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土井陵インタビュー
強靱なメンタルとフィジカルは綿密で周到な準備に支えられる
この夏、「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」で大会記録を大幅に更新する圧巻の優勝を遂げた土井陵(たかし)。世界のウルトラトレイルレースシーンで活躍する土井とはいえ、なぜTJARという世界的にも過酷な舞台で、後続を圧倒するハイスピードを持続できたのか。そこには綿密な戦略とシミュレーションに裏打ちされた周到な準備があった。「TJAR 2022」の実際に沿って話を具体化しながら、土井という希有なランナーの強さと魅力に迫る。
走り始めたのは30歳からだった
土井さんが登山をはじめたきっかけを教えてください。
母親が山岳部出身だったことで、小さい頃からいろいろな山に連れて行ってもらっていました。それがベースにあります。学生時代はずっとバスケットボール部で、社会人になっても実業団リーグで続けていました。
登山を再開したのは大学を卒業して消防士になってからで、職場の先輩から山に誘われたのがきっかけです。ただ、仕事が忙しくなっている時期だったので、それほど頻繁に行けていたわけでもありません。
ランニングを始めたのは30歳からと聞いています。
もともと走ることは苦手ではなかったし、学校の駅伝大会ではそこそこ上位に入っていたんですよ。30歳のとき職場で消防署対抗の駅伝大会があり、それに出るために頑張って走り始めたというのが発端です。その数カ月後にマラソン大会もあったので、ついでに出てみようと。それが生まれて初めてのフルマラソンでした。
その翌年、31歳のときにトレイルランニングに出合いました。マラソンの練習の一環で、山を走る競技があることを知って、それに出てみたらけっこう楽しくて、そこからどんどんシフトしていった形です。
トレイルランニングレースに出場し始めて、早い段階から好成績を挙げていますが、その理由はなんでしょう?
自分に合っていたとしか言いようがありません。まあ、強いていえばバスケットボールの足さばきが体に染みついていたので、最初から下りを上手く走ることができたし、それが楽しかった。
当時、30歳という年齢になり、今よりもパフォーマンスが上がることもないだろうと、半分あきらめの気持ちもありながらバスケットボールを続けていたんです。伸び代がなくなってくれば、あまり楽しくなくなってきますよね。
そんなときにトレイルランニングに出合い、やればやるほどタイムが上がってきた。そうなれば、走ることも、山に行くことも楽しくなりますよね。
走るのが楽しいという気持ちがモチベーションになった。
そう思います。もうひとつは、チームスポーツでは自身の調子が良くても試合に負けたり、悪くても試合に勝ったりということがあります。けれども、ランニングは自分が準備しただけ結果に結び付くし、やらなかったら自分に返ってくるという言い訳のできない世界。
なにごとも突き詰めていきたいという自分の性格に、それが合っていたのかもしれません。
走り始めてから、山行スタイルも変わりましたか。
大きく変わりましたね。最初の頃は重たい登山靴を履いて、60Lのバックパックを背負って歩いていたのですが、今はトレランシューズだから普通に進んでも距離はどんどん延びるし、アルプスに行ってもいろいろな景色を一気に堪能できる。もう登山靴には戻れないですね。
TJARは2012年大会のテレビ放映で知ったそうですが、そこから実際に出場するまでの経緯を教えてください。
ちょうどトレイルランニングを始めた頃だったと思います。そのときは、こういう世界があるのだなという程度の認識でした。メインの活動として取り組んでいたトレイルランニングレースがどんどん楽しくなっていった時期でしたからね。
