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CampfireTales CampfireTales

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Photo (Bonfire) : GENTARO ISHIZUKA

 

 

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Photo (Bonfire) : GENTARO ISHIZUKA

CampfireTales1 CampfireTales1

 朝、森に陽が射しはじめると、今まで聞いたことのないような奇妙な鳥の鳴き声が、山間の渓谷に響きわたった。
 白砂の河原に張ったテントのフライシートとインナーメッシュのあいだには、数万匹のサンドフライが羽をブンブン羽ばたかせながら、寝起きの我々を待ち構えている。フードを深めに被りテントの外に出ると、昨夜の焚き火がまだ燻っていた。
 まわりに落ちていた小枝を集め、熾火の周りに組み上げて、顔を近づけ空気を送り込む。パチパチと音を立てて炎が上がった。ほどよい太さの枝を足していくと、火はよりいっそう勢いを増す。立ち上る狼煙が、顔の周りにまとわりつくサンドフライを追い払った。
 ニュージーランド南島。その中心に聳えるサザンアルプス山脈の西北部に注ぐモキヒヌイ・リバーが、今回の旅の目的地だ。南島のウエストコーストは、日本で言えば日本海側。季節風が強く吹き荒れ、ワイルドな自然の景色が果てしなく広がっている。
 南洋ブナとシダ系植物の森が広がる山岳地帯の山間を流れる川には、ジン・クリアーと呼ばれる透き通った水が滔々と流れている。森の濃い緑と真っ白な花崗岩の川底のコントラストが美しい、夢の様な風景だ。
 ニュージーランドに生息するブラウントラウトは、大型哺乳類などの天敵がいないおかげで大きく育ち、白昼堂々と浅瀬を泳いでいるという。底まで見えるほど透明な川を悠々と泳ぐ黄金の魚体。そんな噂を聞いて、僕たちはニュージーランドへ釣り旅に来たのだった。
 ニュージーランドでは春先にあたる11月は昼と夜との寒暖の差が激しく、山頂付近には白い雪がまだ残っていた。川の水は手がしびれるほど冷たく、トラウトのエサとなる虫たちも、それほど多くない。どうやら釣りには時期が早いようで、黄金の魚もなかなか姿を見せず、フライロッドから手に伝わる魚の感触を得ないまま何日も川をさまよった。 
 そのトレイルの入口は、海から20キロほど車で移動した場所にあった。そこからさらに20キロほど歩いた先に、いくつもの川が合流した湿原のような平地がある。そこをベースキャンプとして、いくつにも別れた支流を釣り歩く計画だった。
 バックカントリーと呼ばれる人の足の入らないエリアへと、地形図と勘を頼りに分け入っていく。テントと釣り道具、数日分の食料が入ったバックパックは肩に重くのしかかり、額からはとめどもなく汗が流れ落ちる。
 川幅が大きく水量も多いモキヒヌイ・リバーの河口部には、緑とも青とも言えない色をした水が轟々と流れていた。その上流部の川底に巨大なマス達が遡っているのを想像しながら、長い道のりを歩いた。 
 5、6時間は歩いただろうか。人間や動物の侵入を阻むかのように密集して生えるトゲトゲの薮をかきわけると、真っ白な砂浜と玉石の広がる河原に出た。急な山を登った先にある高原は気持ちの良い場所だった。斜度の落ち着いた川は、ゆったりとした流れで透明度が高く、川底が全て見渡せた。
