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阿蘇から世界へ、そして阿蘇へ。トレイルランナー森本幸司の第二章
2019年に続いて「World Mountain & Trail Running Championships 2023」に日本代表として出場するなど、活躍の場を広げているトレイルランナーの森本幸司。プライベートでは昨年、長く勤め続けた公務員の職を辞し、生まれ故郷である阿蘇のフィールドの魅力を発信するアウトドアアクティビティの企画や運営に携わっている。40歳を超えてライフスタイルの大転換を果たした森本は、トレイルランニングにどう向き合っているのか。そしてトレイルを通じて再認識した、故郷への思いとは?
アスリートとしては2019年に続く「World Mountain & Trail Running Championships 2023」への出場。プライベートでは、20年近く続けてきた職を辞して新業種で再出発と、昨年から大きなチャレンジが続いています。こうした大きな変化を経て、現在はどんな毎日を送っているのか、そしてそうした毎日から心境の変化があったのかをお聞かせください。
そうですね、昨年8月に地域プロモーションやスポーツイベントの企画運営などを行う地元の企業に転職しました。その一環で、ランニングアクティビティで阿蘇を盛り上げようという「阿蘇フィールズランニング実行委員会」の一員として活動しています。というとものすごい阿蘇好きと思われるかもしれませんが、実は陸上競技に没頭していた当時は、郷土愛はそれほどありませんでした。地元とはいえ、阿蘇のこともよく知りませんでしたし。「阿蘇っていいな、すごい場所だな」と思うようになったのは、トレイルランナーとして各地のフィールドを走るようになってから。この土地の特別さ、素晴らしさを理解できるようになったことで、いつか自分なりの形で地元へ貢献できるようなアクションを行いたいと、漠然と考えるようになりました。
こうした転身には、40代に入って競技生活でいきづまりを感じるようになったことも関係していると思います。僕自身の性質は、大きな変化を好むほうではなく、どちらかというと守りに入りがち。そんな自分を変えたい気持ちもありました。それで、思い切って走ることを仕事にしてみよう、競技にどっぷり浸ってみようと、環境を大きく変える決断を下しました。
こうした環境の変化が競技面でいい影響を生んでくれれば……なんて期待していましたが、トレイルワークやリサーチなどで山に入る時間は増えたものの、自分のトレーニングに費やせる時間は激減しているのが現状。「阿蘇フィールズランニング実行委員会」の活動とアスリートとしての活動のバランスをとる難しさを実感しているところです。
そんな大きな変化の最中に迎えたのが、オーストリアのインスブルックで行われた「World Mountain & Trail Running Championships 2023」。森本さんは12名の日本代表選手の一人として、距離45.2km・累積標高3,132mのトレイルショートを走られました。今年の初めにアキレス腱を痛め、満足に練習できないなかでのレースは、さぞ苦しかったとお察しします。
ゴールはできたものの、結果は124位と振るいませんでした。ケガで思ったようなトレーニングができないばかりか、「阿蘇フィールズランニング実行委員会」として取り組む一大イベント、「阿蘇ボルケーノトレイル」の開催がレースの直前に予定されていたこともあり、トレーニング以外にもやることが山積み。気持ち的にも自分の走りに集中させてもらえない、そんな状況が続いていました。アスリートとして葛藤を感じましたね。
もちろん、収穫もありました。初めて世界選手権に参加した2019年とは状況が変わり、いまは自分も大会運営に携わっています。コースマネジメントや段取り、地元の協力など、参考になるところが多かった。アスリート目線の話ではないですが(笑)。
こうした結果を踏まえ、アスリートとして次の目標はどんなことでしょうか?
まだ世界選手権が終わったばかりということもあり、ここで一旦、自分の気持ちや状況を整理したいと考えています。昨年から「阿蘇ボルケーノ」と世界選手権だけを見つめて突っ走ってきましたから。ただ、アスリートとしての目標は昔から変わっていなくて、ただ楽しく走り続けたいだけなんです。「楽しい」というのは「自分で納得ができる」という意味ですが。自分自身を納得させるレースをするために、どう向き合っていくのがいいのか。自分の内面や取り巻く状況を整理することで、目指すべきステージが見えてくる。それを次の目標と掲げ、突き進んでいきたいと思います。
具体的なイメージを描ければ、レースの結果はついてくる
経験のあるアスリートとして、納得のいくゴールを実現するために必要なことはなんだと思いますか?
