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日本のロングトレイルを牽引する信越トレイルの未来

日本のロングトレイルの先駆け的存在である信越トレイルは、2008年に80km全線開通した。THE NORTH FACEを展開する株式会社ゴールドウインは全線開通以前より信越トレイル整備サポートをおこなっており、開通後もNPO法人信越トレイルクラブの法人会員として様々な形で関わり続けてきた。2021年には天水山(あまみずやま)から苗場山までの約40kmのルートをくわえ、約110kmに延伸。2023年には「全国トレイルメンテナンスシンポジウム」を開催し、アメリカを代表するロングトレイルであるアパラチアン・トレイルと友好トレイルの協定を結んだ。文字通り日本のロングトレイルを牽引する存在に成長した信越トレイルを現場で支える佐藤有希さんに、今後の課題などについて伺った。同時にアパラチアン・トレイル・コンサーバンシー(以下、ATC)のセイラ・アダムスさんへのメールインタビューも実施。信越トレイルのいまとこれから。2人の目にはどう映っているのだろう。

歩くだけじゃない、ロングトレイルとの向き合いかた

美しい新緑のブナの森を信越トレイルクラブの佐藤有希さんと歩く。ときおり「ST」という信越トレイルのロゴマークが記された道標が目に入る。季節はちょうど雪解け直後。いよいよ信越トレイルがシーズンインを迎えるタイミングだ。

信越トレイルは長野県と新潟県境の里山を巡る全長110kmのロングトレイル。「爪で引っ掻いた木こり道のようなトレイル」という言葉を残したのは信越トレイルの生みの親である故・加藤則芳氏だ。

佐藤さんは嬉しそうにトレイル上に落ちている枝を取り払いながら歩く。
「今年もいよいよ始まります」

佐藤さんは、アメリカ東部を縦断する約3500kmのアパラチアン・トレイル(以下、AT)のスルーハイカーでもある。そんな佐藤さんにとって初めてのロングトレイルがいま歩いている信越トレイルだ。仮想ATのつもりでスルーハイクしてみたが、その面白さと素晴らしさでたちまち虜になった。だから大好きなトレイルのために何かできないかという思いで、ATから帰国してから間をおかずに信越トレイルクラブの扉を叩いた。

信越トレイルクラブのトレイル整備活動は、毎年5月頃から始まる。まずは事務局と整備リーダーがシーズン前に整備活動全体のおおよその方向性を決める。雪解け後、登録ガイドと一緒にセクションごとに歩いてルート点検をおこなってから、一般参加者を募った集中整備イベントを開催。トレイルオープンに向け皆で道を整えていく。シーズンに入ってからは週2日かそれ以上。3人の整備リーダーがセクションごとに担当し、1シーズンに全トレイルを2周りくらいするという。

定期的な整備にはスタッフ以外にもホームページでの募集に応募してくれたボランティアも参加。だいたい1回に7人くらいを常に募集している。作業内容としては、草払い、トレイル上に落ちた枝の除去、道標の建て直し、ステップを切る、ぬかるみに玉切り*をした木を埋め込むなど。基本的には現地にあるもので整備し、重機は使わない。雪や大雨の影響で著しく傷んだり、急斜面等で安全な通行が難しくなった箇所はリルートも行う。

*樹木を用途に応じて切断して丸太にすること

「整備には毎回たくさんのボランティアが集まってくれます。お父さんに連れられてボランティアに来た小学生の子がすごく楽しんでくれたり、家族連れで来てくれる人がいたり。地元のトレイルランのチームが自主的に整備イベントを開いてくれたこともあります。基本的に皆さん楽しそうにやってくれているので、それがなにより嬉しいしありがたいですね」

ボランティアで来てくれる人は、なにも信越トレイルのファンとは限らないというのも興味深い。

「整備してみたいけど、どこでできるか分からないから調べてみたら信越トレイルがでてきたから来てみた、という方もいらっしゃいましたね」

トレイル整備がメディアに掲載されることも増え、ポジティブなアクションとして認知されはじめているのだ。

「とくに大雪山の山守隊のみなさんの活躍が大きいです。一般の人がトレイル整備に参加するという考えすらなかったところに、参加型の整備が登場したことで、一気に広まった感じがあります。トレイル整備をしたい、という層が生まれてきていて、その人たちは若い世代が圧倒的に多いというのも良い兆候だと思っています」

大盛況で終えた「全国トレイルメンテナンスシンポジウム」

そんな流れもある中で、2023年11月に、信越トレイルクラブの主催で開催された「全国トレイルメンテナンスシンポジウム」は、満員御礼。なんと160人を超える参加者が集まった。プレスリリースにくわえ、SNS広告も出す予定だったそうだが、それを出す前に定員に達したというから、いかにトレイル整備に興味が集まっているのかがわかる。