 一刻も早く竿を出したい気持ちを抑え、まずは自分たちの寝床を作ることにした。夕方の良い時間にできるだけ長く釣りを楽しむために、先に夜の宴の準備をしておくのだ。テントの場所を決めたら、次は横の砂地を掘り下げ、大きな玉石を集めてかまどを作った。
 夜の準備が終わったら、いよいよ川へ向かう。ウェーダーを履き、ブーツの紐を硬く結び、フライロッドにラインを通す。川に足を入れると、山から吹き下ろす冷たく乾いた風が頬を撫でた。水は相変わらず透き通り、流れの緩い場所では川底が良く見えた。
 こんなときは無駄にキャストせずに、まずは魚を見つけるのが定石だ。川岸を上流へ向かって歩いて魚を探す。数百メートルほど遡ったところで魚体が見つかった。魚に見つからないように、そっと後ろから近づいて、フライが魚の目の前に流れつくようにキャストする。息を潜めながら川面を流れるフライを見つめるが、しかし魚は見向きもせずに、どこかへ泳ぎ去った。
 この日は終始そんなやりとりが続き、悔しい気持ちを胸にキャンプ地に戻った。あらかじめ準備しておいたかまどに薪をくべ、その火で料理をつくり、食後も火の温もりを感じながら、とりとめのない釣り談義に花を咲かせた。ザックの奥底に潜ませておいたウイスキーのお湯割を飲みながら、メラメラと揺れる光の下で地図を広げ、僕たちは翌日の作戦を練った。
 翌日、モキヒヌイの支流のさらに支流に、ヘンプヒル・リバーという川を見つけた。トレイルもない荒野を進み、川を何度も渡り、湿原に生える胸まである茅の草原を数キロほど掻き分け進んだ先に現れた、深緑色の川だ。山から流れる沢の水を集めたその川は川幅も狭く、水は大きな玉石のあいだを勢い良く流れていた。その景色はまるで日本の山岳渓流にも似ており、親近感を覚えた。
 いくつもの玉石をよじ登りながら進むと、ほどよいトロ場があり、流心となる場所に黄金の魚体がゆらめいていた。高まる気持ちを抑え、そっとフライをキャストした。
 川面を流れるフライが魚の視界に入った瞬間、黄金の魚は鼻先をゆっくりと上に向けた。そして大きく育ったワニのような口をちょこっと開けてフライを吸い込んだ。電光石火のごとくロッドを煽り、フッキングする。
 その大きな魚体は、大石の川を縫うように走り回り、数分にわたる抵抗の末、ついに真っ黒に日焼けした僕の手に収まった。滑らかで冷たい魚体は妖艶で、ニュージーランドの自然のなかでは一際目立つ鮮やかな黒と赤色の斑点模様が、金色のボディにちりばめられていた。
 数日間に及んだ釣りの旅の最終日の朝。いつものように川の水で顔を洗い、寝癖を直す。連日の焚き火と汗で顔はベトベト。強い日差しで焼けたのか、ススによる汚れか。いつのまにか真っ黒になった顔を見合わせて僕らは笑った。 
 手の甲はサンドフライの攻撃で赤黒く腫れ上がり、着ていた衣類には焚き火の匂いが染み込んでいた。あのとき魚に気づかれなかったのは、数日間のキャンプ生活で僕らがすっかり人間臭さを失い、自然に溶け込んでいたからだろう。
 テントをたたみ、焚き火に水をかけると、数日間にわたって燻り続けた熾火から真っ白な煙が舞い上がった。そして、この長かった冒険の幕を閉じるかのように、かまどを崩し砂に埋め、また再びこの地へ戻って来れることを願いながら、僕たちはその場を後にした。

