The Creativist

AREA 241 Journal 未来を手づくりする人たち
Chapter 2 Vol.Two
NATURAL DYEING CRAFTSMANYukihito Kanai

金井志人

TEXT & PHOTOGRAPHS by NUMA
日本の伝統工芸品として知られる高級織物・大島紬。その素材となる糸を、天然の原料だけをつかって黒く染め上げる染色法が「泥染め」と呼ばれる技法である。この世界でも稀な技術を継承しながら、新たに独自の表現を追求する〈古代天然染色工房・金井工芸〉後継者・金井志人とは?
平行盛神社の手前を左折して50メートルほど行くと、左手に看板が見えてきた。 「古代天然染色工房 金井工芸」。
ここが、今回の僕の目的地。
駐車場を兼ねた敷地に巨木が2本並んでいる。東南アジアやポリネシアに自生するアカギだ。
向かって左手が工房、右手がギャラリー。
色濃い木々の緑とは対照的な、雨風にさらされてグレーになった木板張りの外壁が、ひと昔前の奄美大島の色彩景を彷彿とさせる。
この工房の二代目に当たる染色家の金井志人くんとは、渡島前から連絡を取り合っていた。
彼は初めてのメールで「Numaさんのことを知ってます!」と伝えてきたので僕はびっくりした。
彼はアマンジャブのYASATOと高校のクラスメイトで、ふたりは同じ時期に上京し、島に戻った後も一緒に音楽イベントをやったり、という間柄だったのだ。
そんな予想外のやり取りを経ていたことから、僕は知り合いの仕事場に遊びにきたようなくつろいだ気分で、彼と対面することができた。

金井くんはロックバンド「くるり」の岸田繁をもう少しワイルドに、アヴァンギャルドにしたような感じで、カールのかかった長い髪の大部分は色が抜けている。
一見してアーティスティックにも見えるが、もう少し肌が黒ければパプアニューギニアの海洋民族に見えなくもない。いずれにしても生粋の島人とはとても思えない風貌だ。
冗談半分に「髪も泥染めしたりするの?」と聞いてみると「そのために脱色したんで」と真顔で返してきた。
羊の頭蓋骨、サンゴ、和紙、しめ縄、エレキギターと「何でも染める男」というキャッチフレーズをインターネット上で見ていたのだが、まさか髪まで天然染色にこだわるとは恐れ入る。
金井くんは1979年に戸口で生まれ、地元の高校を卒業したのちに東京にある音響の専門学校へ通うため島を離れた。
その後、数年間を東京で過ごし、次なる展開を模索すべく、25歳の時に一旦帰郷。実家の工房で染色技術を学び、金井工芸の後継者という立場で「本場奄美大島紬」の染色を担う職人となった。

金井くんの父親である金井一人さんが染色工房を立ち上げたのは1977年、昭和52年のことだ。
就職のために大阪に渡ったが、まもなく島に戻り、高校時代にアルバイトをしていた工房で泥染めの技術を身につけて独立した。
その時代、いわゆる高度成長期から安定成長期に移行した頃に、大島紬の生産反数はピークを迎えた。
大島紬にまつわる仕事が島の人々の生活を支え、染めは若い男子の一般的なアルバイト。女性は機織りを覚えれば子どもを大学へ進学させられるという時代だった。
しかし、バブル崩壊と生活様式の変化による需要減によって大島紬は売れなくなる。さらに、平成に入ると売上は最盛期の半分程度、令和では1/50以下にまで落ち込んだ。
奄美大島に百軒ほどあった染め屋は、金井くんいわく「現在は5軒ないくらい」という厳しい状況。はた織りするよりもコンビニでバイトしたほうが割が良いという冗談みたいなことが、現実に起きている。
このまま手を打たなければ、国の伝統工芸品としての大島紬も、およそ1300年に渡って引き継がれてきた染色技術も失われてしまう可能性が高い。それは、もしかすると数年先かもしれないという危機的な状況だ。

島に戻ってきた金井くんは、当初、染めを仕事にする気はまったく無かったそうだ。
大島紬は産業自体が衰退の最中にあったし、将来を見越したお父さんも「家業をどうするか?」と一度も口にしなかった。
それでも自分の周りにあったものが無くなってしまうことを寂しく感じ、「ちょっとかじってみようかな」という軽い気持ちで、職人さんの手ほどきを受けた。

