Chapter 1 Vol.Two
SAUNA BUILDERNodaklaxonbebe
野田クラクションべべー
TEXT by TOWEL KANAI
PHOTOGRAPHS by YUYA WADA
PHOTOGRAPHS by YUYA WADA
サウナ愛好家から絶大なる人気を誇る〈T h e S a u n a 〉はどのようにして生まれたのか。同施設の支配人であり、サウナビルダーとして活動する野田クラクションべべーを訪ねた連載二回目では、彼の生い立ちから〈T h e S a u n a 〉の誕生までを描いていく。
本名・野田雄一。
一九九四年三月八日、北海道名寄市生まれ。生後すぐに父親の転勤にともない、四歳まで香港で過ごす。
その後、東京都世田谷区北沢に転居。それから二十年ちかくの月日を下北沢で過ごした。大学まで野球に打ち込み、帝京大学在籍中は中学生の野球チームでコーチも務めていた。
実は、野田くんとはかれこれ7年ほどの付き合いになる。
出会いは、まだ大学生だった彼がバイトしていた下北沢のバーに飲みにいったときのこと。カウンター越しに「編集者をやられているんですね。ぼく、ライターに興味があるんですよ」という話になり、なりゆきで知り合いの編集長を紹介することになった。当時は、マスコミ関係の仕事に憧れるごくありふれたタイプの若者という感じで、紹介した仕事は上手くいかなかったが、その後も仕事を手伝ってもらったり、一緒に飲んだりする間柄となった。
大学卒業を間近に控え、どうするのか見守っていたら、先輩のツテを頼って株式会社LIG( 以降、LIG )に就職が決まったという。正確には、代表をつとめる吉原ゴウさんの弟子、つまるところ無給のインターンとして採用される。
LIGは東京を拠点として、おもに企業のウェブサイト構築やブランディングなどを請け負う制作会社で、教育事業やコワーキングスペース・シェアオフィス運営など、デジタル領域にとらわれない多角的な事業を展開する一風変わった会社でもある。月間500万PVを達成した自社メディア「LIG ブログ」は、オウンドメディアの成功事例としても知られて、長野県の信濃町、大分県南の豊後大野、長崎県の壱岐島と3箇所でゲストハウス運営を手掛けるなど、IT企業という枠にとらわれない活動が業界内外からも注目を集めている。
一九九四年三月八日、北海道名寄市生まれ。生後すぐに父親の転勤にともない、四歳まで香港で過ごす。
その後、東京都世田谷区北沢に転居。それから二十年ちかくの月日を下北沢で過ごした。大学まで野球に打ち込み、帝京大学在籍中は中学生の野球チームでコーチも務めていた。
実は、野田くんとはかれこれ7年ほどの付き合いになる。
出会いは、まだ大学生だった彼がバイトしていた下北沢のバーに飲みにいったときのこと。カウンター越しに「編集者をやられているんですね。ぼく、ライターに興味があるんですよ」という話になり、なりゆきで知り合いの編集長を紹介することになった。当時は、マスコミ関係の仕事に憧れるごくありふれたタイプの若者という感じで、紹介した仕事は上手くいかなかったが、その後も仕事を手伝ってもらったり、一緒に飲んだりする間柄となった。
大学卒業を間近に控え、どうするのか見守っていたら、先輩のツテを頼って株式会社LIG( 以降、LIG )に就職が決まったという。正確には、代表をつとめる吉原ゴウさんの弟子、つまるところ無給のインターンとして採用される。
LIGは東京を拠点として、おもに企業のウェブサイト構築やブランディングなどを請け負う制作会社で、教育事業やコワーキングスペース・シェアオフィス運営など、デジタル領域にとらわれない多角的な事業を展開する一風変わった会社でもある。月間500万PVを達成した自社メディア「LIG ブログ」は、オウンドメディアの成功事例としても知られて、長野県の信濃町、大分県南の豊後大野、長崎県の壱岐島と3箇所でゲストハウス運営を手掛けるなど、IT企業という枠にとらわれない活動が業界内外からも注目を集めている。