1日目は、アパラチアン・トレイル・コンサーバンシー(ATC)のセイラ・アダムスさんも登壇。
セイラさんは現在ATCで南部エリアの地域マネージャーを務めていて、そのエリアの3つのボランティア・トレイル・クラブとともに、さまざまなトレイル・プロジェクトを牽引している。信越トレイルをスルーハイクした経験もあり、学生時代にはATと信越トレイルを比較検討した論文も発表。両トレイルをよく知る人物だ。

セイラさんはこのシンポジウムで「100 年続くトレイルが未来にもたらすもの」というテーマの基調講演をおこなった。
「まず、ATの100年の歴史に触れました。日本では多くのロングトレイルがまだ発展途上です。だからこそATが100年間という歴史の中で、どれだけ変化したかを知ることが重要だと考えました。それを知ってもらうことで、今後数十年にわたって考えるべき分野も洗い出せます。そしてATの歴史の中でもっと早い時期に時間をかけておけばよかったと思う分野、たとえば開通当初の訪問者の利用状況やトレイル体験の記録などについても語ることで、日本のトレイルにとっても有益な指針が得られるのではないかと思いました」

ほかにも大雪山・山守隊の岡崎哲三さん、三俣山荘の伊藤圭さんらが登壇。2日目はフィールドに出て、トレイル整備のワークショップをおこなうという充実の内容だった。

「関係者ばかりではなく、ただ単純に興味があって来ましたという人が20%ほどいたのもうれしい驚きでした」

なにごとも多様性がないと続かないですから、と佐藤さんは続けると「シンポジウム参加者の声も具体的な提案をしてくれているものが多いんです」と、うれしそうに参加者アンケートの一部を見せてくれる。

「自分たちで歩く道は自分たちで整備するのが当たり前に感じるように、教育の分野で子供たちに体験してもらえる機会が持てたらいいと思う」

「民間が介入する機会をもっとたくさん作り、多くのハイカーに関心を持ってもらい、整備に参加することが一般化していくことが必要だと感じました」

「官民連携の整備に取り組んでいて各地でも動きがでているのは希望がもてるが、仕組み作りがしっかりできていないと持続可能ではないので、各地の取り組み、課題などをもっと共有する必要があると感じた。また、動きがでていると言っても登山道の荒廃のスピードに追いつかない。全登山者の意識(インパクトの少ない歩き方、保全の意識)を変えることも同時にやっていく必要がある」

「山の生物や植物の生態を守れる施工をおこなえる技術者の育成と、技術者が登山道整備を生業にできる(憧れられるかっこいい職業にする)財源が確保できるような、利用料徴収等の仕組み整備が必要」

などなど。どれも熱量のある良いコメントだ。
他人事から自分事へ。トレイルに対する意識が変わり始めているのが感じられる。

このシンポジウム開催に先だって、佐藤さんは2023年に2週間AT南部(ジョージア州~バージニア州)に赴いている。ATCの全面バックアップのもと、実際にトレイル整備に参加し、保全活動の聞き取り調査もした。組織運営の確認、ビジターセンターの視察などをおこない、日本との違いを痛感したという。

「大きな違いはドネーション(寄付)。やはり寄付金などがないと信越トレイルクラブのような存在は継続できません。ATは登山口にものすごく巨大な募金箱があったりします。日本だとそういうのってあまり積極的ではないですよね。そういった意識を変えていきたいというのもあって、協力金制度をもっと強化する必要があると思っています」

現在、信越トレイルクラブでは整備協力金を募っていて、募金することで信越トレイルオリジナルのタグがもらえる。ファンを増やすという試みでもある。いっぽうでATCのドネーションは50ドルからと比較的高額スタートだ。信越トレイルの協力金は1,000円から。客観的に見て、すごく控えめなのだ。信越トレイルにお金を、というよりは自然で遊ぶことに対価を払いたいという気持ちを育てることが、まずは必要なのかもしれない。

ATCとの友好トレイル協定がもたらすもの

このシンポジウムではATCと信越トレイルクラブの友好トレイル協定も結ばれた。

佐藤さんが信越トレイルクラブに入った当時からやりたかったことだという。

「加藤則芳さんが歩いて、信越トレイルのお手本にもしているATと、なんらかの協力関係を築ければいいなとはずっと思っていました。これからATCの皆さんと息長く人的交流を深めていき、友好トレイルとしての関係を育てていきたいですね。ただ、信越トレイルとATでは距離がぜんぜん違うし、歴史も比較にならない。正直なところ、こちらが学ばせてもらうことばかりになるかもしれません。特にトレイル整備や運営の面などでは、ATCから勉強させてもらいたいことがたくさんあります」

