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ULTRA-TRAIL Mt.FUJI
レースから運営の裏話まで“MF”名場面を振り返る 鏑木毅×千葉達雄
2023年、ULTRA-TRAIL Mt.FUJIが帰ってくる!
来る4月21~23日、アジア最大規模のトレイルランニングの祭典が、4年ぶりに世界中のランナーを集める形で開催されます。
国内初の本格的100マイルレース、そして国内随一の国際トレイルレースとして、一歩一歩「理想の大会」への道を登っているULTRA-TRAIL Mt.FUJI。その道程には、表に出てくるもの、出できにくいものを含め、過去11年分のエピソードが詰まっています。
ランナーも、サポーターも、ボランティアも、応援者も。待ちに待った2023年大会をさまざまな角度から楽しむため、大会会長の“顔役”鏑木 毅さんと、同じく大会実行委員を務め、“運営の裏方”として汗を流す千葉達雄さんに、「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI、記憶に残る10の名場面」をお聞きしました。
ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 記憶に残る10の名場面
ーーー鏑木毅×千葉達雄 選出|順不同
1. 大会ボランティアが醸成する一体感
2. 2016年大会、無念の短縮開催&途中中止
3. 2007年のUTMB
4. 2017年の須山口登山道
5. 幻の第一回大会予定日に開催、クリーンアップ大作戦
6. 鏑木さん、富士山一周を諦めてください
7. 2012年大会、ラストフィニッシャーのゴール
8. 2018年大会、155kmからの逆転劇
9. 2019年大会、突如の降雪、そのときどうする!?
10. 2020年&2021年、失われた2年間
アジア最大級、過去最大の一体感が待っている
鏑木 千葉さん、今日はよろしくお願いします。
千葉 鏑木さんと顔を合わせると、開幕スピーチの英訳についてとか、ゴールの想定時間とか、色々とお話ししたいこと出てきますね。
鏑木 ハハハ、でもそれをやり始めるとキリがないから(笑)
―― 準備も佳境ですものね。そんなこんなで、本当に「いよいよ」という雰囲気が高まってきましたが、改めて、2023年大会でアップデートされたポイント、見どころを教えていただけますか。
千葉 まずはシンプルに、過去最大規模での開催だという点です。165kmカテゴリーのFUJIで約2400人、70mカテゴリーのKAIで800人と、初めて3000人の大台を超えます。
鏑木 ようやくここまで来ました。
千葉 はい。これまでは環境への配慮を含めてクリアすべきことがあり、なかなかこの人数まで増やせなくって。ULTRA-TRAIL Mt.FUJI(以下“MF”)はUTMBの姉妹レースとしてスタートしたのですが、実はそのUTMBを作ったポレッティさんに「大会として自立した運営を継続していくには、3000人は必要だ」と聞いていたんです。エントリーフィーによる収入はもちろん、地域への経済効果などを鑑みて。
鏑木 ついに拡大のフェーズに足を踏み入れます。理想のラインにはまだまだですし、参加者の顔が見え、僕らの声も届く距離感は今後も大切にしますが、3000人を超すランナーによる一体感や広がりが2023年大会の見どころのひとつになるはずです。
千葉 加えて、国際レースとしての姿も戻ってきます。
鏑木 各国の市民ランナーや、トップアスリートが帰ってきます。それがまた大会のお祭り感を盛り上げてくれるはず。この大会を思いついた当初から、日本で、世界中の人と日本のトレイルを共有したいという気持ちがありましたから。
千葉 自分は他にもIZU TRAIL Journeyなどいくつかの大会を手掛けていますが、イベントの雰囲気って結局は人が作るのだなと感じています。参加者が一体となって作り上げてくれる。
鏑木 世界中の人と同じ時間、同じトレイルで繋がることで、表面的な国際交流ではなく、深みのあるコミュニケーションが生まれるはずです。今から待ち遠しいですね。
――2023年大会が楽しみなのはもちろんですが、大会運営に深く関わってきたお二人には、これまでにさまざまなターニングポイント、忘れられないエピソードを経験してきたと思います。今日はそれを10の名場面に絞って、振返ってください。
千葉 自分は裏方業務が多いので、マニアックな話が増えそうですけど、大丈夫ですか?
鏑木 ぜひ! 僕も個人的に気になるので。
千葉 じゃあ、お互い順々に挙げて行きましょう!
