空間設計と家具づくりを手掛ける工務店の若き親方であり、左官職人としても活動を続ける水口泰基。二〇人の職人を束ね、いつまでも温もりを感じられる空間づくりを目指して邁進してきた男の原動力は、なんでも自分たちの手でつくる姿勢と温故知新の精神だった。
水口さんは静岡県三島市で生まれ育った。
三島市は伊豆半島の付け根に位置し、一年を通して温暖な気候に恵まれた土地。富士山の雪解け水が伏流水となって市街地に湧き出ることから「水の都」とも呼ばれている。
「むちゃくちゃ良いところですよ! 海も山も近くて、水がおいしくて、富士山は目の前にある。仲間がいっぱいいて、行きつけの店もあって、居心地は良いのだけれど、でも、自分にとってはスローすぎる場所でした。エネルギーを持て余していたのも事実で」
乗り物が大好きで、高校時代から単車にハマり、自動車整備士学校を卒業後は地元でトヨタのディーラーに就職した。絶対に倒産することのないであろう抜群の安定感を誇る大手企業。
そんな環境に身を置いていたものの、先輩たちの様子を眺めているうちに自分の将来がなんとなく見通せた。
一〇年後にはサービスマネージャー。二〇年目には営業担当になっていて、うまく行けば店長に昇進。結婚して、子どもはふたり…。
それはそれで人生の選択としては正解だと理解はしていたけれど、未来が予測できない人生に賭けてみたい思いが強かった。
三島市は伊豆半島の付け根に位置し、一年を通して温暖な気候に恵まれた土地。富士山の雪解け水が伏流水となって市街地に湧き出ることから「水の都」とも呼ばれている。
「むちゃくちゃ良いところですよ! 海も山も近くて、水がおいしくて、富士山は目の前にある。仲間がいっぱいいて、行きつけの店もあって、居心地は良いのだけれど、でも、自分にとってはスローすぎる場所でした。エネルギーを持て余していたのも事実で」
乗り物が大好きで、高校時代から単車にハマり、自動車整備士学校を卒業後は地元でトヨタのディーラーに就職した。絶対に倒産することのないであろう抜群の安定感を誇る大手企業。
そんな環境に身を置いていたものの、先輩たちの様子を眺めているうちに自分の将来がなんとなく見通せた。
一〇年後にはサービスマネージャー。二〇年目には営業担当になっていて、うまく行けば店長に昇進。結婚して、子どもはふたり…。
それはそれで人生の選択としては正解だと理解はしていたけれど、未来が予測できない人生に賭けてみたい思いが強かった。
その頃、自動車整備に自動診断が導入された。コンピューターが車の故障を診断するシステムだ。入社したての頃は「ここから異音がするから取り外してバラして」と、整備士の経験と勘に頼る修理がまだ行われていたが、まもなく「異音のするエリアをぜんぶ外して新品に」というアッセンブリー交換が主流になった。
「エンジンが調子悪いならそれごと取り替えましょう」という新たなやり方に水口さんは大きな違和感を覚えた。車いじり、メカいじりが好きなのに、将来はそれができなくなる。自動車整備という仕事に情熱を持てなくなってしまった彼は、一身上の都合で退職した。
次なる明確なビジョンを特に持たないまま、横浜に引っ越した。一人暮らしをして居酒屋でバイトして半年くらいを過ごしながら、将来のことを真剣に考える日々。やがて、もうひとつ、自分がやりたかったことに挑戦する決意を固めた。
それが、「ものづくり」だった。
ものをつくるセンスには昔から自信があった。学校の授業では図工や美術がいちばん好きで、特に空間づくりが大の得意。川辺では木の枝を集めてきて隠れ家をつくり、パイプや土管を扱う会社に忍び込んでは下水管の中に秘密基地をつくった。
そうして三島市の豊かな自然とおおらかな時代の中で五感をフルに使って遊び、創造力を磨きながら「なんでもつくる」という行動理論を身につけていった。
その時、水口さんは二一歳。
カッコ良い空間をデザインしてつくってみたい。しかし、一体何からはじめれば良いか。
大工になろうかとも考えたが、思い直して左官職人になる決心をした。
空間で最も露出している部分は壁である。そこを装飾的に塗りあげる左官仕事は、数ある施工の中でよりダイレクトに空間に影響を与えることができ、最も自分のセンスを前面に出せると考えたのだ。 左官職人の見習いとなった水口さんは、持ち前のハマりやすい性格を発揮して、寝ても覚めても左官技術のことばかり考えた。休日は自分の部屋や実家の壁を何度も塗り直し、友だちの遊びの誘いも断って、他人の三倍は働き、使える時間はすべて左官に費やした。
そうして「一人前の職人になるには十年はかかる」といわれる常識を覆し、四年ほどで独立を果たした。
話が一段落したところで、三階を見せてもらった。
そこはまるで何十年も前から街の片隅で営まれているアンティークショップのような空間だった。
工業照明やマリンランプ、大型ツールボックス、ハンティング・トロフィー、スピーカー、地球儀、シンク。
ほどよく埃にまみれた、アメリカ映画のワンシーンに出てきそうなたたずまい。『トイ・ストーリー4』に登場する、不気味な骨董品店「セカンド・チャンス・アンティーク」にそっくりだ。
「エンジンが調子悪いならそれごと取り替えましょう」という新たなやり方に水口さんは大きな違和感を覚えた。車いじり、メカいじりが好きなのに、将来はそれができなくなる。自動車整備という仕事に情熱を持てなくなってしまった彼は、一身上の都合で退職した。
次なる明確なビジョンを特に持たないまま、横浜に引っ越した。一人暮らしをして居酒屋でバイトして半年くらいを過ごしながら、将来のことを真剣に考える日々。やがて、もうひとつ、自分がやりたかったことに挑戦する決意を固めた。
