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国も文化もフィールドも、クロスオーバーすれば人生はもっと豊かになる 江本悠滋

「世界で最も過酷な山岳レース」とも言われる「Red Bull X-Alps」。徒歩とパラクライダーのみでヨーロッパ5カ国のおよそ1,800kmを横断するというこのレースに、国際山岳ガイドの江本悠滋が初めて挑んだ。フランスと日本を行き来しながら、世界の山をフィールドに活動する江本が世界最高峰のアドベンチャーレースに挑んだわけとは。このようなレースを生み出す、ヨーロッパの山岳カルチャーとは。日本のアウトドアシーンを発展させるために必要なものとは。日本が誇る“Mountain Man”の思いを、フランスからお届けしよう。

パラグライダーを始めて9年、兼ねてより江本さんが参戦への思いを口にしていた「Red Bull X-Alps(以下、X-Alps)」。日本ではまだそれほど知られていませんが、ヨーロッパのアウトドアマンの間では憧れをもって語れる「X-Alps」です。そもそもこれはどういうレースなのでしょう?

「X-Alps」とは、ヨーロッパアルプスの山岳地帯をフィールドに、徒歩とパラグライダーのみを用いて5カ国約1800kmの道のりをたった10日間で横断するというアドベンチャーレースです。日本の富山湾から北アルプス、中央アルプス、南アルプスを縦断して相模湾に至る「TJAR」の総距離が415kmといえば、このレースの規模をイメージできるかもしれませんね。完走率はわずか6%で、タフな環境はもちろん、レース規則の厳しさから全参加者のうち2名しかゴールできないこともあり、そんなことから「世界で最も過酷な山岳レース」と言われるようになりました。運営側が選抜する参加選手は名だたるトップパイロットのみ。パラグライダー歴9年余りの46歳の僕が、ここに名を連ねたことは異質だったかもしれません。

登山+パラグライダーという楽しみ方

レースの前に、パラグライダーへの挑戦についてお話しいただければと思います。江本さんといえばスキー、アルパインクライミング、トレイルランと、山岳をフィールドにするアウトドアスポーツ全般に通じているイメージがありますが、そもそもなぜ、新たにパラグライダーを始めたのでしょう?

まず、気候変動によって氷河が著しく後退したり、山の壁面や崖の氷が溶けて剥がれやすくなったり、登山道が荒廃したり、世界的に登山の危険性が増しています。そうした中で活路を見出したのがパラグライダーでした。というのも、現在のヨーロッパのマウンテン・アクティビティのシーンにおいて、パラグライダーはとても身近なスポーツなんです。

僕が初めてアルプスの高所でこれを目にしたのは、10年ほど前のモンブラン山頂のことでした。パラグライダーが次々と空から降り立つ様子を目撃したんです。山の頂というのは自分の足で登ってたどりつくもの

そういうイメージをもっていましたから、パラグライダーで飛んでこられるという事実に衝撃を受けました。ひと昔前のパラグライダーは重いし、かさばるし、飛ばないし、事故の原因になるしと、とても使えたものではありませんでした。しかし、テクノロジーのおかげで現代のパラグライダーは大きく進化しました。重量はわずか1kg、小さくパッキングできて安全性も高くなり、つまり高所で使えるギアになったのです。そのおかげで、アルピニズムを牽引してきたようなアスリートが山頂から飛んで降りるということを始めたんです。

山に登る人の多くは下りが嫌いですよね、膝は痛くなるし、時間もかかるし、登りよりも危険ですし。これまで5時間かけて下山していた行程も、パラグライダーならわずかで飛び立ち、そのまま下界に到達することができます。そんなわけで、登山+パラグライダーという形態がポピュラーになりました。ハイク&フライはヨーロッパでいま、競技人口がもっとも伸びているアクティビティと言えるでしょう。

こうして僕もパラグライダーにのめり込むようになりました。日本のスクールで習い始め、練習拠点をヨーロッパに移し、現在はフランスの国家資格を有するパラグライダーインストラクターとして活動しています。

アクティビティをクロスオーバーする

ヨーロッパでは登山シーンにパラグライダーが根付いているんですね。ガイドやアスリートだけでなく、一般の登山者にとってもメジャーなのでしょうか?