ただ、そのいっぽうで信越トレイル側からフィードバックできることも探っていきたいと佐藤さんは考えている。

「国も規模も違うからこそ、共有できるもの。たとえば信越トレイルでの試みが、日本ではフィットしなかったけど、ATだったら活かせるというようなこともあるかもしれません。だから、そういうトライ&エラーも相互で共有していきたいですね」

ATCのセイラさんとしても人的交流も強めていきたいという考え方を持っているという。

「2023年5月の信越トレイルのAT訪問、2023年12月のみちのく潮風トレイルのAT訪問に続き、2024年7月にはカロライナ・マウンテン・クラブ、2024年10月にはとジョージア・アパラチアン・トレイル・クラブのメンバーが両トレイルを訪問する予定になっています。日本のトレイルについて多くを学ぶだけでなく、信越トレイルとみちのく潮風トレイルにトレイル整備の知識を共有する機会でもあります。ATCは現在、国際トレイル委員会の設立を進めていて、世界中から寄せられる国際的なトレイルの問い合わせに対するコンサルティング・グループとしての役割を果たすことも目指しているんです」

トレイルと里をどうやって繋ぐか、という課題

「ロング・ディスタンス・ハイキングは登山軸というよりも旅としてとらえたほうが良い」というのが佐藤さんの考え方だ。だから里にもっと人が下りてくるような仕組みを作る必要がある。

「街に下りてきてリサプライ(再補給)してまたトレイルに戻る。この過程がとても楽しいんです。自分がATを歩いた経験からもロング・ディスタンス・ハイキングの魅力として、里の要素は大きいと思っています」

ただしそれには、二次交通の問題がある。アメリカと違ってヒッチハイクの文化もない。街に下りるための手段が少ないのだ。ハイカーが見えないから、地元の人の意識もそこに向かない。ある種のジレンマがある。

「もっとハイカーが行き交って欲しいんです。信越トレイルの弱点としてはハイカーの姿が見えにくいことだと思っています。もっと街中にハイカーが流れるような仕組みが必要。そうすることで地元の人とハイカーの交流も生まれます。結果、わざわざ遠くからハイカーが来ることで地元がトレイルを誇りに思うきっかけにもなるはずです」

それが進めばATのようにトレイルエンジェルも自然発生するかもしれないし、たとえばハイカー用シャトルや、ハイカーのリサプライ向けの商店など新しい商売の可能性も生まれるかもしれない。

「海外のハイカーが来た時によく言ってくれるのが、スケール感についてです。自分が歩いているトレイルと人の生活が近いということが、逆に新鮮に映るようです。トレイルから水田を見下ろしたりできる。いたるところに暮らす人の息づかいがあるんです。言われてみると、たしかにそれはATもそうでしたが、特に広大なアメリカのロングトレイルなどでは、なかなか味わえない体験だなと思います」

ということは、なおさらトレイルと里を繋ぐ工夫が必要だ。佐藤さんの描く未来像はハイカーが当たり前にいる風景。飯山や秋山郷といったトレイルタウンに信越トレイルハイカーが居る。それが違和感なく当たり前の存在として受け入れられている状況。

「ハイカーと地元の人、山と里、日本と外国、世代の差、さまざまな人やカルチャーを繋ぐトレイルに育っていって欲しいと思っています」

同様にセイラさんはATのことを「人々のトレイル」と表現する。100年にわたりボランティアの手によって維持されてきたという作り手の視点と、ユニークな自然環境、歴史、地域コミュニティを持つさまざまな地域をつなぐという利用者の視点の両方からアプローチしてきたという意味だ。

さらに「地元のトレイル・クラブでのボランティア活動、日帰りハイキング、週末を利用したバックパッキング、そしてスルーハイキングなど、ATでの過ごし方は無数にあります。その多様性こそが、ATが生涯を通じて、また世代を超えて人々が探索する象徴的な場所となった理由だと思います」と続ける。

世界を代表するATですら、そこまで行くのに100年かかったのだ。信越トレイルが全線開通してからまだ16年。ただ、ATという素晴らしい先輩と手を携えることで、もっと早いスピードで進化していくこともできるはずだ。

「おぉ、お前信越トレイル歩いてるのか〜。ちょっとこっちでビールでも飲んでいけよ」

そんな光景が其処此処で見ることができる信越トレイルの未来に向かって、佐藤さんは着実に歩みを進め続ける。

さとう・ゆうき
佐藤有希

埼玉県出身。テレビで観たアパラチアン・トレイルのドキュメンタリーでロングトレイルに興味を持ち、2016年に信越トレイルをスルーハイク。2018年には憧れのアパラチアン・トレイルをスルーハイク。帰国後は、信越トレイルクラブの事務局スタッフとして活躍している。

さとう・ゆうき / 佐藤有希

Photo:HAO MODA
Text:TAKASHI SAKURAI

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