2014年にはUTMF(ULTRA-TRAIL Mt. FUJI)で初の100マイルレースを走り、2015年にはUTMB(ULTRA-TRAIL DU MONT-BLANC)に出場。そうして帰国したら、たまたま申し込んでいたTJARのトレーニングキャンプの抽選に当たって参加したんですよ。中央アルプスでTJARの凝縮版を体験する1泊2日です。
そこでTJARを目指している福井哲也さんという方と親しくなり、トレランでもアルプスへの山行でもご一緒するようになりました。彼からの刺激は大きかったです。ほかにもTJARに出ている人の輪がどんどん広がり、それまではふわりとした存在だったTJARがどんどん明確な形になり、次第に出たいという気持ちに変わっていきました。
みんなが出たいと思っているTJARですから、そこには絶対に何かがあるはずで、自分もそれを見たいと思いました。あとはやはり日本アルプスを縦断する415kmの旅、ただ単純にそこに惹かれます。そこで自分試してみたかったんです。
綿密に計画を立て、十分に検討し
それを実行するという喜び
TJARの装備の選択について、土井さんの考え方を教えてください。
TJARでもトレイランニングレースでも、こだわってきたのは軽量化です。そこはスピードに直結する部分ですからね。かといって、軽量化を追求し過ぎると山でのリスクを背負い込むことになるので、そのギリギリの着地点を見つけ出すのが難しいところだと思います。
無駄なモノを持たないのは当然ですが、この気温、この高度、この天候なら、ここまで減らせるという経験則が自分にはあります。そこは実際に経験してみないとわからない部分だと思いますが、装備を選ぶ大きな基準になっています。
たとえば、TJARではシュラフは使わず「エマージェンシーヴィヴィ(緊急用簡易シュラフカバー)」を選んでいますが、友人にカスタムしてもらっています。もとの製品はどんな体型の人も入るサイズなのですが、そこは自分の体型に合わせて余分な部分をカットして、縫製し直してもらいました。それだけでもだいぶ軽量化できたと思います。
選手受付時の装備チェックで印象的だったのは、筆記用具がボールペンの芯だけだったこと。あれでどれくらい軽量化につながるものですか?
10gだったものが、1gになる程度です。実際、はかりを使って1点1点、計量しながら進めたのですが、一つひとつはわずか数グラム単位で軽くなるだけかもしれませんが、その積み重ねが大事だと思うんですよ。
装備の重量はどのくらいでしたか。
食料込みで3.5kg、水抜きで、です。食料は、まずは南アルプス手前までの補給食を持ち、それが1.8kgくらいだったので、水と食料を除いた、バックパック込みでベースウェイトは1.7kgぐらいです。
バックパックとシューズにもこだわったと聞きます。
こだわったのはバックパックで、軽くてストレスなく背負えるものを探したのですが、THE NORTH FACEチームの皆さんが親身になって相談に乗ってくれて、既存の「TR」シリーズをアレンジしていただきました。不要な部分をそぎ落として軽量化し、少し重心が上がるように微調整してもらったものです。
シューズに関しては、軽量性というよりは、アルプスを想定してプロテクション性とクッション性を重視して選びました。TJARはトレイルが多いのですが、同時にロードも長いので、どちらにも対応できる必要があります。その点、ULTRA-TRAIL Mt.Fujiでも履いているTHE NORTH FACEの「フライトベクティブ」には絶対的な信頼感を抱いていました。
また、後半はロード区間が長くなることがわかっていたので、市野瀬チェックポイントからはさらにクッション性のいい「ベクティブエンデュリスII」に履き替えました。これも想定していた準備のひとつです。
大会コースの試走はどのくらいやったのですか。
アルプスには以前から足を運んでいたので、おおよそのイメージはありました。前回大会(2021年実施)のときは、緊急事態宣言発令中だったこともあり、まったく試走できない状態で出場しました。今年に入ってコロナが一定の認識に落ち着いて自由に行動できるようになっていたので、今回は久しぶりのアルプスに出かけ、ほぼ全区間を試走しました。