たとえば、「キリアン(※)がシャモニーの街からモンブランまで標高差4000m弱を3時間程度で往復する」と聞くと、すごいなと思う反面、違う世界の出来事のように感じますよね?けれども、パラグライダーを使えば、一般の人でもそれを実現できるようになります。だからヨーロッパ・アルプス周辺にいるアウトドアマンは皆、登れてスキーができ、そのうえ飛べるんです。だって、冬山に行く時、スキーを履いて行くことで行動範囲を広げられるように、夏山にパラグライダーを持っていけば機動力が格段にアップしますから。いまの時代、スマホを使えないといろいろ不便ですよね?それと同じ感覚です。滑る、飛べるができないと、ヨーロッパのアウトドアシーンではスマートに遊べないんです。

※キリアン・ジョルネ。スペインのトレイルランナー、山岳競技スキーヤー、デュアスリート、マウンテンバイクレーサー。2007年には山岳スキー競技のスペイン・ジュニアの代表に選ばれたほか、トレイルランナーとして過去に3回、UTMBを制覇するなど、マルチなフィールドで活躍している。

そのあたりが日本とヨーロッパの山岳カルチャーの違いでしょうか。日本ではアルパインクライミング、バックカントリースキー、トレイルランニングというようなアクティビティごとに、それぞれのジャンルが特化・深化されているようにも思います。日本とヨーロッパ、どちらのシーンもご覧になっている江本さんには、その違いがどう映っているのでしょう?

日本は世界の遊び方のメインストリームとは違う方向に進んでいるように感じています。未だにゴツい道具や靴で山に登っているとか、スキーヤーは山には登らないとか、トレイルではハイカーがトレイルランナーより優先されるとか。何か「シーンを発展させたくない」圧力があるのでしょうか。

日本のアルピニストがスキーをしない、走らないと聞くと、もったいないことだと感じます。こちらで「アルピニスト」といったら、クライミングなら9a、ボルダリングならV15(※)が登れて、トレイルランニングでは100マイルを走れて、空も飛べて、スキーもしくはスノーボードができて……なんでもできないと始まらない。どちらが良いとか悪いではなく、そういうアルピニストの存在がシーンを発展させているのは事実です。

※海外と日本ではクライミングおよびボルダリングのグレード表記が異なる。クライミングの9a(フレンチグレード)は5.14d(デシマルグレード)に相当する。同じくボルダリングのV15(USAグレード)は五段に相当する。

細分化されるカルチャーとクロスオーバーするカルチャー、その違いはどこから生まれていると思いますか?

1年を通じて山の中で遊んでいたら、おのずと遊びがクロスオーバーするんですよね。そう考えると日本の場合、山というフィールドに生活圏がないことが問題なのではないでしょうか。冬季はスキーヤーで賑わう街が、夏はシャッター街になる。そんな風景をよく目にしますよね?山に生まれ育った人たちも山で1年中遊ぶことができないから、そこでは生活しなくなる。東京や横浜、松本などアクセスのいい都会に暮らしながら、自分の遊びをするために適したフィールドに移動するという暮らしを選択することになる。もし谷川や白馬、穂高の山麓直下に、レストラン、ホテル、ガイド業などで1年を通じて人を呼べ、観光業で潤う街ができれば、必然的に移住者が増え、山で仕事をする人や山で遊ぶ人も増えるはずです。

僕はやっぱり、好きな山の麓に住んで、1枚だけ持っているシーズン券で山を遊び尽くしたいんです。雪があるときは滑ればいいし、なかったら飛んだりクライミングしたり沢登りをしたり、釣りをしても楽しい。あいにく、日本にはそういう環境が少ないように感じています。

地球全部を遊び尽くした、X-Alpsの経験。

「山のすべてを遊び尽くす」というお話しを伺うと、これまでに培ったスキルや経験をフルに生かすという点で「X-Alps」はまさに江本さん向きのレースと感じます。いま伺ったようなヨーロッパの山岳カルチャーから生まれた「X-Alps」について、まずは今回の概要、そして醍醐味をお話しいただければと思います。

X-Alpsは隔年で開催されているレースで、今年は6月11日から25日まで実施されました。今年のルートはオーストリアのキッツビュエルをスタートし、ドイツ、スイスを経由しながらヨーロッパアルプスを横断。モンブラン(4,810m)を折り返し地点としてイタリアを経由し、オーストリアのザルツブルク州、ツェル・アム・ゼーへ戻るというもので、5カ国にわたるルートは直線距離1,223km。選手はコース中に設定された15カ所のチェックポイントを通過しながらゴールを目指します。道中には岩壁を登る山岳地帯や雪崩の危険性をはらんだ雪山も含まれ、山岳地帯におけるハイク&フライ以外の移動技術も求められます。

1日の平均移動距離は100km以上、つまり、いかにパラグライダーで効率よく進むかにかかっています。いい風に乗れれば1回で100km以上進むことができますから。いい風をつかむために必要なのは、天候と地形を読み込み、どこで空気が温まって上昇気流が生じているかを見定める技術です。一方で、天候が悪化してハイクのみの移動で1日が終わるときもあります。さらに、いい風が吹いている地点まで走ったり登ったりすることもありますから、クライミングやトレイルランニングのスキルも必須です。風が変われば最適なルートも変わりますから、刻々と変化する自然環境を読み、自分の体力、スキル、経験から最適解を導き出して前へ前へと進む。これこそ、山岳における究極だと感じました。

このレースに参加できることになって、そして実際にハイク&フライでこの距離を完走して、どんな手応えをお持ちになりましたか?

