ON THE EDGE
クライミングとトレッキング
2つの要素を感じる新しい山登り
リッジ・ウォーキングの世界へ
〜小川山・涸沢岩峰群トラバース〜
クライミングの聖地、長野県川上村の小川山で岩登り。と聞けば誰もが、トポを見ながらグレードのついた垂直な岩壁に取りつき「ガンバ!」と声をかけるクライミングを連想するだろう。ガイドや熟練者の手を借りなければ一歩を踏み出せないクライミングは、登山のように誰もが気軽に手を出すことができないちょっとハードルが高いアクティビティーだ。
「クライミングシューズはいりません。アプローチシューズだけで登るリッジ・ウォーキングへ行きましょう。マルチピッチで行動時間8時間、標高差は200mほど。ピッチ内のライン取りによって異なりますが、各ピッチのグレードは5.5〜5.7くらいですね。」
ザ・ノース・フェイスのサポートアスリートであり、山岳ガイドの松本 省二さんに誘われて半信半疑でやってきたのは、涸沢岩峰群。キャンパーやボルダラーで賑わう小川山の麓、廻り目平から西俣沢に沿って林道を15分ほど歩き、右手から流れ込む涸沢に沿って高度を上げて取り付く踏み跡薄い岩山だ。松本 省二さんは、2020年春、ガイド仲間とともにここ涸沢岩峰群を開拓した。岩尾根のピークをいくつも越えながら稜線を目指す、名付けて涸沢岩峰群トラバース。このルートを登るには、どのくらいの登山経験が必要なのでしょう?
「安全を確保する支点は、すべて自分で判断して設置する必要があります。(リムーバブルorナチュラルプロテクションの設置が必要)グレードは高くはありませんが、ルートファインディングができて、安定した登攀技術が必要になります。経験豊富なガイドや仲間にリードしてもらうときは、岩稜バリエーションルートの前穂高岳北尾根や剱岳八ツ峰上半などのルートと同じぐらいのグレードと考えてもらえばいいでしょう。」
切り立った壁だが、ホールドやステップは豊富だ。
涸沢岩峰群は、1970年代後半の小川山開拓当初にひらかれた有名なフリールートが残る由緒ある岩場である。しかし、いまではアプローチの道は藪に埋もれ、クライマーの姿を見かけることは少なくなった。
「昨今のクライミング、ボルダリングブームで小川山周辺は、シーズン中は平日でも混んでいます。でも、涸沢岩峰群はアプローチが長く、詳細なトポがないというのもあって、ひと気が少ない。静かな岩登りができます。岩のリッジ(尾根)をサクサク登れて、標高が低くても高度感があって、景色も開けて、自分たちだけ・・・もう、最高なんですよ。」
アプローチが長いといっても、林道終点に止めた車から取り付きまではたったの小一時間。省二さんの話を聞いていたら、いつの間にか涸沢岩峰群4峰の取り付きに着いていた。4峰、3峰と岩山ピークをいくつも越えながら稜線をめざすリッジ・ウォーキングのはじまりだ。
「さあ、楽しんで行きましょう。」
ハーネスにカムをぶら下げ、アプローチシューズを履いた省二さんが、涸沢岩峰群の4峰東面をリードする。
リムーバルブプロテクション=カムをセットしながら登る
トラッドクライミング。
省二さんが取り付く岩壁にボルトは1本も見当たらない(終了点にあるアンカーボルトのみ)。ナチュラルプロテクションのカムを岩の隙間にセットしながら慎重に登っていく。生身の人間が、人工物が一切ないありのままの自然壁を登っている光景は見ているだけでドキドキするものだ。北米でポピュラーな登攀用具なしで岩場を移動する歩登攀、スクランブリングとも違う。ただクライミングと呼ぶことにも違和感がある。比較的傾斜の緩い岩尾根の弱点をテンポよく登っていく岩山歩き、まさにリッジ・ウォーキングだ。
アプローチシューズが涸沢岩峰群にはベストマッチ。
さて、いよいよわれわれが登る番。省二さんが上で確保するトップロープを命綱として登る。
「いままであまり登られていないルートなので、脆い岩があるかもしれません。手のひらや拳で叩いて安全を確認してから登ってきてください。」
省二さんのアドバイスを頭の中で反芻しながら手を伸ばす。なるほど、手や足をかけるホールドが豊富でスイスイ登れるではないか。次第に岩壁が頭を覆うようにそそり立ってきたが、体重を預けられるガバが頂へと押し上げてくれた。
「ナイスクライミング! じゃあこちらに来てセルフとってください。」
終了点に立ち、深呼吸をしながら視界を後方へ上げる。雲取山と金峰山を繋ぐ奥秩父縦走路がスカイラインにたおやかな曲線を描いていた。足元には吸い込まれそうな深い針葉樹の森が広がっている。股間がゾワゾワっとする高度感。谷間を吹き抜ける秋の風が、火照った体に心地いい。手に汗握る程よい緊張感を持って、青空へ突き出た岩山を水平へ、ときには垂直へ旅している時間は、新鮮そのもので圧巻だった。
4峰を登ると、3峰への鞍部へ短い懸垂下降で下りる。そして、3峰の基部まで森の中をしばし歩く。このようにトレッキングの要素も含まれている。ところで、松本 省二さんは、いつからこの開拓をはじめたのだろう?
