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クライマーにして研究者。
2つのバックボーンが育んだ岩への情熱

アメリカ・ビショップにある、V15のボルダリング課題“Lucid Dreaming”、日本最大落差を誇る富山県立山町の称名滝のフリーソロ……。観るものの心を踊らすクライミングにチャレンジする中嶋徹は、クライマーにして研究者という異色のキャリアの持ち主。そんな彼が情熱を注ぐのが、自然の岩だ。なぜ登るのか、そこに何を見つめるのか。彼曰く「壮大な歴史とストーリーを語りかけてくる」という岩の魅力を紐解いてみよう。

中嶋さんが初めてクライミングを体験したのが4歳の時と伺いました。すでに25年のキャリアをお持ちですが、どうしてクライマーになったのか、クライミングと関わるようになった経緯を教えてください。

僕の父がいわゆる“山ヤ”で、登山やクライミングなど自然のフィールドにあるアクティビティに熱中していました。そんな父に連れられて4歳でクライミングを初めて体験し、その後、兄が本格的に登り始めたことをきっかけに8歳でクライミングをスタートしました。スポーツクライミングも行うようになりましたが、父の影響もあってか自然のなかで興味のある岩を登りたいという気持ちが強く、野外の岩を登ることが多かったですね。それは今も変わりません。

Photograph: Toru Nakajima
Photograph: Toru Nakajima
Photograph: Jun Yamagishi
Photograph: Jun Yamagishi

これまで数え切れないほどの岩を登ってこられたと思います。そんな中嶋さんの心を捉える岩とは、ずばりどんな岩なのでしょう。

クライミングや登山の場合、対象となる岩もしくは山は、「すでに登られている」と「誰も登っていない」に大別されると考えています。「すでに登られている」岩を僕が登りたいと思うのは、いちばん最初に登った人のストーリーに惹かれて、ということが多いです。最初に登った人がどういう経緯でそこを登ったのか、そこにどんな背景があるのか。僕にとってはそのストーリーが重要です。「誰も登っていない」岩の場合、どこに惹かれるのかは感性によるところが大きいので、一言で説明するのは難しいですね。大きな岩、傾斜の強い岩に惹かれることが多いですが、それだけではありません。

 

大きさや斜度だけでは推し量れない魅力が自然の岩には備わっているということですね。それではここ数年で最も中嶋さんの心に残っているのはどんな岩だったのでしょう。

岩ではないのですが、最も強烈な印象を残したのが2019年の夏に登った称名滝です。富山県立山町にある称名滝は350mという日本最大落差を誇る滝で、すでに登った経験があったのですがこのときはフローソロに挑戦したんです。フリーソロというのはロープやプロテクションを一切使用せず、単独で登るというクライミングを指します。自分の身体一つで岸壁を登攀する、純粋で原始的で自由なクライミングスタイルです。350mの滝を水に打たれながら登るというチャレンジゆえ、最もハードルが高かったのは恐怖心の克服でした。

リスキーなクライミングはそれまでにそこそこの経験を積んでいましたが、こと称名滝に関しては自分の能力ではどうにもならない要素が大きかったのです。岩が柔らかくて欠けやすい、落石が多い、日や時間帯に寄って水量が大きく変わる……。人間は自分でコントロールできないものに対しては恐怖を抱きがちです。本能で感じる恐怖心にどう向き合うのか、理性を保つことに苦労しました。

圧倒的な恐怖心をコントロールする

Photograph: Jun Yamagishi
Photograph: Jun Yamagishi

恐怖心は誰しもが持つものですが、中嶋さんはそれをどうコントロールしたのでしょう。いざというときに冷静さを維持するためには特別なメンタルトレーニングが必要だと思いますが、トレーニング時や本番前に意識的に行ったことがあるのでしょうか。

冷静に考えると、称名滝を登る場合に落ちる確率はすごく低いんです。ただ、理性でそれをわかっていても怖いものは怖い。では、「大丈夫だ」ということを自分の気持ちに納得させるためにはどうすればいいのか。具体的に何が怖いのか、どういうリスクがあってどう対策したらそのリスクを回避できるのか。一つ一つそれらを洗い出し、冷静に潰していくという作業を行いました。

称名滝のフリーソロという試みは壮大で、「これは到底、自分の手には負えない」と感じるのですが、その全体像を自分が理解できる単位にまで小さく分解していくと「案外、たいしたことないぞ」と感じられる。そういう気持ちを積み重ねることが役立ちました。たとえば普段、安全だと確信できるクライミングをやっていても、ただ山を歩いているだけでも、「怖い」と本能的に感じる事ってありますよね? そういう「怖い、でも大丈夫だった」という経験の積み重ねが、理性と気持ちをフィットさせることに重要だったんです。

そういう壮大なクライミングを成功させた後で、クライミングに対するマインドセットに変化は起こりましたか?