ロード区間はどれくらい試走しましたか。
昨年のTJARで走ったスタートから馬場島まではのぞき、それ以外のほぼ全区間を試走しています。たとえば、南アルプスから大浜海岸までのロードを試走する人はめったにいないと思うんです。どうやって静岡駅から畑薙ダムまで行き、大浜海岸からの帰路をどうするかと考えたときに、先ほど話に出た友人の福井さんに相談しました。そうしたら快くサポートを引き受けていただけたうえに、佐藤直美さんという方が車のサポートに入ってくれました。
そうして、みんなで畑薙ダムまで車で移動し、そこから大浜海岸に向けて自分と福井さんが一緒に試走し、直美さんが車を回送してくれました。そうしたみなさんの協力がなかったら、なかなか実現できなかったと思います。
6月のTJAR選手選考会の翌日も中央アルプスを試走されていましたね。
あれも前々から計画していたものです。選考会の2日間はそれなりの運動量で行動するので、少し疲労のある状態で中央アルプスに入れます。また、通過時間も本大会とよく似た時間帯になるし、同じ環境でのシミュレーションになるのではないかと。自分のなかでは願ったり叶ったりの合理的な試走ができました。あれは大きかったと思います。
当然ながら、大会では片方向への進行なので、試走計画はなかなかテクニカルですね。
ホント、そうなんですよ。北アルプスから中央アルプスのロード試走では、車に積んだ自転車を活用しました。まずは木曽福島登山口近くの宿まで行って自転車を降ろし、次に沢渡の上高地行きバスターミナルまで移動して車を置き、バスで上高地まで行って、そこから戻るように木曽福島登山口まで試走し、その日は宿で一泊。翌日は走って来た道を自転車で引き返して車を取りに行くという。これやったら行けるやんと、この手順に気がついたときはうれしかったですね。
綿密に計画を立てて、十分にシミュレーションして、それを実行していく。
仮説を立て、実際にできるかどうかを試してみる。僕のなかではそれが一つのミッションなんです。ミッションをどれだけ効率良く、かつ効果的かを考えながら組み立てるのがけっこう好きです。うまくいったときは、なにか新しい発見をした感覚になれます。それは登山にも相通じるものがありますね。
北アルプスなら1日強あれば抜けられる
それはそこまで難しいことではないと思えた
まずは北アルプスパートですが、真夜中にスタートしてロードを29km走り、息つく暇なく北アルプス三大急登の早月尾根を駆け上がって剱岳山頂を目指す。出だしからいきなりハードじゃありませんか?
え〜とですね、皆さんが思っているよりは、実はそんなにハードルは高くないんですよ。ま、最初だから元気だってこともありますしね。
あとは一刻も早く剱岳の頂上に立って、きれいな景色と日の出を見たいという一心で先を急ぎました。嫌だなとか、しんどいという感覚は希薄です。夜中から走り出していますからね。だんだん明るくなっていく山の景色を見られるというのは、もうそれだけですごく大きなモチベーションになるんですよ。
剱岳山頂からの下り、いわゆる「カニのヨコバイ」のような岩場の難所はどうでした?
ぜんぜん問題ありません。むしろ、アドベンチャー感があって楽しかったくらいです。ずっと走り続けるよりは、ちょっとスリルがあるほうが集中できますしね。いいスパイスになりました。
土井さんのペースだと、どのあたりで日が暮れてくるのですか。
黒部五郎小屋に着いたのが1日目の18時半頃で、そこでヘッドライトなどを出して夜間行動の支度を調えました。そこから三俣蓮華岳に向かう登りあたりから暗くなっていきました。
TJARは真夜中の0時スタートですが、集合は夕方の4時だから、実はかなり長い時間ずっと起きているんですよ。だから、1日目の夕方あたりからみんなけっこう眠気がきます。自分の場合は、黒部五郎岳への分岐のあたりで眠くなってきたので、そこで5分くらい横になりました。それでちょっと回復したので、そのあとはそこそこ順調に進めたと思います。
山のなかではツエルトを張らないというのは大胆な作戦に思えます。そう決めた理由は?
