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自然体でロング・ディスタンス・ハイキングを楽しむ 河戸良佑

自然の中に身を置き、生活に必要な全てを背負って、数日から時には数ヶ月に渡って歩き続けるロング・ディスタンス・ハイキング。その楽しみを知るハイカーにとって、アメリカの3大トレイルであるパシフィック・クレスト・トレイル(通称PCT、4,260km)、コンティネンタル・ディバイド・トレイル(通称CDT、5,100km)、アパラチアン・トレイル(通称AT、3,500km)のすべてを踏破する“トリプルクラウン”は、いつか達成してみたい憧れの称号だ。 その“トリプルクラウン”を、気負うことなく自然体で成し遂げたのが“スケッチ”のトレイルネームを持つ河戸良佑さん。イラストレーターとして活躍しつつ、アメリカのハイキングカルチャーを色濃く反映したソックスブランド〈HIKER TRASH〉を運営している。この度、〈THE NORTH FACE〉ではロング・ディスタンス・ハイキングのカルチャーに敬意を表して、彼にTシャツのためのイラストを描いてもらった。その河戸さんにロング・ディスタンス・ハイキングを始めたきっかけから、その魅力までたっぷりと話を伺った。

ハイキングにはバックパッキングの醍醐味があった

河戸さんはそもそもはバックパッカーだった。沢木耕太郎の旅行記『深夜特急』や猿岩石のTV番組『ユーラシア横断ヒッチハイク』に触発されて、特別な旅がしたいとバックパックを背負った。その延長線上にロング・ディスタンス・ハイキングがあった。

「20代後半になって旅にも慣れてきて、バックパッキングをしてもトラブルが起きないんですよ。旅人が語る武勇伝みたいなものが羨ましいんだけど、回避できてしまう。そんな時にロング・ディスタンス・ハイキングを知って、いろいろ調べてみた。するとパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)のハイカーたちは、インドやネパールで出会った旅行者に近い雰囲気があって、こういう人たちが歩いているなら自分でもできるなって。楽しいことを追い求めてそこに行き着いた人たちに見えたから、海外旅行が得意だったらできるんじゃないかって、急いでPCTに行く準備を整えたんです」

河戸さんの中では、その前年にネパールでトレッキングを体験したことも大きかった。

「ネパールでもトレッキングをすると都市部のカトマンズと違う山岳民族との触れ合いがあったり、絶景がバーンと広がっていたりして、『ロンリープラネット』(バックパッキングのガイドブック)を見て旅しているだけではできない旅ができた。それがバックパッカーとしてもいい経験で、自分にとってのハイキングの始まりでした」

トレイルが終わる感じはしなかった

ただ、4,260kmに及ぶ長大なトレイルに意気込んで挑むというスタンスではなかったというのが河戸さんらしいところ。

「PCTを歩いてみようとスイッチが入って、自分は歩けるだろうという予感もありました。ただ、もし駄目だったらその資金を使って南米でも行けばいいかなという気持ちもありました」

それでも2015年、PCTを歩ききるとその2年後にはコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)、さらに2年後にアパラチアン・トレイル(AT)を歩いて、トリプルクラウンを成し遂げる。ロング・ディスタンス・ハイキングの何が河戸さんをそんなにも惹きつけたのだろうか。

「数々の人から質問されて、自分でも答えるのが難しい質問ではあるんです。でも、歩いてすごく楽しかったというのがベースにありつつ、PCTを歩き終わってもトレイルが終わる感じが全くしなくて、そのまま歩き続けられるような感覚があった。だから自然な流れでそのままCDTを歩き、それがずっと続いている。

それに歩くことは精神的にも体力的にも自分にとってはしんどくはないんです。独りぼっちになる時間、圧倒的に自分だけの時間があるのがすごく好きだし、決定権が自分にあるということも好き。どんな失敗をしてもそれは自分のせい。電車が遅れたりしたら、人のせいにしたくもなるけど、トレイルを歩いていて遅くなったら自分のせいだし、食料が足りなくなってもそれは自分の責任。それはなかなか得難い時間なんだと思います」

アメリカのトレイルカルチャーに触れる

一方で、たくさんのハイカーと触れ合って大いに盛り上がるのもロング・ディスタンス・ハイキングの魅力のひとつだ。河戸さんはアパラチアン・トレイル(AT)を歩いている時に印象的なハイカーのお祭りに偶然出くわした。ヴァージニア州の人口800人ほどの小さな町ダマスカスが大勢のハイカーで埋め尽くされる「トレイル・デイズ」だ。

