Vol.1 / TSUTOMU ENDO
今年の五月、グリーンランドに一ヶ月ほど滞在して人々の暮らしぶりを撮影してきました。
これは、そのときに撮影したイッカク猟の様子です。
グリーンランドにはイヌイットと呼ばれる先住民族の末裔がいます。犬に乗って狩りをして生きる狩猟の民で、いまでも昔ながらの暮らしを送っています。
北極圏に属するグリーンランドは島の面積の約八割以上が年間を通して氷と雪に覆われているため、野菜や穀物が育ちません。そのためセイウチ、アザラシなどの海獣や魚を主食として暮らしてきました。イッカクもまた彼らにとって貴重な食料で、北部の村では現在でもカヌーをつかった伝統的な猟が続けられています。
イッカクは北極海に暮らす哺乳類。シシャモやエビなどを主食として数頭の群れで暮らしている鯨の仲間です。体長は約五メートル。雄は一本の長い牙を持ち、十九世紀頃までは伝説上の動物と言われていました。現在は絶滅危惧種に指定されているため、捕獲は禁止されていますが、イヌイットに限り狩猟が許されています。
伝統的な銛猟
グリーンランドの五月は、それまで海を覆っていた厚い氷が融け始める季節です。
この時期のグリーンランドでは太陽が朝も晩も沈まない「白夜」と呼ばれる現象が続きます。太陽の光で厚い氷が融け始めるこの時期、イヌイット達は狩りの準備に追われます。
今回の旅の目的地は、前回の旅で知り合ったエスキモーの猟師が暮らすカナック村でした。
カナック村はグリーンランド北部の半島に位置する漁村で、人口は約600人。ここでは古くからこの地に住み着いた先住民族が、いまでも伝統的なイッカク猟を続けています。
イッカク猟は数人が一組となって複数のチームでおこなわれます。猟師たちは潮の満ち引きや風の様子を注意深く観察しながら、頃合いを見計らって猟に出かけます。
カヌーとキャンプの道具を積んだ犬橇に乗って、氷が張った海の上を沖合まで移動してベースキャンプを張り、回遊中のイッカクが岸に寄って来るのを何時間も、ときには何日もかけて待ちます。
移動の距離は約10キロ。犬橇に二時間ほど揺られ、ようやく狩猟の現場に着くと、ところどころ海氷が融けて黒い水面を見せていました。
イッカクは海中や氷下を泳いで移動するので、その姿を目視で確認することは困難です。では、どのようにして獲物の到来を知るかというと、彼らの呼吸音を頼りにするのです。
北極の氷上は風が止むと水を打ったような静けさに包まれます。その無音のなかに「シューッ、シューッ」とダイビングのレギュレーターから漏れるような呼吸音が聞こえてくると、獲物が近づいてきている合図です。犬橇からカヌーを素早く海へと降ろし、いよいよイッカク銛猟が開始されます。
イッカクの姿を確認すると、一人乗りのカヌーに乗ったハンターが気づかれないように後ろからスーッと近寄っていって銛を突き刺します。銛に結んだロープの先にはアザラシの皮でつくった浮袋が結ばれていて、イッカクが海中へ潜って逃げるのを妨げます。
イッカクは魚類と違って肺で呼吸をするため、数十分ごとに空気を吸うために海面に顔を現します。そのタイミングを狙って身体に銛を何本か打ち込み、いよいよ弱って海面へ再び姿を現したところで、最後は小型ボートに乗り換えてライフルの弾を撃ち込むのです。
銛を打つときは一人ですが、誰かが仕留めたことがわかると近くの海上で狩りをしていた他のチームが集まってきます。みんなで力を合わせてイッカクを氷上へと引きあげると、その場で解体作業がおこなわれます。
猟師たちはナイフを巧みに使って15キロ位づつのブロックに肉を切り分けて、犬橇がいっぱいになるまで積み込んでいきます。一台の橇に積めるのは一、二匹。だから多くても二匹捕獲したら猟は終わりです。イッカクに最初の銛を刺してから解体作業が終わるまでは三時間ほどかかります。
解体されたばかりの肉片を少し分けてもらって口に含むと、赤身の方は臭みのない良質なレバーのような味がしました。
グリーンランドまでの道のり
これまでスノーボードの写真を専門に撮影してきた僕が、なぜグリーンランドへ通うようになったのかというと、僕の生まれ故郷で現在の活動拠点でもある長野県大町市で感じた気候の変化が関係しています。
僕は長野県の北西部に位置する大町市で生まれ育ち、現在もこの土地を拠点に撮影活動を続けています。大町市は黒部アルペンルートの玄関口として知られる人口わずか二万五千人の町です。標高は七〇〇メートル。周りは山に囲まれており、日本海の湿った空気の影響で、冬にはたくさんの雪が降るところとして知られています。実家は祖父母の代から旅館業を営んでいて、子供の頃から雪に慣れ親しんできました。
スノーボードと出会ったのは中学三年のときです。九〇年代のはじめにスノーボードが日本に紹介されると、すぐその魅力にとりつかれ、シーズン中は朝から晩までスノーボード三昧の日々を過ごしてきました。
スノーボードの写真を撮りはじめたのは十九歳のときです。子供の頃から図工や美術が得意で、何かを表現することが好きでした。それで自然とカメラにも興味を抱くようになり、スノーボード仲間のライディングの写真を撮るようになったのです。