“MF”名場面その1「大会ボランティアが醸成する一体感」(鏑木)
鏑木 2023年も最後尾からFUJIを走らせていただきますが、2022年に初めてランナーとして参加して実感したのが、大会運営を支えてくれるボランティアの方々の熱量です。とにかくいい雰囲気で、選手を迎える一挙手一投足が、一言でいうと「ランナー心を分かっている」。選手はこのボランティアの熱に支えられて頑張れるんですよね。
千葉 主要なエイドステーションのボランティアは、トレイルランニングコミュニティに運営を依頼しています。だからこそ、ランナーマインドに寄り添った一体感のある盛り上げ方をしてくれるんですよね。
鏑木 コース誘導やその他の業務の方も含めて、皆さん情熱的で。これまで数多くの海外のレースを走りましたが、他では考えられないホスピタリティに溢れていると、昨年改めて感じました。大いに自慢できるので、海外のランナーお迎えするのが今から楽しみですね。
“MF”名場面その2「2016年大会、無念の短縮開催&途中中止」(千葉)
鏑木 次は千葉さんから。
千葉 私はまず広報等の業務からスタートして、“MF”の運営自体に深く携わるようになったのは途中からなんです。その中で、裏方目線で時系列順に思い返してみると、悪天候の影響をもろに受けた2016年のある出来事は忘れられません。本来100マイルだったUTMFは44kmに途中短縮しての開催になりました。スタート30分前、開会式で短縮開催を告げる鏑木さんが感極まってしまって。
鏑木 私自身、2010年のUTMBで途中中止を経験して、大きな喪失感を味わいました。だからこそ、この大会に掛けてきた選手の思いに寄り添ったら、思わず落涙してしまいました。
千葉 希望者は翌日のSTY(当時開催されていた約70km〜90kmカテゴリー)にも振替出走していただけるという対応をしたのですが、そのSTYもスタート後に予想を超える豪雨に見舞われ、途中中止という判断を下しました。コース上は濁流で、選手は号泣、鏑木さんも涙……。そこで大会最終日に急遽、今回の判断の経緯に関して、ネットのライブ中継で説明することにしました。「これはちゃんと顔を出して、自分たちの口で正直に話をしないと絶対にダメだ」と。
鏑木 針のムシロになるのはほぼ避けられないのだけど、ネガティブなことほど、しっかりと自分たちの声で言葉を尽くす必要があるんですよね。
千葉 これ以降、参加者にとって何か大きな変更点、説明があるときは、ライブ中継でコミュニケーションさせていただくという今の形が出来上がりました。大規模レースとは言っても、双方向コミュニケーションが成立する程度の規模感がウルトラトレイルの魅力だと思います。だから2016年のことはターニングポイントになっています。
鏑木 最終日の短縮UTMFの表彰式のあと、場の流れで集合写真を撮ることになりました。「いい選択だった」「次に期待するよ」等々、いろいろな言葉を掛けていただいたのですが、この写真の皆さんが本当にいい笑顔で。翌2017年の開催はスキップし、時期を春に戻して仕切り直すことになるのですが、この集合写真には本当に救われました。
“MF”名場面その3「2007年のUTMB」(鏑木)
千葉 鏑木さん、それ厳密には” MFの名場面”じゃないですよ(笑)
鏑木 あっ、そうか(笑)。でも、このときの経験が“MF”のきっかけになっているので、自分としては外せないんです。
千葉 今でこの“MF”の日本流ローカライズが進んでいますが、やはり原点はUTMBですものね。
鏑木 2007年のUTMBで初めて海外のウルトラトレイルを経験して、100マイルという距離にレースとしては地獄の苦しみを味わい、空港では車イスに乗って帰国するほどだったのですが、見聞きした風景には人生観が変わる衝撃を受けました。当時の日本のトレイルランニングシーンは、マラソン大会の登山版といった趣き。でもUTMBの雰囲気は全く別モノで、スポーツを超えた感動の舞台になっていて。たとえばトップ選手だけが称えられるのではなく、むしろ最終フィニッシャーのゴールの瞬間こそ、開催地シャモニの街全体が大いに盛り上がるんです。家族でゴールする人も珍しくなく、参加する人すべてが主役になれる。帰国便の機内で、日本でこういう大会をやってみたい! そのためには100マイルという距離が必要だし、モンブランのようにシンボリックなフィールド、舞台装置が必要だと、インスピレーションが湧きました。
“MF”名場面その4「2017年の須山口登山道」(千葉)
千葉 先ほど2017年大会はスキップになったと話がありましたが、じつはこの年にこそ、今日の大会運営に至るまでのカギを握る出来事があったんです。以前の“MF”では、裾野市になる富士山の須山口登山道を一部コースとして使っていました。その須山口登山道を、地元保存会の方、行政、大会側ボランティアの3者で整備する機会に恵まれたんです。