「米国内のトレイルエンジェル(ハイカーを無償でサポートするボランティア)が集ったり、80年以上の歴史を持つトレイルを歩いてきたハイカーたちが、歩いた年代ごとに集まったり、アメリカのトレイルの集大成を見せつけられるようなイベントでした。参加したハイカーたちはここで感化されて“ATファイター”のようになっていく。いわば儀式のようなもの」

河戸さんのトレイルネーム“スケッチ”も、そうしたハイカー仲間から名付けられたものだ。

「良佑(リョウスケ)って名前は発音しにくいらしいから、早めにトレイルネームが欲しいなとは思っていたんですが、最初のPCTで一緒に歩いていたハイカーが知っている日本語ということで“雅(ミヤビ)”って名前をつけられそうになって。それは僕のイメージとは違うなと思って否定したら、その隣を歩いている女の子がスケッチブックを持っているから“スケッチ”がいいんじゃない、って。それで“スケッチ”になりました。トレイル・デイズで同じ“スケッチ”というトレイルネームの人に出会ったけど、彼も画家でしたね」

歩くことと描くこと

そんな河戸さんのハイキングの魅力は彼の言葉からだけではなく、トレイルネームの通りイラストからも豊かに伝わってくる。だが、数ヶ月に及ぶスルーハイクを成し遂げながら、その合間にイラストを描くのは想像以上に難しいことだ。

「ハイキングをする時の僕の頭の中はとてもシンプルで、優先順位の一番はスルーハイキングを達成すること。そのためには計画的な行動をとらなくてはならくて、確実に難所を良いタイミングで超えていくというのがコツ。一方で絵を描くには時間を確保するという難しさがある。トレイルにおいては、お金よりも時間と進んだ距離に最も価値があるから。描くということは“進めない”ということだから、それをクリアするのに5年くらいかかりました」

最初に歩いたPCTでは、ペンを使って緻密な線を描く技法でイラストを描いていた河戸さんだが、素早く画面を埋めることができる水彩を用いるようになったり、敢えて描く場所にこだわりすぎず、休憩したタイミングで目につく風景を描いたりと、自分なりにスルーハイクと描くことのバランスを見つけていったそうだ。

「自分の型ができてきたのがアパラチアン・トレイル(AT)を歩いた時。うまく描けないことがあっても、とりあえず1日一枚は描き貯めていくと膨大な量のスケッチブックになった。ひとつひとつの絵はクオリティが担保されていないかもしれないけど、振り返ってみるとハイキングに似ていた。ハイキングも日々歩くことは大したことではないかもしれないけど、スルーハイクとなると膨大な冒険の量になる。絵もそういうノリでいいのかなって」

これからのハイキング

経験を積んだハイカーである河戸さんだからこそ、ロング・ディスタンス・ハイキングと描くことを両立できるようになった。そしてトリプルクラウンを成し遂げたいまは、新しいハイキングのスタイルを前向きに模索している。

「この夏はジョン・ミューア・トレイル(JMT)を歩く予定です。ふつうなら3週間くらい、僕だと多分2週間くらいで歩ける距離なんです。今回は4週間という時間をかけてゆっくり歩いてみようと思っています。大きなキャンバスを持っていってじっくりと絵を描いたり、釣竿も持っていってルートのバリエーションも増やしてみる。食料をたくさん持たなくてはいけなくなるけど、魚が釣れればそれも解決しそうだし、駄目だったらそれはそれで面白いかなって。最近、ハイキングのスタイルも固定化されている感じもある。JMTだったら、このくらいのパッケージだよねって。そういうのを全く気にしないハイキングも面白いんじゃないかなって思ってます」

RYOSUKE KAWATO
河戸良佑

兵庫県出身。イラストレーター、アパレルブランド「HIEKR TRASH」ディレクター。20代からバックパッキングで世界を放浪、その際にネパールで長距離ハイキングを初体験。長い無職期間を経て2015年にアメリカのパシフィック・クレスト・トレイル(PCT、約4,260km)を踏破。ロングトレイルの魅力に取り憑かれ、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT、約5,000km)、アパラチアン・トレイル(AT、約3,500km)を歩き切り、アメリカ3大トレイルを制覇。ハイキングの際にスケッチブックを持ち歩いていたことから、トレイル上での呼び名は『スケッチ』

RYOSUKE KAWATO / 河戸良佑

PHOTOGRAFHER : HAO MODA

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