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RUNNING

Running in the North

ニセコに吹く新しい風

北海道の後志(しりべし)の中央部に、東の雷電海岸から西の倶知安町ヒラフ坂をつなぐ登山道がある。この道は、2024年の夏「ニセコトレイル」として本格的に開通する。このトレイルを走ることはどういうことなのか——ニセコの冒険家とローカルのランナー達の言葉から、その意味を探る。

新谷暁生は、ニセコのレジェンドだ。この土地に来て40年以上アウトドアを楽しんできた。

冬は、ニセコなだれ防止協議会ニセコなだれ調査所の所長として安全対策情報を発信し続けてきた。夏は、シーカヤックのガイドとして知床の海に向かう。

新谷は、自著『アリュート・ヘブン』(2004年、須田製版刊)をこんな言葉で始めている。

「ニセコは僕にとって、帰ってくる場所であり、またどこかへ出かける場所だった。僕はここからヒマラヤや南米に出掛けて行った。そしてここにも大勢の人が来た」

冒険家たち 新谷は70年代後半から旅を続けてきた。

ヒマラヤ・チャムラン峯登山隊、カラコルム・ラカポシ峯登山隊、アコンカグア峯三浦雄一郎登山隊サポートメンバーの隊長も務めている。シーカヤッカーとしては、南米最南端のケープホーン岬やアリューシャン、積丹や千島、知床の海を航海した。

そして、モイワスキー場山麓の新谷のロッジ「ウッドペッカーズ」には、多くの冒険家がやってきた。

例えば、ジョン・ダウドだ。ダウドは、南北アメリカ大陸をカヤックで横断し、シーカヤッキング史に残る雑誌『Sea Kayaker』や書籍『シーカヤッキング:長距離航海の世界』(山と溪谷社刊、2002年)を残した。

1986年の冬には、クリス・マクディビッド(ザ・ノース・フェイスを創業したダグ・トンプキンスの後のパートナー)と、イヴォン・シュイナード(パタゴニア創業者)が一緒にやってきた。新谷とスキーをするためだ。

シュイナードは、「新谷は自然と共によりシンプルな人生を歩もうとする我々の良き友人であり、インスピレーションの源である」と『アリュート・ヘブン』にメッセージを寄せている。

三浦雄一郎(ザ・ノース・フェイスアスリート)と共にエベレストに登頂することになる息子の三浦豪太(同)もニセコに来た。豪太は、札幌から約100kmの雪道を自転車でやってきたという。

自由を求めるスピリット 新谷がニセコを拠点に冒険をし、多くの冒険家もまたこの土地にやって来るのは、「やるに値する」ことがあるからだ。

「僕には仕事とそうでないものの境界がないように思う。僕には日常も非日常もない<中略>僕にとっては「それがやるに値するかどうか」がすべての基準だった」(同) 

新谷は、シーカヤックのプロジェクト「知床エクスペディション」を含め、「エクスペディション(expedition)」という言葉をよく使う。「冒険」や「遠征」を意味する単語だ。

「expedition」は、ラテン語の「expeditionem」に関連した単語だ。「ex」=外へ、「pedis」=「束縛、足かせ」、つまり「束縛の外へ」踏み出し、自由になるという意味のある言葉だ。

「自由」には、移動する身体という物理的な意味だけではなく、心を解放するという精神的な意味ももちろん含まれる。

冒険家たちにとって「やるに値する」こととは、そういう本質的な心身の自由を求め続けることなのだ。

自然と無名性 新谷が冬を終えて知床の海へ向かう頃、ニセコでは雪解け水が尻別川に流れ込む。

山が笹や白樺に覆われ、ランナーやハイカーたちが木漏れ日が光るトレイルを楽しむシーズンになる。

トレイルを覆う笹の丈は、山の西側では長く、東側では短い。冬の西風に吹かれて積もる雪の高さと同じだけ、春になると笹が伸びるという。大地のエネルギーが春になって発散しているように見える。

ニセコトレイルの鏡沼(Niseko Trail No.30(以下NT))には、アンヌプリ連峰の主峰ニセコアンヌプリの山影が水面に映っている。そこから見える山々に白樺の一種、岳樺(だけかんば)が伸びている。岳樺は、この土地特有のものだ。冬に積もる雪の重みで、横に、しなやかに伸びている幹もある。