布施智基(ふせ・ともき)

プロ・スノーボーダー。ザ・ノース・フェイス所属アスリート。1975年東京生まれ。モンタナ州ボーズマンへのスキー留学をきっかけにフライフィッシングやバックカントリースノーボードなどのアウトドア・アクティビティに傾倒。約10年前、白馬へ拠点を移し、現在はバックカントリーツアー会社〈COLOR SPORT CLUB〉のガイドも務めている。冬はバックカントリースノーボード、春から夏にかけてはフライフィッシングに興じる日々。

 

 

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CampfireTales2 CampfireTales2

 ロブスター・リバーをゆっくりと漕いでいく。色付いたカエデの葉がセイル・ボートのように水面を静かに滑っていく。水の色は澄んだダーク・カラー。ノース・ウッズ(北部森林地帯)の川や湖はどこもブラック・ウォーターだ。スプルース(トウヒ)のアシッド(酸化物)が水の色をブラック・ティー・カラーに変えるのだ。
 9月8日、午後4時。ロブスター・レイクのキャンプ・サイトに上陸。アレクサンドラがさっそく焚火を起こす。焚火の両端にY字形の木の枝を立てて、そこに長い横棒を渡す。その横棒から何本かのチェーンをたらして、吊り取手の付いたポットをそのチェーンに吊るす。これは、メインのノース・ウッズで古くから人気のある焚き火のスタイル。昔のウッズマン(樵)やハンターやカヌーイストの焚き火を今に伝えるものだ。チェーンの両端にはS字環がセットされていて、下端のそれにポットの柄を吊るす。もう一方のS字環は横棒をグルッとまたいでチェーンの環に差し込まれる。S字環が差し込まれる位置によって、ポットと焚火の焰の距離がきまる。シンプルだが合理的な、“自在カギ”なのである。
 やがて、コーヒー・ポットに湯がたぎる。そこにコーヒーの粉を直接投げ入れる。ポットを吊るしてあるチェーンを横にずらして火力を弱める。キャンプ・サイトにコーヒーの香りが漂い、みんなが集まってくる。コーヒーの粉がポットの底に沈むのを待って、銘銘にコーヒーをカップに注ぐ。チェーンの自在カギに吊るされたポットからコーヒーをカップに注ぐときには、ポットをチェーンから外す必要はない。チェーンに吊るされたポットのハンドルを握ってポットを傾ければいい。
 フィルターもパーコレーターも使わないこのキャンプ・コーヒーは案外いける。コーヒー・カップの底にはコーヒーの粉やカスが少しは沈むので、それは飲みほさずに捨てる。とはいえ、コーヒーのカスがときどき口の中に入り込んでくる。それを吐き出しながらコーヒーをすする。このキャンプ・コーヒーはアウトドアならではのものなのだ。
 キャンプ・コーヒーは焚火の火で沸かした湯で作らなければならない。コーヒーの味に焚火の煙の匂いが混ざって独特の香りがする。そこがキャンプ・コーヒーの美徳なのであって、コールマンのガソリン・ストーブで同じことをしても、キャンプ・コーヒーの味は出ない。
 焚火を取り囲むようにしてテントを張る。マットレスを敷いて寝袋を広げる。テント内を整え、いつでも寝袋にもぐり込めるようにしておく。

カヌー・キャンピング

 湖にカヌーを漕ぎ出す。夕映えの湖面がゴールドに輝く。さざなみが立って、そのゴールドが揺れる。鴨の一群が黒いシルエットになって森の梢の上空を渡っていく。鱒のライズ・リングはどこにも広がらなかった。フライロッドは一度も振らずにキャンプに帰る。
 ギャレットとアレクサンドラは夕食の支度に忙しい。わたしはさっき研いでおいた米を炊く。焚火の焰に囲まれたポットから炊き汁がふきこぼれて、ご飯がたちまち炊き上る。ポットをチェーンの自在から外して石の上に置いて、ご飯をむらす。
 六時半。夕食の支度が整う。今夜のメニューはポークのソテーに茹でたカリフラワーにトウモロコシ、そしてご飯。内緒でカヌーに積み込んだ缶ビールを出してきてハンクと乾杯する。でっかい鉄のフライパンで焼き上げたポーク・ソテーにかぶりつく。カリフラワーとトウモロコシがおいしい。ご飯もバッチリ炊けている。みんなもおいしいライスだと言ってくれる。アレクサンドラが「ヨシ、毎晩ご飯を炊いてくれないか」と言う。「簡単なことさ、まかしてくれ」と応える。
 おもいおもいに夕食を終える。デザートはコーヒーにバナナ。そのバナナの皮とトウモロコシの芯は焚火の側で乾かしてから、火にくべて燃やす。
 慎ましやかな焚火を囲んで森の夜をすごす。焚火の焔が消えそうになればまた薪をくべていく。目が森の夜の暗さになれてきて、焚火の焰が明るいものになっていく。このキャンプに、コールマンのガソリン・ランタンはない。キャンプ・ストーブもない。ローソクもない。焚き火のほのかな明りだけが、キャンプ・サイトの照明のすべてだ。湖の対岸の森の梢の上空、天の川が流れている。
 森の中をゆるやかに流れる川があって、その川をカヌーでたどっていくと湖がある。その湖岸の深い森の中にキャンプ・グラウンドがあって、湖面を見下ろす場所にキャンプ・テーブルが置かれている。その側で焚火がチョロチョロと燃えてて、六人の男と女が今そこでカヌー旅行の第一夜のキャンプを楽しんでいる。岸辺には三艘のウッド・キャンパスのカヌーが船底を上にして置かれている。
 昔、いつだったか? とある湖の岸辺のキャンプの絵? それともそれは写真? 子どもの絵本だったかもしれない? それは昔のL・L・ビーンのカタログのカバーの絵? それは確かに初めて訪れたメインのノース・ウッズでのカヌー旅行のキャンプなのだが、なぜか懐しさがこみあげてくる体験だった。自然のただ中で気持ちのいいキャンプを体験している時には、いつもそういう不思議な懐かしさがこみあげてくる。初めて訪れたロシアのカムチャッカの川旅でもそうだった。そしてそこには、揺らめく焚火の焰と煙の匂いがあった。そんな旅のなかでも特別に懐かしく思い出されるのはメインのノース・ウッズのこのカヌー旅行だった。それは川から湖へ、そしてまた川から湖へたどった4泊5日のキャンプ旅行だった。そのキャンプにはいつも焚火の 焰と煙の匂いがあった。