ちなみに、〈The Sauna〉が建つLAMP野尻湖は、吉原ゴウさんの父親が一九七五年に創立した「サンデープラニング」が母体であり、そこは日本初のアウトドアスクールでもあった。その血を受け継いでいるからなのか、吉原ゴウさんは失敗を恐れずあたらしい事業を起し続ける起業マインドに溢れた人物。そんなひとに向かって、面接時に「(特にできることはないですが)なんでもやります!」と啖呵を切った。その瞬間から、野田くんは代表の命令をなんでも実行する弟子のような役割を担うことになったのだが、いざ下される命令はまるで"電波少年"のような無茶振りの連続であった。
たとえば、「『Let it Go』を365日間歌い続け、YouTubeにアップする」「毎日ブログを書く」といったものから、「野宿しながらアメリカを横断(ゲーム会社のタイアップ企画として記事化)」「断食」などなど。野田くんは、命じられるがままに様々なミッションをこなしていった。サウナ部門を立ち上げようと考えたのは、そんな無茶振り生活のなかで体験したある出来事がきっかけであった。
そして、ようやく弟子としての修行期間を終え、社員に登用されたと思ったら、今度は「日本一周」の旅へと送り出されてしまう。途中、二十キロの荷物を担いでお遍路にも挑戦させられた。その最中、うだるような熱さから逃れようと銭湯で水風呂に浸かり、温冷浴の魅力を体感。これがサウナに目覚めるキッカケとなる。 それまでにも数多くのミッションを乗り越えてきてはいたものの、野田くんにとって、そのどれもが自分発信ではなかった。サウナ事業をはじめる前に担当していた自社の広報動画製作だって、やりたくてやっていたわけではない。
「自分が好きなことって、なんだろう」
仕事に悩む中で、自分はサウナが好きなんだと再確認。サウナを仕事にしようと決心する。LIGが運営している長野のゲストハウスは、目の前に野尻湖があるので、フィンランドのように大自然のなかでたのしめるサウナをつくれるかもしれない。
一気呵成に企画書を作成。社内プレゼン、フィンランド視察を経て、サウナ事業を正式にスタートさせることとなる。
★
自分が理想とするサウナのかたちを追い求めていった結果、コンセプトは"ぜんぶ、自然"に決まっていった。
たとえば、「『Let it Go』を365日間歌い続け、YouTubeにアップする」「毎日ブログを書く」といったものから、「野宿しながらアメリカを横断(ゲーム会社のタイアップ企画として記事化)」「断食」などなど。野田くんは、命じられるがままに様々なミッションをこなしていった。サウナ部門を立ち上げようと考えたのは、そんな無茶振り生活のなかで体験したある出来事がきっかけであった。
そして、ようやく弟子としての修行期間を終え、社員に登用されたと思ったら、今度は「日本一周」の旅へと送り出されてしまう。途中、二十キロの荷物を担いでお遍路にも挑戦させられた。その最中、うだるような熱さから逃れようと銭湯で水風呂に浸かり、温冷浴の魅力を体感。これがサウナに目覚めるキッカケとなる。 それまでにも数多くのミッションを乗り越えてきてはいたものの、野田くんにとって、そのどれもが自分発信ではなかった。サウナ事業をはじめる前に担当していた自社の広報動画製作だって、やりたくてやっていたわけではない。
「自分が好きなことって、なんだろう」
仕事に悩む中で、自分はサウナが好きなんだと再確認。サウナを仕事にしようと決心する。LIGが運営している長野のゲストハウスは、目の前に野尻湖があるので、フィンランドのように大自然のなかでたのしめるサウナをつくれるかもしれない。
一気呵成に企画書を作成。社内プレゼン、フィンランド視察を経て、サウナ事業を正式にスタートさせることとなる。
★
自分が理想とするサウナのかたちを追い求めていった結果、コンセプトは"ぜんぶ、自然"に決まっていった。
代表である吉原ゴウさんを伴ったフィンランド視察旅行で体験した、本場・フィンランド式サウナ。その魅力を余すことなく伝えるためのメッセージがそのコンセプトには込められていた。