鏑木 それまでは、トレイルレースは環境を破壊するのか、破壊しないのかと言った、山を走っても良い/悪いの2項対立の構造がありましたよね。
千葉 はい。その潮目が変わったと言うか、順応的ガバナンスと呼ばれたりするのですが、色んな立場、価値観でトレイルに関わる人や団体が一緒に出来ることが見つかったんです。昭和の時代は地域の方が整備をしていたのですが、時代の流れでそれが無くなり、手が回らなくなっていたところに、トレイルランナーがハマった。ひいては大会への理解も進んで。このときの流れで、今では富士山周辺のさまざまなトレイル整備に、さまざまな立場の方とともに関わらせていただく流れが出来ています。この2017年の整備が無ければ最悪大会が無くなっていた可能性もあって、そこに携わってくれていたトレイルランナーは、“MF”を今に繋いでくれた隠れたヒーローなんです。
鏑木 トレイルランナー自身が手を掛けたトレイルを通っているというダイナミズムを感じながら“MF”を走ってもらいたいですね。
“MF”名場面その5「幻の第一回大会予定日に開催、クリーンアップ大作戦」(鏑木)
鏑木 2012年に第一回大会を開催した“MF”ですが、実は2011年の5月21日が第一回大会になるはずだったんです。
千葉 でも東日本大震災と、その数日後の静岡県東部地震の影響が大きくて……
鏑木 震災後も一縷の望みをかけながら、開催への道を模索したのですが、社会情勢的にもとてもそんな雰囲気ではなくなり、断念しました。そこで、本来開催するはずだった日程で、コース周辺のクリーンアップ活動を実施したんです。この2日間にホントに大勢の人が来てくれました。のべ100人以上はいたんじゃないかな。2010年に選手を募集したとき、800名の定員が一瞬で埋まって驚いてはいたのですが、PCの数字上で見てきた単位の人数がゴミ拾いのために実際に集ってくれて、これはきっとよい大会になるのではという予感が生まれました。その時の高揚感は忘れられません。
“MF”名場面その6「鏑木さん、富士山一周を諦めてください」(千葉)
千葉 2018年大会から、富士山の周辺をぐるりと一周するコースに固執しないという決断をしました。私は良くも悪くも「UTMBの姉妹レース」としてスタートした場には居合わせず、後から入ってきた身です。大会の継続を冷静に考えたときに、一周するのは難しいと思ったんです。
鏑木 自衛隊の演習場のある御殿場エリアの通行許可を、毎年毎年取らなくてはいけなくって。これは国際情勢にも左右されます。この御殿場演習場以外にも、ここでこの担当者が首を縦に振らなければ一周回るルートが途絶えてしまう!という危ない橋を何度も渡ってきていました。一周しないことによるランナーの落胆はもちろん感じていたのですが……
千葉 理想は一周であることが間違いないのですが、モンブランの周りを一周するUTMBの一体は山岳スノーリゾートとしてある種まとまっているエリアであり、土壌が違うんですよね。
鏑木 ひとつの山をラウンドするという経験、ロマンは大きいですけれど、千葉さんの言うようにUTMBの理想をそのまま追い求めるのは厳しいと薄々感じていて、であれば自分たちも変わる必要がある、と。受け入れられるか不安でしたけど、新コースとなった2018年大会は稀にみる好天で、昼も夜も富士山がキレイに見えて、救われました。運が良かったのかな。
千葉 フランスの女性と日本の女性、どっちが美しいのかというのと似た次元の話だと思うんです。それぞれの良さがあって、好みは人それぞれ。壮大さでは適わないかもしれませんが、日本の里山の、落葉広葉樹が生む腐葉土のフカフカなトレイルは、多くの海外ランナーが羨望の眼差しを向けてくれます。日本の美しさ、素晴らしさを知って欲しいというローカライズに舵を切ることができました。
“MF”名場面その7「2012年大会、ラストフィニッシャーのゴール」(鏑木)
鏑木 一方でこれはUTMBを参考にして、第一回大会から今も続けていることですが、フィニッシュ制限時間が表彰式と閉会セレモニーの最中に重なるように設定しています。2012年の第一回のラストフィニッシャーがいざ式中に飛び込んできてくれたとき、会場が沸き、「これで全て終わった!」という気持ちになれました。
千葉 ビニール袋を片手にゴミ拾いをしながら100マイルを走ってくれた方でしたよね。
鏑木 その時の会場の一体感といったら。UTMBで見てきたあのシーンが実現したんです。100マイルには、他のスポーツにはまずないレベルの共有と共感があるのだと思います。トップアスリートが偉大なことを成し遂げて、それが凄いやで終わるのでなく、走っていない人、走らない人も共有できる場を作ろう、という決意が固まりました。