 焚火が好きだった。焚火のないキャンプ旅行はなんだか寂しい。焚火にはデジャヴュがある。デジャヴュとは不思議な追体験的錯覚のことだ。初めての体験なのに、以前にも同じ体験をしたようにおもってしまう心理的現象のことである。誰にでもそういう体験はある。どうしてそういう錯覚がおこるのかは、昔から心理学上の重要なテーマでもあった。またそれは、神学的な神秘主義と結びついて、霊魂の不滅説として説明されたりもしてきた。
 デジャヴュとは、こういう現象のことである。たとえばきみは今、見知らぬ町を一人で旅している。それは北海道のローカル線の駅のある町であるかもしれないし、エルク・ディアーの鳴くモンタナの田舎町かもしれない。いずれにしたって、きみはその町を初めて訪れたのだ。そしてきみは、一人でその町をなんとなくぶらついている。と、その瞬間、きみはその町を歩いている自分が以前にもいたような錯覚にとらわれる。その時きみは、その町を歩いている自分をもう一人の自分がどこからか見てるような思いにとらわれることだろう。それは、本来ひとつのものであるはずのリアリティーが分離しているような錯覚である。とある田舎町を歩いている自分を思い出している、もうひとりの自分がいるような感覚におちいるのである。
 デジャヴュは、疲れている時やリラックスしている時に起こりやすいといわれている。いずれにしても、それは興奮している時には起こりにくい。人が興奮状態にあるとき、そんな思いにとらわれれば危険だからである。ベルグソンという哲学者は、デジャヴュを次のように説明しようとした。
 体験とは時間を生きつづけることである。我々は時間という弓矢と共に未来にむかって突き進んでいる。時間の弓矢はロケットのようなもので、過去や記憶はそのロケットの後に存在する。しかし何かの瞬間に、時間のロケットが自分よりほんの一瞬先に行ってしまうことがある。すると人は、今起こっていることを追体験している錯覚にとらわれるのだ……と。それは、現実的な体験を一瞬遅れて認識してしまう心的状態のことだと。いずれにしても、デジャヴュとは、一度も経験したことがないのに、すでにどこかで経験したことがあるように感じてしまう心的状態のことである。既視感と訳されている。
 わたしの場合には、焚火の焰をみつめながらキャンプの夜をすごしている時にデジャヴュがある。キャンプの夜や焚火の火には、そういうマジックが確かにあると感じる。焚火やローソクの焰をみつめてうっとりすることを、スワヒリ語で、“アナポタ・モト”という。“火を夢みている……”。という意味だ。わたしは、焚火の焰をみつめてアナポタ・モトするのが好きな夢野夢男だった。そして、アナポタ・モトはデジャヴュを呼ぶのである。
 それを神秘的な体験として、ことさらなことのように考えるのは好みではない。しかし、デジャヴュはおもしろい体験だし、何だか自分を自分で笑えて楽しい。ロブスター・レイクでは見事なデジャヴュがあった。1994年の9月8日にロブスター・レイクでキャンプして森の焚火を楽しんでいる自分をもうひとりの自分が懐かしんでいると感じた。その日は今から150年前に、ヘンリー・ソローがロブスター・レイクをカヌー旅行した日でもあった。
 手付かずのいい自然があって、カヌーでそこを訪ねて焚火のキャンプを楽しんでみれば、それは150年前のソローの「森の生活」と同じ体験をすることなのではなかろうか? あのキャンプにコールマンの青白いガソリン・ランタンやガソリン・ストーブがあれば、それは全く違うキャンプ旅行になっていただろう、とおもう。
 焚火は、タイムレスな森のクッキング・ファイヤーであり照明でありストーブであり、そして昔の人の“森のテレビジョン”でもある。それは、アナポタ・モトとデジャヴュのためのテレビジョンなのではなかろうか?
 焚火の焔をみつめてアナポタ・モトしている自分を、もうひとりの自分がデジャヴュしているという体験はおもしろいものだ。なぜなら、わたしたちは今、バックミラーも見ずにものすごいスピードで今あるこの文明の一本道を突き進んでいるからである。だが、この高速道路がどこに向かっているのかは誰も知らない。

