THE NORTH FACE®
CONTENTS NO.04 BELIEVING SOMETHING INVISIBLE
CONTENTS NO.
04

BELIEVING SOMETHING INVISIBLE
Tomoa Narasaki
2024.07.09

たくさんの失敗を重ねてきた
楢﨑智亜が“見えない力”を信じられるようになるまで

クライミングとの出合い

日本を代表するトップクライマー・楢﨑智亜。高い跳躍力や俊敏性を活かした、ダイナミックかつ自由に壁を登るさまは、“Ninja”とも評される。そんな彼がクライミングに出合ったのは、10歳の時。兄について行ったジムで、クライミングの自由さに魅せられた。

「もともとやっていた器械体操は、すべてがきっちりしていて練習した通りにやるものだったんです。クライミングは対照的で、もっとラフだし遊んでる感覚があってすぐに好きになりましたね。中学生になってからトップ選手の映像を見るようになって、人間ってこんなにも壁で動けるんだ、強くなれるんだと感動して、本気でトップを目指すようになりました」

クライミングとの出合い

高校を卒業するとプロに転向。常に結果を求められる厳しい環境に、自ら身を置いた。そして、2年後の2016年、ボルダリングでW杯年間総合優勝。2019年には世界選手権複合王者となり、再び世界の頂点に立つ。

「‘16年の時は、自分が年間総合優勝したことをすぐには信じられず、びっくりしたというのが正直なところでした。2回目の’19年の時は、優勝できるだけの実力を持っていると自覚した上で、しっかり勝つことができたので嬉しかったですね。壁を登っていて一番嬉しい瞬間は、落ちると思ったのに落ちなかった時。限界を超えた一手が決まった瞬間は本当に気持ちがいいです」

競技人生最大の失敗

活躍をすればするほど、注目が高まっていく。翌年開催される予定だった自国開催された世界的な大会では、クライミングが初めて正式種目に採用されたこともあり、メダル獲得への期待が膨んだ。しかし、金メダル最有力候補として臨んだその大会で結果を出すことができず、4位に終わる。試合後の取材エリアでのインタビューは茫然自失だった。

「あの時、どんなコメントをしたのかまったく覚えてないです。そのくらいきつくて、とにかく早く一人になりたいと思っていました。それまでも、上手くいかなかったことはたくさんあったけど、あの大会での失敗が一番きつかったですね。しばらくは、起きたら夢だったらいいなと思いながら寝てました」

競技人生最大の失敗
競技人生最大の失敗

競技人生最大の失敗は、夢ではなく現実だった。3年経った今、あの大会を振り返ると、クライミングシーンを牽引する第一人者としての責任とプレッシャーを感じすぎて、ベストを尽くせなかった。

「大会が近づくにつれて浮足立って、優勝候補として出場するのに、失敗したらどうしようという気持ちにどんどんなって、思い通りに動けませんでした。コロナ禍で延期された1年間、今後のクライミング人気は自分の結果次第だとか、いろいろ考えてしまったところもありましたね。自分で追い込んじゃって責任を背負いすぎましたし、大会中は思ってた以上のプレッシャーを感じていました」

競技人生最大の失敗

夫となり、父となる

「もともと、練習は強いけど、大会は弱いタイプなんです。でも、どれだけ緊張したところで、“目の前の課題を登る”ということだけは変わらない。そうわかって、ただ全力を尽くすことを繰り返しながら、緊張やプレッシャーに慣れていきました。 世界王者になった‘19年は、自分が強くなること、勝負を楽しむことに集中できていたんです。だけど、‘21年のあの大会は予選から緊張が半端なくて…。プレーに、自分自身に集中できれば、もっと楽しめて結果も変わっていたのかなと思います」

‘21年は大きな挫折を味わったが、プライベートでは、第一線で戦い続けてきたクライマーの野口啓代と結婚。同じ競技者だった野口の存在は、公私ともに大きく、パリ大会の選考を兼ねた世界選手権が迫る中、苦しい状況が続いた時には「クライミングを楽しんできなよ」と背中を押してくれた。