温暖化の影響
これまで20年にわたって日本や世界の雪山を巡っては、スノーボードの写真を撮影してきました。主な撮影対象は、スノーボードをライフスタイルの中心に置きフリーライディングの世界を追求するスノーボーダー。一般的に知られているオリンピック競技としてのスノーボードとは違うスタイルでライディングを楽しんでいる人たちです。
彼らはボードを担いで自らの足で何時間もかけて山を登り、バックカントリーというフィールドのなかで、自然がつくりだした地形の上にベストなライン(滑り跡)を刻むことを至上の命題としています。まだ誰も滑ったことのない斜面や崖をめざして雪山の奥深くへと分け入っていく彼らに同行して、僕はこれまで写真を撮り続けてきました。
スノーボードの写真の良し悪しは天候や雪質に大きく左右されるものです。せっかくライダーが見事な滑りをしても吹雪のなかでは良い写真は撮れないし、雨が降れば滑りに影響が及んでしまう。それでも15年ほど前までは、厳冬期の夜に乾いた雪が降れば、翌朝にはパウダースノーを滑降する様子を撮影することが期待できました。
ところが、その頃から真冬の気温に異変が現れ始めたように思います。前日の夜に質の良い新雪が降ったのに、翌朝になって太陽が昇ると急に気温が上がってベトベトの雪に変わってしまったり、それまでにはなかった厳冬期の雨のせいで雪面が凍って雪崩が頻発しやすい弱層ができてしまったり。これまで経験したことのなかった不測の事態が頻繁に起こるようになったのです。
それがいよいよ顕著になってきたのが今から10年ほど前からです。
氷と雪の魅力
その頃からスノーボードの写真を撮影する傍らで雪の写真を撮るようになりました。雪の写真と言っても絵画のような構図の風景写真ではなく、雪山でスノーボーダーが間近に目にしている雪の質感や色や匂いといった、これまでカメラが切り取ってこなかった雪にまつわる微細な美のかたちを写真で表現してみたいと考えたのです。
そう考えるようになった理由のひとつが地球温暖化に対する危機感でした。
冬には氷上でワカサギ釣りが楽しめた地元の湖にも、何年か前から氷が張らなくなってしまっている。このまま温暖化が進めば冬に雪を見ることさえもままならなくなってしまうのではないか。そんな危機感から、いまやらなければいけないこととして雪を記録しはじめたのです。
「いつか消えてしまうかもしれない貴重なものを写真で記録しておきたい」と考えるのは写真家の性ですが、貴重だから記録するというだけではなく、自然が生み出した造形物としての雪の美しさや価値を世に問いたいという思いがありました。
季節が変わると、どこからともなく降ってくる雪。太古の昔から繰り返されてきたこの自然の神秘的な営みが、温暖化によって失われてしまって良いのだろうか。そんな思いも込めながら、山に入ったことのない人にも雪の美しさを感じて欲しくてシャッターを切り続けました。温暖化の恐怖を煽るのではなく、美を共有することで、地球が抱える問題について多くの人と意識を共有できないかと考えたのです。
雪と水と地球の関係を主題にかかげてニュージーランドの氷河やアイスランドの氷河で撮影をしたこともありました。雪と氷がつくりだす神秘的な景色に魅せられるうちに、よりスケールの大きな景色や氷山を見てみたいと考えるようになりました。グリーンランドに通うようになったのは、そのような意識の流れが発展した結果と言えると思います。
部族に寄せる思い
グリーンランドを目指したもうひとつの理由に「部族」に対する興味と羨望がありました。
グリーンランドの先住民族であるイヌイットは四千年前から部族的な暮らしを送ってきた人々です。彼らは生活のための道具も食料も全て自たちでまかない、わずかな人の輪のなかで自然の恵みを分け合いながら昔と変わらぬ暮らしを続けてきました。
僕は部族的な生き方に昔から興味がありました。彼らの生き方には今の僕たちが失ってしまった何か大事な学ぶべきものがあるんじゃないかと考えていたのです。
しかし、彼らが実際どのようにして生活を成り立たせているのかはわかっていませんでした。電気もガスもない氷上の暮らしとは、いったいどんなものなのか。雪や氷に閉ざされた世界で自給自足的な暮らしを送ることなど、本当にできるのだろうか。昔から抱いていたそんな疑問を、いつか明らかにしたいと思っていました。
さらに、それとは別のもうひとつの「問い」に対する「答え」を知りたいとも思っていました。
地球温暖化は、先進国の人々が産業活動を促進するために発生させた温室効果ガスが原因だと考えられています。それに歯止めをかけるには、資源を無駄に使わずに済むような暮らしへとパラダイムシフトをしなければいけません。
とはいえ、現代的な生活に慣れてしまった僕たちが石油や電力を使わずに暮らすことができるのかというと疑問が残ります。
