最強のクライマーになって、バトンを次につなげたい

2017年、ボルダリング日本一を決める第12回ボルダリングジャパンカップで、“絶対女王”野口啓代を抑え、14歳で史上最年少優勝を果たし、一躍クライミング界の注目を集めた伊藤ふたば。2020年2月に行われた同第15回大会では3年ぶりに優勝を奪還。続いて行われた第2回スピードジャパンカップも決めて2冠に輝き、次世代の台頭を印象付けた。スピードジャパンカップ終了後、ボルダリングジャパンカップとの2冠達成の感想を問われ、「同じタイトルでも3年前と今年が違うのはその内容。今回は中身が伴った優勝だった」と、自らの勝利を冷静に振り返り、クライマーとしての歩みを実感させた。だがその後、コロナ禍を受けて国内外のすべての大会が軒並み中止に。2021年、夏に行われた大舞台を前に、モチベーションを見失いがちな苦しい1年を過ごした。

「大会に出られない、あの雰囲気を味わえない。その中でどう練習に向き合えばいいのか、悩んだ時期もありました。けれどポジティブに考えれば、2020年は1年という長いオフをもらったようなもの。通常の年であればシーズン中、世界を転戦して過ごすので、どっぷりトレーニング漬けの生活を送るわけにはいきません。そこで、いつか再開する大会を見据えて自分の苦手な動きを克服する練習に取り組みました。自分と向き合えるいい機会だったと思います」
年が明け、ほぼ1年ぶりに出場した国際大会が2021年5月にソルトレイクシティで開催されたIFSCクライミングワールドカップ。1年間のブランクがあったせいだろうか、出場前はあれほど好きだったコンペに対して不安や怖さといったネガティブな感情を抱いてしまったというが、試合後は一転。ワールドカップという大舞台でクライミングができることの幸せを噛み締めた。

「久々に大会独特の雰囲気やあの熱気を味わって、『自分がやりたいのはこれなんだ!』って再認識しました。今までは来年、再来年の大会があることを当たり前のように感じていたけれど、例年通りのシーズンを送れることは、当たり前どころかものすごく幸運なことなんですね。あらためて大会が開かれることに感謝しつつ、1年1年を大切に過ごそうと決意しました」

強い気持ちでプレッシャーを跳ね返す

2021年春に高校を卒業しプロクライマーとしての道を歩み始めた。プロ意識が目覚めたかといわれればその実感はないというが、プロとして結果を残さなくてはいけないというプレッシャーは感じている。「自分はプレッシャーを楽しんだり、そこから力を得たりというタイプではないんです。むしろプレッシャーを意識せず、いかに自分のクライミングに集中できるかが課題だと感じています。たとえば、2017年は最年少ということもあってプレッシャーを感じなかったし、勝っても実感が湧かなかった。その翌年、2018年に念願のワールドカップに初参戦しましたが、シニアの壁は予想以上に高く、プレッシャーもあって自分の思ったクライミングができない。出口の見えないトンネルのような1年を過ごしました」

大会につきもののプレッシャーをどう乗り越えるのかと問われると、「結局は自分がどれだけ勝ちたいという気持ちを持っているか。勝ちたい、クライミングをしたいという強い気持ちが、自分を大会に向かわせてくれる。その気持ちがあるから頑張れる」と話す。その「強い気持ち」をリアルに体感できたのが、2019年11月にフランスのトゥールーズで開催されたIFSCコンバインド予選会での総合初優勝だ。コンバインド(複合)は、東京で行われた新たな国際大会のスポーツクライミングでも採用された新しいスタイルの競技で、1日でひとりの選手がスピード、ボルダリング、リードの3種をすべて行うという。2020年の大舞台の試金石ともいえるコンバインドの大会では、これまで以上にタフなフィジカルが求められた。

「当時は2020年の東京の出場を目指していましたが、夏の世界選手権の成績が振るわなかったので、この大会で6位以内に入賞しなくてはいけなかったんです。でも自分の気持ちとしては、6位以内ではなく優勝を狙っていた。この日のためにかなりハードなトレーニングを行い、自分を追い込んでいましたから」

決勝では初戦のスピードを4位で終えると、2種目めに行われた得意のボルダリングで首位に立つ。最終課題では、一撃しなければ2位に陥落するというプレッシャーのなか、粘りのトライで一撃。「ものすごく緊張して身体ががたがた震えていた」というが、それ以上の強い気持ちで接戦を制した。

「この大会では凄まじいプレッシャーにさらされながらも自分のクライミングを貫くことができました。こういう経験は自信につながるし、さらなるモチベーションにもなる。その後のボルダリングジャパンカップ(第12回大会)で優勝できたのも、この経験があったからだと思う」

