The Creativist

AREA 241 Journal 未来を手づくりする人たち
Chapter 1 Vol.One
SAUNA BUILDERNodaklaxonbebe

野田クラクションべべー

TEXT by TOWEL KANAI
PHOTOGRAPHS by YUYA WADA
フィンランド式サウナの魅力を伝えたい。それまで、工具はおろかプラモデルすらつくったことのなかった若者は、ただその一心だけでサウナ小屋を建ててしまった。そもそも、なぜサウナを自作したのか。つくったことで、得たものは何か。「あなたは、なぜつくるのですか?」という問いを携えて、野田クラクションべべーのもとを訪ねた。
数年前、ある雑誌の企画で「職業はヒッピー」と公言する男性を取材する機会を得た。
彼は限界集落に取り残された家を自ら改修し、自家発電システムを発案。すべての電力をそこから賄い、飲料水も自作の浄水システムで確保。食料も自己調達してしまうほど生活力に長けた人物だった。
雑誌の特集テーマは「賢い消費」であり、自ずと住まいについても話題が及んだ。その流れで、「一般家屋の解体作業を体験すれば、いかに現代の住宅がペラペラなのかわかりますよ」と言われたのが印象的だった。「それでも、住宅ローンを組んでまで家を買うんですか」とも。

オフグリッド(電気、ガス、水道などのライフラインを公共事業に依存しない生活様式)については取材以前から興味もあったが、実際の暮らしぶりを目の当たりにするのは、それが初めてのこと。自らの手で暮らしを築き上げている彼の姿に、ぼくは大いに刺激を受け、それを機にさらにハイペースで「自分の手で家を建てる」ためのマニュアル本を買い集めるようになった。

『スモールハウス──3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方』
『廃材もらって小屋でもつくるか』
『セルフビルド──家をつくる自由』
『マイクロシェルター ──自分で作れる快適な小屋、ツリーハウス、トレーラーハウス』

どれも「小さな家の建て方」や「住宅の諸問題から解き放たれて、自由に暮らすひとたち」を紹介するものだ。

リーマンショックから不況に転じたアメリカで流行していた狭小住宅への住み替えブームは、「タイニーハウス・ムーブメント」とも呼ばれ、当時は日本のメディアでも盛んに取り上げられていた。
ぼくは、わりと真剣に自給自足生活を目指していたし、妻にも小屋暮らしを提案した。まずは調べてみればという反応だったので、インターネットで土地や空き家を探し、値段や実際に生活する上での不便さなども検討していたほどだ。
しかし、熱しやすく冷めやすい性格のため、いつのまにか興味は別のところに移り、買い集めたマニュアル本たちも、やがては本棚の隅で埃を被っていった。

ぼくは現在、フリーランスの編集者・ライターとして生計を立てている。
出版社や制作会社から依頼をされて、広報誌の編集をしたり、取材原稿を書いたりしている。その傍らで「自由研究」をテーマにした『つくづく』という名の雑誌を自費でつくっている。
ひとりで雑誌を編集するとなれば、企画立案、取材、執筆、原稿チェック、校正、デザイナーや印刷所とのやりとり、書店営業など、出版に関わるおよそすべての作業をこなさなければならない。
もちろん、ひとりでこなすのは相当な労力がいる。ところが、それにみあう儲けも出ない。

なぜ、雑誌なんてつくるの?
そんなことを聞かれることがある。
いまだ、その答えは出ていない。

制作過程であらたな発見をすることも多く、刊行後もさまざまな出会いがある。
仕事として依頼される原稿書きと違って、なにをやっても許される自由さだってある。
自費を投じて自由にものづくりをすることが、楽しくないわけがない。



世の中には「自作」をたのしむひとたちがいる。
「自作」とは、自宅や家具、バイクにパソコンなど、既製品を買わずに自分の手でつくること。
英語なら「セルフビルド」「ハンドメイド」「セルフメイド」となるだろうか。

