていたんです。その下にあるカシン・リッジのベースまでに大きなクレバスのある氷河を約1マイルほど移動することに不安はありましたが、それでも私の中ではそれが最も安全な選択肢でした。ただ、もし誰かがシアトルランプにトレースを残しているなら、スキーでシアトルランプを降りようと考えてもいました。氷瀑がかなり複雑な構造をしているため、自分一人でルートを見つけてスキーで降りるという考えはありませんでした。

そういうことで、スキートレイルが無い可能性も含め、あらゆる状況を想定して出発したのです。しかしデナリのウエスト・バットレスは、大勢のクライマーで賑わっていました。新雪のシアトルランプにトレースができていたのです。それも一夜の降雪で埋まることが多いので、運が良かったと言えるかもしれません。

Photo: Chantel Astorga
Photo: Chantel Astorga

スキーを登山戦略に加えることは自分のスタイル的にも重要なことだったのでは?

私はいつも登山とスキーを組み合わせたいと思っていますが、このスタイルで行くのに、このルートは完璧なものに思えました。日本ではどうかわかりませんが、ヨーロッパでは誰もがスキーヤーでありクライマーです。アメリカの特徴的なところは、クライマーの多くがスキーヤーではないことです。彼らはスキーを追求しないし、スキーで移動こそできても、技術的にはより険しいフェースを滑ることはできないのです。

19歳のときからデナリに来ていますが、景観や周辺地域の変化に気づくことはありますか?

見た目の風景としては、特に大きな変化は感じません。氷河の後退こそ明らかですが、飛行機で標高7000フィートの氷河に着陸しても、そこには目立った変化はありません。ここ数年の変化といえば、6月に標高7,000フィートのベースキャンプで雨が降るようになったことでしょうか。これは本当に珍しいことだと思います。いつもは雪が降っているのですが、6月15日に飛行機で出発するためにベースキャンプに入ったときは、雨が降っていました。

アルパインクライミングが敷居の高いスポーツである理由は何だと思いますか?

ひとつは、お金がかかること。人によっては手が届かないこともあるでしょう。2つ目は、非常に高い技術を備えねばならないことだと思います。ロッククライミングが得意でも、雪山の知識を持ち、そうした地形で快適に過ごせる人でなければなりません。だからこそやりがいがあるとも言えますが、しかし、誰もがそこまでの苦しみを必要としているわけではありません。

Photo:Jason Thompson
Photo:Jason Thompson

印象深いのは女性パートナーとの登攀。
それもたまたまのこと

アルパインクライミングにおいて、女性だけでチームを組むのと、男女混成チームを組むのとで、体力的な違いや、それに伴うロジスティックな違いはありますか?

私はヨセミテに長く滞在していましたが、印象深いアルパインクライミングは、やはり女性パートナーと共に登ったときのものです。その根底には、運良く出会ったパートナーとの間で、気持ちが通じ合い、一緒に楽しく登れたことがあると思います。また、他の人たちに対してだけでなく、自分自身に対しても己の能力を証明することができたのです。

20歳の頃に、もし男性と一緒にこのようなビッグクライミングをしていたら、それは彼のおかげだろうと考えていたと思います。一緒に登ってくれる女性クライマーがいることは、まさに幸運でした。今は、本当に強く一緒にいて楽しいパートナーに恵まれていますが、それがたまたま女性だったというだけのことです。私とパートナーの間では、すべての行動が同じように行われます。私たちは常にほぼ同じ量の荷物を持ちます。それは男性同士の登山と同じことです。

パキスタン遠征のワンカット。長年のパートナーであるアン・ギルバート・チェイスと共に。<br /> Photo:Jason Thompson
パキスタン遠征のワンカット。長年のパートナーであるアン・ギルバート・チェイスと共に。
Photo:Jason Thompson

女性クライマーが登攀をするうえで、男性に対して身体的に有利な点や不利な点を感じることはありますか?

それはないと思います。女性が男性に対して不利だなと考えられるのは、トイレが問題になることくらいでしょうか。あとは、月経周期に対応することですね。私はビッグクライミングにおけるこの種の話を女性の友人にしかしたことがありませんが、それはやはり男性にわざわざ話すのは気が引けるからです。でも、それは私たちの生活の一部。回避する方法はありませんから、取り立てて気にする必要はないと思います。

あなたのアルパインクライミングにおけるインスピレーションの源となるようなルートや人はいますか?