もともと得意なミドルについては、経験を重ねることで判断力や適応力が高まっていると感じます。一方ロングは、まだ具体的なイメージをつかめていないというところでしょうか。
というのも、「この大会はこう走ろう」と具体的にイメージして、それに向けてきちんとトレーニングするとだいたいその通りの結果になるんですよ。たとえば世界選手権の選考レースもそうでした。レースにおける具体的なイメージってとても重要で、イメージすることでその過程にある足りない要素がクリアになります。そこをトレーニングでつぶしていけば、それなりの結果は出るはずなんです。ロングに関しては、「あそこであれを食べて、あそこでレストして、ここでちょっと寝て、このくらいの時間帯でゴールする」というような、具体的なレース運びをイメージすることができれば、ぐっと進化を遂げられると感じています。
自分のなかで、なにか未知数のファクターがあるんでしょう。いつもなにか足りなくて跳ね返されているロングですが、そろそろ足りない要素がクリアになってきている……と信じています。もちろん、具体的な課題が見えてきたところで、すべてを競技に捧げて世界一を目指すという生活を送ることは、なかなか難しい。トレーニング、仕事、家庭、大切にしているものはいろいろありますが、なにかに突っ込んでいけばなにかが犠牲になるわけですから。とにかくいまは、頭と気持ち、体をクリアにして次のステップに備えていきたいですね。
阿蘇のフィールドを120%楽しめる、「阿蘇ボルケーノトレイル」
話は変わって、先ほどから話が出ている「阿蘇ボルケーノトレイル」について教えてください。これまではランナーとしていろいろなレースを走られてきました。運営側にまわってこの大会を開催する意義や、阿蘇市出身のアスリートとしてここに込めた思いについてお聞かせください。
大会の話をする前に、まずは阿蘇の特殊な地形や成り立ちについてお話ししましょう。東西に18km、南北に25kmという世界最大規模のカルデラの中にある、およそ5万人が暮らす街、それが阿蘇です。このカルデラには豊かな湧水群と1000年前から続く大草原があり、こうした環境により阿蘇特有の生態系が守られてきました。なかでも特徴的なのが「牧野(ぼくや)」と呼ばれる草原です。この草原は天然のものではなく、野焼き、放牧、採草を行うことで長く守り継がれてきました。牧野があるからこそ阿蘇の風景があると言っても過言ではないのですが、一方で伝統的な農業や酪農業を営む生産者が減っていることで、この面積が年々縮小しているという課題に直面しています。一説によれば、50年後にはこの草原は森に還ってしまうそうです。
このすばらしい阿蘇の環境を次の世代に残すため、ランナーが一役買うことはできないものか。「ランニングアクティビティを通じて草原維持のお手伝いをしよう」というコンセプトのもと、阿蘇地域の観光事業者が集まって誕生したのが、「阿蘇フィールズランニング実行委員会」。そして、実行委員会の活動の中核を成す大会が「阿蘇ボルケーノトレイル」なんです。
牧野を管理する地元団体にご協力をいただき、大会期間中、特別に草原を通行する許可をいただきました。ですから、大会に参加するランナーは阿蘇のパノラマを間近にしながら、普段は立ち入ることのできない大草原を駆け抜けることができます。開催にあたっては廃道になってしまった草原のなかの古道や生活道を大会コースとして整備し直すとともに、ランナーが実際にトレイルワークに参加できるエントリー枠も設けました。また、エントリーフィーの一部は野焼き事業などに活用されます。トレイルランニングを通じて阿蘇の魅力を感じてもらい、牧野の存在を知ってもらう、そんな趣向を凝らした大会です。
僕自身にとっても、阿蘇の自然や文化、歴史を勉強しながら、地元の方たちとのコネクションを広げていく毎日はチャレンジの連続。やりがいを感じています。
アスリートと運営側と、2つの視点をもって気づけたこと
「阿蘇ボルケーノトレイル」は阿蘇市、高森町、南阿蘇村にまたがるエリアに総距離110km、累積標高約5,000mのコースが設けられ、日本全国から400人のランナーが集まったと聞いています。開催しての手応えはいかがだったでしょう?