それまで音楽にのめり込んでいて、染めの仕事は別世界のものだと思い込んでいた金井くんだったが、次第に「ふたつのことには共通点があるのでは?」と考えるようになる。
自然の中に入って音を録るのがフィールドレコーディング。草木を採って色を出すのが染め。アウトプットは異なるが「自然から採取する」という根本は一緒。
金井くんは「手法が違うだけで、結局音楽も染色も同じことをやっている」と結論づけ、染色の道に進もうと決心する。
当時、島南部の嘉徳(かとく)という集落出身の元ちとせが「ワダツミの木」を大ヒットさせ、そのことが彼の背中を押した。伝統的な奄美島唄をポップミュージックに昇華できるのなら、「大島紬でもそれは可能なんじゃないか?」と思えたのだ。
とはいえ、先述の通り、大島紬の製造は当時すでに斜陽産業になっていて、手伝おうとしても仕事があまりなかった。
異業種からの問い合わせも時々あったが、打ち合わせや進行管理をできる人材がいなかった。分業制による紬生産はルーティーン仕事がほとんど。昔カタギの職人さんは実作業以外の仕事には不慣れで、自分の役目以外のことに関わりたがらない。
染色をやるのなら、新しい仕事を自分でつくるしかない。
そこで金井くんは、自らが外部企業とのやり取りの主体となり、異業種からの受注を増やすことに活路を見出した。
さっそく興味を示してくれたアパレル業界からの天然染色に対する反響は大きく、泥染めと真摯に向き合いつつも従来のテーチ木だけにこだわらず、フクギや藍、アカネなどを活用して、現代的なプロダクトを多彩な島の色で染める手法が次第に各方面から注目されるようになった。
イッセイ・ミヤケをはじめとする有名ファッションブランドとのコラボレーション。
鹿児島のセレクトショップ"OWL"と共同で制作した、和紙を染色した抽象画コレクション "Abstract Natural Dyeing"。
沖縄のヤンバルで植物染色を用いた作品を制作するkittaとのユニット"kittanai"。
鹿児島で毎年行われる地域密着型フェス"GOOD NEIGHBORS JAMBOREE"のステージ装飾。
その多彩な活動ぶりは枚挙にいとまがない。
そんな新たな動きに呼応するように、あたらしい職人たちが次第に集まるようになり、一度島を離れて戻ってきた若い世代が「なにか島のことに携わる仕事をしたい」とやって来るようになった。
現在の金井工芸では、従来の染の仕事とそれ以外のプロジェクトの比率は3対7ほど。
伝統的な泥染めを得意とする職人さんの他にファッション業界からの転職者や服飾専門学校の卒業生、金井くんが音楽イベントで知り合って声をかけたミュージシャンなどが働いている。伝統工芸を生み出す現場としては異色すぎる顔ぶれだ。

工房に入ると4人の職人さんが染めの作業に没頭していた。
中央には大人5人が入れそうな大きなカマがある。
その脇に並べられた大容量タンクには、アクのような泡が浮かんだ赤黒い液体が、たっぷりと注がれている。
そのせいで工房には発酵が進んだような、野菜が腐りはじめたような、ビミョーな匂いが漂っている。
ラジオからは大相撲中継が漏れ聞こえる。実に奄美大島らしいBGM。
青く染まった星条旗が壁にかけてあるのが気になり、その意味を金井くんに聞いてみると、「BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動、あったじゃないですか。その時に"愛が足りてない"と感じ、藍で染めたんです」とひねりの効いた答えを返してくれた。

金井志人/染色家。
〈古代天然染色工房 金井工芸〉

奄美大島生まれ。奄美の伝統工芸品・大島紬の泥染めを担う〈金井工芸〉の後継者。自然素材を原料とした「泥染め」をはじめとする天然染色に携わる一方で、アパレルメーカーとのコラボレーションや空間装飾など多様なジャンルで伝統工芸の枠を超えた活動を展開している。
www.kanaikougei.com
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