ツエルトの設営と撤収の時間がもったいないと判断したからです。また、高所にいる時間が長いほどリスクにさらされると思ったので、標高を下げた下界で寝たほうがリカバリーには効果的だと考えました。
国内屈指の山岳地帯の行動としては、ある種の覚悟と、それなりの走力が必要なプランですね。
これには台風接近の影響から途中で終わってしまった前回TJARでの経験が生きています。これくらいの体力消耗度なら、このくらいは進める。それが見えたことが大きかった。たとえば、北アルプスならおよそ1日強あれば抜けられるという感触を得ました。そこまで難しいことではないと思えたのです。それは実際の現場経験からたどりついた感覚です。
そんなレースプラン通り1日目の夜に槍ヶ岳を越えて、槍沢を下って仮眠を取ろうと思ったら、ババ平のテント指定地がいっぱいだったから、そのまま上高地まで走り続けた。
やはり寝ているところでゴソゴソやったら申し訳ないし、迷惑をかけます。ちょっと体を休めたい気持ちもありましたが、仕方ないから進めるだけ進もうと気持ちを切り替えました。むちゃくちゃ眠いわけでもなかったですしね。
ツエルトを張らない作戦と同様に、北アルプスから中央アルプスまでのロードを、どれだけ涼しい時間帯に進めるかというのも大きな課題でした。なおかつ、前半に連続するトンネル区間の通過が危ないんですよね。そこを交通量の少ない時間帯に抜けられるなら、このまま寝ないで進んでもいいんじゃないかと、プラスに考えて前に進んだ感じです。
上高地チェックポイントを夜中の3時半に通過してロードに入り、トンネルの合間で20分ほど仮眠を取った。
そうです、そうです。トンネルとトンネルの間にちょっとした草むらがあって、そこでこっそり寝たら追走するNHKのカメラにも映らないだろうと。寝顔を撮られたくなかったですしね。ところが、TJAR公式サイトのGPSトラッキングで位置が完全にバレていたようで、パッと目を覚ましたら、目の前にカメラがありました(笑)。
トンネル区間を抜けたあとも、長くていやらしい境峠が待ち構えています。
やはり、ここも試走した甲斐がありました。この先まで行ったらこれがあり、ここまで来るとこれがあるといったように、試走しながら全体をいくつかの区間に分割してとらえたのです。もちろん、補給地点も全部確認しながらです。
約70kmのロードを一気に走ろうと思ったらけっこう長くて嫌になるんですが、それを10kmから15kmぐらいのスパンで区切ったので、飽きることなく、ダレることなく、気持ちを切り替えながら走ることができました。
TJAR選手のオアシス「スーパーまると」には立ち寄ってなにか買いましたか?
もちろんです。それまでずっと補給食ばかりで、久々のリアルフードにありつけるチャンスですからね。親子丼が食べたかったんですが、なかったのでチャーハンと蕎麦を買って食べました。
行動中はバーナーを取り出さず、補給食に徹する作戦。
そうです。やはり、山のなかでバーナーを出して湯を沸かすのは手間ですし、時間がかかります。湯を沸かし、ドライフーズに注いで、15分待って食べる。たしかに温かい食事で体も暖まるかもしれませんが、その作業に時間を費やすくらいならそのぶん先に進んで、少しでも早く下界に下ってから食事を取るほうが合理的だという考えです。
補給食はなにを用意したのですか。
持ったのは、カロリーメイト、GUという補給食のワッフル、COMPという総合栄養食のグミ、あとは柿の種とサプリメント数種類。エナジージェルは重量がかさむので、水分を含まないものを中心に選びました。そして行動中は1時間に150kcal補給すると決めて、これをずっとローテーションしていました。
2日目に中央アルプスを越えられることが明白に
木曽福島の登山口を14時半に登り始めた土井さんは、朝までに中央アルプスを抜けようと考えた。2日目に中央アルプスを越えた選手はまだ誰もいないにもかかわらず。
そうです。10時間か11時間あれば中央アルプスを抜けられるということが試走でわかっていましたから、2日目に越えて、下山した駒ヶ根で仮眠を取るというレースプランを立てました。実はここでも前回TJARの経験が生きています。
前回は僕が中央アルプスに差し掛かる2日目あたりで台風が最接近する予報だったのですが、そのとき、中央アルプスの手前で休むか、それとも越えるかで迷ったんです。結局、僕は越えるという選択をし、それに間に合うよう逆算して、初日に北アルプスを抜ける計画を立てた。そうして、あのスピードで上高地まで駆け抜けたのが前回でした。
今回のペースはそれよりも速かったので、2日目に中央アルプスを越えられることが明白でした。あとは11時間前後をひたすら我慢すれば1日でクリアできると、自分に言い聞かせながら進んだのです。
稜線に出てから風雨がひどくなったそうですね。
稜線に出てからは気温が一気に下がって風も強くなり、宝剣岳を越えたあたりで雨が降ってきました。土砂降りというわけでもないんですが、西からの風が山肌に沿って強く吹いているので、横からも下からも雨が吹き付けてきました。今回の行程のなかで、一番の悪天候に見舞われた区間でした。
一般登山者の雨対策と違って、軽量化されたウエアリングに不安はありませんでしたか。
たしかにそうですね。でも、結局のところ動き続ければ体温は維持されるので、なんとかなります。また、終わりが見えているというか、空木岳からの下りは東面に位置しているから、風の影響は受けないだろうと予測できました。
これも頭のなかでの組み立てです。計算式から答えが出ていたから、不安なく進めたのだと思います。ちなみに、夜中の空木岳頂上では、応援に来てくれていた福井さんと直美さんと出会って驚きましたが、すごく元気をもらいましたね。
そして下山した駒ヶ根で、レースプラン通り1時間の仮眠を取った。
1時間半ですね。それだけでもう、ぜんぜん回復が違いました。
仮眠するときには目覚まし時計をセットするのですか?