ここで2020年の2冠を振り返ろう。ボルダリングジャパンカップでは調子が良かったこともあってはじめから優勝を狙いに行き、冷静に1課題ずつ臨んだ。「あんな状況でも落ち着いて完登できたのはメンタル面での成長があったから」と振り返る。続いてのスピードジャパンカップ。スピード種目は、ホールドの配置が周知されている高さ15mの壁を使い、どれだけ速く登れるかを競う競技だ。予選は2トライを行い速いほうのタイムが採用される。上位16名が進出する決勝ラウンドはトーナメント方式で行われ、タイムの速い選手が勝ち上がる。この大会については、「十分な練習ができていたわけではないし、それまでの練習のタイムも満足できるものではなかったので、どうかと思っていたのですが……」と言うが、予選をトップで通過すると準決勝で野口啓代に競り勝ち、決勝でジュニア記録を持つ倉菜々子と対戦。互角の戦いを繰り広げたが最後の一手で優勝を掴んだ。

「最後の最後まであきらめず、しっかり勝ちきれたことは自信になりました。スピードではそこが大事になってくるので、この勝利は素直に嬉しかった」

プロクライマーとしての第一歩

現在はプロクライマーとして故郷の岩手から東京に拠点を移し、トレーニングを重ねている。

「岩手でも新しいクライミングウォールが続々と誕生していますし、練習環境は悪くないのですが、リード用のウォールは天候に左右され、冬季に閉鎖されてしまう。東京にいれば関東のさまざまなジムに出かけられますし、周囲には強いクライマーがたくさんいて、彼らと一緒に登ることで刺激を受けられます。これはクライミング界ならではかもしれませんが、自分ができなくて他の選手ができる課題については、できる選手と一緒に登ることでその動きを参考にすることがよくあります。他の選手の武器にチャレンジすることは自分の幅を広げること。クライマー同士、互いを刺激しあってそれぞれのポテンシャルを高めているんです」

周囲からはオールマイティなクライマーと評価される伊藤だが、本人曰く「弱点はパワー」。自身のクライミングを客観的に分析し、フィジカルの強化に励んでいる。

「いつもムービーを撮ってもらい、このトライはどうだった、この課題はどうだったという振り返りを行っています。最近は世界的にもパワーが必要とされる課題が増えてきているのですが、高い強度の課題にはまだまだ対応できていないことを実感しています。その克服が今後の課題ですが、まだまだ強くなれる手応えがある。そういう弱点をひとつずつ潰していけばどんな状況でも完登に持っていける強いクライマーになれる。だから今は伸びしろしか感じていません」

最も大切にしているのは、やはり壁に向き合う時間だ。効率的なフィジカルトレーニングはもちろん大切だけれど、課題と向き合うひと時こそが自分を強くしてくれる、精神的に成長させてくれる。その先に見つめるのは、3年後のパリだ。

「だって私、本当にクライミングが好きなんです。もしクライマーじゃなかったら今のように大会に出て世界を転戦するなんて、絶対にできなかった。こんなに打ち込めるものに出合えたことに感謝しています。だから私はいつも全力で競技を楽しみたい。私のクライミングを観てもらうことで、ひとりでも多くの人にクライミングに興味を持ってもらえるような、そんなクライマーになりたいです」

世代交代に思うこと

伊藤が小さな頃から憧れ、目標としてその背中を追ってきた野口啓代が、2021年の夏を現役の集大成に、競技を引退した。

「長くトップクライマーとして第一線で活躍する啓代ちゃんは、モチベーションを維持し続けるメンタルも、フィジカルの強さも超一流。啓代ちゃんのようなクライマーがいてくれたから、この競技がメジャーになって、私も今こうしてプロとして活動できている。私がクライミングを始めた頃は、『クライミングって何?』と言われることがほとんどでしたから。クライミング人口が増えて、世界的なスポーツの祭典での新競技にもなって、メディアにも取り上げてもらえるようになって……」

今のような盛り上がりを作ってくれたのは、伊藤の世代より前にクライミングに取り組み、その魅力を発信してくれた、野口ら先輩クライマーたち。これからもクライミングに注目し続けてもらうために、自分たち世代にもやるべきことがある。伊藤はそう考えている。自分たちの後ろには、さらに若いクライマーたちが続々と現れているからだ。
「どんなシーンでも完登する強いクライマーになって、世界で活躍して、もっともっとシーンを盛り上げたい。それが啓代ちゃんたちから受け継いだこのバトンを次につなげることになるのかな」

伊藤ふたば

2002年、岩手県生まれ。父の影響で10歳の時にクライミングを始める。2014年から公式競技会に出場するようになり、同年のJOCジュニアオリンピックカップリード競技、ユースB女子で2位入賞を果たしたことをきっかけにさまざまな大会で優秀な成績を収め、頭角を表す。2017年第12回ボルダリングジャパンカップで優勝、翌年から日本代表としてワールドカップに参戦中。