5月13、14日に実施したのですが、当日はあいにくのお天気。みんなに見てもらいたかった眺望にも恵まれず、完走者はわずか100人足らずというハードなコンディションになってしまいました。運営側からしても理想的なコンディションではありませんでしたが、だからこそ見えてきた課題があります。予想以上のリタイアが出て選手の回収にまつわる問題が生じ、相当数のエイド食が余ってしまうという不測の事態にも見舞われ、自分たちのマネジメント力を問われました。そんななかでも大きな事故も怪我もなく無事に終われたことは、次への布石になったと思っています。
僕たち運営サイドの目標は、多くのトレイルランナーや地元のみなさんが、毎年、楽しみにしてくれるような大会に成長させること。いずれは、「阿蘇に『阿蘇ボルケーノ』あり」と言ってもらえるような、土地に根付いたイベントにしていきたいと思っています。そのためには、地元の声や参加者からのフィードバックを取り入れ、次に生かすことが大切ですね。
アスリート目線と運営視点、異なる2つの立場でレースに関わるようになり、レースへの思いや向き合い方が変わったということはあるのでしょうか?
運営視点で大会を考えると、まずは安全第一。海外の大会でも、「こういうところで安全を担保しているんだ」とか、「ランナーの安全を守る必携品のマネジメントはこうやっているんだ」とか、大会の裏側をチェックするようになりました。海外のレースでは当日の天候によって必携品のリスティングが変わるのですが、リストを一律に管理するのでなく臨機応変に対応していこうよ、という姿勢は参考になりますね。
アスリートとしては、参加する大会ごとに関係者への深い感謝の気持ちを抱くようになりました。こんなトレイルを整備してくれたんだ、こんなところにコースを引いてマーキングしたんだ、地元の人たちはこんな場所でのレース開催を受け入れてくれたんだ……。運営の大変さを理解したからでしょうか、レースのあらゆるシーンで「ありがとう」の気持ちが湧いてきます(笑)。
運営する側と参加する側、双方の視点で考えてみて感じたのは、「いいレース」って、そこに携わる誰もがハッピーでいられる場所だということです。トップアスリートがたくさんエントリーして、ハイレベルな戦いが繰り広げられる……なんてことは、僕にとってはどうでもいい。地元の人たちが開催に協力してくれ、各地からやってくるランナーを快く受け入れてくれる。自分も含めてたくさんのランナーが笑顔で走り切れて、それを陰で支えるボランティアも関係者も、みんなが充実した時間を過ごせる。そんなレースが「いい大会」だと思います。
阿蘇ではトレイルランニングはまだまだマイナーなアクティビティということもあり、当初、地元の人には「なんでわざわざ草原を走るの?」と、不審がられたものでした。この大会を通じて地元のランナーを見かけるようになったり、山に入る人が増えてきたりと、少しずつ理解を得られ始めているように感じます。今後は地域の子どもたちに向け、野山で遊ぶ機会を提供していきたいとも思っています。阿蘇というフィールドで、関わる誰もが幸せになれる大会を開催し続け、自然を愛するランナーを増やし、この環境を守ることに貢献する。それがいまの自分のやりがいなのだと思います。
もりもと・こうじ
森本幸司
1980年生まれ、熊本県出身。学生時代は陸上部に所属し長距離選手として活躍。高校2年生のときに国体山岳競技に初出場、翌年の国体で優勝を果たす。高校卒業後はマラソンや駅伝など陸上競技に専念、2014年福岡国際マラソンでは自己ベストとなる2時間23分41秒を叩き出す。8年連続で熊本県代表として出場していた九州一周駅伝の終了を機に、トレイルランニングに参戦。2015年「STY」準優勝、同年「霧島・えびの高原エクストリームトレイル」優勝、「IZU TRAIL JOURNEY」準優勝など、ミドルと呼ばれるクラスで目覚ましい活躍を果たす。2019年には「千羽海崖トレイルランニング」の優勝で「World Mountain & Trail Running Championships 2019」へ日本代表として出場するなど、活躍の舞台を世界に広げつつある。2023年6月、オーストリアで開催された「World Mountain & Trail Running Championships 2023」では日本代表としてトレイルショートに出場した。2022年8月より、阿蘇周辺のアウトドアアクティビティの企画・運営に携わるLocal Gainに所属している。TNF ATHLETE PAGE
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Text : Ryoko Kuraishi