夫となり、父となる 夫となり、父となる
夫となり、父となる 夫となり、父となる

「智亜はプロ選手としてしっかり考えていますが、やっぱり一人では気づけないこともあると思うんです。私のアドバイスが、智亜の考えるヒントになれば嬉しい」と話す。昨年は第一子が誕生し、楢﨑選手の生活やメンタルもだいぶ変化があった。彼女曰く、楢﨑選手は「愛情深く、家庭的な夫でありパパ」だそうだ。

「娘を寝かしつけながら寝ちゃうので、早寝早起きになりましたね。朝トレーニングをして、午後から3人で出掛ける時なんかは、家族の時間が嬉しくてトレーニングの疲れも忘れちゃいます。最近、娘が喋るようになって“パパ”って呼んでくれたんですよ。“ママ ”のほうが早かったんですけど(笑)、すごく嬉しかったです。子どもが大きくなっていろんなことがわかってきた時に恥ずかしい人間ではいたくないし、強くあり続けていたいです」

夫となり、父となる

目に見える強さだけではダメ

常々、クライミング人生での目標を“一番強いクライマーになること”と口にしてきた。

「“強さ”は好きな言葉です。10代の頃は“強さ=フィジカル”だと思っていたんですけど、フィジカル的な強さだけでは結果に繋がらないし、逆に身体はボロボロでも優勝できたこともありました。いろいろ経験して、“気持ちの強さ”という、目には見えない力も大事なんだと気づいたんです。そうすると、あらゆる方向から自分を見るようになりました。一方から見れば強いけど、逆方向から見ればまだまだ全然ということがたくさんある。見つかった弱点を直し、また自分を見つめる。その繰り返しによって、オールラウンダーとして強くなれている実感があります。本当に少しずつですけどね。僕は、同じ失敗をたくさんするんです。2回、3回と失敗を繰り返して、やっとできるようになる人間。でも、そうやって強くなっていくことが、自分らしい一番いい方法です」

目に見える強さだけではダメ

楢﨑選手を一番近くで見守る野口も「智亜の強さは肉体的、技術的なこと以上に、大きな失敗をしても常に前を向き続けていけるところ」と、失敗を糧にメンタルの強さが増していることを、感じている。自分自身を俯瞰し、弱さを認め、失敗を糧として最強を目指すが、目下の目標は、目前に迫る世界大会での頂点。東京大会での雪辱を果たすのに、これ以上ない舞台だ。

「智亜は、3年前のパフォーマンスをすごく後悔しているんです。これからどれだけ大きなことを成し遂げたとしても、一生、残ってしまうほど大きな失敗を味わいました。次こそは、順位に関係なく、智亜がやってきたことをしっかり出し切って、今まで頑張ってきてよかったと自分自身に満足できる大会になるといいなと思っています」と野口。
彼女は“順位に関係なく”と、楢﨑選手を慮るが、本人は“世界一”とハッキリと口にした。

「目標は高いほうが燃えるタイプなんで。次の大会で一番違うのは、僕が優勝候補ではないこと。ルール上でもボルダー、リード、スピードの3種目複合のコンバインドでは、自分が一番強いと周りから言われていましたし、自分自身もそう思っていました。でも次戦はボルダーとリードの2種目に変わったので、チャレンジャーというポジションなんです。ここから日々のトレーニングでどこまで上がっていけるのか楽しみですし、“自分で自分に感動できるくらい”いい登りをしたいです」

目に見える強さだけではダメ

楢﨑智亜

プロ・フリークライマー。1996年6月22日生まれ、栃木県出身。生来の指の関節の強さと幼い頃体操で培ったしなやかさを武器にプロ転向から、わずか2年間で世界のトップに立つ。2016年の世界選手権では、日本人初の優勝を飾る。2017年のスポーツクライミングのワールドカップではリード、ボルダリング、スピードの3種目で争われる複合部門で初の総合優勝を達成。2019年のクライミング世界選手権2019ボルダリング優勝、同コンバインドでも優勝。同じく日本代表選手の3歳下の弟・明智がいる。

PHOTO BY Mai Kise
TEXT BY Sakiko Kozumi
EDIT BY Ryo Muramatsu