自分自身にとって大きな成功体験になりましたし、必然的に自分のクライミングも影響を受けたと思いますが、実はあれ以降、積極的にリスクを取るようなクライミングへの熱が冷めてしまいました。もちろん、挑戦したいという気持ちは持っていますが、更にモチベーションを持って取り組んでいこうと考えると称名滝以上のものを目指さなくてはいけない。あれ以上のリスクを取ることはちょっと厳しいかなというのが、今の正直な気持ちです。

実は高校生のときにイギリス遠征に出かけたことがあって、その時も随分、リスキーなクライミングをやったのですが、その直後も今と同じような心境になりました。だって、僕のモチベーションはひとえに岩を登ることにあって、リスキーなことが好きなわけではないですから(笑)。

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Photograph: Jun Yamagishi
Photograph: Jun Yamagishi

クライミングへの情熱が衰えることはない

大きな成功体験が必ずしも大きなマインドセットをもたらすわけではないということですね。それでは逆に、中嶋さんのクライミングの中でブレイクスルーになったクライミングはどんなものでしょう。

アメリカ・カリフォルニア州のビショップにある“Lucid Dreaming”というボルダリングの課題を登った経験が大きなブレイクスルーになったと感じています。これまで僕が登ってきた岩のなかでも最難関というわけではないし、その岩にすごく惹かれたわけでもないのですが、登れると思った岩に登れなかったことで少なからずの挫折を味わいました。その挫折より、そこで投げ出さずに挑戦し続けたことが大きかった。困難に直面しても諦めなかったという経験は、クライミングに限らず自分の人生全般にとても有益なものになったと感じています。

Photograph:  Imashi Hashimoto
Photograph: Imashi Hashimoto

“Lucid Dreaming”は2年連続・3回目の遠征で完登したと伺っています。途中でイヤになったり、やめようと思ったりということはありませんでしたか。

むしろずっとイヤでしたね。イヤだし、投げ出したいと思っていました(笑)。誰かにやりとげろと言われたわけでもないし、やり続けなきゃいけない理由もないし。ただなんとなく、途中で投げ出すのが嫌だったんです。

クライマーに限らずアスリートにとって、なにかしらの困難に直面することが日常です。それをなんとか克服しようと自分のパフォーマンスを振り返って失敗した理由を探り、トレーニングを積んで修正し、また挑戦する。自分もそれをずっとやり続けてきたから、「だめだったからやめる」という選択肢がなかったんです。2回目の遠征で登れなかったときは、さすがにだいぶ落ち込みましたけれど。

登ったことのない岩と、カルチャーショックと。

それでは、最も強烈な印象を残したクライミングはどんなものでしたか? やっぱり称名滝なのでしょうか。

高校1年生のときに敢行した、1ヶ月に渡るイギリス遠征でのクライミングです。初めての海外、しかも一人旅。英語もほとんど話せないながら、キャンプ場でテント生活。そんなことから日々、強烈なカルチャーショックを味わいました。

イギリスは岩質も違いますが、そもそもクライミング文化が違います。イギリスはトラッドクライミング(ナチュラルプロテクションを自ら設置するクライミング)という伝統が息づく国。そういう伝統があるからこそ、クライミングにある程度のリスクが伴うのですが、中学生の時にそういう文化に興味を持つようになり、「トラッドクライミングの本場・イギリスに行ってみたい!」と思うようになったんです。

カルチャーショックだったし、だからこそ強烈で刺激的な経験だったんですね。

そうですね、自分自身のクライミングに与えた影響はすごく大きかった。カルチャーショックもあったし、パフォーマンスの観点でも自分が期待していた以上の成果があったからインパクトが大きかったんです。イギリス遠征を終えて1年、2年と経ち、大学生になって社会人になって、事あるごとに「イギリスでのパフォーマンス以上のものを引き出せていない」と感じるようになっていました。クライミングでなにかしらの結果を残したとき、ついイギリスでのパフォーマンスと比較してしまうんですね。そこで「イギリスでのパフォーマンスのほうが良かった」と感じてしまう。あの遠征以上のクライミングをしたいから厳しいトレーニングに励んだり、危険な岩を登ってみたり。昔の自分の成果に固執するようになっていたと思います。称名滝をフリーソロで登ったのも、「これが成功したらイギリスでのパフォーマンスを超えられるんじゃないか」、そんな気持ちがあったからです。

結果として称名滝のチャレンジはイギリスでのクライミングを超えたんですね。

そうですね、超えられたと思います。ただ、そんな風に何年にも渡って自分を駆り立てるほどイギリスでの経験は強烈で、その後の自分のクライミングの大きな軸になっていました。とはいえ今後のクライミング人生の中で振り返るのは、イギリスではなく称名滝になるのでしょう。

そうしたロックトリップをライフワークとしている中嶋さんにとって、その醍醐味は何でしょうか。

それこそ、たくさんの岩に登れることだと思います。国内外を問わず遠征に出かけると、周囲は登ったことのない岩ばかり。それぞれの地域で心惹かれる岩に出合い、周りにはまだ登ったことのない岩がたくさんあって……。それが醍醐味ではないでしょうか。面白いのは、岩にも地域性があることなんです。その地域にしかない岩がある。