それを現実のものにするには、昔ながらの生活を送っている人たちの暮らし方に学ぶしかない。大量の資源や食料を消費することを前提に成り立っている現代社会が今より先の未来へと進むための智慧は、ひょっとしたら先住民族の暮らしのなかにあるのではないだろうか。
そんな考えから、彼らの智慧を学んでおきたいと考えたのでした。
イヌイットの暮らし
グリーンランド滞在期間中には、さまざまな気づきがありましたが、なかでも驚かされたのは、暮らしに必要な道具を何でも手作りしてしまう彼らの創造力の高さでした。犬橇やカヌーはもちろん、マイナス30度の寒さにも耐えられるカミックと呼ばれるアザラシと兎の毛皮で作る防寒靴、紫外線から目を守るために海獣の骨を削って作ったサングラス、アザラシの骨や皮でつくられた狩りの道具。化学や物理が発見されるよりもずっと前から、手に入るものだけで、生活に必要なものを独自に生み出す彼らの知恵には学ぶところが多いと実感しました。
しかしその一方で、先住民族の昔ながらの知恵が失われていることに落胆したことも度々ありました。その原因も、どうやら私たち先進国の経済活動が引き起こした地球温暖化の影響ではないかと思えるのです。
かつてグリーンランドの海は、10月の終わりから翌年九月までは陸から80キロメートル周辺までが厚い氷で覆われていました。それがこの10年間の平均気温の上昇により12月から7月頃までしか氷が張らなくなってしまいました。
地元の猟師に聞いた話によれば、海の氷の厚さも二メートル近くから70センチにまで減っているそうで、それによって、これまで海氷上に犬橇を走らせて行ってきたセイウチやアザラシなどの海獣の狩りが立ち行かなくなっただけでなく、かつては遠洋で暮らしていたセイウチが沿岸にまでやってきてアザラシの幼獣を襲ったり、貝を食べ尽くしてしまうなどの害が見られるようになってしまったというのです。
グリーンランドの先住民族には、キビヤックやイヒュアンナと呼ばれる保存食づくりの伝統がありました。キビヤックはアザラシの表皮を袋状にして海鳥を詰め、それを地面に埋めて三ヶ月ほど放置して、発酵が進んだ状態で掘り起こして食べるというものですが、この発酵食づくりも気温上昇の影響でうまくいかなくなっていると聞きました。
温暖化というと、私達は氷河の融解による海面上昇ばかりを思い浮かべがちですが、ほかにも温暖化による様々な好ましくない影響がエスキモーの従来の暮らしを変えつつあるのです。
イヌイットの昔ながらの暮らしに影響を与えている、もうひとつが貨幣経済です。
彼らは数十年前までは電気もガスも使わずに、狩猟によって食料を自給して暮らしてきました。それが今では観光産業や資源開発の影響でイヌイットも貨幣経済の恩恵に授かるようになり、寒い季節には毛皮に身を包む代わりに石油ストーブで暖を取るようになりました。まだ完全にではないけれど移動手段もカヌーからモーターボートに、伝統的な犬橇からスノーモービルに代わりつつあります。狩猟も、かつては自分たちが食べるぶんを捕るためのものだったのに今では収入を得るための営為となり、自給自足の暮らしも現金で食べ物を売り買いする暮らしへと様変わりしつつあります。
生きる智慧をもとめて
世界各地の先住民の伝統的な暮らしが失われつつあることは予想していたけれど、あまりにも急激な生活様式の変化の波が極北の地にまで押し寄せていることに驚きを禁じえませんでした。
このままで行くと伝統的な暮らしも、あと数年で完全に消滅してしまうかも知れません。部族的な暮らしに終止符が打たれてしまうことは残念なことです。もっとも、そのように考えるのは先進国に暮らす我々のエゴであることも理解しているつもりです。イヌイットだって僕たちとおなじような快適で便利な暮らしの恩恵に授かりたいと考えるのは当然のことでしょう。とは言えこれまで何千年も続けられてきた暮らしが跡形もなく消えてしまうのは、やはり残念でなりません。
温暖化や文明の介入によって彼らの暮らしが今度どう変化していくのか。それに対して私たちは、どんな態度を示すべきなのか。この難題の解決方法を今はまだ見つけられていませんが、僕らがすでに失っているかも知れない「生きるための智慧」を求めて、僕はこれからもグリーンランドに定期的に足を向けてみたいと考えています。地球の辺境に身を置くこと。そうすることでしか知ることのできない微細な変化を感じること。シフトの鍵はそこにあるのではないかと信じながら。
© Tsutomu Endo
遠藤 励(えんどうつとむ)写真家。
1978年、長野県生まれ。大町市在住。15歳のときにスノーボードと出会い、19歳からスノーボードの写真を撮りはじめる。以来、20年以上に渡り国内外のスノーボードカルチャーを撮影してきた。2015年、スノーボーダーのライフスタイルを記録した写真集『inner focus』(小学館)を発表。2018年、富士フィルムギャラリーXにて写真展「北限の今に生きる」を開催。同年、自主制作による作品集『Vision quest』を発表。近年はグリーンランドに通い、失われつつある自然環境や先住民族の暮らしをカメラで記録し続けている。