そして、「いまだに、日本では"サウナはおじさんのもの"というイメージが根強い。でも、それとはまた違ったサウナ・カルチャーを知ってほしい」という想いからでもあった。
でも、それだったらテントサウナでもいいんじゃないか。小屋を建てるよりも簡易的で、自由度だって高い。湖畔に限らず、川沿いや海辺、なんだったら雪山にだって担いでいける(体力と気力が伴えば、ではあるが)。
ログハウスを選択したのは、会社の事業として正式に運営するため。パブリックサウナ(日本でいう銭湯のような温浴施設)を会社のいち事業として始めるのなら、公衆浴場法を守ることは必須条件となる。また、〈LAMP〉の建つ野尻湖一帯は「妙高戸隠連山国立公園」に指定されており、造作物の設置から木の伐採まで、すべて環境省への届け出を必要とする。
フィンランドのような自然豊かなフィールドでサウナ施設を運営するためには、「公衆浴場法」と「自然公園法」をクリアーしなければならない。
そもそも、個人がサウナ小屋を建てるのは難しそうだ。
野田くんもチェーンソーはおろか、インパクトドライバーすら握ったことがなかった。いまでこそ釣りにハマって、アウトドア活動を行っているが、それまでは「遊びといったら、地元の友だちと(お酒を)飲むくらい。プラモデルもつくったことないです」というほどの都会育ち。
サウナ小屋を建てるなんて到底無理なことのように思えた。
野田くんのサウナづくりは、どのようにはじまったのだろう。
★
与えられた建設予定地は、ゲストハウスの裏にある空き地。作業小屋が建つそこは、都会から独りサウナ小屋を建てようと意気込んで移住してきた野田くんにとって、最高のロケーションとは言い難かった。はじめて見たとき「俺の職場はこんな端っこなんだ」と意気消沈したが、それでもここにつくるしかない。
そして、「いまだに、日本では"サウナはおじさんのもの"というイメージが根強い。でも、それとはまた違ったサウナ・カルチャーを知ってほしい」という想いからでもあった。
でも、それだったらテントサウナでもいいんじゃないか。小屋を建てるよりも簡易的で、自由度だって高い。湖畔に限らず、川沿いや海辺、なんだったら雪山にだって担いでいける(体力と気力が伴えば、ではあるが)。
ログハウスを選択したのは、会社の事業として正式に運営するため。パブリックサウナ(日本でいう銭湯のような温浴施設)を会社のいち事業として始めるのなら、公衆浴場法を守ることは必須条件となる。また、〈LAMP〉の建つ野尻湖一帯は「妙高戸隠連山国立公園」に指定されており、造作物の設置から木の伐採まで、すべて環境省への届け出を必要とする。
フィンランドのような自然豊かなフィールドでサウナ施設を運営するためには、「公衆浴場法」と「自然公園法」をクリアーしなければならない。
そもそも、個人がサウナ小屋を建てるのは難しそうだ。
野田くんもチェーンソーはおろか、インパクトドライバーすら握ったことがなかった。いまでこそ釣りにハマって、アウトドア活動を行っているが、それまでは「遊びといったら、地元の友だちと(お酒を)飲むくらい。プラモデルもつくったことないです」というほどの都会育ち。
サウナ小屋を建てるなんて到底無理なことのように思えた。
野田くんのサウナづくりは、どのようにはじまったのだろう。
★
与えられた建設予定地は、ゲストハウスの裏にある空き地。作業小屋が建つそこは、都会から独りサウナ小屋を建てようと意気込んで移住してきた野田くんにとって、最高のロケーションとは言い難かった。はじめて見たとき「俺の職場はこんな端っこなんだ」と意気消沈したが、それでもここにつくるしかない。
まず、床面積に合わせて「束石」という固定用金具を置き、木枠でベースをつくる。
土台となる基礎ができたら、ログハウスの構造自体はいたってシンプル。丸太と丸太を水平方向に積み上げていけば、壁が立ち上がり、屋根をかぶせれば小屋となる。
当初は自分で作業するつもりだったが、のんべんだらりとつくり続けていては営業が始められない。運良く、信濃町には熟練のログビルダーがいたこともあり、プロの手も借りようとなった。