「去年(2020年)の春にガイド仲間と開拓、再生しました。ガイド業はコロナ禍で自粛。県外への移動自粛期間でもあり、自宅も小川山も長野県内ということでここに通いはじめました。」
3峰の基部でバックパックからロープを取り出し、リードの準備をしながら省二さんが開拓を振り返った。じゃあ、コロナがなければ涸沢岩峰群トラバースが整備されることはなかったと?
「そうかもしれませんね。あと、梅雨の長雨も味方してくれました。晴れが続いたら自分の限界を押し上げる課題へ走ったかもしれないけど、雨でやることないからひたすらドロドロになりながら岩と岩の間の道づくり。晴れ間をみては岩にとりついて、ルートを確認しながら登り、岩びっしり生えたイワタケをブラシで掃除する日々が半月続きました。」
クライミングというと、核心で息を止め、血液と意識を手足へ集めてゼーゼーハーハーと肩が弾むもの。涸沢岩峰群は息が切れることなく、有酸素運動で高みへと押し上げる岩登りだった。しかし、いくらグレードが高くないとはいえロープで確保されているからチャレンジできるというもの。年に数えるくらいしか外岩クライミングをしない人(著者のことです)にとって、涸沢岩峰群のリードは到底無理な話である。
高低差30m近い空中懸垂下降を2連チャン!
涸沢岩峰群トラバース最高地点1,959mの3峰に立った。眺めは登りはじめたときからずっと最高だ。行動食を口へ運びながら省二さんが開拓に至った経緯を語ってくれた。
「一般登山道をおおむね歩けるようになった登山者は、次のステップとして何を求めるか?と考えたとき、岩稜バリエーションルートが頭に浮かびました。背伸びをして、ステップを2段、3段飛び越えたフリークライミングのルートにトライしてしまうと事故へつながります。涸沢岩峰群のような岩稜バリエーションルートは、一般登山者が次に目指すフィールドのひとつだと思います。適切なクライミングや確保技術が必須なので、ガイドツアーや講習会などに参加し、焦らず堅実に身につけて行くことをお勧めします。」
もちろん、ガイド業が独占する岩場であってはいけない。安全に登れる人には開かれた岩場であることが望ましい。ルートとアプローチが、次の世代へ存続していくためにも。
「これからトポを作成して、今年の春にどこかで発表する予定です。」
岩登り、森歩き、空中懸垂下降と変化に富んだルートである。
クライミングとトレッキングは、フィールドも道具も必要とされる技術も違うため、それぞれがかけ離れた登山カテゴリーとして捉えられることが多い。山に登るという行為は同じなのに、ふたつの間にある垣根は思いのほか高い。その2つの橋渡し役として可能性に満ちているものが、この涸沢岩峰群であり、省二さんが目をつけたリッジ・ウォーキングという遊びだった。クライミングシューズを履かずして、アプローチシューズだけで岩を、森を適度な緊張感を持ってずんずん移動できる。リッジ・ウォーキングは、山と山をシームレスに繋げてくれる新しい刺激的な山登りだった。
松本 省二
SHOJI MATSUMOTO
長野県を拠点に、一年を通して山の魅力を伝える山岳ガイド。岩稜バリエーションルートから沢登り、バックカントリースキー&スノーボードまで安全に楽しくガイドするマルチな山の案内人。海外での登攀、滑走経験も豊富で語学力に長け、現在国際山岳ガイドをめざして活躍中。山岳ガイドステージⅠ、スキーガイドステージⅡ取得。TNF ATHLETE PAGE
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2020.09.16
文:森山 伸也
撮影:山岸 惇
撮影サポート:高柳 傑