“MF”名場面その8「2018年大会、155kmからの逆転劇」(千葉)
千葉 2018年は天気がよかったという話が出ましたが、そのお陰で対応すべきトラブルが少なく、この年は自分もトップランナーのフィニッシュを目の当たりにできたんです。
鏑木 米国のディラン・ボウマンが優勝したのですが、レース展開としてはスペインのパウ・カペルが先行して、ずっとリードしていて過去の例からすると完全に勝ちパターンだったのに。
千葉 最後の霜山を登り切って、下り始めたところで逆転したんですよね。幸運にもその抜く瞬間を映像でも抑えることができて。前半で勝負が見えた!という展開ではなく、スポーツとしても成熟して、ここまでのレベルに来たのだなと感慨もひとしおでした。
鏑木 トレイルランの醍醐味がありましたね。
“MF”名場面その9「2019年大会、突如の降雪、そのときどうする!?」(鏑木)
鏑木 翌2019年はまた大きなトラブルがありました。大会2日目に雪が降って、コース後半のエリアに積雪してしまったんです。
千葉 終盤の杓子山エリアを控えていたランナーが大半で、このまま夜に突入すれば安全はとても担保できません。急遽、各ランナーがそのとき走っていた区間の、次のエイドを各々のゴールにするという対応をしました。
鏑木 イレギュラーもイレギュラーなので、そのランナーの回収がもの凄く大変なんですよ。でも、この時の運営スタッフの決断後の動きが素晴らしかった。臨機応変に、各自が自分に任せろと動いて、やり切ってくれました。本部ではホワイトボードにTO DOを手早く書き出してくれたりして。“MF”運営スタッフの組織力、実行力に我ながら感服しました。
“MF”名場面その10「2020年&2021年、失われた2年間」(鏑木)
鏑木 最後のひとつも僕が挙げていいですか?
千葉 どうぞどうぞ(笑)
鏑木 名場面という言葉にはそぐわないかもしれませんが、2020年、2021年と、コロナ禍で2回スキップしたことも忘れられません。100マイルに挑むのって並大抵のことではないんですよ。事前のトレーニング、準備は膨大なものになります。失われた2年間にも、親の介護の都合でこれが最後に機会になるからどうしても開催して欲しかったという声や、病気を患っていたのか体力的にラストチャンスだという声を耳にしました。100マイルは人生のあいだで何度もチャレンジするものではないというのが普通。それだけ重い競技で、何年もかけて準備してくれる。そのことを主催者やスタッフは忘れてはいけないんです。ウルトラトレイルだからこその喜びや責任、そこを大切にしていかなければと、思いを新たにしています。
――いざお話を聞くと、走るだけでなく、開催することも一筋縄ではないということがよく分かります。来る2023年大会とその先に向けては、どんな理想を描いていますか。
鏑木 僕は千葉さんのように実務的なオーガナイズ力があるわけではなく、レースプロデューサーの福田六花さんのように地元に住んでいて、根を張った活動ができるわけでもありません。だから自分の立ち位置は大会フィロソフィーに関わる部分にあると思っているし、生き様を通じていろんな人の心を繋げる役割を担えればと思っています。2023年大会を足掛かりに、アジア最高峰のトレイルランニング大会にしてゆきたいですね。
千葉 2023年はまさにこの12年間の集大成になっていますし、新しい取り組みをぜひ体感して欲しい。“MF”という非日常の場は、主催者やスポンサー、参加ランナーと、人によって関わり方がいろいろですが、その全員で作っている大会だと感じています。たとえば選手がマナーを守ってくれないと、成り立たないところが山のようにありますし。これがアジアの他の国の大規模トレイルランニング大会だと、もっとトップダウンで作り込まれていたりするんですよね。でも自分は、主催側が仕込めることなんてたかが知れているという気がしています。それぞれの人がそれぞれの解釈で盛り上げる“MF”を、ぜひ楽しんでください!
「NEVER STOP ___ING」 CAMPAIGN with ULTRA-TRAIL Mt.FUJI
ULTRA-TRAIL Mt. FUJIの会場内にあるフォトスポットで撮影した写真と、それぞれの「探求」に纏わる「NEVER STOP _ING」の想いを、ハッシュタグ「#neverstop_ing」と共にSNSに投稿! 投稿いただいた方に先着で、オリジナルステッカーを差し上げます。
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2023年4月20日(木)~2023年4月23日(日)
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