サンゴは、
おそらく生き残る。
試されているのは
人間のほうだと
思います。
私たち人間が生きていく上で、雨風をしのぎ、外敵から身を守るための家が必要であるように、海の生きものたちにとって家の役割を担うのは、寒い地域ならばケルプ(大型藻類)であり、暖かい地域ならばサンゴ礁だ。
とりわけ、サンゴ礁は世界の海洋全体の面積からすれば、わずか0.1パーセントほどであるにもかかわらず、海の生きものの4分の1に“家”を提供している。まさに、この地球上でもっとも生物多様性に満ちた重要な生態系のひとつと言える。そのサンゴ礁もまた、気候変動の影響を受けて、今も刻一刻と変化を続けている。
この数十年、世界各地でサンゴの白化や死滅、そして魚介類の不漁のニュースは、あとを絶たなかった。普段、目にすることのない海の中では、どんな変化が起こっているのだろう。数万年という海の変化を年輪のように刻み続けてきたサンゴ礁をもとに、地球規模での気候変動解析と未来予測を行う研究機関であり、次世代を担う子どもたちの教育プログラムを行う「喜界島サンゴ礁科学研究所」を訪ねた。
研究者が、研究成果を人々の生活へと
還元するために
鹿児島県、奄美群島の北東の先に位置する喜界島は、およそ10万年前から続くサンゴ礁の隆起によってできた島である。しかも、現在においても年平均2ミリメートルの速度(かなり速い)で隆起していることから、サンゴ研究フィールドとして世界的に注目を集めてきた。
この島で、廃校となった小学校跡地に「喜界島サンゴ礁科学研究所」を立ち上げたのは、北海道大学大学院理学研究院の講師で、サンゴ礁に刻まれた地球環境変動を研究する渡邊剛さん。オーストラリア国立大学、フランス国立機構研究所、ドイツ・アーヘン工科大学、ハワイ大学ケワロ海洋研究所と、世界各地の研究機関でサンゴの研究を重ねてきたのちに辿り着いたのが喜界島だった。
「喜界島に研究所を構えたのは、サンゴ研究の聖地であることだけでなく、研究フィールドに拠点が持てるというのも魅力でした。僕らは研究をして論文を書きますが、その論文によって研究者としては評価されても、研究成果が人々の暮らしに還元できるかというと、ちょっと遠い。海外の研究所も、多くはフィールドとは遠く離れた都市部にありました。
たとえば、熱帯の発展途上国に調査へ行くと、気候変動以外の人為的なストレスも多く、ダイナマイト漁(爆弾の衝撃波で魚を獲る漁法)なんかでサンゴもろとも破壊していくんです。そこで漁師に対して遠くから来た研究者が、『それはよくない。いずれ魚が獲れなくなるよ』と言っても、『じゃあ、明日の収入をどうしてくれるんだ』と返されたらそれまでなんですよね。そうした経験から、研究フィールドに拠点を置こうと、この研究所を作りました。喜界島は、研究成果を島民とダイレクトにシェアできる唯一の場所だと思ったからです」
サンゴの生態系は
北へ向かい、
日本各地で
獲れる魚が
変わってきている。
現在最新のデータとされる国際組織「地球規模サンゴ礁モニタリングネットワーク」(GCRMN)の2020年のレポートによると、2009〜2018年の間に世界のサンゴ礁の14%が減少、炭素排出量を急速に削減しないかぎり、今世紀の終わりまでにすべてのサンゴ礁が白化するとも報告されている。
「喜界島サンゴ礁研究所」が開設したのは、今から7年ほど前。喜界島を拠点としたサンゴをめぐるフィールドワークから、渡邊さんは日本沿岸部のサンゴの変化をどのように見てきたのだろう。
「サンゴが生息するのに適した海水温は、25〜28℃くらい。30℃を超える状態が長く続くと白化(サンゴの体内で共生している褐虫藻が失われて、光合成ができなくなること。この状態が続くと死滅する)してしまいます。実際、気候変動の影響で海水温が上がってきているので、日本沿岸部のサンゴも北へ北へと“逃げて”いる。『このままだとサンゴは絶滅する』というのを否定できる研究者はいないと思いますが、僕はわりと楽観視しています。おそらく何かしらの形で適応していくだろうと。少なくとも5億年くらい、サンゴは白亜紀のものすごく暑い時代も、深海でひっそり息を潜めて乗り越えて生きてきましたから。海水温上昇や酸性化など、デリケートに影響を受けてしまう弱さがあるけど、根本的には強いんです。適応能力がある。むしろ、適応できるかどうか、という意味では人間のほうが弱いかもしれません」
地球温暖化を解決するには、温室効果ガスの排出自体を減らす「緩和」と、社会や経済システムを自然のサイクルと寄り添うようにスローダウンさせていく「適応」が必要だと言われている。植物や動物は、いつの時代も常に変化し続ける地球環境を敏感に感じ取り、適応しながら生態系ピラミッドを変化させてきた。では、人間は? 動植物のような適応能力を持てているだろうか。