DIY(Do It Yourself)という言葉もよく聞く。「(素人が業者に頼まず)自作する」とか「日曜大工」という意味で使われるが、もっと広く「自らの人生を切り開く」ひとたちの精神を表してもいる。
ハイカーが好んで使うMYOGという言葉もある。ザックのストラップを必要な長さに切るといったシンプルな行為から、100円ショップなどに売っている既製品の改良、切り出した生地をミシンで縫製し、ザックやテント自体の自作まで。これらを指してMake Your Own Gearと呼ぶ。程度の差こそあれ、根底に流れるのは、自分が本当に必要なものを見極めるというカルチャーであり、そうした精神を表すスローガンとしても知られている。
「自作」する理由はいろいろある。
安く上げたいとか、売っていない、オリジナリティを目指すという向きもある。その人の頭のなかにしかない貴重なアイデア、それをもとに手づくりされた世界にたったひとつしかないもの。それがオリジナリティだ。

とはいえ、オリジナリティをもとに、世界にひとつだけのものをつくるのはむずかしい。
「これはすごいアイデアだ」と材料をかき集め、手を動かし、いざ出来上がってみれば「どこかでみたことあるもの」だったという経験はないだろうか。
ぼくはある。
自らの体験をもとに、やや大仰ではあるが「カラーボックス理論」と呼んでいる。

ぼくは工業高校の出身だ。
学校では家具づくりを学んだ。
といっても、家具職人を目指すといった高慢な理由からではなく、単純に実家からいちばん近かったから。ものづくりは嫌いじゃないが、得意でもない。ゆえに、熱心な生徒ではなかった。
それでも一応は授業を受けて、製図やレタリング、旋盤加工にカンナのかけ方、合板の作り方まで一通りの“技術”は教えてもらったが、学校の課題など興味なし。

「金井、お前ほんとうにそれをつくるのか」

卒業制作の図面を提出したとき、担当教員に言われた言葉だ。

たしか、「レコードや本を収納する棚をつくりたいんです」と言った気がする。

棚をつくりたかった理由は、当時あこがれていたクリエイターと呼ばれる人たちの家には必ず大きなレコード棚や本棚があったから。事務所や自宅に置かれたレコードや本がパンパンに詰まった棚。その前で取材を受けるクリエイターの姿はとにかくカッコよかった。

「自分もあんな部屋に住みたい」

そんな気持ちから、オシャレ部屋の象徴たる“棚”をつくろうと思うに至った。
当初の計画では、予算の範囲内でつくれる、シンプルだが洗練された、クールでモダンな雰囲気の棚になるはずだった。

教員はそれ以上なにも言わず、ぼくもその言葉の意図を汲み取れず、結果として一年の歳月をかけて、ひとつの棚を図面通りにつくり上げた。

三年間の集大成であるため、誰もが授業で学んだことのすべて注ぎ込んだ。
図面を引き、材料を切り出し、エアータッカーで貼り合わせ、塗装して、完成。

卒業間近。
出来上がった棚を一瞥した担当教員は、ひとこと、つぶやいた。

「……これ、カラーボックスだぞ」

「!?」

ぼくの目の前には、千円ほどで買える組立家具の代名詞「カラーボックス」と何ら変わらぬ、二段の棚があった。

材質やサイズにこだわり、世界にひとつしかないオリジナルの棚を苦労してつくったはずが、高校時代にアルバイトしていたホームセンターで売られていたのとまるで同じカラーボックスをつくっていたとは。
出来上がってみたら、当初の予想と大きく違っていたというのはよくある話だ。
レシピをみながらつくった料理も、図面通りにつくった家具も、もちろん人生だって、それの連続だろう。

高い理想を掲げてオリジナルを目指してみても、結局は既成の枠を出られない。
それでも自分でつくる意味なんてあるのか。
買ったほうがはやいし、無駄な時間を取られることもない。

ほんとうにそうか。

たしかに、出来上がったのは「ホームセンターによくある棚」ではあった。
それでも、つくったからこそ、あらたな考えにたどり着くことができた、とも言えるんじゃないか。

その考えとは、たとえ失敗したとしても、手づくりの体験があったからこそ自分のなかに湧いてきた、あらたな問いすなわち……

「それでも自作するのはなぜか」

つくることにまつわるそんな問いを、日本国内でさまざまなものづくりを続けている人たちに投げかけてみたい。

「あなたは、なぜつくるのですか?」
「つくることは、あなたに何を与えてくれましたか?」



四年ほど前のこと。
長野県大町市にある木崎湖で、テントサウナの魅力を広めるために活動するチームを取材したことがある。
テントサウナとは、河原や湖畔に張ったテントの室内を薪ストーブで温める簡易サウナのこと。本場・フィンランドではありふれたものだが、前述のチームが尽力したことにより、日本でも新しいアウトドア・アクティヴィティとして流行の兆しを見せていた。