風の感触と雪の重みを記憶するニセコの大地は、そうやってエネルギッシュに、しなやかな植物を育てていく。

イワオヌプリ(NT17)を登っていくと、サーフェスは赤茶色の岩場に変わる。硫黄の香りに包まれるトレイルを抜けて稜線に出ると、異星にいるように感じる。

白樺山(NT10)に移ってピークの岩の向こうを見ると、シングルトラックのトレイルがある。その先では、丸みを帯びた「無名峯」が陽に照らされて穏やかに佇んでいる。

笹と岳樺の繁る森を走り、地球ではないように感じる稜線を抜けて、人はついに「名前のない場所」に辿り着く。冒険者たちは、そこで「何者でもない自由」を得るのだ。

ローカルのランナー、平沼咲花や阪口伸二、岩舘早馬は、ニセコトレイルをそんな風に駆け抜けるのが楽しそうだ。

ロマンス・包摂性・畏怖 「自分の中でランニングは競うスポーツではなく、楽しさを感じるスポーツ、趣味です。記録やアルゴリズムにとらわれず、ロマンスを求めて山へ走りに行きます」

スキーのインストラクターを始め多彩に活動しながら走る平沼咲花は笑顔で話す。

ロマンス(romance)と関連する紀元1300年頃の言葉(romaunce)にもまた、「物語になった冒険」という意味がある。カラフルなウェアの似合う平沼もまた、物語を紡ぐ冒険家なのだ。

ブラックのシェルに身を包む阪口伸二は、ローカルのレストランで働き、旅行者やローカルの仲間など多くの人々と関わる多忙な日々を過ごしている。だから、その日の状況に応じて走る。

「アクセスも容易で、色々な山の景色を楽しみながら、その日の体調、モチベーションで走る距離を決める事ができるのは魅力的です」

広大な土地で旅をするように走るわけではない。むしろ1日の中で走らない時間の方が長い。ニセコトレイルは、ひとときの冒険者であっても懐に包み込んでくれるような、誰にでも開かれている場所なのだ。

岩舘早馬はまた少し違った側面から穏やかに話をする。カヤックの長い旅やハイキング、ロングランなど幅広いアクティビティを楽しむ岩舘ならではの言葉だ。

「季節によって咲く花や、鳥の声も違い、同じ山域でも場所によって感じる温度や風も違います。今は楽しませてもらってるだけですが、トレイルの整備で山にお礼ができたらいいなと考えています」

新谷暁生が雪山の様子を気にするように、岩舘もまたトレイルの状況を気にかける。冒険は、そのようにして自然と土地に対する畏怖の感情を呼び起こす。

ランナーたちは、ニセコトレイルの「無名峯」を気ままに走り、レースやFKT(Fastest Known Time)、ストリークの記録や名前といった固定性——あるいは規範や常識——から自由になる。そして、開かれた自然の中を進み、新しい季節の風を浴びて帰ってくる。

「ニセコは僕にとって、帰ってくる場所であり、またどこかへ出かける場所だった」

帰ってきたランナーたちは、新しい言葉で物語(romaunce)を語る。それは新谷暁生の言葉のように、冒険の物語として受け継がれていく。

語られる言葉が定着し、新しいランニングスタイルの名前らしきものになるのは、これからずっと先の未来のことになるだろう。

<参考情報>

「ニセコトレイル」とは?
北海道の後志の中央部を東西に横断する標高1,000m級の山が連なるニセコ山系。そこには、山々を繋ぐように40㎞ほどの登山道があり、岩内町の雷電海岸から、雷電山、岩内岳、目国内岳、白樺山、シャクナゲ岳、チセヌプリ、ニトヌプリ、イワオヌプリ、ニセコアンヌプリを越え、俱知安町のヒラフ坂まで、海から一本の線を描くように歩くことができる。それが「ニセコトレイル」である。その道中では、雷電海岸の岩礁地形、神仙沼などの高地湿地帯、イワオヌプリの火山性地形など多様な自然環境を楽しむことができ、また、下山後の温泉や地元での食事も魅力的である。
出典:北海道後志総合振興局環境生活課自然環境係プレスリリース

Words by M.Aoyama
Photography by Hiroto Miyazaki
Web Production Management by R.Muramatsu