土台となる基礎ができたら、ログハウスの構造自体はいたってシンプル。丸太と丸太を水平方向に積み上げていけば、壁が立ち上がり、屋根をかぶせれば小屋となる。
当初は自分で作業するつもりだったが、のんべんだらりとつくり続けていては営業が始められない。運良く、信濃町には熟練のログビルダーがいたこともあり、プロの手も借りようとなった。
ログハウスの工法は大きく分けて、機械で製材する「マシンカット」と手作業で加工する「ハンドカット」のふたつ。フィンランドでみた古いログハウスのサウナがそうであったことからハンドカットを選択するも、ノッチ(刻み)と呼ばれる木と木が重なり合う部分の加工には熟練の技がいる。基本はプロにお願いしつつ、教えを請いながら野田くんもチェーンソーで丸太を刻んでいった。
刻んだ丸太は、ひたすら積み上げていく。
晴れの日も、曇りの日も、雪の日も、丸太と丸太を組んでいく。 ある程度まで作業が進んで小屋の全貌がみえてきたとき、裏側に広がる雑木林に雪が降り積もった。
その景色は、フィンランドと重なってみえた。
みんなにもこの景色を共有したいと、予定にはなかったがサウナ室に窓を設置することにした。
外装がととのえば、作業は内部装飾へと移っていく。
同じログハウスでも、住宅とサウナでは室内のつくりが異なる。たとえば、サウナ室の天井はベンチに座って、拳一個分のスペースがいいと言われている。また、三角屋根のままでは熱がてっぺんに溜まってしまうので、フラットな形状が好ましい。すべて、サウナの魅力を最大限に高める設計を目指してのことだ。
ログハウスビルダーは住宅づくりのプロではあるが、サウナづくりのプロではない。野田くんにしても、これが初めてのサウナづくりとなる。サウナならではの特徴的な設計方法を説明する際、フィンランド視察時の写真が役立った。外観から室内のベンチやストーブの形状、天井はどんな形をしていて、なぜドアの下に隙間が開いているのか。撮れるものは、余すことなく撮ってきていた。
それとともに、『サウナをつくろう―設計と入浴法のすべて』(沼尻良 著)という大型の本も大いに参照した。
「これを読まなければ完成しなかったかもしれない」
それほどきめ細かく、サウナのつくり方が書かれていて、いまでもサウナづくりを目指す人には必ず紹介している。
釘やネジなどを使わずに組むのもログハウスの特徴だろう。反面、天然素材のため建てたあとでも、木が収縮するという特性も持っている。そのため、隙間から雨漏りしたり、最悪の場合は腐食したりしてしまう可能性がある。丸太と丸太の隙間は、チンク剤というシーリング剤で一つひとつ、地道に埋めていった。
ログハウスが完成したら、今度はサウナ用のストーブを探さなければならない。
いまでこそフィンランドのメーカーから専用のストーブを取り寄せることも容易になったが、当時の日本では手に入れるのが難しく、様々な薪ストーブを検討する必要があった。
あるとき、野田くんは普段から工具やビスを購入している金物屋に立ち寄った。そこで目にしたのは、部屋の広さに対してあまりもに不釣り合いな大きさの薪ストーブ。サウナかと見紛うほどに部屋を熱するそれは、長野県千曲市に本社を構える〈モキ製作所〉が手がけたものだと、店主から教えられる。
「これ、買えますか!」
念願だった、頑丈で熱に強くハイパワーの薪ストーブを見つけた瞬間である。
すぐさま購入を決定したものの、解決しなければならない問題点も残されていた。
刻んだ丸太は、ひたすら積み上げていく。
晴れの日も、曇りの日も、雪の日も、丸太と丸太を組んでいく。 ある程度まで作業が進んで小屋の全貌がみえてきたとき、裏側に広がる雑木林に雪が降り積もった。
その景色は、フィンランドと重なってみえた。
みんなにもこの景色を共有したいと、予定にはなかったがサウナ室に窓を設置することにした。
外装がととのえば、作業は内部装飾へと移っていく。