ぼくもサウナは好きで、それまでにも温浴施設へ通っていたが、テントサウナはそれとはまったく異なる体験で、なにもかもが新鮮で衝撃的だった。

薪ストーブで行うセルフロウリュは熱く、しかし心地いい。
一緒に入っていたカメラマンなんて、咆哮とも呼べる声を上げたほどだ。
十分に温まったあとは、身体をクールダウンさせるべく、桟橋からいきおいよく湖に飛び込む。

「これこれ! 映像でしかみたことのなかった、フィンランド式のサウナだ!」

全身が水のなかに沈み、そして、浮かび上がる。
周りをみれば、誰もが恍惚とした表情で湖に浮かんでいる。
真似してみれば、目の前には澄み渡った空が広がっていた。
湖から上がったあとは、木々に囲まれ、静寂のなかで外気浴――。
茫然自失。
取材であることを忘れるくらい、しばらくその状態に浸りきった。

その興奮が冷めやらぬうちに、ぼくも、当時はまだ国内で流通していなかったテントサウナをフィンランドから個人輸入して、仲間内でたのしんだ。

取材時点でその兆しはあったが、そこから四年のあいだに日本はサウナブームと呼べる状態になった。
専門メディアが登場し、テントサウナのイベントも増えた。テレビ番組の企画にもなり、火付け役となったマンガはドラマ化された。こうしているいまも、関連書籍が続々と刊行されている。当然、新たなサウナ施設も増え続けてるいるし、既存の施設がリニューアルされるケースも多い。

諸説あるが、日本式サウナの源流とも言えるのがフィンランド式サウナである。
フィンランドは「1000の湖のある国」とも呼ばれ、湖水地方の湖畔には多くのサマーコテージ(別荘やセカンドハウス)が建っている。
そして、そこには必ずといってくらいサウナが併設されている。その多くはログハウス形式で、室内にはサウナストーンと呼ばれる石を周りに積み上げた薪ストーブが置かれる。ストーブの熱で室内を温めながら、熱した石に水をかけることで水蒸気を発生させ、体感温度を高める「ロウリュ」と呼ばれる入浴方法を楽しむのが定番の入り方。当然、そのあとは湖に飛び込む。
このフィンランド式サウナを日本の地に自作し、人気をあつめている人物がいる。
いまやサウナ愛好家の間で知らぬものはいないと言っても過言でない、〈The Sauna〉支配人兼サウナビルダーの野田クラクションべべーだ。
2019年に開業した〈The Sauna〉は、長野県北部の野尻湖が眼前に広がるゲストハウス〈LAMP〉の敷地内にある。クラウドファンディングで建設費用を調達したこともあり、オープン当初からコアなサウナファンの耳目を集めることとなった。その後も、インターネットメディアを中心に多くの媒体から取材を受けたことで、数ヶ月先まで予約のとれない人気施設となり、今ではサウナ施設をプロデュースしてほしいという相談が、日本各地から寄せられているという。
野田クラクションべべーを最初の取材対象として選んだのは、当時の日本にはなかった本格的なフィンランド式サウナ(彼は、“アウトドア・サウナ”と呼んでいる)を見様見真似でつくりあげてしまった行動力もさることながら、サウナをきっかけに次の旅へと出かけようとしている彼が、どんな景色を見ているのかを垣間見てみたいと考えたからだ。

そもそも、サウナって、どうやってつくるのか。
サウナ建設にまつわる苦労とは?
いろいろ聞いてみたいと思い、彼のもとを訪ねた。

野田クラクションべべー/サウナビルダー。
〈The Sauna〉支配人。

WEB制作会社勤務を経て、二〇一九年二月、長野県信濃町にフィンランド式サウナをたのしめる〈The Sauna〉をオープン。支配人として運営に関わるほか、日本各地でサウナ施設のプロデュースを行うなど、アウトドア・サウナを啓蒙すべく幅広く活動中。
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