本稿は2001年に出版された田渕義雄さんの著書「アウトドアライフは終わらない」(晶文社)から一部を抜粋して再録したものです。

田渕義雄(たぶち・よしお)

1944年東京都生まれ。作家。園芸家。薪ストーブ研究家。家具制作者。1982年、日本一標高の高い信州の村に居を移し、自給自足的田園生活を始める。著書に「森からの手紙」、「山からの手紙」、「森暮らしの家」(以上、小学館)、「フライフィッシング教書」、「バックパッキング教書」、「寒山の森から」「薪ストーブの本」(以上、晶文社)、「森からの伝言」(ネコ・パブリッシング)ほか多数。

 

 

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CampfireTales3 CampfireTales3

 シーカヤックにカメラ機材やキャンプの装備を積載して、アラスカの氷河に面した海岸沿いの原野を巡り、目の当たりにした風景をフィルムに収める。そんなスタイルの撮影旅行を、かれこれ10年ほど続けている。
 旅のあいだの晩ごはんの米炊きは全て焚き火でおこなっている。燃料をガスから焚き火へと代えるだけで、かなりの荷物が削減できるし、ガス燃料の詰まった缶は使い終わったらゴミになる。そのゴミを荒野を旅するあいだずっと持ち続けることは、相当なストレスなのだ。
 アラスカの海岸で焚き火の燃料となる流木を集めるのは簡単だ。しかしそれでも最初のころは雨風のときに備えて僅かばかりのガス缶を持参していた。しかし、タープで炊事場の屋根を作れば普段と同じように焚き火ができることがわかってからは、タンク式の液化燃料を持たずに旅をするようになってしまった。
 シーカヤックで移動をしながら撮影をしていると、1日があっというまに過ぎていってしまう。毎日、朝から晩まで呆れるほどの回数のパドリングをして、その先々で立ち止まり撮影をして、日が落ちる頃にはテントを設営。翌朝には撤収。その合間に2食ぶんのご飯を作って食べる。
 そんな1日の労働の締めにあるのが夕暮れどきの焚き火だ。焚き火は一人で過ごす夜には最高のエンターテイメントであると同時に、米を極上のごはんへと仕上げるための調理手段でもある。
 米を美味しく炊くには、いくつかの行程をこなさなければならない。
 まずはベッドをつくることから始まる。
 ベッドとは地面の上につくる火床のことだ。海辺から適当な大きさの石を拾ってきて地面の上に並べれば完成だ。風が強く吹いているときには風防となる石垣をベッドの周りに築かなくてはならない。
 焚き火のベッドはテントから離れた場所に設置する。そうしておけば、もしも真夜中に森のクマさんがやってきて炊事場に残った食事の匂いをクンクンクンクンとやりに来たとしても、寝込みを襲われる事態だけは回避できる。炊事場はテントから離れた場所につくるべし。それがアラスカン・キャンプの鉄則だ。
 薪は大中小とサイズの異なる流木を拾い集め、ベッドの周りにキレイに並べて置いておく。荒野で焚き火をしているというのに几帳面すぎると思うかも知れないが、キレイに並べておくことは重要なポイントである。
 焚き火の焔の加減は、くべる木のサイズとタイミングで調整することになる。そのためにも手元には然るべきサイズの流木が整然と用意されていることが好ましい。
 サイズの異なる流木が揃ったら、いよいよ着火だ。残念ながら僕には着火に対するこだわりは無い。集めておいた枯れ葉などに、使い捨てライターで着火するだけだ。
 米炊き用の焚き火に大切なのは、下火を十分につくっておくことに尽きる。派手さは要らない。とろりとするくらいの下火ができたなら、すぐにでも米を炊き始めることができる。
 僕は、2本の太い流木、「米バー」と呼んでいる木を焚き火のベッド上に橋状に渡して、その上に飯盒を置いて炊飯をしている。