同じログハウスでも、住宅とサウナでは室内のつくりが異なる。たとえば、サウナ室の天井はベンチに座って、拳一個分のスペースがいいと言われている。また、三角屋根のままでは熱がてっぺんに溜まってしまうので、フラットな形状が好ましい。すべて、サウナの魅力を最大限に高める設計を目指してのことだ。
ログハウスビルダーは住宅づくりのプロではあるが、サウナづくりのプロではない。野田くんにしても、これが初めてのサウナづくりとなる。サウナならではの特徴的な設計方法を説明する際、フィンランド視察時の写真が役立った。外観から室内のベンチやストーブの形状、天井はどんな形をしていて、なぜドアの下に隙間が開いているのか。撮れるものは、余すことなく撮ってきていた。
それとともに、『サウナをつくろう―設計と入浴法のすべて』(沼尻良 著)という大型の本も大いに参照した。
「これを読まなければ完成しなかったかもしれない」
それほどきめ細かく、サウナのつくり方が書かれていて、いまでもサウナづくりを目指す人には必ず紹介している。
釘やネジなどを使わずに組むのもログハウスの特徴だろう。反面、天然素材のため建てたあとでも、木が収縮するという特性も持っている。そのため、隙間から雨漏りしたり、最悪の場合は腐食したりしてしまう可能性がある。丸太と丸太の隙間は、チンク剤というシーリング剤で一つひとつ、地道に埋めていった。
ログハウスが完成したら、今度はサウナ用のストーブを探さなければならない。
いまでこそフィンランドのメーカーから専用のストーブを取り寄せることも容易になったが、当時の日本では手に入れるのが難しく、様々な薪ストーブを検討する必要があった。
あるとき、野田くんは普段から工具やビスを購入している金物屋に立ち寄った。そこで目にしたのは、部屋の広さに対してあまりもに不釣り合いな大きさの薪ストーブ。サウナかと見紛うほどに部屋を熱するそれは、長野県千曲市に本社を構える〈モキ製作所〉が手がけたものだと、店主から教えられる。
「これ、買えますか!」
念願だった、頑丈で熱に強くハイパワーの薪ストーブを見つけた瞬間である。
すぐさま購入を決定したものの、解決しなければならない問題点も残されていた。
サウナ専用の薪ストーブは、サウナストーンと呼ばれる石(天然の香花石のほか、セラミック製もある)を積み上げられる仕様になっている。ストーブの熱でアツアツになった石に水をかけることで、フィンランド式サウナの代名詞であるロウリュが行えるのだ。しかし、〈モキ製作所〉の薪ストーブはあくまで家庭用のため、サウナ室でつかうことを想定したつくりにはなっていない。
一難去ってまた一難。今度は、いかにしてストーブに石を積み上げるかを考え続けた。
しかし、休まず作業を進めても煮詰まってしまう。野田くんは妻の愛さんと休日に、新潟県上越市にある水族館へと向かう。そして、そこでも運命的な出会いを果たす。
エントランスにあった「JOETSU AQUARIUM」というサインを掲げる石積みの外構が、サウナストーンを積み上げたストーブと瓜二つであり、まさに探し求めていたものだったのだ。
一難去ってまた一難。今度は、いかにしてストーブに石を積み上げるかを考え続けた。
しかし、休まず作業を進めても煮詰まってしまう。野田くんは妻の愛さんと休日に、新潟県上越市にある水族館へと向かう。そして、そこでも運命的な出会いを果たす。
エントランスにあった「JOETSU AQUARIUM」というサインを掲げる石積みの外構が、サウナストーンを積み上げたストーブと瓜二つであり、まさに探し求めていたものだったのだ。
実際に触れてみるとだいぶ硬い素材であり、調べると海岸・河川の護岸に用いる「蛇籠(じゃかご)」という名称であることを知った。しかし、どこで買えるかまではわからなかった。
「ホームセンターに行けば、売っているかもしれない」
サウナ小屋の製作中、野田くんはなにかあればホームセンターに足を運んでいた。
長いときは一日中、使えるものないかと考えながら店内で過ごしたこともある。