寝過ごしてしまうかもしれないという不安があるので、アラームはセットします。ただ、たいていアラームが鳴る少し前に目を覚ましています。これはTJARの間中ずっとそうで、アラームで起こされたことは一度もありません。
睡眠中も気を緩めていないのでしょうね。寝ている間に後続の選手に抜かれるという不安はありましたか?
それはないです。追われている感覚はレースを通じて終始ありませんでした。それは過去大会のトップタイムに比べて、自分のペースがどれだけ速いかを、上高地チェックポイントの時点で確認していたからです。
GPSトラッキングは一回も見なかったし、2番手の位置を把握していたわけではありませんが、追いつかれるはずはないかなと。そのあと中央アルプスまでのロード区間もしっかり走れたので、差は開いただろうなと推測していました。
中央アルプスを下山し、駒ヶ根から市野瀬までの26.5kmのロード。最初は下り基調ですが、最後の峠越えがまたやっかいですね。
あの区間、単体で走ったらたいしたことないんですが、北アルプスと中央アルプスを越えた後ですから、そんなに簡単ではありません。それでも自分は試走しているから、耐えなければいけない距離感と時間の感覚はつかんでいました。
そして市野瀬のチェックポイントでは、デポの荷物を受け取って開封し、スタート以来初めて湯を沸かして温かい食事を取り、装備を組み替えた。迷いもなく作業を進める土井さんの無駄のない動きに目を奪われました。
段ボール箱を開けたら、なにから取り出したら効率的かを考えて、その順番に取り出せるよう荷物を詰めました。フタの裏に手順を書きだしたのは、睡眠不足や疲労で頭が回らなかったときを想定した備えです。実際はけっこう元気でしたし、市野瀬に入る前から手順をシミュレーションしながら走ったので、けっこうスムーズに補給できましたね。
1分1秒も無駄にしたくないという思いが見て取れました。なのに、梱包では3回もガムテープを貼り直すことになって周囲の笑いの渦に巻き込んでいた。
梱包した後のガムテープを箱にしまうシミュレーションをしてなかったのが敗因です。あれで焦ったかもしれませんね。
それはどんなトレイルランニングレースともまるで違った光景だった
市野瀬からはいよいよ南アルプスですが、ほかと違うのは1日では抜けられないことですか。
そうです。そのため、三伏峠でビバークする計画でした。そこまで行っていれば、あとの行程がものすごく楽になりますからね。けれども、睡魔との戦いがひどくて、今回のTJAR中で一番苦戦した区間になりました。
市野瀬を出発して登りに入った途端に眠気に襲われました。腹いっぱい食べた直後でしたし、天気がよくて、そよ風も吹いていて気持ちよかったんです。幻覚は見なかったけど、クマは見ました。登っているすぐ近くの木からドサドサッと下りてきて走り去って行ったんですが、僕は眠気でそれどころではなく、あ、クマやな、ぐらいな感覚でした(笑)。
カフェインを取って、なんとか仙丈ヶ岳まで耐え忍んだのですが、そのあとも暗くなるにつれ眠気が強くなってペースダウンし、三峰岳手前ぐらいでは本当に集中力も意欲も沸かず、一番しんどかったです。
その後は順調に進めたのですか。
予定より遅れたという意識がつきまとっていました。三伏峠に到着しても眠気が完全に取れず、足の指にマメができてちょっと痛むといったいくつかのネガティブ要素が重なって、精神的にも不安になっていました。
でも、誰とも戦っているわけではないし、自分の今の状態と今後の行程をもう一回確認して、行けるところまで行ってみようと。その先の行程も十分イメージできていたので、なんとか仕切り直すことができ、前を向く気持ちになれました。そうやって覚悟を決めて出発したら、だんだんと疲労感が解消されて、回復していったんです。
それもこれも、この先の山小屋に立ち寄って、お世話になった方々に挨拶せなあかん、という使命感のようなものがモチベーションにつながった気がします。
荒川小屋には友人がスタッフで入っていて、7月の試走のときに助けていただいたご主人には元気で戻ってきましたと報告したかった。赤石避難小屋は登山道から少し離れたところにあるのですが、以前からお世話になっている小屋番の榎田善行さんにご挨拶しないで通り過ぎるわけにはいきません。
トップをひた走っているTJAR優勝候補が、わざわざ立ち寄って挨拶に来るとは皆さん驚かれたのでは?
