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Night Running in Tokyo
東京の新しいランクルー
ランニングクルー・ムーブメントが、世界中で拡がってきた。今日もどこかで、誰かが走っている。いま東京にはどんなスタイルのランナーがいるのだろう? クルーカルチャーを振り返りつつ、金曜の夜に走る7人の群像をお届けする。
マイク・セイスが初めて走ったのは1994年のマイアミのビーチで、距離は1マイル(約1.6km)だった。「硬い砂の感触がいいな...!」と思ったという。それで翌年にブルックリンでレースに出た。それから、もう長らく走り続けてきた。
2003年になると、仲間とNYCで橋の上を走った。これが、ランニングクルー・ムーブメントの広がりに大きな役割を果たすことになる『ブリッジランナーズ』の始まりになった。
同じ頃、ロンドンではチャーリー・ダーク(ランナー/DJ/ライター)が走っていて、2007年にはチームに『ランデムクルー』という名前をつけた。
(お互いの噂を知っていて、後にNYCで会うことになる)マイクとチャーリーは、ずっとこんなことを感じていたという。
「ランニングクルーは、それまでのランニングクラブとは全然違う。走ることに、カルチャーという要素を加えたんだ」
走ることは出会うこと
伝統的なランニング”クラブ”は、競技としてのランの楽しみを知ることができる場所だ。そこには、速く走れるようになる達成感、心身の限界ギリギリを攻めるスリル、そして走り終えた後の大きな満足感がある。
そういったランニングを通して得られる(ときに自己の内面を見つめる)感覚の一端は、70年代のジェイムズ・フィックス(『奇蹟のランニング』)やマイク・スピーノ(『ほんとうのランニング』)から村上春樹(『走ることについて語るときに僕の語ること』)まで多くのストーリーテラーによって言語化されてきた。
いっぽうで、ランニング”クルー”のランには、マイクやチャーリー以来、走ることを通して自分という個性が仲間や街といった周囲の存在と共鳴するような感覚がある。
自分が動く(Move)と、何かに出会う。そして、新しい仲間に出会ったりカフェやクラブへ走ったり、ランニングを通して走ること以上の楽しみに出会うことができる。街や自分の周りの「社会」を知ることができるのだ。
2013年に『ブラックローゼスNYC』をスタートしたノックス・ロビンソン(ランナー/コーチ/ライター)は、そんな感覚のことをインスタグラムで「Together We Move」と発信している。
そしてそんな『ローゼス』のランナーの様子を、チャドウィック・タイラーといったファッション・フォトグラファーが記録し、旧来のスポーツドキュメンタリーとは異なるビジュアル表現として発信してきた。
ランニングクルー・ムーブメントは、そのようにして世界各地に拡がった。
2020年代の変化
それから、特にコロナ禍以降、ランニングクルーにはこれまでとは少し異なる要素も加わるようになった。
開かれた感覚で、都市や自分の周囲のカルチャーに出会うランニングは、「社会性」の色合いがいっそう輝くようになった。
2020年頃から、米国でアジア系の人々への暴力が増加したことを受けて、ニューヨークの『チャイナタウンランナーズ』は、APPI(Asian American and Pacific Irlander:アジア系アメリカ人、太平洋諸島出身者)に対する偏見に対して、多様な人々が連帯するムーブメントをリードしてきた。『ブリッジランナーズ』と連携し、走ることを通して人間そのものがいかに多様であるかということを表現し続けているのだ。
ロンドンでは、『アウトランナーズ』が子供たちへの教育の機会を提供するためのランニングイベントやプログラムを開催している。トロントでは、『パークデール・ロードランナーズ』がコミュニティに包摂性をもたらすことを掲げて毎週火曜日のランを開催している。
そして東京のクルーもアクティブに走っている。土曜日の朝9時になると、代々木公園に集まるクルー『土曜倶楽部』だ。
ランの前に全員が短い自己紹介をする。何度参加したランナーであっても、必ず自己紹介を繰り返す。それぞれが自分が誰であるかを表明してシェアし、国籍等の違いに関係なく、誰であってもお互いを知って受け入れるようにするためだ。
『AFE』や『080 Tokyo』といったクルーとも交流をしながら、『土曜倶楽部』は誰もが受け入れられる場所を作りつつあるのだ。
変わらないスピリット
そんなふうに東京で走るクルーと、ある夜に神宮外苑を走った。
白いキャップと水色のトップスを着て、ニックネームでミアと呼ばれるイー・ソヒョンは、こう語る。
「走り始めたきっかけは、出身国の韓国で友達にランニングを教えてもらったから。自分にとって走ることとは、ポジティブなエネルギーを持つ人々に出会えるムーブメントです」
ミアは今年自分のクルー『FLR(フライデー・ロングラン)』もスタートして、人と街に出会い続けている。
ミアの横で、ソフトフラスクで水を飲みつつ、泉有人が楽しそうに話す。
「走ることで、新しい人と出会い、新しい世界を知ることが、自分にとってのランです。ランニングは世界を変えます!」
泉と二人で『ヤングガンズ』を主催し、長髪をなびかせて走る鈴木佑星も続く。
「走るというより友達とのコミュニケーションのツールです! 点と点がつながり、何本かの線ができる。その線を組み合わせることが自分にとって走ること。国内外を旅しつつ走りたいですね」
外苑を回るランニングが21時を過ぎる頃、アンジェラ・マオが笑顔で話した。「クライン・ブルー」のキャップを被っている。
「世界が良いところだということを探求することができるんです。しかもそれを、素晴らしいコミュニティと一緒にできる。それが自分にとって走ることですね」
ケンは『Paramoount running』でDJ/モデルのロノ・ブラジルと一緒に走ることも多い。「6大メジャーのレースを走りたい」と話すケンがかけているサングラスの先には、メジャーのタイミングで世界中のクルーが集まる「Bridge the Gap」ムーブメントが視界に入っているだろう。
彼らがマイクやチャーリー、ノックスと同じ感覚で話すのを聞くと、ランニングクルーのスピリットが今もずっと続いているのを感じる。
自分たちが新しい世界へ開かれ、新しい出会をしていくだろうという感覚は、いつだって消えないのだ。
世界の感触
ホワイトのトップスを着た市場江里子は、22時が近づいても楽しそうに走っている。
他のメンバーと同じく「ランニングはコミュニケーションを取る方法のひとつ」、そして、「美味しいものをゴールにするとき」「友達とたわいもない話で盛り上がるとき」が一番楽しいと言う。
金髪が街灯に映える加藤雅也は、「パリのランナーがかっこよかった」からランニングを始めた。加藤も「走ったあとのコーヒーとバナナブレッドのことを考えているし、走るとコーヒーが美味しくなる」と言う。
市場や加藤にとってのコーヒーとバナナブレッドの味は、マイク・セイスが感じた「硬い砂」の感覚と同じ種類のものだ。ランナーたちは、自分たちなりに世界に触れている。
それがどんなにささいなことだったとしても、そんなふうに具体的で開かれた感覚は、やがて社会の中でスタイルと呼ばれるものになっていく。それは、何年も続いていく、誇らしいものなのだ。