「サンゴが北へ移動すれば、当然、海の生態系も変化していきます。なので、今日本各地で獲れる魚種が変わってきている。最近、いろんな県の漁業組合に呼ばれて、『魚はどうなってるんだ』と意見を求められることがあるんですが、その土地によって受け取り方もまちまちです。生態系が変わってきていると説明すると、『それなら仕方ない、漁法を変えて獲れる魚を獲っていこう』という地域と、『いや、伝統の漁法を守るんだ』という地域がある。その土地で本来獲れてきた魚介類に対して漁法が生まれ、食文化が育まれ、それを回すマーケットができあがってきた。これを変えられるかどうかなんですよね。皮肉なことに、COVIT-19でハワイに観光客がいなくなって、海の生態系が回復したというのが話題になっていましたけど、人間活動が自然の回復の速度に合わせられるなら、バランスを取り戻すことはできると思います」
これからさらに地球の変動が大きくなると言われる中で、人間はどう適応していけばよいのか。そのヒントもサンゴ礁生態系にあると、渡邊さんは言う。
「この研究所には、『100年後に残す』という理念があるんですが、まさに海の資源を100年後に残そうとすれば、人間活動も一緒に考えていくしかないんです。先ほどの漁業者の話のように、人間は何か一つを最適化させると、最適化を生かそうとしますが、サンゴ礁というのは多重構造の集合住宅を形成することで育まれた生物多様性を残そうとする。そうした意味では、喜界島の人々の営みは、とてもサンゴ的と言えます。一つひとつが200人くらいの集落で、それぞれ自然の恵みを生かした独自の持続可能な伝統文化を築き、時に集落同士が助け合い、島という集合体を維持し続けてきた。これが長い歴史の中でずっと保たれてきたというのが、すごいことだと思います」
大人に環境問題を
説くよりも、
子どもにフィールドを感じてもらうこと
これまで、普段接することのない遠い存在だった科学の分野が、地球環境の大きな変化によって、一般生活者である私たちも理解すべき身近なことへと変わってきた。研究者たちがサンゴ調査から感じ取ったことを、人々の暮らしと紐づくように伝えていくために、研究所の設立当初から始めたのが、子どもたちの教育プログラムだった。渡邊さんとともに研究所を立ち上げた、九州大学大学院理学研究院の助教でもある山崎敦子さんは、子どもと研究者とが出会う場をつくることで、その糸口が見出せたと話す。
「研究所をつくろうと、喜界島に移住してきたのが2014年。まだ島の人たちとも馴染んでいない時に、研究所のことを耳にした小学校の先生が、授業に呼んでくれたんです。島の子どもたちが普段から見慣れている“石のようなもの”が、実は『サンゴの化石』だったと聞くと、目がパッと開いてキラキラしてくる。それ以来、子どもたちが放課後になると研究所にサンゴを持ってきてくれるようになって。家でもサンゴの話をしてくれるので、島の大人の人たちとも自然と交流が生まれていきました。私たちの研究を“どう伝えるか”を考えるよりも、ただ、さまざまな個性を持った研究者と子どもたちがフィールドで出会う場をつくればいい。そのほうが純粋に伝わっていくんじゃないかと思いました。それで毎年夏に全国の小中学生を集めた『サイエンスキャンプ』を開催するようになったんです」
研究所が毎年夏に開催している小学3年生〜中学生を対象とした「サンゴ礁サイエンスキャンプ」。
研究所が毎年夏に開催している小学3年生〜中学生を対象とした「サンゴ礁サイエンスキャンプ」。
当初は、島の子どもたち中心だった「サイエンスキャンプ」も、回を重ねるごとに噂が広がり、日本全国から集まるようなった。すると、違う土地に暮らす子どもたち同士が出会うことで、見える世界が大きく開けていく。さらには、高校生や大学生からのニーズも増えて、高校生クラスや大学生のインターンも受け入れるようになった。
「今の子どもたちは、学校のカリキュラムに環境問題が組み込まれているので、多くを説明しなくても、一緒にフィールドへ出るだけで知識に紐づいていくんです。大学生たちを見ていてもそう。授業に関係なく、友だち同士で気候変動について話し合うような場面は、私の学生時代には考えられなかったですから。ここは学校ではないので、教える必要はないと思っているんです。わからないことをわからないと言える場所であり、わからないことをわかるためには、いろんなことをしなくてはならない。研究者から島民までさまざまな立場の人が共に解決しようと力を出し合う姿勢が見せられたらよいと思っています」
Text: Eri Ishida
LOW
CARBON
EATING
私たちの日々の食事は、
アウトドアフィールドと
つながっている