どうなんでしょうね。本人に聞いてみないとわかりませんけど、でも、なんだか喜んでいただけたと思うので、自分でもうれしかったです。逆にエネルギーをもらって、また走り出すことができたという感覚でした。
南アルプス後半を駆け抜けて、翌朝には最終チェックポイントの井川オートキャンプ場に到着。予想以上に元気な様子に見受けられました。
茶臼岳を下って、道路に出る手前の畑薙大橋で鼻血が出てきたのですが、それを全力で止めて(笑)、畑薙ダムに向かいました。そこには誰かが待っていそうだと予想できましたので。すると予想以上に多くの人が来られていました。
なかには、僕が久しぶりに山に行くきっかけを作ってくださった職場の大先輩が応援に来てくれていて、それは大きなサプライズでした。過去の完走者や応援の方など大勢に声を掛けてもらって、そこでかなり元気をもらいましたね。
最終のロード区間は、これまで多くの完走者たちを苦しめ、「とぼとぼ歩くのがやっとでした」と多くの選手が語る89.7kmでしたが、土井さんはしっかり前を向いて一定のペースで走っていました。
ここも試走時に距離感をつかんでいましたし、やはり一定の区間で区切っていたので、一歩一歩、目の前の課題をクリアしていくという感覚で進むことができました。
TJARは「山力」が大事と言われますが、自分としては一番のがんばりどころはロードととらえています。
山は楽しいんですよ。しんどくても景色はいいし、コースにも変化がある。けれども、ロードは単調で刺激もありません。だからこそ、我慢しないといけない。ロードは嫌なのではなく、淡々とがんばるパートなのだと。
峠を下りきった安部川沿いには多くの観客が陣取り、土井さんの走りに沿って拍手と声援がウェーブのように巻き起こっていました。あのあと、静岡の市街地に入ってからはどんな様子だったのですか?
静岡駅の20kmくらい手前から、人が増えていった記憶があります。沿道の両サイドから応援をいただき、車からも窓を開けて声援を送ってくれる。それが静岡駅に近づくにつれてどんどん増えていきました。それはどんなトレイルランニングレースともまるで違った光景でした。
TJARならではの応援。完走者のみなさんも、必ず応援に対する感謝の言葉を述べていましたね。
最後の最後にあれほど祝福を込めた応援をされると、ここまでがんばってきて本当に良かったと心から思えます。あの応援は自分だけではなく、どんな時間にゴールした人でもみんなそれを感じたと思います。
TJARの魅力は山もあるし、自らの限界に挑戦することでもあるけれど、多くの応援をいただくことも、大きな要素だと感じています。完走した方々の多くが「またTJARに出たくなる」と言っていた理由も納得でした。
ゴールの瞬間はどんな気持ちでしたか。
意外に冷静な自分がいました。今回のTJARで自分がやろうと思っていたこと、できたことを反芻しながら、それでも自分の高揚感よりも、雨でびしょびしょになりながらもゴールで待ち受けてくれた人たちへの、「すいません、ありがとうございます」という気持ちのほうが大きかったですね。
ゴール後のインタビューでも、家族や友人に感謝しつつ、運営サイドへの感謝を長く語っていたのが印象的でした。
自分もトレイルランニングレースを運営する側になってみると、いろいろなことが見えてきたんです(土井さんは2022年10月、奈良県生駒で『BAMBI100』を主催)。大会を運営するのはすごくたいへんですし、さまざまな障害を乗り越えてTJARのような人気ある大会を実現し、自分の仕事もあるなかでほぼボランディアで運営している人たちのことを考えると、もうありがとうとしか言いようがない。感謝感謝です。
ランニングが好きなわけではなく
山が好きなのですから
ゴール後のインタビューで、「優勝はおまけみたいなもの」と語っていました。実はそれはまぎれもない本心で、土井さんにとっては記録や順位よりも、あらゆるミッションを総合的に組み上げ、いかにそれを成し遂げたかというプロセスが重要だった。それがご自身にとって一番の価値観だと推測しますが、いかがでしょう?