僕はクライミングそのものが好きなので、トレーニングではなく楽しみとしてクライミングジムで登ることもありますが、やっぱり心を動かされるのは自然の岩なんですね。僕が生まれる遥か以前からずっとそこにあって、この先も長く残るもの。同じものが2つと存在しないもの。結局、岩であることが大事なんです。

Photograph:  Imashi Hashimoto
Photograph: Imashi Hashimoto

研究者としての視点が、クライミングにも生かされている

クライマーとしての実績も残しながら、一方では京都大学大学院で地質学を修め、現在もその研究を続けていらっしゃいます。中嶋さんが岩に惹かれるのはどうしてでしょう。

もともと岩そのものが好きでした。それこそ子どものころは川原の石を拾っていましたから。けれど、深く学びたいと思うようになったのはクライミングがあったからです。どういう地質活動で形成され、どんなもので構成されているのか、岩の一つ一つに物語や歴史があります。そうした自然科学の知識を持つことでクライミングにおいても岩の見え方が変わり、さらに岩への興味が深まりました。

たとえば、いま登りたいと思っている岩。フィンランドにある「世界で一番登ることが難しい」といわれている岩で、その岩も最初に登った人のストーリーと「世界で一番難しい」という部分に惹かれてコロナ禍前に登りに行ったのですが、実物を見てみたらそれが「ラパキビ花崗岩」という、地質学の世界では有名な岩でできていることが分かったんです。フィンランド語でラパは「ぼろぼろに崩れる」、キビは「石、岩」を意味します。このエリアに広く分布している17億年前の花崗岩で、同心円状の独特の模様が美しく、日本でも石材として有名です。それを見て「これはもう、絶対に登るぞ」と、心に誓いました。

Photograph: Toru Nakajima
Photograph: Toru Nakajima

もちろん初めに登ったクライマーは、それがラパキビ花崗岩であるという認識はなかったんですよね。

そうだと思います。そういう情報もなかったし、そこには注目されていなかったのでしょう。2年前は惜しいところまでいったのですが、それ以降はコロナ禍に突入してしまい渡航できず……。近いうちに絶対に登る!と思いながら、今は自分の住まいがある東海地方で目標となる岩をみつけてクライミングをしています。

コロナ禍にクライマーが考えたこと

コロナ禍における制限もさまざまにあるかと思います。コロナウイルス感染症と気候変動の関係も取り沙汰されていますが、クライマーとして外岩を取り巻く環境の変化を感じることはありますか。THE NORTH FACEのアスリートとして活動する中で、こうした変化をどう捉えていますか。

今年は例外ですが、年々冬が暖かくなっていると感じています。僕がクライミングを始めた当初は冬季には登れなかった岩が、今は当たり前のように登れるようになっている。クライミングにとっては寒い時期がオンシーズンなのですが、それが短くなっているようにも思いますね。鉄砲水や豪雨が増えているともいいますが、こうした水害によってエリアが消滅する、あるいはダメージを受けているという例も報告されていて、身近な気候変動を実感しています。

そんな中、コロナ禍を受けてクライミング界では自分の家の近くの岩場を見直そうというムーブメントが生まれました。わざわざ遠くのフィールドに行かずとも近場のフィールドを見直すことで、長距離移動を抑えて温室効果ガスを削減できます。気候変動という大きな問題に対してクライマーができることは限られていますが、こうした小さな積み重ねが大きなうねりとなるのかもしれません。

これからの時代を見据えてどんなことを目標としていますか?中嶋さんの長期的なモチベーションはどんなものでしょう。

仕事では日本国内の山地がどう隆起してできたかを研究していますが、個人の興味として長くヒマラヤ山脈の成り立ちを研究しています。実際にヒマラヤに行くと、やっぱり山々が格好いいんですよね。具体的なプランはないですが、学術調査として一峰くらいはヒマラヤの山に登りたいと思っています。

Photograph: Toru Nakajima
Photograph: Toru Nakajima

ようやく長期的な目標を立てられる環境が整ってきたということもあり、今後数年の目標として、今までやってきたボルダリングよりももう少し大きな岩、いわゆるビッグウォールとか、あるいはイギリスでやっていたようなトラッドクライミングの方向にシフトしていきたいと思っています。もしかしたらその先にヒマラヤの山々があるのかもしれません。クライミングと研究を兼ねてヒマラヤに行く。そんな夢を描いています。

中嶋 徹
TORU NAKAJIMA

1993年生まれ、長野県出身。実力派のクライマーだった父に連れられてクライミングを初め、11歳で瑞牆山の「燃えた地図」(3段)、12歳で「白髪鬼5.13d」、14歳で小川山「伴走者」(5段V14)を完登するなど、早くから外岩で頭角を表す。以降も外岩を中心にさまざまなチャレンジを繰り広げてきた。立山・称名滝のフリーソロはTHE NORTH FACEがプロデュースしたムービー、『ACT ON REASON』に詳しい。京都大学大学院で地質学を修め、現在も研究機関に所属する。2012年からTHE NORTH FACEのアスリートとして活動をスタート。今春発売された「プロスペクターパンツ」の開発にも携わった。TNF ATHLETE PAGE
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中嶋 徹 / TORU NAKAJIMA
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