店員に「蛇籠はつくれますか?」と興奮気味に質問するも、「蛇籠は……つくれないですねぇ」とつれない返答。それからも、幾つものホームセンターや金物屋をはしごしては、数多ある素材を見つめ、どうにか問題解決の糸口を探していく。
独力でサウナづくりをする野田くんにとって、いつしかホームセンターは、ただ教えてもらうのではなく、自ら考え、答えにたどり着く学校のような場所になっていた。
最終的にみつけたのは、コンクリートで基礎を打つ際に使う「ワイヤーメッシュ」という補強材。ワイヤーメッシュにも幾つか種類があり、四角型では網目が大きく、穴から石が落ちてしまう。そこで、プラス型に組まれたワイヤーメッシュと重ね合わせることで隙間を狭めるという方法にたどり着く。
「ホームセンターに行けば、売っているかもしれない」
サウナ小屋の製作中、野田くんはなにかあればホームセンターに足を運んでいた。
長いときは一日中、使えるものないかと考えながら店内で過ごしたこともある。
店員に「蛇籠はつくれますか?」と興奮気味に質問するも、「蛇籠は……つくれないですねぇ」とつれない返答。それからも、幾つものホームセンターや金物屋をはしごしては、数多ある素材を見つめ、どうにか問題解決の糸口を探していく。
独力でサウナづくりをする野田くんにとって、いつしかホームセンターは、ただ教えてもらうのではなく、自ら考え、答えにたどり着く学校のような場所になっていた。
最終的にみつけたのは、コンクリートで基礎を打つ際に使う「ワイヤーメッシュ」という補強材。ワイヤーメッシュにも幾つか種類があり、四角型では網目が大きく、穴から石が落ちてしまう。そこで、プラス型に組まれたワイヤーメッシュと重ね合わせることで隙間を狭めるという方法にたどり着く。
ディスクグラインダーで求める形状に切断し、切り出したパーツごとに番線(資材の結束や固定などで用いられる鉄線)で組み合わせて、箱型にすれば完成。
売っていないのなら、つくればいい。
蛇籠を起点に、野田くんはオリジナルのストーンラックまで作り上げてしまった。
こうして、ログハウスのなかに薪ストーブを設置し、オリジナルのストーンラックには大量のサウナストーンが積み上げられた。あとは薪ストーブに火を入れるのみ。サウナ小屋は、ほとんど完成したようなものだ。
ちょうどその頃、テレビの密着取材が入っていたことから、撮影クルーの前ではじめての火入れを行おうと考える。取材当日、段ボールに火をつけて「すぐに熱くなりますよ」と言ったものの、しかし、どれだけ待っても一向にストーブが温まらない。
「(あれ、おかしい)……もうすぐ温まりますからね」
そのあとも温度計は30度付近で止まってしまう。
焦りながらも「初回はこんなものですよ」と言って、その場はどうにかやり過ごした。
弟子時代から数々の困難を乗り越え、やっと好きなことを仕事にできるとサウナづくりを頑張ってきた。それが、ほぼ完成した段階でいちばん重要な要素である温度が上がらない。
最後の最後に待ち受けていた困難な状況を前に、その日は帰って号泣した。
火入れに失敗した翌日はどうしても外せない出張が入っており、現場を離れなければならなかった。やはり、専用のストーブを買うべきだったのか。なすすべもなく、ただただ落ち込んだ。頭のなかはサウナのことでいっぱいで、仕事など手につかない。しかし、ふとした瞬間にスマホの画面をみれば、現場に残っているメンバーから「70度を超えたよ」と温度計の写真が送られてきているではないか。
「よかった!!!」
温まらなかった原因は、薪ストーブに試し焚きという段階があることを知らなかったため。その後はストーブの熱も安定し、フィンランドで体験したサウナの心地よさを確かめられたことで、記念すべき一号棟(現在はThe Sauna yksi(ユクシ)に名称変更)は完成。
二〇二〇年二月八日、サウナ施設〈The Sauna〉はオープンする。
売っていないのなら、つくればいい。
蛇籠を起点に、野田くんはオリジナルのストーンラックまで作り上げてしまった。