それが、「ものづくり」だった。
ものをつくるセンスには昔から自信があった。学校の授業では図工や美術がいちばん好きで、特に空間づくりが大の得意。川辺では木の枝を集めてきて隠れ家をつくり、パイプや土管を扱う会社に忍び込んでは下水管の中に秘密基地をつくった。
そうして三島市の豊かな自然とおおらかな時代の中で五感をフルに使って遊び、創造力を磨きながら「なんでもつくる」という行動理論を身につけていった。
その時、水口さんは二一歳。
カッコ良い空間をデザインしてつくってみたい。しかし、一体何からはじめれば良いか。
大工になろうかとも考えたが、思い直して左官職人になる決心をした。
空間で最も露出している部分は壁である。そこを装飾的に塗りあげる左官仕事は、数ある施工の中でよりダイレクトに空間に影響を与えることができ、最も自分のセンスを前面に出せると考えたのだ。 左官職人の見習いとなった水口さんは、持ち前のハマりやすい性格を発揮して、寝ても覚めても左官技術のことばかり考えた。休日は自分の部屋や実家の壁を何度も塗り直し、友だちの遊びの誘いも断って、他人の三倍は働き、使える時間はすべて左官に費やした。
そうして「一人前の職人になるには十年はかかる」といわれる常識を覆し、四年ほどで独立を果たした。
話が一段落したところで、三階を見せてもらった。
そこはまるで何十年も前から街の片隅で営まれているアンティークショップのような空間だった。
工業照明やマリンランプ、大型ツールボックス、ハンティング・トロフィー、スピーカー、地球儀、シンク。
ほどよく埃にまみれた、アメリカ映画のワンシーンに出てきそうなたたずまい。『トイ・ストーリー4』に登場する、不気味な骨董品店「セカンド・チャンス・アンティーク」にそっくりだ。
主に海外で買い付けたヴィンテージ品の中には日本の骨董品も混ざり合い、ボーダーレスなセンスが感じられる。店舗、住宅、オフィスなどの内装を手がける際に空間を引き立たせるアイテムとして加えるためにコレクションしたのだ。
水口さんは古着やヴィンテージデニムが流行した九〇年代に青春時代を過ごし、古いものを再利用するカルチャーに大きな影響を受けた。彼の思想やものづくりは、その当時の経験がベースになっている。
「世代を超えて愛されてきたものは強い存在感を放つ。大切に扱われてきたプロダクトはエイジングが進むことで深みを増す」。
そんな考えが彼の思想のベースにある。
それに対して既製品や量産品は、醸し出す雰囲気や主張が弱い。それは、ものの標準化を推し進めてきた結果とも言えるだろう。
材料、形状、品質、寸法など、細かな基準を作り、品質の安定と生産効率の向上を図る。それを追求した結果として大量生産は可能になったが、そのようなプロセスを経てできあがったプロダクトは冷たさを感じるばかりか、人が手を加える余地が残されていない。
水口さんは古着やヴィンテージデニムが流行した九〇年代に青春時代を過ごし、古いものを再利用するカルチャーに大きな影響を受けた。彼の思想やものづくりは、その当時の経験がベースになっている。
「世代を超えて愛されてきたものは強い存在感を放つ。大切に扱われてきたプロダクトはエイジングが進むことで深みを増す」。
そんな考えが彼の思想のベースにある。
それに対して既製品や量産品は、醸し出す雰囲気や主張が弱い。それは、ものの標準化を推し進めてきた結果とも言えるだろう。
材料、形状、品質、寸法など、細かな基準を作り、品質の安定と生産効率の向上を図る。それを追求した結果として大量生産は可能になったが、そのようなプロセスを経てできあがったプロダクトは冷たさを感じるばかりか、人が手を加える余地が残されていない。
そこで水口さんは気が付いた。
「利便性を追求するライフスタイルよりも、愛着のあるものに囲まれる暮らしの方が豊かだ」。
水口さんはスマートさが求められる時代と逆行するように、ものと人間の五感が共鳴し合う暮らしを提供しようと考えた。家具をメンテナンスしたり、壁にワックスを塗ったりして手間をかけて経年変化を楽しむ。仮に使わなくなったとしても誰かにあげて、そこで新たな愛着が生まれるようなライフスタイル。
そのために必要なのは自然界に存在する偽りのない素材と、つくり手の思い、そこにユーザーの愛情が重なり合うものづくり。
それ以外にはないと、水口さんは悟った。
「利便性を追求するライフスタイルよりも、愛着のあるものに囲まれる暮らしの方が豊かだ」。
水口さんはスマートさが求められる時代と逆行するように、ものと人間の五感が共鳴し合う暮らしを提供しようと考えた。家具をメンテナンスしたり、壁にワックスを塗ったりして手間をかけて経年変化を楽しむ。仮に使わなくなったとしても誰かにあげて、そこで新たな愛着が生まれるようなライフスタイル。
そのために必要なのは自然界に存在する偽りのない素材と、つくり手の思い、そこにユーザーの愛情が重なり合うものづくり。
それ以外にはないと、水口さんは悟った。
水口泰基/〈T-PLASTER〉代表。レインボー倉庫オーナー。
1982年、静岡県生まれ。自動車整備士、左官職人の見習いを経て、「made with soul.」をコンセプトに自然と人の魂が息づく空間づくりを目指す工務店〈有限会社ティープラスター〉を設立。横浜を拠点に、天然素材を使った建築設計・施工・リノベーション・無垢材を使用した家具の製作販売・シェアスペースの運営など、幅広く事業を展開。
T-PLASTER ホームページ:https://t-plaster.com/
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