特定の人のルートやスタイルを参考にしているわけではありません。ただ、山へのアプローチの仕方などでインスピレーションを受けた人はいます。最も影響を受けたのは、ポーランド人のヴォイチェフ・クルティカとギリギリボーイズの2者ですね。10~15年ほど前にアラスカ山脈で活躍していたギリギリボーイズには、本当に驚かされました。まだ私が大きなルートを登る前だったので、「この人たちはかっこいいな」と思ったんです。彼らのスタイルや山へのアプローチは、とても刺激的でした。

Photo:Jason Thompson
Photo:Jason Thompson

今までで一番大変だったトレーニングは何ですか?

アルパインクライミングには全身全霊で取り組んできましたし、今年のソロクライミングはその最たるものになりました。ハードさで言うと2012-13年に取り組んだマウンテンバイクレースのトレーニングですね。100マイルのレースだったのですが、何かのために準備をして、良い結果を出すために努力したのは、その時が初めてでした。

デナリに再び登ることはないでしょう

同じ場所に戻ってくるその理由は何ですか? 例えば、あなたは19歳の時にデナリに行き、そして今年も戻ってきた。

いい質問ですね。私は新しい場所を見に行き、自分にとっての未知を体験することがすごく好きなのです。それは今も変わりませんが、私は特に6000m級の山が好きなようです。標高を求める気持ちが無いわけではありませんが、こちらに圧倒的な無力さを突きつけるようなものには惹かれません。それに、6000mや7000m級の山頂でも、かなりハードな登山です。私がこれまでに行った登山は、ほとんどが6000~7000m級です。アラスカはクライミングをするには行きやすく、それでいて山脈は人里離れた場所にあり、そこには毎年会うのが楽しみなコミュニティがある。

そこではデナリが最高峰です。私が登った3つのルートは、ずっと登りたいと願っていたものです。しかし、その3つのルートを登った今、デナリに再び登ることはないでしょう。

Photo: Zach Novak
Photo: Zach Novak

記録を作るために登山をするのですか?

いいえ。以前ヨセミテにいた時はそうでしたが今は違います。ヨセミテにはスピードクライミングを競う文化があったので……特にエル・キャピタンでは。2008〜2010年当時、女子のスピードクライミングは歴史こそあれ、表立って競われてはいませんでした。そこで、友人のリビー・サウターと私は、これらのスピード記録を塗り替えようと考えたのです。

その時に、登りはできるだけ効率よく登ることを目指しました。登っている時間が短くなることはつまり、危険にさらされる時間も短くなり、それはより安全というころです。必ずしも速くするために急ぐのではなく、より効率よく登ることが目的でした。

カシン・リッジでは特定の目標タイムを設定しませんでした。ただ、ビバークのための道具を持ちたくなかったので、なるべく軽量な装備で臨みたい。そうなると、1日以内には山を降りたいとは考えていました。標高5500mで一晩を過ごすのは、私にはかなり難しいことなので、これが時間的な目安になりました。私はなぜか、これまで速さと効率を結びつけて考えていませんでしたが、この質問に応えることでその関係性を理解しました。

ザ・ノース・フェイスというブランド名は、北半球の冬の登山において北壁が最もハードなルートであることにちなんでいますが、あなたにとっての北壁はどこにありますか?

デナリでは、一番難しいのは南壁と南西壁です。なので(北壁が一番難しいというのは)必ずしも当てはまりません。デナリの北壁はより人里離れているがゆえに特別な場所かもしれませんが、技術的に難しいということはなく、地形としてはより穏やかです。

カナディアンロッキーには登りたい北壁があるんです。でも、自分の目標を明かすのは好きじゃないので、まだ秘密にさせてください。来年の秋にはネパールに行く予定で、そちらにも大きな目標があるのですが……そうですね、北壁はかなりの寒さとの戦いになるでしょう。

氷河期の影響で、北壁の方が急勾配になっていると何かで読みました。それが本当かどうかはわかりません。なぜかというと、デナリでは南側や南西側の方がよりテクニカルだからです。それよりも、どんな山であっても、心を奪われる側面があることの方が重要です。どのラインに引き込まれるか。それがどの方角に向いているかということはあまり重要ではありません。

シャンテル・アストルガ
CHANTEL ASTORGA

アルピニスト、スキーヤー。ユタ州ソルトレークシティ出身、アイダホ州在住。ヨセミテのビッグウォールでのスピード登攀記録を打ち立て、2018年にはアラスカ・デナリの最難関ルート「スロバク・ダイレクト」をアン・ギルバート・チェイスと共に女性チームとして初登攀を果たす。2021年、デナリの「カシン・リッジ」ソロ登攀を女性として初めて達成(14時間39分)。冬の間はアイダホ州の高速道路の雪崩予報士として山岳地帯の交通を警備している。Instagram

シャンテル・アストルガ / CHANTEL ASTORGA
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