おっしゃる通りです。
これまでの記録を6時間19分も上回る、4日と17時間33分という新記録についてはどう自己評価していますか?
当初に立てた目標は、4日と12時間台でした。それは達成できませんでした。まあ、失敗はしていますが、それほど大きなミスでもないので、80点から90点はあげたいなと思っています。ただ、現状ではそんなに満足はしていないかな。
計画通りいかなかったのはどのあたりですか?
南アルプスの前半でだいぶロスタイムがあったことです。装備については特に改善するところはありませんが、やはり、その部分のマネジメントというか、エネルギー補給の方法をもう少し考えたほうがいいと思っています。
というのは、市野瀬での食事のように、補給できるときにいっぱい食べて胃に入れておけば、ある程度の貯金ができると考えたのが大きな間違いでした。やはり、補給は小まめに取るほうが、体への負担は少なかったのではと思います。
フィジカルの強さと、戦略と計画などの準備。土井さんにとってTJARの魅力はどちらの割合が高いですか?
さらにメンタルという要素があるのを忘れてはなりません。それでも、周到な準備によってメンタルを維持できることを思えば、8対2ぐらいで準備のほうの割合が高いと思いますね。
準備をすることでコースを知り、準備によって先を想定できる。悪天候や睡眠不足にも怖くないと思えるのは準備次第で、コンディションも維持できるのも自分を知ることから。だから準備で8割くらいは決まってくると思います。
ミッションに対して、しっかり準備しておくというのは、消防という日頃の仕事も影響していますか。
そこは大きく影響していると思います。今回、あらためて感じたのですが、消防というのは準備の仕事だということでした。災害に対して日頃からどんな準備をし、どれだけの備えをしているのか。そこが肝心なのだと。
今後の目標としているレースや、その先に思い描いていることを教えてください。
やはりメインとしては100マイルレースと考えています。12月にはタイの100マイルレースに出て、久々の海外レースを感じてきたいと思っています。その次は、来年のUTMFでしょうか。
それにまだ迷っているところですが、来年の夏には新しいチャレンジとして200マイルのトルデジアン(TOR DES GEANTS)に挑戦してみようかなと考えています。
やはり、トルデジアンは頭のなかにあったのですね?
やはり、あのすごい絶景のなかをずっと走って行ってみたいという思いはずっとありました。そもそも僕はランニングが好きなわけではなくて、山が好きなのですからね。
TEXT:CHIKARA TERAKURA
PHOTO:SHO FUJIMAKI、SHIMPEI KOSEKI、DORYU TAKEBE、HAO MODA、SHUHEI NISHIOKA(milestone)
土井 陵
Takashi doi
1981年8月生まれ。
2014年夏「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI(UTMF)」に初出場し、総合15位、日本人3位の成績を挙げて一躍注目を集める。翌2015年にはモンブランを巡る世界最高峰の「ULTRA-TRAIL DU MONT-BLANC(UTMB)」に初出場し、日本人最高位の11位でフィニッシュ。その後も国内外のショートレースから100マイルレースまで、ジャンルを問わずに輝かしい成績を収め続けている。2021年には3つの日本アルプスを繋ぎながら日本海から太平洋まで415kmを駆け抜ける山岳レース「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」に初出場。悪天候により2日目に中止になるまでは2位以下を大きく引き離し、かつてないハイスピードでトップを独走した。2022年は「UTMF」で準優勝し、再び臨んだ「TJAR 2022」では、大会記録を大幅に短縮する4日間17時間33分の新記録で優勝。もっと多く、もっと新しい世界を見たいという好奇心がモチベーションの源泉。トレイルランのアスリートとしてその魅力や楽しさを広く伝え、自分が得た経験を世の中に還元したいと考えている。TNF ATHLETE PAGE
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