 石の上に焚き火用の網を置く一般的な方法の他に、木で櫓を組んで上から吊るすなど、焚き火にも様々なやり方があるだろうが、最も簡単で余分な荷物も持たなくて済む米バー式が僕は好きだ。
「はじめチョロチョロチョロ、なかぱっぱ、赤子泣いても蓋とるな」
 いつ覚えたかもわからない、これは炊飯の作法を伝える標語である。
 炊きはじめの頃は火力をすこし強めにして飯盒内の水を沸騰させ、残りはゆっくり下火で炊いていくのが米炊きの基本中の基本だが、最後の「赤子泣いても蓋とるな」を守るのは実はかなり難しい。炊けたかどうだか見たくなってしまうのが人情だ。しかし、そこはぐっと我慢です。蓋を取るたびに、味が霧散してしまうのだと知るべし。
 焚き火コメ炊きの猛者は、どうやって炊きあがりの具合を見極めるのか? 答えは単純。鼻をクンクンさせて、少しでもコゲている匂いがしたら、速やかに火から飯盒を下ろす。この「少しおコゲもできている感じ」が、きっと良いよね。吹き出しても慌てずに、飯盒を脇にのけて、そのまま米を蒸らしながら、残り火でサササと即席の味噌汁を作って待ちます。
 飯盒の蓋を開け、良い香りの白い湯気が立ち上り、非の打ちどころもないほどに完璧に米が炊きあがっていたときの感動たるや。逆に、米炊きに失敗してしまったときの無念さといったら筆舌に尽くしがたいものがある。自然の中で1日じゅう頑張ってきたのだから、最後の米くらい、ふっくら柔らかのものを食べたいのです!
 アラスカの荒野では獣たちが怖いから、焚き火はすこし大きめに残しておく。その火に照らされながら、焚き火のアロマが飯盒中に充満した米をただ無心に頬張っていると、「今日も、いい良い1日だったなあ」と、ホッと一息が自然と出るに違いない。
 美味しい飯を、ひとり荒野で食らっているときに、背後の森でお腹をすかせた何者かの気配がするが、それはあくまでも気配である。森の獣たちが一緒に火にあたりに来るということは絶対にありえない。
 野生の動物たちにとって焚き火の匂いは、森の奥へと逃げていなさいというサインなのだ。そう考えると、人間と野生生物とを決定的に分け隔てる何かが焔の中にはあるような気がしてくる。
 人間は言葉を話し、鉄で斧を作り、iPhoneで写真を撮り、夜空を横断していく人工衛星を発明した。そうやって文明や技術の進歩を遂げた生き物だけが持ち得る「知」と呼ばれるものの根源が、もしかしたら、この炎の中に存在するような気がしてくる。
 炎の先をじっと見つめる。赤と黄色のグラデーションが美しい炎のウェーブは、そこから放たれた熱量で僕の手前の空気を歪ませて、ほのかな眠りを誘う。
 今日も1日、じゅうぶんに頑張った。明日も色々なトラブルが起こるかもしれない。でも、流木で起こした焔で完璧な米炊きができるなら、きっと悪くない1日になるはずだ。
 チカチカと揺れる火種を見つめ、満腹感と疲労感に包まれながら、僕は目を瞑るのだった。

石塚元太良(いしづか・げんたろう)

1977年東京生まれ。シーカヤックに大判フィルムカメラを積載して荒野を巡り、アラスカの氷河、パイプライン、ゴールドラッシュの遺構などを撮影している。2011年、文化庁在外芸術家派遣員を歴任。2014年、写真集「PIPELINE ICELAND/ALASKA」(講談社)で東川写真新人作家賞受賞。2016年、ドイツSteidl社が主催するSteidl Book Award Japanでグランプリを受賞。同社より写真集を刊行予定。今夏、POLA美術館で開催される「Syncopation」展(8月10日〜12月1日)に参加予定。

 

 

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