THE NORTH FACE®
CONTENTS NO.05 A NEW WALL TO CLIMB
CONTENTS NO.
05

A NEW WALL TO CLIMB
Akiyo Noguchi
2024.07.11

新しいクライマー像を切り拓く
野口啓代だからできる新しい挑戦

2021年、東京で開催された世界的大会を最後に、競技者人生を終えた野口啓代。自身の集大成となったその大会では表彰台にのぼり、有終の美を飾った。世界中のクライマーから尊敬され、スポーツクライミング界の第一線で戦い続けてきたレジェンドだ。引退後も、変わらず登り続けている。スポーツクライミングの大会で成績を残すことが最優先だった競技者時代と、ロッククライミングを楽しむ今との違いとは。

現役時代は“息つく暇のない日々”だった

「今は自分のペースでやれているので、シンプルに楽しいです。クライミングを通じて自分自身を成長させたいという気持ちは変わらず持っていて、トレーニングを積み、一つひとつ自分の目標をクリアしながら、岩を登っています。現役中は楽しいだけではいられませんでしたね。プロ選手として成績を残さなければならないプレッシャーが大きくて、もう生きるか死ぬかくらいの気持ちで取り組んでいました。それでも大会で優勝して嬉しいのはその日の夜くらい。次の日からまた辛いトレーニングとプレッシャーに追いかけられていました」

現役時代、そこまで追いつめられながらも、クライミングを続けてこられた熱意はどこから湧き上がってきていたのだろう。

現役時代は“息つく暇のない日々”だった 現役時代は“息つく暇のない日々”だった

「自分に負けたくないというプライドです。やると決めた自分自身との約束を守ることができたので、納得して次のステージに進めました」

現役時代は“息つく暇のない日々”だった

後進のクライマーたちにできること

“次のステージ”=セカンドキャリアでも、日本スポーツクライミング界の顔であることは変わらず、クライミングの普及に尽力する日々を送る。

「目標はいろいろあって、今年はユース大会を開催する予定です。地元の龍ヶ崎と連携を取りながら、世界的なジムを日本に作りたいですし、国際大会も開催したいですね。大きなことをするには人もお金も必要で、みなさんの応援が大切な後押しになってくるので、まずは自分が応援していただける活動を積み重ねて、日本クライミング界の未来につなげていきたいです」

自らが充実したセカンドライフを送ることで、後進の選手たちのロールモデルになることも自覚的だ。

「クライミングの普及活動は、現役中から情熱を持ってやってきたつもりです。それは、競技者ではなくなった今も変わりません。クライミングの場合も他のマイナースポーツと同じく、選手がセカンドキャリアを築くのが本当に難しくて、私の先輩でコンペで活躍していても、引退後にプロ活動を積極的にやっている方はほとんどいないんですよね。たとえば日本で人気の野球なら、メディア活動以外にも、少年野球の指導者やアスリートのサポートなどさまざまな道が開けているのですが、まだまだクライミングは、世界的な大会に出ていないと厳しいのが実情なんです。それでも、競技を問わずセカンドキャリアで活躍しているアスリートの方々にお話を聞く機会が増えて、40歳、50歳になった時のイメージが以前より持てるようになりました。まずは自分が道を開いて実績を積み、セカンドキャリアにおいてもスポーツクライミング界で“第一人者”と言っていただけるようになっていきたいです」

現後進のクライマーたちにできること

そもそも彼女がクライミングに出合ったのは11歳の時。クライミングに対するイメージは、今とは隔世の感がある。

「私が始めた頃は本当にマイナースポーツで、ジムも競技人口も少なかったですね。落ちたら危ない、危険なスポーツという認識のされ方だったと思います。ワールドカップを転戦し始めても、コーチや監督が帯同せず、一人で遠征する事もありました。フライトやホテルを調べて手配するのも自分。成績以前に、大会に出場できるかどうかも行ってみないとわからず、すべてが自己責任という時代でした。それは貴重な経験になりましたし、そうした時代が自分を成長させてくれたと思います」

後進のクライマーたちにできること 後進のクライマーたちにできること 後進のクライマーたちにできること 後進のクライマーたちにできること

妻としてできるサポートのカタチ

私生活では、同じくクライマーの楢﨑智亜選手と、‘21年の大会後に結婚。昨年は第一子が生まれた。前回大会で大きな挫折を味わった楢﨑選手が、ベストのパフォーマンスを出せるようにサポートもする。同じように、国中の期待を背負ってきた野口さんだからこそ、わかることもある。

「私も経験してきたのでプレッシャーはもちろん、人前での振る舞いや見られ方にも気を遣っているのが、痛いほどよくわかるんですよね。今は競技に集中できるように、なるべく家のことで時間を取らせたくないですし、彼に競技以外のストレスをかけないように気をつけています。言葉を掛ける時は、智亜の気持ちの整理がついてから。ネガティブな指摘から入らないようにしています。自分の考えがまとまっていないのに、周りからいろいろ言われると、考えることをやめてしまったり、自分の本当の気持ちに気づけなくなってしまうんです。どうサポートできるのか、日々葛藤しながら私自身も成長させてもらっています」

妻としてできるサポートのカタチ

実は、競技者の楢﨑選手と、自身とは真逆だそう。

「私はものすごく負けず嫌いで、大会でも練習でも自分ができないことが気になって仕方なかったんです。智亜はもっとポジティブに受け止めていて、よかった時の印象に目を向けるタイプで羨ましいと思う時もあります」

365日クライミングに費やしていた現役時代と同じように多忙であることは変わらないが、子育てに仕事に、そしてクライミングに。悩みながらも自分らしいバランスを探っている最中だ。

妻としてできるサポートのカタチ

「子どもができて自分のことよりも子どもが最優先になりました。小さい頃の経験が、後々になって大きな影響を与えると思うので、いろんなことを経験させてあげたいですし、もっともっと子どもに時間をかけてあげたい。そう思いながらも、自分のクライミングをする時間や目標に挑戦する時間があるからこそ、育児も家事もまた頑張ろうと思えるんです。世の中のお母さんも仕事などでも挑戦をしたいという「葛藤がある」のではないかと思うんです。私はやっぱり登ることが好きなんです。目標を達成したら、さらに高い目標に向かって頑張りたい。そのサイクルが本当に楽しくて。そうしていく事で日常までもが楽しく、豊かになるんです。やはりクライミングが好きで本当にクライミングに出合い、色々な経験をさせていただいていることに感謝しています」

妻としてできるサポートのカタチ

野口啓代

プロ・フリークライマー。1989年5月30日生まれ、茨城県出身。小学5年生の時に家族旅行先のグアムでフリークライミングに出合う。クライミングを始めてわずか1年で全日本ユースを制覇、その後数々の国内外の大会で輝かしい成績を残し、2008年には日本人としてボルダリングワールドカップで初優勝、翌2009年には年間総合優勝、その快挙を2010年、2014年、2015年と4度獲得し、ワールドカップ優勝も通算21勝を数える。2018年にはコンバインドジャパンカップ、アジア競技大会で金メダル。2019年世界選手権で2位。自身の集大成、そして競技人生の最後の舞台となった東京2020大会では銅メダルを獲得。2022年5月、自身の活動基盤となるAkiyo's Companyを設立。今後は自身の経験をもとにクライミングの普及に尽力し、また「Mind Control」(8c+)、「The Mandara」(V12)を凌駕するような外岩の活動も積極的に行う。

PHOTO BY Mai Kise
TEXT BY Sakiko Kozumi
EDIT BY Ryo Muramatsu