こうして、ログハウスのなかに薪ストーブを設置し、オリジナルのストーンラックには大量のサウナストーンが積み上げられた。あとは薪ストーブに火を入れるのみ。サウナ小屋は、ほとんど完成したようなものだ。
ちょうどその頃、テレビの密着取材が入っていたことから、撮影クルーの前ではじめての火入れを行おうと考える。取材当日、段ボールに火をつけて「すぐに熱くなりますよ」と言ったものの、しかし、どれだけ待っても一向にストーブが温まらない。
「(あれ、おかしい)……もうすぐ温まりますからね」
そのあとも温度計は30度付近で止まってしまう。
焦りながらも「初回はこんなものですよ」と言って、その場はどうにかやり過ごした。
弟子時代から数々の困難を乗り越え、やっと好きなことを仕事にできるとサウナづくりを頑張ってきた。それが、ほぼ完成した段階でいちばん重要な要素である温度が上がらない。
最後の最後に待ち受けていた困難な状況を前に、その日は帰って号泣した。
火入れに失敗した翌日はどうしても外せない出張が入っており、現場を離れなければならなかった。やはり、専用のストーブを買うべきだったのか。なすすべもなく、ただただ落ち込んだ。頭のなかはサウナのことでいっぱいで、仕事など手につかない。しかし、ふとした瞬間にスマホの画面をみれば、現場に残っているメンバーから「70度を超えたよ」と温度計の写真が送られてきているではないか。
「よかった!!!」
温まらなかった原因は、薪ストーブに試し焚きという段階があることを知らなかったため。その後はストーブの熱も安定し、フィンランドで体験したサウナの心地よさを確かめられたことで、記念すべき一号棟(現在はThe Sauna yksi(ユクシ)に名称変更)は完成。
二〇二〇年二月八日、サウナ施設〈The Sauna〉はオープンする。
野田クラクションべべー/サウナビルダー。
〈The Sauna〉支配人。
WEB制作会社勤務を経て、二〇一九年二月、長野県信濃町にフィンランド式サウナをたのしめる〈The Sauna〉をオープン。支配人として運営に関わるほか、日本各地でサウナ施設のプロデュースを行うなど、アウトドア・サウナを啓蒙すべく幅広く活動中。
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FORESTER
Shigeaki Adachi
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EDO-WAZAO CRAFTSMAN
Tomoki Koharu
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LANDSCAPE ARCHITECT DESIGNER
Kei Amano
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BAMBOO CRAFTSMAN
Daisuke Soutome
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CRAFTSMAN, BUILDER, PLASTERER
Taiki Minakuchi
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SOUL BEAT ASIA Hitsuke Nugumi
橋の下世界音楽祭 火付ぬ組
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SNOWBOARD BUILDER & WOOD WORKER
Naoyuki Watanabe
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NATURAL DYEING CRAFTSMAN
Yukihito Kanai
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SAUNA BUILDER
nodaklaxonbebe