そもそも、パラグライダーを始めたときにひとつの目標として掲げたのが、このレースへの参加でした。自分のなかで「パラグライダーの技術を身につけた」と言えるのは、このレースに選考されるレベルに到達したときだという思いがあったからです。「X-Alps」に参加できるのはパラグライダーの大会やアドベンチャーレースで成果を残している選手のみ。だから参戦できただけで素直にうれしかったですね。

僕が出たかった理由は、パラグライダーを使って自由にヨーロッパ中を移動できたらすごいなと思ったから。16歳でヨーロッパに来て30年、スキーの選手としてヨーロッパ中のゲレンデでレースに出場し、現在はお客さんを連れてさまざまな山へ出かけています。それでもまだよく知らない山域があるほど、ヨーロッパの山域は広大です。それを、人間の脚と人間が作った道具だけでぐるりと周ることができるなんて、にわかには信じがたい。だから参加したいと思いました。

13日間の総移動距離は2,300km超!

実際に走って感じたのは、4,000m級の稜線をいくつも超えるのは想像以上に大変だということです。レース序盤はパラグライダーでバンバン飛べて、直線距離でいくつもの山を越えることができたのですが、中盤になると天気が崩れ、だんだん飛べなくなりました。上昇気流の高さが下がってくると山を飛び越えられなくなるので、降りてハイクで山を越えなくてはいけない。すると移動距離がどんどん延びてしまう。ルートの直線距離は約1220kmですが、僕の総移動距離は13日間で2375.7km。つまり1日200kmくらい移動していました。ウルトラトレイルのレースは160kmですが、それ以上の距離を毎日移動して、かつ2週間続けられるというのは、飛ぶという武器があるからなんですよね。パラグライダーの面白さ、すごさを再認識しました。

僕はクライミングも大好きなんですが、クライミングの面白さは、岩壁にある数センチの凹凸をいくつも繋いで巨大な壁を登るところにあります。岩と凹凸という、自然が与えてくれた恵みを駆使するところに美しさを感じるんですね。パラグライダーも同じです。空気があって太陽があって、空気が温められて上昇気流が生まれて、それをつかまえて飛ぶ。さらに、地形という要素が加わるから谷風が吹く。それに乗って移動する。なんというか、地球にあるもの全てを使って遊んでいる実感があるんです。

 

 

それがレースとなると、どんな天気でも前に進まないといけません。通常は天気が悪い日は飛ばないのですが、どんなコンディションにあってもそのときなりの状況でゴールへ向かおうとします。そこには自然が与えてくれたものをすべて受け入れる純粋さがあると感じました。

レースを振り返って、そこから次のチャレンジは見えてきたでしょうか? レース後のデータをチェックしてみたら、総移動距離2375.7kmのうち、歩いた距離は573.6km、フライト時間は64.4時間。いずれも参加選手のなかでトップでした。完走できたことは自分にとってはボーナスのようなもので、いちばん良かったことは挑戦のレベルが一段あがったことでしょうか。このように自分のスキルをさまざまに組み合わせることで、また違う冒険を、別のフィールドで実現できるかもしれません。

いま興味があるのは8000m峰。従来のスタイルの高所登山には興味がないのですが、ハイク&フライでヒマラヤの山々を繋ぐことができたら面白そうだなと思っています。ヘリコプターを使う高所登山と違い、化石燃料を使わないところもいい。チャンスがあればそういう挑戦も考えてみたいですね。

えもと・ゆうじ
江本悠滋

1976年生まれ。アルペンスキー選手であった16才の夏に単身でフランス留学、選手生活後は 世界最難関の「ENSA(フランス国立スキー登山学校)」へ入学し、山岳ガイドとスキー指導員の両資格を取得。両資格を保持するのは日本人唯一。現在はUIAGM国際山岳ガイド、フランス国家資格山岳ガイド、フランス国家資格スキー指導員、フランス国家資格パラグライダーインストラクター資格をもち、日本とフランスを行き来しながら、山全体をフィールドにさまざまなアクティビティに挑戦している。名古屋でボルダリングジム「ZU-THONOE(ズットン)」、白馬(八方)でゲストハウス「ズットン白馬」を運営している。TNF ATHLETE PAGE

えもと・ゆうじ / 江本悠滋

Text : Ryoko Kuraishi

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